今年最初に読み終えそうな本は「脳を司る」(毛内拡)
とても不思議な脳についての最新の研究成果をわかりやすく(?)紹介している
ニューロン間での電気信号のやり取りは具体的にはどの様になされているのか
とか、脳と脳を守る組織の間には微妙な空間があって、そこにある液体が
人間としての特徴を形成する秘密かもしれないとか、、
読んだはなから忘れてしまいそうだが、読んでいる時はとても面白い
ところで、いつもの如く本質と関係ないことに関心がいってしまった
それは動物実験に対する倫理感のようなことで
人に役立つ実験とは言え、遺伝子組み換えとか苦痛とかストレスを与えることになる実験とか
生きているものにそこまでしてしまって良いのだろうか、、
といった少しばかり後ろめたい気分を持ってしまいそうな事に関しての部分だ
科学の進歩のために非情になったり、先へどうしても行きたい気持ちはわからないでもない
でも、同時に生き物に対して単なるものとして扱うのは心が痛むこともあるだろう
そこで、この学会にはルールがあるとのこと
研究に対する倫理は、研究者個人に負っている部分が大きいですが、研究者というのは
もともと好奇心が人一倍強いために、興味のままに暴走するのでは、という危惧があるのもうなずけます
しかし、研究者は好き放題やっているかというと、実はものすごい制約の中で研究は行っているのです
日本でも、政府が定めている研究倫理の試験を受講しなければ研究費の申請ができないことになってますし
動物実験に関する法律が定められており、実験を始める際も終了する際も、決められた書式に書類を提出する
ことが義務付けられています。とくに遺伝子組み換えについては厳しく、研究機関内で厳しい審査を何度もパス
しないと始められません。パッと思いついたからと言ってすぐにできるものではないのです。
このようなルールが存在することで少しホッとしたのだが、気になったのはこの倫理観のことではなく
このなかにある「研究倫理の試験を受講しなければ」のフレーズだ
これなどは、そのまま現在の国会議員や市議会議員さんに嫌味ったらしく、このよう試験とか
受講を受ける制度はないだろうか、、と思ってしまったからだ
倫理観とか正義感とか常識といった類のものは、そもそも選ばれる立場の人間にとっては
当たり前に持っていてもらわなくてはならない要素なのだが
最近の選ばれたという方々は、そんなことはお構いなしに選ばれた時点でそうしたものを
忘却の彼方へ追いやってしまっている
そして(一時的に)選ばれたという事実だけで自信過剰に振る舞う
議員になるためには選挙で勝ち残るだけでなく
その前に議員資格試験をクリアすることが必須としてもらいたい
そんなふうに思うこの頃