パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

時代精神?

2021年01月09日 08時41分52秒 | あれこれ考えること

後の時代になってみると、反発しあっていたブラームスとヴァーグナーも
あの時代の空気とか雰囲気を表していると、一括で理解されるようになっている
それは後期ロマン派として
時代の空気とか雰囲気は、そこに実際に生きている人しか身にしみて感じられないかもしれない
今は古典となっている作品も当時の捉えられ方と現在のそれとはリアリティや切実感で大きく違う

例をクラシック音楽などの面倒くさいものではなくて、わかりやすいロック音楽に転じてみると
ビートルズの音楽もリアルタイムで聴いていた人たちは新しいアルバムが出る度に
今度はどんな新しいことをするのだろう、、と興味を持って一喜一憂したものだが
現在の人たちは、リアルタイムで聞いていた人たちがアルバム順でリアリティをもって覚えた楽曲を
既に存在するヒット曲あるいは古典としての括りの中で覚える
そこには記憶のされ方の違いが明らかに存在する
そしてそれは時間経過のせいだけでなく時代精神の変化もあるように思えてくる

こんな面倒なことを思いついたのは、挑戦中の「超解読!ヘーゲル 法の哲学」を読んでいた時のことで
やっぱりよくわからないヘーゲルは、なんだかベートーヴェンの音楽とか彼が目指したものに似てるな
と感じたのだった
ベートーヴェンは苦悩を乗り越えて歓喜に、、といった克己心に溢れた音楽を作った
(後期はこのくくり方では違うような気もするが)
一方自分が読んで漠然と感じるヘーゲルは、精神の活動がより高次のものに向かって変遷していく
ことを(良いと)言葉を尽くして訴えているのような気がする
ベートーヴェンもヘーゲルもジャンルは違うが言いたいことは同じだ!
と感じたのだ
ベートーヴェンは1770年から1827年 ヘーゲルは1770年から1831年の人間で
同時代の人間だ
同じ時代の人は同じように何かを漠然と感じるのかもしれない
もっともベートーヴェンはヘーゲルの本を読んでいたとの話もあって
漠然と感じると言うよりは直接的に影響されていたのかもしれない

時代が求める何かは、その時代の人しか感じられないかもしれない
ベートーヴェンの第九も、自分にはとてもリアリティとか切実感をもって響く
フルトヴェングラーの指揮する演奏も、現代の聴衆には時代がかって大げさで
スマートさに欠けるように聴こえるのかもしれない
(彼らも年齢を重ねると変化するかもしれないが)

でもなあ、、確かに作りての時代精神だけでなく、受け取る側の時代精神もあるが
自分が価値あるものとしていつまでも手元に置きたい文化遺産(レコードや書籍)は
時代を超えて今の人にも何かを感じてほしい、と思ってしまう
いや何かを感じないともったいない!とさえ思う

しかし、自分が今の時代を表す何かを体験して何かを感じているかといえば、、、

年齢を重ねるということは、、、、こういうことか

コメント
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