大好きだった祖母は明治38年生まれだった
祖父の生年月日を覚えていないのは情けないが
祖母よりは5歳ほど上だったように記憶している
とすると祖父は明治33年位の生まれ
祖父は長男ではなくて下の方だったから、祖父のおとうさんの誕生はそこから25年位は遡る
すると明治8年くらいが祖父のおとうさんの誕生の年
そこで今度は祖父のおじいさんの生まれた時を想像してみると、何と江戸時代になる
このように計算してみると江戸時代が昔の話だったというよりは
割合最近のことだったように思えてくる
その間の世の中の変化の激しいこと、、、
祖母は若い頃、珍しい電車を見るために自宅からわざわざ遠い駅まで歩いたものだ
と自分たちに話してくれた
変化が激しいといえば、自分らの子供の頃はまだガスで調理をすることはなかった
確か小学生の頃、急にプロパンガスの利用が広がって、火をつけるには
マッチを擦って、バルブを回して、こわごわと行ったものだった
洗濯機も今は笑えてしまうが、ローラーのようなものの間を通して脱水したものだった
冷蔵庫も出始めの頃は霜が出てしまうので、時々霜取りする機能のついたものが発売された
テレビはどの家庭にもあるわけではなくて、早めに手に入れた家にお邪魔して見させてもらったのだった
他人の家に当たり前のようにでかけて、そこの家族と同じように過ごす
今思うと信じられないが、その当時は案外当たり前の事のように受け入れられた(?)
テレビはこれも笑ってしまうが、見ないときには画面を覆うような幕を垂らして
ドンと構えて鎮座しているのだった
その頃の画面は小さかったので凸レンズのようなものを前面につけて
少しでも大きくして見ようとしたのだった
最近の変化も笑えてしまう
インターネットも初期は電話回線を使っていたので、利用すると電話料金がかかる
電話料金は距離が遠いと高くなるので、近くのアクセスポイントを利用するようにしたのだった
インターネットを使っていると電話がかけられないので、インターネット利用するときは
家族の了解を得なければならなかった
電話とインターネット両方を使うために出てきたのがADSL
これで同時に使えるようになったが、我が家で困ったのがケーブルの長いこと
パソコンのある部屋と電話機のある場所とは離れていたので、長いケーブルを
天井近くまで引っ張って、そのまま部屋の隅の上の部分を這わせて(固定して)
ケーブルを通すために部屋の扉の一部を削り取って、やっとパソコンに接続したのだった
それは今は、ケーブルなし
全部Wi-Fiでできる
インターネット接続にかかる料金も固定で、金額を気にしながら利用することもない
おまけにスピードも(画面が変わるまで待っていた昔を思い出すと)全く別世界だ
ただこうしてつらつらと思い出してみると、変化と進歩は必然性のある方向に進んでいくと思われる
問題解決という形で!
今は当たり前のように便利さを享受しているが、それでもフト思い出すのは
テレビを見せにもらいに行った時分の世の中ののんびりした様子とか
母が近くの川に洗濯に行って、そこに近所の人たちが集まって
洗濯しながら世間話を交わしていた光景で
この頃は不便だったし、みんな豊かではなかったが
それでも不幸ではなかったと思えること
(これは単に昔を懐かしがる気持ちの上だけのことなのか)
その頃は、昨日と同じ今日が当たり前のように来るものだとみんな思っていた
(ように思う)
仮に変化があったとしても、それはみんなが納得するスピードでの変化だったように思う
それが現在は、変化のスピードが異様に速い
特に最近は使い方はわかるが、理屈はわかからないというブラックボックス化した
技術が圧倒的に多くデジタル・ディバイドなる言葉で表現されるような格差も生まれている
進歩のスピードは、ムーアの法則のように多分止められない(だろう)
ただその進歩が真に役立つものかどうかは、
広範囲な判断基準のなかから判断されないと、ちょいと不安になってしまう
それにしても、振り返るとすごい変化をしてることに改めて驚く