BLACK SWAN

白鳥のブログ - 日々の世界を徒然と

東京レイヴンズ 第10巻 感想その2 夏目の正体について

2013-12-04 21:38:04 | レイヴンズ
まぁ、感想というか、第9話を見ながらふと思いついてしまったのだけど。
(以下は、10巻までのネタバレも含むと思うので、一応、そのつもりで)。

いや、第9話を見て、最後に、夏目が修祓を遂げたところで力尽きてしまったら、北斗もほぼ同時に消えてしまったところ・・・、がちょっと気になった。

いや、一応、使役者からの呪力を得て活動するのが式神というのはわかるのだけど、それにしても、そこで北斗が消えたら春虎が落とされるのはわかってるのに、と思ったので。
大体、その前のシーンでは、春虎が落ちそうになるのをあんなに夏目は心配していたのに、にも関わらず、彼の安否を考えずに呪力がガス欠になるまでのことをしてしまうかな?と。

いや、夏目にとっては初めての修祓だったので、加減がわからなかったのかもしれない。あるいは、仮に北斗が消えてもコンが何とかしてくれると思っていたのかもしれない。冬児が雪風で駆けつけていることもわかっていたわけだから。

・・・なのだけど、とはいえ、さすがに北斗が消えるのが早すぎない?と感じてしまった。

で、何でこんなことを書いているかというと、その強い北斗とのリンクが、実は夏目の正体を示しているのかな、と思ったわけで。

(で、以後は、ホントにネタバレを含みます)。

というのも、10巻までの展開を知った立場からすると、春虎の身代わりに、土御門家本家の嫡男の役割を担わされた夏目という女の子は、一体どこから「調達」されたのか、が不明だから。

これ、物語の肝となる話だと思うのだけど、10巻までではまだ扱われていない。

で、これは完全にネタバレになるけど、8巻で一度死んだ夏目を、春虎=夜光は、9巻の最後で泰山府君祭を行うことで蘇らせるのだけど、10巻の描写では、どうもそれは完全な成功とは言えず、夏目は生き返ったものの、実質的には死人=ゾンビ状態で、ギリギリ北斗の気を使って、この世に魂をつなぎとめているという。

まぁ、このあたりの説明は、物語世界の設定として、ああそうなんだ、って受け入れるしかないのだけど。

でも、このことは何を意味するのかというと、要するに、1巻の最初に登場した、夏目が操った式神としての「北斗」の位置を、夏目自身がそのまんま占めてしまっている、ということなわけで。

その意味でも、10巻は1巻の反復なんだよね。

で、そこで漠然と感じていたのが、夏目って、実はもともと、(龍の)北斗が本体で、その式神だったんじゃないの?ということ。

つまり、(龍の)北斗=夏目。

そう思う理由としては、一つは、夏目は女性であるため陰の気を持つのだけど、龍の気も陰だということ。もう一つは、今回の9話で示されたように、夏目と北斗のリンクがかなり直接的であること。

あとは単純な疑問として、春虎の身代わりとなる子供を見繕うのに、どうしてわざわざ「女子」を選んで、その子に男子として振る舞わせる、という迂遠なことをしたのか、ということ。

いや、最初は、実は春虎の養父・養母である鷹寛と千鶴の実子が夏目で、要するに本家と分家で子供を取り替えたのか、と思ったのだけど、どうも10巻の描写を見ると、そのような実の親子のような親密さや切実さは描写されていない。そもそも、同じタイミングで子供が生まれる、というのもそうそうある話ではないだろうし。

となると、土御門家とは関係ないところから、要は捨て子にされていた子供を見繕うことになるはずだけど、それならば、女子ではなく男子を選ぶはず。

・・・と考えていくと、身近なところでどうにでもなる存在である土御門家の式神である「北斗」を使って、女子の式神を生み出し、その子を男として育てる、というのが、やはり穏当なところかな、と思えてくる。

いや、さすがにそれはトンデモ過ぎる、と思うかもしれないけれど、東レの世界は、魂と身体の移し替えが原理的に可能だし、実際、そうやって生きながられている存在は、6巻以降、何人(何体?)か現れるわけで。ぶっちゃけ、蘆屋道満なんてその最たるもの。

加えて、これもネタバレになるけど、本来の「飛車丸」に多重の封印を施すことにより、記憶も操作して「コン」という護法式を作ったのが、春虎の実父である本家の泰純であり、彼の技量をもってすれば、以上のような式神の操作など実は簡単にできるように思えてくる。

ということで、実は、夏目という存在が、そもそも北斗であった、というのが、実際に、春虎=夜光が彼女に対して泰山府君祭を行った際に明らかになった(残酷な)事実なのではないかな、と。

つまり、夏目は、本来、死人=ゾンビ的な存在としてあった、ということで、その元々の姿に、10巻以降、戻ってしまっただけだった、というのではないかな、と。

そして、そういうことであれば、春虎=夜光が、泰純たちと別行動をとっているのも理解できるように思えてくる。

なにしろ、春虎の身代わりとなる存在として泰純たちに調達されたのが夏目であり、その夏目の存在が、彼女自身が式神として演じた「北斗」そのものであった、というのは、二重三重に春虎にとっては重い事実だから。なにしろ、夏目は、自らが主体的に演じたものこそが本体であり、自分自身がむしろまがい物であったわけだから。

だから、春虎からすれば、そんな事態を引き起こした泰純や、その大元の事件としての「夜光の転生」なんてことを行った夜光に対しては、そうとう含むところがあると思うわけで。むしろ、そういう意識があればこそ、どうやら精神的には夜光に侵食されずに春虎の状態を保っていられるのかもしれない。

