パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

音楽は聞き返すのに、本は読み返さない

2021年01月19日 16時14分37秒 | あれこれ考えること

自分だけのことかもしれないが、音楽は何度も繰り返し聴くのに
本は何度も読むことはない
今までに再読した本は、最近では「カラマーゾフの兄弟」
あとヘッセの「シッダールタ」「ガラス玉演技」
フロムの「自由からの逃走」は読み直した記憶があるが
あとはスラスラと出てこない(詩などは別)

なんでかな?
音楽は対面するのも苦労しないし、細かなところは忘れてしまって
新鮮な気持ちでいられるからなのだろうか
音楽も真剣に楽しむには集中が必要だが、とりあえず聞き流しでも
それなりに楽しめるが、本はそういうわけにはいかない

何かと格闘するように頭を働かさないと読んだ気がしない
そして頭が混乱しているような状態が読書の醍醐味みたいなところがある

読み返すと自分自身の思わぬ変化に気づく
「カラマーゾフの兄弟」はイワンとアリョーシャのどちらが正しいかといった
神学的・哲学的な面よりは、二度目はドスエフスキーの物語の構成とか仕掛けが
うまいな、、とかが気になってしまった
あとはドストエフスキーの描く女性は割とワンパターンだな、、とか
偉そうな感想を持ってしまった

ショックだったこともある
「自由からの逃走」はこんな内容だったのか、
自分は何を読んだのだろうとか、、、

記憶しているのは読み終えたという記憶だけで
読んだ本の内容は記憶されていないかもしれない

でも仕方ない、、これが自分の実力だ
ま、そんなに神経質にならずに
お金のかからない読書というお楽しみをこれからも、、、


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

これで良いのか?

2021年01月17日 09時00分44秒 | あれこれ考えること

世の中はよくわからない
コロナ禍で経済がうまく回ってると思われないにもかかわらず
株価は高騰を続けている
経済が止まって投資先が見つからないので余ったお金が株に回っている
との話を聞くが、廃業、自殺者の増加などのニュスを見聞きするにつけ
そもそも世の中はこれで良いのか?と素朴な疑問が頭に浮かぶ

世界のお金持ち62名の資産は、全人類下位半分、36億人の資産と
同等との報道もある
お金持ちの資産は想像できないので、わかりやすくした話に
ビル・ゲイツの資産について以前こんな説明があった
彼の資産は4兆円だが、仮に毎日1億円使ったとしたら1年で365億円
10年で約3650億円 100年で約3兆6500万円
つまり毎日1億円使っても100年生きていけるのだ

そもそも1日1億円使うイメージが庶民には想像できないが
とにかく膨大な資産が彼の手にあることはわかる

問題は、果たしてこれが良いことなのか、、という点で
彼個人の超絶的な努力とか才能とか運の良さとかを認めた上でも
結果としてこうのような不公平な世界はどうなんだろいうか?
と思いに至るのは、若い頃にはありがちなことだし
若い人はそうあってほしいと思う

アメリカでも日本でも(?)無条件に毛嫌いされる社会主義
でも本当に何もかも拒絶する様な考え方なんだろうか
(現実の日本社会はお上から声至上主義で、すでに社会主義的と思えてしまうのに)

過去の人物とか学説とされるマルクスやレーニンも
問題解決に至る行動についての部分は若干の問題はあるとしても
現状分析についての考え方とか仮説は
今こそしっかり噛みしめるべきではないかとさえ思う

「選択の自由」という言葉が都合よく使われている
働き方に対して使われるときは、正社員ではなくて
自由な時間に働くことのできる形態の雇用も「選択の自由」が
増えるので悪いことばかりではない、、とあのパソナ会長は主張する

しかし、原則論ではなく実態としての社会はそうなってはいない
非正規等の仕事は、誰かに置き換えられる労働集約的な仕事が多く
誰にでも置き換えられる故に雇用者同士が雇用確保の敵同士となって
賃金上昇の弊害になっている
(100分de名著のマルクス「資本論」に、この例の解説があった)

労働集約的な仕事は確かにクリエイティブではないかもしれない
しかし、それを行う人がいないと世の中は回っていかない
それを切って捨ててしまうような発言をする人(H江さん)が
テレビで大きな発言力持っている

