前回、「えーくすかりばぁー」もでていたし、本編の最後に出てきた死神もソウルイーターに出てきた死神様と似ていたから、シンラの世界改変は、ソウルイーターの、マカたちの世界を作り出すためのステップだったんだ、とは思っていたけどw
でも、まぁ、そう見せかけての、子どもに聞かせる童話だった、ってオチだったけど。
その最後に出てきた子はマカだったけどね。
死神様がシンラに似せてキッドを生み出した後、ブラックスターとソウルっぽい子どもも映っていたから、まちがいなく、あの最後の女の子はマカだよねw
もっとも、
炎炎ノ消防隊は、途中から、シンラたちの世界が、想像の世界だ!ってみたいになっていたから、劇中劇というお約束のメタ展開になるのわかっていたけどさw
まさか、まんま、絵本の読み聞かせ、とはね。
いやー、さすがにそれはないだろうw
なんか、もう、そんなギミックで、物語の破綻をごまかす作者ばかりになっちゃったな、どこもかしこも。
困ったときの夢オチエンド、みたいなものだから。
しかも、インカの口から、シンラの子種が欲しいんだ、なんてことまでいわせて。
マガジン、大丈夫か?
あー、しかし、これ、途中で感想を書くの放棄していて正解だった。
もう、ホント、終盤は、なにこれ?って思うくらい破綻した展開ばっかりだったし。
なんだよ、森羅万象マンってw
頭悪すぎでしょ?
しかも、それがどう見てもシンラの名前と被っているのだから、これ、わりと最初から考えていたオチってことだよね。
よくこんなもの、描く気になったよな。
まあ、最後に、ソウルイーターの世界につながるから、そうして、ソウルイーターの拡販にもなるから、という、どこまでいってもソウルイーター売りのための物語として成立したんだなとは思ったけど。
途中あった写真貼り付けの渋谷はなんだったんだ?とかいっても、だって、最後の、絵本読み聞かせ描写からすれば、いや、物語内物語ですからなにか?っていって返されるだけだろうし。
要は、もう、マンガには、ストーリーはいらない、ってことだよね。
一枚一枚のイラストに力があって、そこだけ切り取れれば良くて、ストーリーは、なんとなくそれをマンガっぽく見せるためだけにある。
この、炎炎ノ消防隊、はもうそのためにだけあった、という感じがする。
いや別にバカバカしくてもいいのだけど、でも、このシンラたちのバカバカしさには、読後の清々しさが全然ない。
それは、シンラが、名前の通り、善でも悪でもなく、とにかく生命を生み出すもの、すなわち森羅万象!って、ことにしちゃったからで。
つまり、そこには感情的な理由はなく、見せかけは露悪的だけど、やっていることは、粘土細工しながら箱庭造っているようなもので。
神には善も悪もない、の論理。
で、最後に出てくるのが、ソウルイーターの死神様なんだもの。
酷いオチだよ。
箱庭を作る話じゃなくて、箱庭の中で、ちゃんとキャラクターが生きる話を描けよ。
なんか、もう世界を作り変える云々、って話はどうでもいいと思うんだよね。
だって、造った後は、みなさん、勝手にどうぞ、ってだけで終わるのだも。
それは、なんにも伝えていない。
こんなストーリーもどきしか語れないなら、もうイラストだけ描いてればいいんじゃない?って思うし、
マガジンも、ただのイラストカード売りになればいいんじゃない、って思うよ。
あるいは、もう『転スラ』みたいに、なろうのヒット作のコミック化だけやっていればいいんじゃない、と思う。
アメコミみたいな完全分業制。
私、物語作る人、私、イラスト描く人、って役割分担で。
少なくとも、どちらももはやひとりの人物が抱えるには、どちらも商業的要請が強すぎるってことでしょ、きっと。
そういう意味では、漫画家ってのが、もう成立不能な存在なんだろうな、と思った。
ということで、『炎炎ノ消防隊』はひどかった。それに尽きる。
そういう意味では、環のらっきーすけべられ、という無駄概念がすべてを象徴していた。
既存の価値体系をただ機械的にひっくり返すだけで、なにか新しいことをしているように見せながら、本質的には何も付け加えていない。
無意味のかたまり。
中身が空っぽのマンガもどき。
でも、まぁ、そう見せかけての、子どもに聞かせる童話だった、ってオチだったけど。
その最後に出てきた子はマカだったけどね。
死神様がシンラに似せてキッドを生み出した後、ブラックスターとソウルっぽい子どもも映っていたから、まちがいなく、あの最後の女の子はマカだよねw
もっとも、
炎炎ノ消防隊は、途中から、シンラたちの世界が、想像の世界だ!ってみたいになっていたから、劇中劇というお約束のメタ展開になるのわかっていたけどさw
まさか、まんま、絵本の読み聞かせ、とはね。
いやー、さすがにそれはないだろうw
なんか、もう、そんなギミックで、物語の破綻をごまかす作者ばかりになっちゃったな、どこもかしこも。
困ったときの夢オチエンド、みたいなものだから。
しかも、インカの口から、シンラの子種が欲しいんだ、なんてことまでいわせて。
マガジン、大丈夫か?