・・・とこんなことをぼんやりと思っていたので、9話における夏目と北斗のリンケージの強さを見て思ったのでした。

まあ、真相はもっとシンプルで、夏目が、真性の「龍の生成り」で、その龍の部分を分離して実体化させたのが、あの巨龍の北斗なのかもしれないけれど。

いや、このあたりは、実は、飛車丸/角行鬼という「夜光の双璧」に対して、後日、物語の最後で、「春虎の双璧」として夏目と冬児が立つのではないかな、と思ってもいるからなのだけど。

飛車丸はあくまでも夜光の護法であって、春虎に託された夜光の計画―それはまだ何かは判然としないけど―が成就した暁には夜光とともに消えるように思えていて。

もっとも、10巻で「飛車丸が不安定だ」という描写を見ると、多分、9巻でプロセスを端折って封印を説いた結果、本来の飛車丸の記憶が相当数失われていて、その分、彼女の忠義の向かう先が、夜光なのか春虎なのか、わからなくなっているようにも思えるので、それほど、単純な話ではないと思うけど。

でも、多分、飛車丸は最後には消失すると思うのだよね。
あと、どう考えても、角行鬼は、夜光への忠義よりも、飛車丸への執着の方が上のように思うので(要するに、角行鬼は飛車丸が好きw)、飛車丸が春虎=夜光の盾になる前に、その飛車丸をも救うために角行鬼のほうが先に退場するような気がするのだよね。

で、そんな最後の場面?で、飛車丸/角行鬼の代りに、春虎の横に立つのが、狐憑きならぬ龍憑きである夏目と、角行鬼同様「鬼」である冬児である、となるような気がするから。

とにかく、東レ10巻以降の第2部では、夜光の計画と、その夜光の転生をできれば阻むことで夜光の計画をも阻止しようとした泰純の思惑との間で、春虎たち土御門の人びとは相当ギスギスしたやりとりを行うはずだから。

少なくとも、春虎と泰純の対決は必至だよね。

で、そのような、(夜光だけでなく場合によれば始祖である安倍晴明まで含めての)土御門家の血統内部での確執に加えて、倉橋・相馬の両家の陰陽道再興に対する思惑も絡んでくるのが、多分、第二部の主題になると思う。

その悲劇のなかに、夏目と春虎の悲恋が描かれる。

いや、もっと単純に考えれば、およそ、物語の反復や循環が好きなこの作者であれば、多分、夜光と飛車丸の関係を、春虎と夏目の関係で、再演させるはず。

だから、そのためにも、夏目は人外でなければならない、ということになるのではないかな。

そういう意味では、相馬秋乃というイレギュラーな存在が、土御門と倉橋/相馬をどんな因果で結びつけるかが、物語進行上の当座の鍵なのかもしれないけれど・・・。


ということで、夏目の正体は北斗ではないか、ということでした。
まぁ、当たるも八卦、当たらぬも八卦、ということでw

でも、こういうことがあれこれ想像できてしまう世界と物語を紡ぐことができる作家さんって、ホント尊敬するな。

ということで、11巻、早く出ないかな―。

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東京レイヴンズ 第9話 『cHImAirA DanCE -修祓-』

2013-12-04 20:05:25 | レイヴンズ
今回で原作3巻が終了。
適度に動きがあってよかった感じ。
いやー、佳作だよね、本作は。

で、これ、1クールだよね。
となると、残りの3ないし4エピソードで、原作4巻と5巻の鈴鹿再登場の本編を扱って終わり、って流れかな。

まぁ、それだと、まさに「俺達の戦いはこれからだ!」ってところで終わってしまうけど。

でも、それくらいがいいかな―。

この作品は、映像よりも本で読むほうが絶対面白いから。

というか、正直、絵のクオリティがちょっとショボイ。
この原作をボンズか京アニくらいのクオリティで行ってくれたら、ものすごいことになったと思うけどねw
特に、京アニは『境界の彼方』みたいな、遅れてきた中二病そのものな駄作を作る余裕があったら、従来通り、原作ありの良作をきっちり映像化するほうがいいのにね。
まぁ、それはボンズにも当てはまるのだけど。

東レは、なんていうか、原作が時々感じさせる怪しい雰囲気やおどろおどろしい雰囲気、闇が漂う雰囲気が結構重要な感じがするのだけど、今の映像化は、全体的に明るすぎるんだよね。キャラ絵も、原作のイラストの方がもっと繊細なものになっているし。

そういう点で、ちょっと残念。

といっても、その映像化がきっかけで原作にたどり着けているのだから、映像化の広告効果としてはバッチリだと思うけど。

とにかく、これは原作を読むことを勧める。
特に、6巻以降。
残念ながら、1クールで終わりなら、まさにその前のところで終わってしまうわけだけど。

原作は、ラノベというよりも、ちょっと昔の伝奇ものっぽい。
闇の部分だけ見れば、『空の境界』に近いかな。
今回最後に出てきた蘆屋道満なんて、原作の方がもっと存在感がある。
てか、怖い。

まぁ、元ネタが、なんて言っても、陰陽道だからね。
もちろん、それに密教とか神道とか、いろいろちゃんぽんになってはいるけれどw
そういう、史実をネタにした改変小説って感じが、アニメの明るすぎる絵柄だと表現しきれてなくて、もったいない感じがする。

いやー、難しいなぁ。

そうそう、10巻まで読んでから、今回のを見ながら、ちょっと思いついたこともあるのだけど、それは、もしかしたら、この先のネタバレを含むかもしれないので、別エントリーで書くことにする。

冬児が鬼の生成りであることもこの先、多分とても重要なのだけど。。。

ということで、とりあえずは、鈴鹿の再登場の次回に期待。

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