ところで、コロナ禍で職業を失った人は日本だけでなく世界各国にもいるが
たまたまニュースで目にしたアメリカの時給に驚いた
日本円で1500円ほどと耳に入ったからだ
エライ高いな、、と調べてみると州ごとに違っていて、流石にそこまでは
いっていなくて、今後15ドルを目指すということらしい

また同様に驚いたのがアメリカの(消えてしまった)中間層の定義で
これは年収500万円から1000万円が該当するらしい
これが中間層?
日本と比べたらどうなんだろう(とつい考えてしまう)
東京などの都会は別として地方都市は、事業主等を除けば
それほどたくさんいるとは思えない(特に1000万円近くは)

確かに経済は血液のようなもので、それが回っていかないと
生き物としての社会は生きていけないかもしれない
でもそこに「倫理」というベースがないと人の世は
単なる動物の世界と同じことになってしまいそう

だからこそ警鐘として倫理観を声を高くして訴える人が出てくる
「経済学と倫理学」アマルティア・セン

でも何故か日本の中からは出てこない(みたい)
自分が知らないだけなら良いのだが、いつまでも出てこないとしたら
エコノミックアニマルと少し軽蔑されたた頃と少しも変わっていないことになる
それで良いのか、、




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

迫力の違いは、署名記事と匿名記事の違いか

2021年01月16日 09時26分29秒 | あれこれ考えること

ただそう感じるというだけの話

アメリカの大統領選とか暴動以後、生々しいダイレクトな報道とか
日本では報道されていない情報を知りたくて英語の情報を見ている
先日取り上げたグーグルクロームの日本語訳を借りて読んでいるが
へんてこな日本語訳が多いので、多少ストレスも感じてしまう
(原文と日本語訳が同時に見られるとありがたいのだが)

これらを読むと日本の一部で大騒ぎになっている荒唐無稽なディープステート
絡みのニュースは全く出ていない
もっともディープステート信者は既存のメディアはコントロールされているから
表に出ないだけで、実は着々と計画は進んでいるとの思い込みがあるようだ

アメリカの報道を見ると、通り一遍の原則論ばかりの日本のそれと比べると
一つのことについて更に追求している印象がある
そしてその報道の口調も(文体も)誰かという人格をもった人間が
何かを伝えようとする意欲みたいなものも感じる

日本の報道は中立公平とされるが、実は誰でも書くことができる報道になっていないか
と疑ってしまっている
以前、各地の成人式の記事が新聞紙上に掲載されたが、各地の様子を伝える文章は
決まりきったテンプレートに従ったものばかりで、これなら新聞記者でなくても
誰でも書けそう、、と思ったものだった
5W1Hさえ抑えておけば良いとするならば、それは本当に伝えるべき内容の報道か
そうした根本的な疑問を持ってしまう

この報道の迫力の違いは何故なんだろう?と考えると
それは署名記事か、それとも匿名の記事なのかの差かもしれない(と感じた)

署名記事は、信用できる人の名前さえ覚えておけば、ブランド品のように安定した
品質の情報を手にすることができる
そしてジャーナリストも署名記事で自らの存在意義を社会に認めさせることができる

この漠然と感じられる違いは、思いのほか大きな違いとなってきているのではないか
結局のところ、またいつもの思い込みによる結論に結びついてしまうが
日本人は「個の確立」ができていないのではないか
それはステータスのある記者という職業の立場の人も
個性よりは長いものに巻かれろに優先するか
あるいは低次元の記事の先陣争いに終止していないか

日本の記者はジャーナリストという職業に就職しているのではなく
メディア企業に就社しているに過ぎないのではないか

と、こんなふうに不満が出てしまうのだが、
発信する力とか権利を持った方々は自分たちの力の大きさを自覚して
もっとより良いものを発信してほしいと思うこの頃

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

不思議な生き物

2021年01月14日 09時00分24秒 | 徒然なるままに

世の中にはいろんな情報に溢れている
いい情報もあれば接しただけで気分が悪くなるようなものもある
(そうしたことはSNSでよく見られる)
動物関係のほっこりした気分にしてくれる投稿は
精神的にありがたいし、かわいいと思う感情を呼び起こすものは
世の中に必要なものだと実感する

