現代思想2023年8月号 特集=裁判官とは何か -家庭から国家まで…法と社会のはざまから問う- 裁判官の良心 / 木庭顕
「編集部から与えらえた問いは以下のようなものである。一方で裁判は不偏不党でなければならないはずであるのに、他方で裁判官は「その良心に従い」(日本国憲法76条3項)裁判しなければならないとされる。「客観的」でなければならないものが一体どうして「主観」によって導き出されるのか。一体「裁き」とは何なのか。」(p102)
果たして、この問いに対して、十分納得のいく答えを持ち合わせている法律家がどれくらいいるだろうか?
「・・・冒頭の問いに答えるのは極めて簡単なのであるが、誰でも容易に気づくように、簡単ではない難所が、この答えには潜んでおり、引っかかる人は引っかかってしまう。・・・この答えの核心部分は、「法は集団に圧迫された個人のために立ちはだかるためにある」というところにある。ところが、日本ではこれが法律家以外には(市井の人ばかりか哲学者や歴史学者や政治学者にせ)理解されていない。法律家でさえ理解していない者がいる。・・・
こうして、例えば裁判は争いを解決するためにあるなどと言う者がでてくる。」(p105~106)
そういえば、大学一年生向けの「法学」なる講義でも、ある教官は、「法は、対立する利害を調整し、利害を巡る紛争を解決するためにある」などと教えていた記憶がある。
現在の最高裁も、おそらく多数派を占める裁判官は、岡口判事も示唆するとおり、「法は、いわゆる秩序のことであり、裁判は秩序を維持するためにある」などと言いかねないところだろう。
一体「良心」はどこに行ってしまったのだろうか?
こういう法曹(しかも一人は元裁判官!)が「とんでもない歴史的事態」を作り出してしまったことについては、呆れてしまうほかないだろう。
「国民の多数派」を代表する政治家の圧力に対し、法曹が抵抗するどころか協力してしまうとは・・・。
「このとんでもない歴史的事態に、俺の知り合いばかり登場する
検察官の定年延長問題は、これを認めちゃ絶対にダメだろというレベルの問題題。歴史に残る事態。
これを進めようとしている法務大臣は、俺の受験生の頃からの知り合いの森雅子大臣
人事院総裁は、俺の司法研修所の教官だった一宮なほみ総裁
人事院総裁は、俺の司法研修所の教官だった一宮なほみ総裁
そして、これに果敢に立ち向かったのは、俺が水戸修習時代に大変にお世話になった神村昌通検事です。」