田舎からぼーっと世間を観察していると、都会の忙しい人にはわからないことも
少しは見えてくるかもしれない
都会の人が見えないというのではなく、それに関わってる時間がないのかもしれない
田舎の人間がつらつら感じること
最近に読んだ本(歴史の終わり)
見たテレビ番組(100分de名著 ブルデューの「ディスクタンシオン」とマルクスの「資本主義」
それと「欲望の資本主義」)に影響されているが、現在は新たな時代への模索の段階に入っている
とぼんやりと感じる
以前から言われているように世界中で格差が広がっている
それは経済が上向けば自動的に解決するような問題ではないことも薄々感じられている
「歴史の終わり」にあったように、東西の冷戦は西側の資本主義、民主主義国家の勝利に
終わったかのように見えた
ところがその後の様子を見ていくと、その資本主義・民主主義の世界が平穏に機能しているか
といえば、残念ながらそれは人の業の為せる技のように依然として問題は山積み状態
現実にこれだけの格差が生まれてくるとアメリカの若者の中には
果たして資本主義が万能だろうか?と思う人が出てきても不思議ではない
かつて敵であった社会主義が、一旦は検討すべき制度かもしれない
と仕切り直しになって、その結果、若者の中には左派支持が増えてきたのも
ごく自然の流れのように思える
それは若さゆえの理想主義(ラブ・アンド・ピース)の現れだったり
「20歳の時リベラルでなかったら情熱が足りない」との言葉につながる
ここまでは、そんなに無理しなくても理解できることだ
しかしここからが一気にわからなくなる
それは日本のこと、特に若者のことだ
またもや説教を垂れることになるかもしれないが
若者たちは総じて上の時代の人間より有利な立場にいないにもかかわらず
何故、それに甘んじているのだろうか(保守支持が多い)、、という点だ
苦境に陥っていると実感する絶対数がまだ足りないとの声もある
結局は実際に痛い目を経験しない限りは気づかなかったり行動はしないのかもしれない
でも、楽観的に見ればより良い世界への試行錯誤を、まずは過去から考え直した上で
始めるのが良いのではないのか、、と考える人も少しづつ登場しているような気もする
敏感なセンサーの働くそういう人は、上にあげたテレビ番組に登場しているのだが
その人達は若い学者とか研究者だったりする
社会学者の岸政彦氏や大学の准教授の齋藤幸平氏がそれだ
大御所ではなく現役のリアルに生活感を感じている人が声を上げ始めている
そんなふうに感じるのは楽観的すぎるか
時々、国会のやり取りなどを、党名を伏せて答弁者の顔も見せないようにして
単に討論の内容だけで、どちらの言い分や提案が納得できるか?
を若者に聞いたならば、若者はなんと答えるだろうと思うことがある
あまり政治のことには関心のない若者は、政党のイメージとか社会的な評価は
なんとなく心に刻まれているので(テレビの報道も編集されているので)
知らずしらず世間の評価のように判断するほうが間違いないと思ってしまわないだろうか
と、ここまでゴチャゴチャ整理のつかないことを並べてみたが
要は「自分で考えて判断する」という癖が日本人には欠けているのではないか
と思えてしまう(教育のせいか?)
ごく自然の成り行きの様なアメリカの若者の傾向が日本では見られず
ただただ世間評価に従っているだけ、、そしてそれに疑問を感じない、、
これが不満で仕方ない
でも少しづつ敏感な人が声を上げつつある
願わくば、それが手遅れにならないように、、と思えてならない