犬猫の話題ではないが、とても興味深い投稿がツイッターにあった
「アメリカアカガエル」のことを紹介したもので
アメリカアカガエルは冬季、完全な冬眠に入り、心臓も完全に停止する。
心臓、肺、脳は完全に凍ってしまう。春になると溶け出し、息を吹き返す」
とある

けったいな生き物だ
本当かな、、とネットで検索するとどうやら本当のことらしい
体液が寒さで凍らないようにするために、糖分濃度をあげて
不凍液のようにして、冬眠時は体内組織の活動をセーブしているらしい

このように生き物は本当にいろんな方法で生き延びる手段を講じている
知っていけばいくほどそうしたことは増えていって
驚きというよりは、神秘的な感情を覚えてしまう

自分の知っていた不思議な生きものは「ベニクラゲ」で
この生き物は周りの環境変化などで生きにくくなった時
成熟した個体が赤ちゃん状態(ポリプ)に戻ってしまって
そこから人生(クラゲ生)をやり直すらしい
このことから不老不死の生き物とされているし
遺伝子はずっと同じもので、本当に信じられない生き方をしている

他にも驚きを覚えた生き物は「ダイオウグソクムシ」で
この生き物は5年間絶食して生きていたとの報告がある

これらの秘密はいずれ人の手によって解明されるかしれないが
それにしても、不思議に満ちている生き物の世界
こうしたものを知るにつけ、人が創造主の存在を考えてしまうのは
無理からぬことのようにも思えてしまう

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今季は寒い

2021年01月13日 09時23分12秒 | 徒然なるままに

今季は寒い
同居人が定時に記録している気温は、昨年ばかりか
ここ数年と比べても低い値を示している
暖房費がかかることになるが今は灯油が安いようで助かっている
(これも購入の度に記録している)

曇って光が乏しい日は、まさに冬そのもの
その光の色を見ただけで出かける気はなくなってしまう
まして風が吹いて体感気温が下がるとなれば
特に用事がなければ外には出ない
今年は巣ごもりが要求されるので丁度良い

だが今日のように太陽が出ると光は明るくなっている
窓越しに見かける太陽も少しづつ北に移動している
光の色は「新春」という言葉を連想させる
年賀状の「新春のお喜びを云々」は旧暦の正月の光を
想像してこそリアルなものとして感じる
(和歌は旧暦をベースにイメージしないと真に実感できないかも)

庭の木も冬芽が目立つようになってきている
でも常緑樹のカクレミノは最近の寒さでぐったりしている
これらが4月20日くらいになるとマジックのように一気に新緑に様変わりする

寒いのには閉口するが、夏のバカ暑さよりは我慢できる

ところでオリンピック、コロナの問題でなくても
あの暑さの中で実行するなんて、とんでもないな話だと
チケット予約から漏れた人間は悔し紛れに思ってしまう

何やら無理筋で進めようとしているようだが
つい今月の「100分de名著」マルクスの「資本論」
を連想してしてしまった

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

頑張った人が、何故か報われない運命

2021年01月11日 19時00分02秒 | サッカー

何故、そういうことになってしまうのか
「勝負は時の運」と言うものの、サッカーの気まぐれな神様は
まるで残酷な結果を好んでいるかのように思えてしまう
今日の試合も頑張った人が報われなかった

高校サッカー決勝は、青森山田対山梨学院の戦い
前半押され気味の山梨学院がワンチャンスをものにして先制
このシュートは低く抑えてコースを狙った良いシュートだった
戦いがトーナメントでなくリーグ戦だったら、きっと青森山田のほうが
勝ちをおさめていただろう
個々の能力、攻撃の多彩さは少し差がある感じ

青森山田は落ち着いてボールを回し、相手が疲れて集中が続きそうにない時に
キーパーのこぼれ球を押し込んで同点
その後交代の右の選手(藤森)が何度もチャンスを作って、彼からのセンタリングを
守備側が守れると思ったその瞬間、一歩速く足が出て勝ち越し点を奪う
この勝ち越しの点を奪ったのが今大会の得点王となった安斎
この選手は良い選手で、右からのパスを受けてシュートを撃ったシーンがあるが
得点にはならなかったが撃つまでの時間が極めて速く、それだけで印象に残った
彼が攻撃の中心人物であったことは誰でもわかった

