パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

読書中「善と悪の経済学」

2016年11月09日 08時18分24秒 | 

勢い込んで購入したものの、最後まで読めるか心配なのが厚い本
心配したとおり途中でブレーキがかかって少しの間ほったらかしにしていたのが
この本

それでも貧乏性の自分は「もったいない」と思い直し読み続けると
これが、途中からとんでもなく面白い
今も読書中だが、ページが進んで本が終わりになるのが惜しいくらい
となっていてる

何がそんなに面白いか、といえば残念ながら上手くレヴューを書くことは出来ない
何しろ話が多岐にわたっている
その一つ一つをトータルに捉えて自分の解釈で人に伝えることは
今のところ頭の中が整理できていないので(これからも整理できない?)
分かりやすくはできそうにない

ただこの本の内容は、比較的短い章に分かれているので延々と集中力をもって
読み続けなくてはならないこともなく、その点は楽だ

多分、この本の大きなテーマは経済と倫理の問題
それを神話、哲学の立場から取り上げている(今まで読んだところまででは)
そして、いつのまにか「倫理」が軽視され一見科学のような経済学(数式・グラフがオンパレードの)が
それこそ宗教のように扱われ理解されつつあることの対する警鐘を述べている
「神の見えざる手」有名なアダム・スミスの言葉の意味とか歴史を多方面から解説されている

確かに人間は社会的な存在であることは間違いない 
しかし、その人間を経済学の要素として扱うには
人間をあまりにも単純化していないかとの文章があるが
これは民主主義という言葉を使う時の市民とか大衆とかを一括りにした時の
単純化する傾向と似ていると、本筋とは関係ないが連想してしまった

正直、あまりにも多岐に渡っているし、参考として取り上げられる人物や文献の
知識もないので読み飛ばすだけだが、それでもそこで参考として取り上げられた本は読んでみようか
という気にはさせられる 

読み進めているうちに付箋も箇所をつけて、記憶にとどめておかなければならない部分も
増えてきたが今のところは最後まで読むことが最優先で
あとでその部分だけ読み返すことにするつもりだ

最近の記憶力の低下で読み終わった後、何が頭のなかに残っているかは
少しばかり怪しい面があるが、それでも「読む前と読んだ後は絶対に違う」
という印象をもてる本だ

ところでこの本の著者はチェコの経済学者
ピケティと同様に経済学の分野に留まらない広範な教養をもつ
彼の頭のなかには壮大な知識や人の様々な感情が詰め込まれていて
それがトータルな一人の人格というものを作り上げていて
この全人格的な人が判断することは、将来に対しても
そんなに間違いはないだろうと感じさせる

そんなことを思うのはつい比較してしまう日本の事
果たして日本でこの様な全人格的な、幅広い知識と教養をもった人が
この様な本を書けるか!と考えてしまう

日本でベストセラーになるのは、このようなそもそも論ではなくて
手っ取り早いハウツー本、あるいは解説本
それが一概に悪いとは言えないが、やっぱり彼らには勝てないかな!
と思うのは日本では根源的な思索がなされていないからで
そのことを気にしない社会も問題はありそうだ、、

昨日また新しい本をAmazonで購入してしまった
それらが来る前に、最後まで読まなければ、、
(付箋の部分はいつか機会があったら、自分のためにも採りあげる、、かも)
 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« クオリティの高い選手がいな... | トップ | 敗者は世論調査・マスコミ・... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

」カテゴリの最新記事