「ある哲学者が「私たちは類型的な物事を、自ら判断をして決着をつけていると思っているが、実は決着などついてはいなくて、無意識の領域に閉じ込めているだけだ」と言っている本を読んで、無意識の領域というものに関心を持ちました。一体どれほどの事柄、事物をこの領域に閉じ込めているのだろう、と。
フロイトのいう「意識」「前意識」「無意識」
それぞれの「領域」
舞踊家としてこれらの領域の垣根を越えることは可能なのだろうか?
舞踊団としてこの命題に挑戦をしたいという思いからこのタイトルに決定しました。」
フロイトのいう「意識」「前意識」「無意識」
それぞれの「領域」
舞踊家としてこれらの領域の垣根を越えることは可能なのだろうか?
舞踊団としてこの命題に挑戦をしたいという思いからこのタイトルに決定しました。」
なるほど。
フロイトの理論を踏まえてつくられた舞踊というわけである。
先入観を取り払ってみていると、確かに、それぞれのダンサーの自我の領域が拡張したり収縮したりするのが視覚化されているように思える。
この着眼点は、一見するとクリスタル・パイトに似ているようだが、言葉を起点とする”左脳優位”の彼女に対して(言葉を超える(1))、Noism の方は音楽を用いており、”右脳優位”の発想に思える。
(ところで、言葉も音楽も用いない、無音のダンスが難しいのは、空間を分節化するためには時間の要素が必要となるという、いわば「海も時なり」(不健全な自我の拡張(11))の原理によるものだろうか?)
KIDD PIVOT とNoism の公演を交互にみると、脳の活性化に役立つかもしれない。