青森山田がそのまま押し切るかと思われたが、一瞬のすきを狙って同点
その後延長戦になったが得点は入らず、勝負はPK戦に

ここで残酷な事が起きた
青森山田の2点目を決めて、頑張っていた安斎選手がPKを相手のGKに
止められてしまったのだ
よりによってこの日も活躍しチームの中心として頑張った選手が
一番味わいたくない経験をすることになってしまった

実は、PKを戦が始まる前から、そんな予感はしていた
それまで頑張ってきた選手がよりによって肝心な場面でうまく行かないこと
そういうシーンは今までも何回か見てきたからだ

例えば、日韓ワールドカップ、ドイツのGK カーンは、ブラジルとの決勝戦で
今まではミスをしないでドイツを守ってきたのだが
あのときだけシュートをハンブルして詰められたロナウドに点を許してしまった
カーンのチームとまで言われて貢献してきたのに肝心な時に、、、

PK絡みではワールドカップアメリカ大会で、頑張ってきたバッジョが外してる
ドイツ大会ではユーゴ対アルゼンチン戦で一人退場者を出した中でも
獅子奮迅の活躍をしたストイコヴィッチがPKを外してる
(あの試合のストイコヴィッチはマラドーナよりも良かった)

日韓大会の3位決定戦では韓国のDFの中心人物、ホン・ミョンボが
やはり滅多に起こさないミスで失点のきっかけを作った

どうしてサッカーの神様は頑張った人にご褒美を与えるのではなく
試練(精神的な)を与えるのだろう、、
その試練は乗り越えられるメンタルを持った人にしか与えられない(?)としても
それでも、どこか意地悪な仕打ちのように思えて仕方ない

そこで思い出すのが女子のワールドカップ優勝の時のこと
あの大会のMVPの澤はPK戦のキッカーを務めていない
試合終了直前のアクロバチックな同点ゴールをきめて
気分的にノッているはずなのに、、、
だが彼女がPK戦のキッカーではないことは、正しい選択のように思えた
それは、頑張った人に試練を与える、、という運命を彼女に与えるのではないか
と浮かんでしまったからだ
聞くところによると澤はPKキッカーにはなりたくない!
と監督に告げていたそうだ

というわけで、ある野球の監督の
偶然の勝利はあるが、負けた試合には理由(必然性)がある
との有名な言葉は、そうかも知れないとは思いつつも
やっぱり神様の気まぐれは凡人にはわからないあ、、というのが実感
それを今日も感じてしまった

ところで試合結果は
山梨学院2−2青森山田
PK戦
山梨学院4−2青森山田

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

陰謀論は、何故信じられやすいのだろう

2021年01月10日 15時10分23秒 | あれこれ考えること

コロナの状況も気になるがアメリカの混乱も気になる
どうせなら何かを経由してではなくダイレクトに向こうの情報に接したい
だが、残念なことにスラスラ英語が読めて理解できるわけじゃない
そこであれこれ調べてみるととても便利な方法が見つかった

まずはパソコンでグーグルクロームを立ち上げる
次にアメリカのウェブサイト(例えばUSATODAY)を立ち上げる
ページが開いたら画面のどこかを右クリックすると
「日本語に翻訳」という文字が出てくる
それを選べばあとは見るだけ、、、とても便利だ
(ドイツ語のページでもできた)

アメリカで気になるのはディープステート(DS)の陰謀論
どういうわけか、いつの時代にも、どの地域にも陰謀論は生まれてくる
ヨーロッパでは「シオン賢者の議定書」と呼ばれる
ユダヤ人が世界支配を目論んでいるとする内容の偽書が現れて
ヒトラーのユダヤ人虐殺に影響を与えた

陰謀論が何故、それほど信じられやすいか?
それはそれに接した人が単に信じやすいだけでなく
その内容を(事実を、あるいは背景を)知らないからではないのか

自分の知らないことは誰かに聞いてそれを信用するしかない
ある人は自分が知らない情報をとても良く知っている
その情報はどこか感情を揺り動かす(特に怒りの感情を刺激する)
少しばかり疑わしいかもしれない、、と思っても
畳み掛けて話されることで、自分が知らないだけかもしれない
と思うようになってしまう

彼の周りには彼と同じ様な知識を持っている人がいる
知らないのは自分だけで、本当は彼らの言ってる通りかもしれない
知らないでいたのは恥ずかしい もっと深く調べなければ、、
そしてその仲間の世界に入ってしまう
だがいつになってもその仲間の上層部の情報量には届かない
上の連中は自分の知らないことを、いつもいくつも知っている

こうした情報のヒエラルキーを作るのはハンナ・アーレントの「全体主義の起源」
にも紹介されていた
情報は知る人だけが知るだけで、知ってる人が特別の存在で、彼は無条件に
従うべき、信じられる人物とみなされた

だが冷静に見れば、まずよく知っているとされる人の言い分がまともかどうかを疑ってみる
自分の知らないことなので否定はできないかもしれないが、とりあえずこの人物の素性とか
交友関係を調べてみる
すると多くのことが示唆される
盲信しては危なっかしいことになると、、、

日本でもかなりの信者がいるとされるディープステート陰謀論
これが信じるに値するかどうかは、それを公言しているメンバーの顔ぶれを見ると判断できる
すると不思議なくらい何かを支持する人たちと被る
そしてそれは、普通の人ならひいてしまう(と思われる)極端な主張を繰り返す

彼らにとって事実は関係なく、自分たちの思い込むことのみが真実となっている
こうなると、もはや討論はできる状態ではなく、ただ一方的に自分たちの言い分を
繰り返すだけとなる
まさに、アメリカで起こっていることだ

こうした状態を招いたのはSNSと言われるが、確かにそうだろう
この空中戦のような戦いは、誰もが参加できる
そしていつの間にか真実でなくても、数が多いほうが勝ち、、
とする傾向が広がってしまった

社会の分断からの回復は想像以上に時間がかかるかもしれない
感情の分断は理性による分断よりも厄介だからだ

アメリカの分断は、ここ日本でも他人事とは見ていられないと思う

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高速バスのことなど

2021年01月10日 08時40分50秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

新城市でもコロナ陽性者がトータルで32名となった
定刻ではなく少し早めに始まる防災無線は
それだけでまた陽性者が出たとのニュースだとわかる
ただ、いずれも軽症らしいので無事に終わることを祈るばかりだ

愛知県では圧倒的に名古屋市に陽性者が多い
だからこの一年、名古屋にも出かけずにいる(宗次ホールとか)
当然のごとく新城から名古屋へ行く人数は減っていると想像される
気になるのは新東名経由の名古屋直行バス「山の湊」号だ
このバスは一時期(5月)運行停止されたが、すぐに再開されて今に至っている

その利用者の数は、どうなんだろう
資料がないので(議員さんは調べようとしたのだろうか?)
なんとも言えないが、手元の8月、9月のデータでは
一便あたり3人、4.8人とさびしい数字だ

高速バス事業は年間3600万円ほど経費がかかる
公共交通だからお金だけで判断してはいけないとされるが
それでもそのお金を別の使い方をしたなら、、とつい考えてしまう

このバスについては営業運行前の実証実験の時の契約と支払いについて
若干疑われる部分が見つかり住民監査請求が行われた
それは、市の見積り金額と業者の見積もり金額がぴったり一致(談合?)
既に減価償却が終わっている車両の分の請求があったとの2点で
監査委員からは
金額が一致したのは、営業運転を可能とする企業は現実的に
現在委託している企業以外になく、金額はその企業からのを参考にしたので
一致したに過ぎないから疑われるような談合ではない
また減価償却費については(どうもここがよくわからないのだが)
「故障や事故等があった場合に対応する予備車両を含めた償却費を
運行経費に積算したもので不当な支出にはあたらない」との回答で
これに異を唱えたメンバーが行政訴訟の手続を行い現在訴訟は進行中だ

でも今回はその話題ではなく別のこと
この契約書とか支出の明細を見ると、少し疑問に思う数字が見当たるのだ
全て疑ってかかるのは好ましいことではないかもしれないが
それでも社会経験を積んだ人なら常識的に
「こんなことにそんなにお金がかかるか?」と思えてしまうことが見つかる
それは予約管理、予約システムで、前者は予約受付の電話番の人件費(?)
後者はネットの予約システムで、委託会社のホームページを見ると
既存の予約システムに相乗りしているだけなので
どちらちもそんなにお金が掛かるのかなと思わざるを得ない
不思議なのは今年度からの予約システムの費用は低くなっている
3社と契約している予約システムのうち1社変更したようだが、
1社変えるだけで割と大きな金額のダウンになっているので
そもそも最初にあった予約システムの金額は適切だったのか?と思えてしまう

この見方が正しいかどうかはわからない
特に問題のない数字だったかもしれない
でも、疑いが生じるような数字であることは間違いない
問題は、この数字をちゃんと見ているはずの議員さんがそれを踏まえて
予算執行の議決をしているのだろうか、、という点だ
一部の議員さんはこの資料をじっくり読み込んで不思議と感じている
しかし、結局は数の世界で、あまり数字に関心のない議員さんが
高速バスのお題目をそのまま信じて安易に了承しているように思えてしまう

議員さんが与えられた資料をもっと読み込んだなら、、
と思える場面は残念ながら他にも存在する

一般市民は細かな資料は手元に無いし、それを見る時間も関心もない
市議会議員にその職務・権限を分業的に任せているのは、現実的なシステムだと思う
ただし、ちゃんとやってくれている、、という前提がそこにはある

しかしながら、現実世界はこうした緩いことが新城市だけでなく
至るところで行われているのかもしれない(きっとそうだろう)
その上で、少しはうまく回っていくようにするには
やっぱり誰かが、選挙で選ばれる人たちをチェックし続けないとダメかもしれない

でもそのチェックをしてる人たちは、ちょいと白い目で見られそうな、、
世の中は難しい、、

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

時代精神?

2021年01月09日 08時41分52秒 | あれこれ考えること

後の時代になってみると、反発しあっていたブラームスとヴァーグナーも
あの時代の空気とか雰囲気を表していると、一括で理解されるようになっている
それは後期ロマン派として
時代の空気とか雰囲気は、そこに実際に生きている人しか身にしみて感じられないかもしれない
今は古典となっている作品も当時の捉えられ方と現在のそれとはリアリティや切実感で大きく違う

例をクラシック音楽などの面倒くさいものではなくて、わかりやすいロック音楽に転じてみると
ビートルズの音楽もリアルタイムで聴いていた人たちは新しいアルバムが出る度に
今度はどんな新しいことをするのだろう、、と興味を持って一喜一憂したものだが
現在の人たちは、リアルタイムで聞いていた人たちがアルバム順でリアリティをもって覚えた楽曲を
既に存在するヒット曲あるいは古典としての括りの中で覚える
そこには記憶のされ方の違いが明らかに存在する
そしてそれは時間経過のせいだけでなく時代精神の変化もあるように思えてくる

こんな面倒なことを思いついたのは、挑戦中の「超解読!ヘーゲル 法の哲学」を読んでいた時のことで
やっぱりよくわからないヘーゲルは、なんだかベートーヴェンの音楽とか彼が目指したものに似てるな
と感じたのだった
ベートーヴェンは苦悩を乗り越えて歓喜に、、といった克己心に溢れた音楽を作った
(後期はこのくくり方では違うような気もするが)
一方自分が読んで漠然と感じるヘーゲルは、精神の活動がより高次のものに向かって変遷していく
ことを(良いと)言葉を尽くして訴えているのような気がする
ベートーヴェンもヘーゲルもジャンルは違うが言いたいことは同じだ!
と感じたのだ
ベートーヴェンは1770年から1827年 ヘーゲルは1770年から1831年の人間で
同時代の人間だ
同じ時代の人は同じように何かを漠然と感じるのかもしれない
もっともベートーヴェンはヘーゲルの本を読んでいたとの話もあって
漠然と感じると言うよりは直接的に影響されていたのかもしれない

時代が求める何かは、その時代の人しか感じられないかもしれない
ベートーヴェンの第九も、自分にはとてもリアリティとか切実感をもって響く
フルトヴェングラーの指揮する演奏も、現代の聴衆には時代がかって大げさで
スマートさに欠けるように聴こえるのかもしれない
(彼らも年齢を重ねると変化するかもしれないが)

でもなあ、、確かに作りての時代精神だけでなく、受け取る側の時代精神もあるが
自分が価値あるものとしていつまでも手元に置きたい文化遺産(レコードや書籍)は
時代を超えて今の人にも何かを感じてほしい、と思ってしまう
いや何かを感じないともったいない!とさえ思う