あー、しかし、これ、途中で感想を書くの放棄していて正解だった。
もう、ホント、終盤は、なにこれ?って思うくらい破綻した展開ばっかりだったし。
なんだよ、森羅万象マンってw
頭悪すぎでしょ?
しかも、それがどう見てもシンラの名前と被っているのだから、これ、わりと最初から考えていたオチってことだよね。
よくこんなもの、描く気になったよな。
まあ、最後に、ソウルイーターの世界につながるから、そうして、ソウルイーターの拡販にもなるから、という、どこまでいってもソウルイーター売りのための物語として成立したんだなとは思ったけど。
途中あった写真貼り付けの渋谷はなんだったんだ?とかいっても、だって、最後の、絵本読み聞かせ描写からすれば、いや、物語内物語ですからなにか?っていって返されるだけだろうし。
要は、もう、マンガには、ストーリーはいらない、ってことだよね。
一枚一枚のイラストに力があって、そこだけ切り取れれば良くて、ストーリーは、なんとなくそれをマンガっぽく見せるためだけにある。
この、炎炎ノ消防隊、はもうそのためにだけあった、という感じがする。
いや別にバカバカしくてもいいのだけど、でも、このシンラたちのバカバカしさには、読後の清々しさが全然ない。
それは、シンラが、名前の通り、善でも悪でもなく、とにかく生命を生み出すもの、すなわち森羅万象!って、ことにしちゃったからで。
つまり、そこには感情的な理由はなく、見せかけは露悪的だけど、やっていることは、粘土細工しながら箱庭造っているようなもので。
神には善も悪もない、の論理。
で、最後に出てくるのが、ソウルイーターの死神様なんだもの。
酷いオチだよ。
箱庭を作る話じゃなくて、箱庭の中で、ちゃんとキャラクターが生きる話を描けよ。
なんか、もう世界を作り変える云々、って話はどうでもいいと思うんだよね。
だって、造った後は、みなさん、勝手にどうぞ、ってだけで終わるのだも。
それは、なんにも伝えていない。
こんなストーリーもどきしか語れないなら、もうイラストだけ描いてればいいんじゃない?って思うし、
マガジンも、ただのイラストカード売りになればいいんじゃない、って思うよ。
あるいは、もう『転スラ』みたいに、なろうのヒット作のコミック化だけやっていればいいんじゃない、と思う。
アメコミみたいな完全分業制。
私、物語作る人、私、イラスト描く人、って役割分担で。
少なくとも、どちらももはやひとりの人物が抱えるには、どちらも商業的要請が強すぎるってことでしょ、きっと。
そういう意味では、漫画家ってのが、もう成立不能な存在なんだろうな、と思った。
ということで、『炎炎ノ消防隊』はひどかった。それに尽きる。
そういう意味では、環のらっきーすけべられ、という無駄概念がすべてを象徴していた。
既存の価値体系をただ機械的にひっくり返すだけで、なにか新しいことをしているように見せながら、本質的には何も付け加えていない。
無意味のかたまり。
中身が空っぽのマンガもどき。