パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

ピアノによるブルックナーの交響曲演奏

2021年01月24日 09時05分58秒 | 音楽

ベートーヴェンの生誕から54年後に生まれた遅咲きの作曲家アントン・ブルックナー
彼は交響曲の作曲家になりたいと(でありたい)と願っていたようだ
その作風はベートーヴェンの影響か最後は勝利感に満ちた予定調和に至るが
それは艱難辛苦の末というよりは、宗教上の法悦感にあるような気がしている
聴いていて、ああまたやってるな、、と思うような、全肯定的な響きが
思いっきり大音量で開放されると、なかなか気分が良い
大音量の快感だけでなく、時折感じられる自然の中にいるような沈潜したフレーズは
田舎の人間である自分にとっては、いつか経験した思い出のように響く

彼が望んだように、彼の本領が発揮されるのは様々な音響の交差する交響曲
彼の足跡を追っかけて、オルガニストを務めた聖フローリアン修道院に訪れたり
最後の家であるウィーンのヴェルデベーレ宮殿にもでかけたし
CD・レコードもいろんな指揮者による演奏比較もできるくらい揃っている
つまりは彼のオタクなのだが、最近オタクアイテムに珍しいものを追加した


4手のピアノによる交響曲の演奏のCDだ(演奏はディーノ・セクィー&ゲルハルト・ホッファー)
ブルックナーのピアノ曲では「思い出」とか「秋の夕べの静かな思い」「幻想曲」などの
ソロの曲が思いのほかショパン並に情緒的だが、今回のこれは思いっきり真正面からの
交響曲のピアノ縮小版
どちらかといえばゲテモノっぽいが、どのように響くかの興味は抑えきれず
アマゾンでポチッとしてしまった

最初に聴いたのは一般的には人気がないが、自分が大好きな「第2番」
特にこの第2楽章(初版では第3楽章)のアダージョは、何度聴いても
草原の中に静かに風が過ぎていく様を連想させて、とても気持ちがいい
第一楽章も気負いがなく始まって、癖がなく聴きやすい

そうか、こう来るのか、なるほど!
例のトレモロによるブルックナー開始はまずまず納得
だが直ぐに違和感を感じてしまった
それはピアノという楽器ゆえの欠点が気になってしまったのだ
ピアノは弾いてから音は減衰する
この当たり前のことがブルックナーの交響曲の演奏には
なじまないのではないかと思えてしまった
音を出しっぱなしにするブルックナーの交響曲は
オルガンは良いかもしれないがピアノは駄目かな、、、と

だがブルックナーはピアノを身近において作曲しているのだから
悪いと決めつけるのは間違いかもしれない!と思い直して聴き続ける

もしかしてピアノの音色が自分は気にいる方ではないのかもしれない
今度はそれが気になった
ピアノは芯の強い音で全体的にブレンドされた音というより
ある旋律線が目立つ
こういう音ではなくてクラウディオ・アラウのような深々とした音なら
違和感は少しは減ったに違いないとも思ったりした

だが演奏は後半になって熱気を帯びたものになって、演奏者の意気込みとか
集中度も感じられて、こういう演奏形態も一回は聴く価値がある
と思い直すことにした

まだ大好きな8番や9番は聴いていないが
聴くのが怖いような(がっかりしそうで)気がしているのも事実
でも彼のオタクとしては、聴き遂げねば、、かな

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする