パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

行ってほしい調査

2021年01月22日 08時20分59秒 | あれこれ考えること

思考実験ではなく実際に行ってほしい実験とか調査がある
少しばかり生々しいが選挙に関することで
心理学か社会学かどちら分野が行うべきかはわからないが
大学のいずれかの研究室で行ったならば面白そうと思う

その内容は、首長の選挙に立候補した人の写真(肖像写真)を
選挙区とは全く無関係の人たち(例えば遠方の地域の人)に見せて
誰が首長にふさわしいと思うか?を判定してもらうというものだ

選挙区外の人は個人的な経歴等の情報を全く知らない
そこで単に印象だけから判断してもらうのだが
これが選挙結果とどのくらいの割合で一致するのか
はとても興味がある
(印象は信用できる判断基準か?などの)

同時に、この人たちはそれぞれどんな性格の人と思われるか?
を自由に書かせて調査してみると、更に興味深いと思われる

次に外見の印象から判断するのとは全く反対方向からのアプローチで
テキスト(書かれたもの)のみから判断する方法も調べたならどうだろう
立場、経歴などを全く伏せた状態で立候補者の主張を並べて
この中の誰の政策(主張)に共感できるか?を聞いてみるのだ

予想するにこれは思いのほか難しいと思われる
こういう場合、それぞれが良いことばかりを主張するのが常で
そうした中で優劣を決めるのは、一般人の間では
そんなに差が出ないのではないか?と想像してしまうからだ

テキストだけで判断するのは、それぞれの主張の意図・意味が理解できる(意識高い系)の
人たちでないと、判断ができないと思われる
つまり、納税者・主権者・生活者である市民のうち、選挙権を有する主権者の意識が
ある人でないと主張の差異と優劣とか実現性を判断できないように思えてしまう

最後に写真とテキストを同時に見せて、どの写真の人物がどの主張をしているか
を当てさせてみる
つまり外見のイメージと訴える主張との一致がどのくらいの確率でなされるのか
それでわかる(政策の優劣ではなくて、人柄と政策の一致がわかりそうということ)

もしかしたら、知っているがゆえに人は正しい選択ができない
ことがあるかもしれない!と思ってしまう
選挙においては立候補する人(議員でなく首長の場合)の情報は
選挙区民に全く知られていないことはありえない
選挙区外の人なら全くニュートラルに受け取ることができる情報も
選挙区民にはいい情報悪い情報と判断されたかたちで受け止める
それは当事者ゆえの切実さかもしれないが、一歩間違うと
冷静に行われるべき選択が自己の都合で行われてしまうことになる

そもそも選挙における選択は、全体最適が実現されるようなものではなく
ある人たちにとって好ましいと思われる状態の確保が目指される
それは金銭的な利益だけでなく、自分たちが選んだ人が選ばれたという自負心も満足させる

結局のところ、人が人を選ぶという行為は、何に頼ることが一番良いのだろうか
と考えてしまう

トランプさんは、あの風貌の方だが、彼の行いは(個人的な印象だが)
風貌通りの行動をしているように見える
風貌だけであの敵味方と区別して物事を推し進めるやり方も想像できてしまうが
これはアメリカの話ではなく、地元に限っても同じようなことは言えないか

ただ地元においては、選択の基準は印象よりは知名度の要素が大きいようで
この知名度の問題については、いろいろ文句を垂れたいことがあるが
それは頭を整理して機会があれば、、、

地元新城市では「市長立候補予定者による公開討論会条例」なるものが
できたので、ちょいといろいろ考えてみた




コメント
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