しかし、自分が今の時代を表す何かを体験して何かを感じているかといえば、、、

年齢を重ねるということは、、、、こういうことか

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2つのニュースに思うこと

2021年01月08日 08時34分52秒 | あれこれ考えること

田舎にいるだけでなく、早寝早起きしてるので自分は情報弱者かもしれない
現役の人間が情報の拠り所としているニュースステーションやNEWS23などは
布団の中の出来事で、その報道への批評をツイッターなどで知るしかない

ただ流石に昨日は、大きなニュースが2つもあって否応なしに耳に入った
一つは日本国内のこと、東京で新型コロナ陽性者は2447人もの数に達したこと
そして緊急事態宣言を政府が東京・神奈川・埼玉・千葉を対象に発出したことだが
これは前々からその内容は漏れ聞こえていたので特に驚くことはない
緊急事態宣言を発出と言っても、形式的な手続きを行ったに過ぎない
肝心なのは発する立場の人間がどれだけ説得力をもった発言をするかが問われるのだが
相変わらず熱量のないReader(Leaderではなく)の様相
こんなのを見るとイラツキそうになるので彼の顔を見ないようにしているのかもしれない
(彼は現状分析を自分の好ましいと思う判断で行っていないか)

もう一つはアメリカの連邦会議堂へのトランプ支持者の乱入
1月6日は形式的な手続きとして大統領選の結果を上下院が確認することになっていたが
その今まさに作業が行われている最中に静止を振り切って乗り込んだ人たちがいた
一番最初に驚いたのは、乗り込んだことではなく一人の女性が銃で撃たれて亡くなったことだ

銃で撃たれた、、何故、、誰が、、警察が、、止めるだけなら銃を撃つ必要まであったのかな
最初に頭に浮かんだのはこのことだ
現場の状況がわからないので、警察の判断が正しかったか過剰であったかはわからない
しかし、力づくで解決しようとするような姿勢が垣間見られたようで
アメリカという国は危なっかしい国だと感じたりする

トランプさんが集まった支持者に向かって議事堂に進むようにツイートして
それが結果的に行動につながったというのが大方の見方だが
SNSがこれだけ広まった社会にはいろんな情報が入り混じっている
支持者が乱入しているように見えるが、警察が招き入れている(様に見える)動画があったり
乱入した支持者のリーダー格は以前から問題視されていたQアノンや陰謀論の信奉者であったとか
つまりは両サイドからそれぞれに都合の良い情報が出回っている

ただ、あってはならないことが起きた事実には変わりない

陰謀論がかなりの多くの人の中に巣食っているようだ
ディープステート(闇の政府 反トランプ側 一部の企業とかCIAやFBIも関与)が
世界を仕切っているだとか、民主党側は2年ほど前から選挙の不正を計画していただとか
その手のにわかには信じがたい説が、ある連中の中には事実として刻まれている
(そして日本の中にもこれらを信じている人が少なからずいる)

アメリカのテレビ視聴者はほとんどがケーブルテレビで
好きな番組・放送局は選択するようになっていて、共和党寄りはFOX、民主党寄りはCNNとの
姿勢がはっきり分かれていて、それぞれの支持者は自分の気に入らない報道などは見ようともしないらしい
日本を例に取れは読売・産経新聞(日本テレビ・フジテレビ)対 朝日新聞(テレビ朝日)・東京新聞の
構図と一緒だが、日本はとりあえず公平を装っているのでアメリカほど極端ではないかもしれない
(しかしそれ故にぼんやりとミスリードされているのかもしれない)

「社会の分断」との言葉が使われているが、それをリアルなものとして捉え理解して
分断をなくすための手立てを、必死になって試行錯誤しないと分断はますます進んでしまう
分断が際立つのは「経済的な分断」ついで「知の分断」
ただし「知の分断」は所得の差異に由来すると言えるかもしれない(そればかりではないが)

自分は社会は試行錯誤の連続で、完璧なものは存在しないと思う
問題が発生したその都度その都度、不断の努力で良いものにすべく方法・制度を
探していくしか手はないと思っている
だが問題は、それを誰がしていくのか、、、となると
それは誰か(自分以外の人)ではなくて気づいた人ができる範囲内ですべき
だと思ってる(と思いたい)
だがその一歩を踏み出すのが、脚にオモリを付けているいるかのように重い

自分も含めてどうしたら良いのか、、自分にできることは何か
と落ち込みそうになりながら、つらつら考えてしまう
できることなら、やはり若者に頑張ってもらいたいが、、、



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする