BLACK SWAN

白鳥のブログ - 日々の世界を徒然と

五等分の花嫁 第112話 感想3: トリックスターの一花はどう動く?

2019-11-30 11:13:31 | 五等分の花嫁
『最後の祭りが・・・』シリーズを読み返していて、
これもまた思いついちゃったのだけど、
113話以降の展開で鍵を握るのは、一花なのかもしれない。

いやこれはもう完全に、メタ読み、なんだけどねw

でも、これまでのこの物語の展開を振り返ると、要所要所で、物語が向かうべき基本的方向を定めてきたのは、いつも一花なんだよね。

事件をもたらすのは、常に一花。

最初期の花火大会や林間学校のエピソードのかき回し役はもとより、マルオの与えてくれたマンションを飛び出して五つ子だけで住むことを提案したのも一花。
その結果、風太郎は家庭教師を続けることができた。

もちろん、闇落ちwして、三玖になりすまして、三玖の邪魔をしたのも一花だし、その結果、二乃を巻き込んで一時は全面対決モードも生じた京都の修学旅行。

そうかと思ったら、突然、女優の道を真面目に追求するために、高校を辞める(最終的には休学なのかな?)と言い出し、物語に文字通り「分岐」の雰囲気を醸し出したのも一花。

他の四人の姉妹の性格や特徴を十全に把握しているのも一花で、とりわけ重要なのは、彼女は、(五月もそうだけど)四葉が6年前に京都で風太郎に会ったことを隠していることも知っている。そして、その気持を開放せよと、四葉に囁いたのも一花。

極めつけは、今回の『最後の祭りが・・・』シリーズで、風太郎から事前に「誰も選ばない」という日の出祭初日時点での暫定結論をすでに入手済みなこと。
そこから、風太郎に鐘キスの一件を思い出させ、その上、読者に対しては『最後の祭りが・・・』シリーズで風太郎と五つ子がキスをする、という基本プロットも提供している。

正直なところ、こうした、まさにトリックスターとしての一花の振る舞いが、どこまで一花というキャラクターの特徴から自然にでてきたものなのか、それとも、作者であるねぎ先生の意向でうまく「使われて」いるのか、よくはわからない。

まぁ、両方なんだろうけど。
その結果、一花は、気がつけば、常に「物語が進行する舞台」を作る役割を担っている。

そう思うと、今回の最後で導入された「五つ子がそれぞれ一人ずつ別々の教室で待つ」という「舞台設定」も、多分、一花が五つ子に提案し、五つ子の合意をもって、五つ子の総意に変え、しかもその提案を自分ではなく五月に頼んで(使って)、風太郎に伝えている。

そうして、わざわざ風太郎が一人を選ばざるを得ない状況を生み出している。
正確には、風太郎が、きちんと一人ずつと言葉をかわさなければならない状況を作り出している。

でも、これ、多分、一花だけが、早く気持ちをスッキリさせて、次のステージに進みたいから、だけのことなんだと思う。

そう感じるのは、112話の最後の方で、五つ子がそれぞれの部屋に移っていく際に、二乃と四葉が思い切り真剣な眼差しで怯えているように見えたのに対して、一花が二人の肩に手を回し、例の五つ子の間でお約束の「五等分」の指切りをしていたから。

あそこがちょっとずるいのは、繰り返しになるけど、一花はすでに風太郎が「誰も選ばない」と告げることを知っていること。けれども、その結論は一花にとって心よいものではないから、とにかくこの日の出祭の間に決着をつけようと、はやっている。
でも、それは、一花がすでに結論を受けいれるだけの状態にあるから平気なだけであって、二乃と四葉にとっては「いきなり」のことにすぎる、と思っている。

そういう姉妹の間での、温度差が見て取れたから。
なんだかんだ言って、一花は、究極的には自分本位で、自分にとって快適な状況をつくることに躊躇がないことがよくわかる。

これは、一花が悪魔だ、と言いたいのでなく、多分、彼女だけが、五つ子の中で、突出して大人になっている、ということね。

ちなみに、なんであれ風太郎の結論は受け入れ可能、という点については、三玖も一花と同じコンディション。
対して、五月は、そもそも自分は対象外だと思っているから、大して気にしていない。もしも選んでくれたらラッキー!、くらいの感じだと思う。

そういう意味では、二乃と四葉にとっては辛い状況。


でも、そうしてこの二人に逃げ場のない状況を作るのが、トリックスター一花様の狙いなのではないか?

もっといえば、四葉に「風太郎への恋心」という話題からは避けて通れない場面をつくるのが狙いなのではないか。

なぜなら、すでに一花は、94話の最後で、四葉と二人でブランコをこぎながら、6年前の風太郎とのことに触れて、四葉も風太郎への気持ちを明らかにすることを促している。

だから、ずるい見方をすれば、一花は、姉妹の間で後腐れのない結論が得られるように、「公平」に風太郎に選ばれる状況を作り出そうとしている。

多分、それは京都の修学旅行の最終話である86話で、風太郎に対して「全部、嘘だよ」と告げた時からのことなのだろう。

あの京都の一件で、自分だけ抜け駆けしようとした一花は、一歩間違えば、五つ子の間で取り返しのできないほど深刻な亀裂を生み出していたかもしれないから。

ただ、その一方で、一花が風太郎のことを諦めたわけでもない。それは日の出祭のエピソードでも、風太郎に学校に呼び出されてアタフタしているところにも現れている。

ということで、姉妹を傷つけずに、しかし、あくまでも「公平」な状況で、結論が得られる状況はなにか、というのを、一花は一花で、ずっと無意識のうちに探っていたのではないかな。

正直なところ、高校をやめて女優業に専念する、と宣言すれば、風太郎が黙ってはいない、ということは当然、一花は読んでいただろうし、その結果、生じたのは、一花だけ風太郎と個別の家庭教師をしてもらう、という状況だった。

しかも、その状況は、風太郎が一花を「雇って」映像を制作する、という建前だったわけだけど、その費用は風太郎が一花に借金をして賄われることになった。

で、そうしてできた状況って、要は、一花が風太郎の愛人ポジションをとった、ということじゃない。

日中は、五つ子の他の4人と学校で会っている風太郎が、夜になると一花のもとにやってきて、彼女だけに特別な家庭教師を行っている。そして、そこで、あれこれ、互いの状況を確認し合う。

ね、完全に愛人ポジション。

五つ子の他の子たちが風太郎とどう付き合おうが、自分は関係なく、風太郎を占有する時間は一定時間確保される。同時に女優業も続けられる。風太郎のぐちも、二人だから気兼ねなく聞ける。

多分、京都の騒動を経た一花としては、しばらくはこの愛人ポジションでいいと思っていたはず。

その、いわば寝た子を起こしてしまったのが、日の出祭初日の風太郎の、誰かを選ばないといけない、と言う発言。

あのとき、一花がいった「いきなりだね」は、本心だったのだと思う。


ともあれ、一花はこの物語のトリックスター。

けれども、そのゲーマスぶりも、性格を把握している五つ子の間では完璧だけど、だいたい、風太郎が絡むと、斜め上から、一花の計画が覆される。

となると、113話以降の「強制的に風太郎に選ばせる」という状況も、それが素直に、一花の想定通りに動くはずがない。

風太郎はどんな「返し」を一花にするのか?
それは、間違いなく「全部、嘘だから」に関わることだろうけど。

あるいは、一花の作った舞台を、なにかアクシデントが襲うのか。
サプライズが起こるのか。
それが、四葉が立つキャンプファイアーなのか。

要するに、今度は、どんな失態wを一花が演じてくれるのか。

結構そこは、楽しみ。

でも、ほんと、もはや一花の愛人ポジションだからね。
そういう意味では、水族館デートを経た三玖もそれに近い。
だから、113話以降、一番、この状況に動じてみせるのは、二乃と四葉なんだろうな。

特に、二乃の狼狽する様子が目に浮かぶ。
なんたって「ツンデレツン」のチョロインだからなぁ。。。

ともあれ、一花が用意した舞台をひっくり返すのは誰か?
それはどんな事件なのか?


で、唐突だけど
この作品って、究極的には「五つ子(見分け)ゲーム」が鍵を握っている。
それが、本当の「愛の深さ」を試すものと位置づけられているから。

なので、最近思うのは、どんな形であれ、
この作品の終幕シーンは、
結婚式会場で、五つ子の全員がウェディングドレスを着て、しかも全員が五月の扮装をして、花嫁は誰だ?と問いかけて、風太郎が、何いってる、お前だろ、と返す。

そんなシーンで終わるのだろうな、と。

うん、だから、最後まで実は誰が花嫁なのかは、明かされないんじゃないのかな?

まお、それも、読者に「愛があれば誰が誰だがわかります!」とかいって終わるw

でも、是非とも、そんな最悪wな終わり方だけにはなりませんように。

もっとも、そんな結婚式ジャックのアイデアも、きっと一花の入れ知恵なんだろうけどw。

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五等分の花嫁 第112話 感想2: 第113話はやはり竹林を交えた『最後の祭りが風太郎の場合』なのか?

2019-11-29 22:43:30 | 五等分の花嫁
この先どうなるのかな、と思って、なんとなく日の出祭の『最後の祭りが・・・』シリーズを読み直していたら、ちょっと気になってしまったので、とりあえず書いておく。

いや、作者による「正解」は来週の113話あたりから示されていくのだろうけど、でも、こういうのは、可能性をあれこれ想像できてる時が楽しい、というかw

で、112話の感想でも触れていたことだけど、やっぱり、113話以降、四葉にドラマが訪れるように思うんだよね。

それは、107話と108話の『最後の祭りが四葉の場合』の①と②を見直していて思ったのだけど。

特に108話の冒頭で、短いながらも四葉が竹林と言葉を交わしているところ。

ここでの二人のやり取りを見ていると、竹林って、風太郎と同級生だった小学生の頃、どうやら、風太郎に対して好意らしきものをもっていたみたいで。
多分、風太郎のことは、手のかかる弟みたいに思っていたんだろうね。
で、その「手のかかる」ところを含めて、風太郎に竹林は好意を寄せていた。
もちろん、小学生だから、その好意は、中高生のような恋愛感情にまでは発展しないたぐいのもの。
でも、とにかく風太郎のことを竹林はよく見ていた。

その手のかかるガキだった風太郎が、京都である女子に会ってから、すっかり変わってしまった。しかも108話の竹林による説明では、竹林はずっとその京都の女の子の写真を、風太郎から何度も何度も見せられてきた。

そうなると、たしかに、風太郎を変えたこの女の子って、どんな子だったのだろう?とずっと興味をいだいていたはず。

その女の子と突然、日の出祭で遭遇してしまった竹林。
しかも、その女の子は、いまは風太郎の同級生で、そのうえ家庭教師までしてもらっている。
でも彼女は、自分があの京都の子だったとは伝えていない。


大事なことは、四葉が倒れたのはその竹林の前だった、ということ。
そして、気がつけば、108話では、次のシーンで、四葉は病院のベッドに横たわっている。

ということは、この間、竹林が、風太郎に連絡して、四葉を病院に担ぎ込んだに違いない。
竹林は、すでに二乃と五月とは面識があるので、彼女たちに伝えに言った、ということも最初は考えたのだけど、でも、その説は、目を覚ました四葉に対して、付き添っていた二乃が、風太郎が二乃たちに知らせていなかった、という発言から却下。

となると、やはり、竹林が風太郎に四葉が倒れていたことを伝えていた。

で、何が言いたいかと言うと、やっぱり、この四葉が倒れてからの対応を中心に、竹林と風太郎の日の出祭二日目のやり取りを描く必要があるということ。

つまり、113話として『最後の祭りが風太郎の場合』が描かれる必要がある、ということで。もちろん、『最後の祭りが竹林の場合』でもいいのだけど、さすがにそれはないかなw

で、その『最後の祭りが風太郎の場合』では、今言ったように、竹林と風太郎のやり取りが描かれるはず。

四葉は、108話の四葉回②で、自分から風太郎との京都の思い出には封印をしてしまったけれど、でも、あの京都の誓いは、もちろん、風太郎にとっても人生を変える大事件であったはずなので、四葉がそう言ったからといって一方的に消去されていいものではない。

で、その四葉と風太郎のか細い「赤い糸」をつなぎ直すために現れたのが竹林なんじゃないかな。

だって、その話がないと、記念すべき第100話の最後で竹林が「頑張りなよ、風太郎」と声をかける理由がないから。

もちろん、第100話の時点では、物語は時系列通りに流れていくものと思っていたから、この竹林の言葉も、なんとなく頑張れ、と言っただけのように思っていたわけだけど、112話までで一通り、日の出祭期間中の五つ子のエピソードが開陳された後だと、やっぱり、この竹林の再登場イベントの説明ピースが欠けているんだよね。

だいたい、竹林は「五つ子の皆も良い子だった」と言っているので、一花や三玖とも面通ししていたのかな?と思うものね。

ともかく、その欠けていた部分が『最後の祭りが風太郎の場合』で補われるのだろう。

もう一つ、子どもの頃から聡かった竹林からすれば、風太郎から「京都の女の子=四葉」を見せられ続けている間に、あれこれ、あの時すれ違った四つ子の女の子たちとにているなぁ、と思っていたのだろうね。

そのあたり、もしかしたら、あの時を知っている「もう一つの目」としての竹林から、6年前の京都駅での風太郎と四葉の出会いについて、新しい情報が付け加えられるのかもしれない。

そして、その情報が、風太郎に決断を促すことになるのではないか。

そう考えると、風太郎が四葉を選ぶ可能性もやはり浮上してくる。

108話の時点では、まだ五月回の説明を残していたから、そこまで判断できなかったけど、五月が風太郎に対して、恋心には至らないまでも、明確な好意を意識したところでとどまったことは、やはり大きい。

そして、竹林だけでなく、五月もまた、四葉が京都の女の子であった事実を、風太郎に伝えたくて仕方がないと思っている。

そうなると、どちらが真相を告げるのか。
もちろん、風太郎がすでに四葉があの子だったと感づいている可能性もある。
そして、すでに五月は、112話で自分が待つべき部屋に移っている。つまり、五月もまた風太郎に選ばれる可能性のある当事者の一人として壇上に上がっている。

そうすると、風太郎が四葉を含め五つ子たちをどう思っているか、思ってきたか、その心情を吐露する相手は、竹林になるしかない。

しかし、そうなると、もとに戻って、竹林は、どうして今になって風太郎の前に現れたのか? 

100話の時点では、伝説の塾講師、すなわち無堂との関わりから?とも思っていたわけだけど、その線はすでに消えている。
となると、やっぱり、例の全国模試の結果なのかね。
風太郎が3位になっていたこと。
そのことを懐かしく思った。

いやもっとはっきり言えば、竹林は風太郎に何らかの想いがあったことをそれで気づくことになったのか?

このあたりが明らかになると、風太郎と四葉との今後の関係(進展?)のためには、竹林と五月が関わってくることになり、それは五つ子に閉じていた関係とは少し別の物語に転じそうな気がする。

とはいえ、ここで物理的時間として、もう次号、次回は12月だ、ということ。

当初の予定では、五月回も2回で終えて、今頃には、もう風太郎の結論が出ているはずだった。

でも、ちょっと伸びている。
そして12月。

となると、風太郎の結論が出るのが、12月の最後の号、つまりクリスマス?号あたりか、もしくは、年が明けての1月になる可能性もある。

そうすると、まだ数回、年内でも残っている。

そうするとやはり、風太郎回を経て、決着前の四葉エピソードの追加、というのも現実味を帯びてくると思うのだけど・・・どうだろう。

といっても、まぁ、早ければ来週には結論がわかるのだけどね。

とはいえ、こうやってグダグダやっていられるのが『最後の祭りが読者の場合』の楽しみということでw

でもねー、
やっぱり、竹林は鍵だと思うんだよ―。

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野﨑まど 『バビロン 3 ―終―』 感想

2019-11-28 00:57:55 | バビロン
予想通り、手を出してしまった。。。
で、読み始めたらあっという間。
相変わらずリーダビリティは高い作品なのだが。

だがね・・・

・・・というわけで、出版からすでに2年経っているから、ネタバレとか気にする必要はないのだろうけど、でも、バビロン第7話でお預けを食らったせいで、同じように第3巻に向かう人もいるだろうから、一応、スペース、空けときます。













































で、
結局、読んじゃいました。
そして改めて痛感しました。
やっぱり、野﨑まどは鬼門だなぁ、合わないなぁと。

なんだろうなぁ、読者をも弄んで悦にいってるのが透けてみえるというか。
これで面白いという人たちは、ただのマゾなんじゃないの?と思わずにはいられない。
そして、そうしてこちらが憤る感じすら、えーい、ざまー見ろ、狙い通りだぜ―、とか言ってそうで・・・
心底ムカつく。

人の感情を弄ぶのが実にうまい。
もちろん、それは作家としては褒められるべきものだけど。

でもねー。
やっぱ、気持ち悪い作家だわぁ。
好きか嫌いかと問われれば、大嫌い!

『know』の時は、単に物語の結末のつけ方に、なに、そんな手を使うの? キモチワル!、って思っただけだったのだけど、今回は、なんていうか、単に展開の残念さに不愉快になるだけでなく、というよりも「それ以上」に、書き手の底意地の悪さを感じないではいられなかった。

作品ではなく作者自身に嫌悪を抱かせる、というのも書き手としては一つの才能なのだけどね。

でもね、ほんとにね、この人、性格が悪すぎる。
「曲世愛」とは「野﨑まど」の別名である、といいたいくらい。

だって、言葉だけで、人をこれ以上ないというところまで不快にさせるのだから、やってることは曲世と野﨑とで、全然変わらない。

いや、だから、きっと『know』のときも不愉快な気分になったんだろうなぁ。


実のところ、第3巻を読むとわかるのは、この展開なら、むしろ、1ヵ月くらい空けての放送の方が確かに適切なこと。

だって、あまりに物語の舞台が変わりすぎるから。

なにしろ、舞台は、ワシントンDCだからね、ホワイトハウスだからね。
主人公は、アメリカ大統領になるからね。
少なくとも最後の50ページまでは。

だって、その大統領であるアレックスも、曲世の魔の手、というか「魔の言葉」にかかって、最後で自殺と遂げてしまうから。

そして、もしかしたら、残り4話、全部一気に放送/配信するのかもしれない。
でも、第3巻の内容を思うと、その方が適切だな。
なにしろ、後半はずっと世界の首脳が一室にこもってずっと「善悪とはなにか」という哲学談義にふけるのだから。
そんな内容を、4話に分断されて放送したところで、絶対、物語の勢いを削ぐだけのことなので。

で、物語そのものに触れると、
すでに書いたように、舞台はアメリカ、主人公はアメリカ大統領。

じゃあ、正崎はどうなったかというと、その大統領の権限で、FBIの捜査官になる。

そうして、銃の携帯を許されるものの、しかし、その銃で曲世愛の殺害は許されず、必ず君の家族のもとへ帰れと、大統領から命令される。

このあたり、物語世界の構造的には、アメリカのトップに叱咤激励されないと、「自殺法」という日本発のトラブルも、日本人自らの才覚では解決できないものと一瞬、思わされる。

その上、アメリカトップの大統領の頭にあるのは、キリスト教の神と愛の話であるのだから。
そして、そこから、本作タイトルの「バビロン」が、黙示録に現れる「大淫婦バビロン」であることも示される。

つまり、曲世愛こそが、7つの王を従えて世界を滅ぼす「大淫婦バビロン」ということ。
だから、タイトルの「バビロン」とは「曲世愛」その人のことだった。

終わってみれば、このタイトルの理由を明かすために、深いキリスト教の説明が必要で、そのためには、日本人ではない、思索家の西洋人インテリを舞台に登らせる必要があった。
そうして、この物語の外枠は、西洋における「神」「死」「自由」という観念なくしては設定できなかったことが、今更ながら示されることになる。

その役割を担わされたのが、他でもないアレックス大統領だった。

アレックスが、正崎に、曲世を殺すな、家族のもとへ必ず帰ってこい、というのも、こうしたキリスト教的善意のもとでのものだった。

実際、このあたりはいい話だったのだけど、でも、最後にあっさり、そんな西洋的な「人間的な」対応では、曲世の「極悪」は崩せないことが明らかにされてしまう。

大統領のアレックス、そのギークな感じがちょっと新鮮だっただけに、その真実に肉薄できる「知性」は、曲世にとっての邪魔になり、結局は自殺に追い込まれてしまうという顛末。

アレックスに愛着が湧いてきたところで消されてしまうのはやはり衝撃は大きい。

それにしても、どうして誰もアメリカの現場に、曲世がすでに潜入していると思わなかったのだろう? 
読む側としては、ずっと、その可能性を気にしていたのに。

あとは、自殺を巡るイデオロギー闘争だから仕方ないのだろうけど、G7サミットがニューヨークで開催されるのだけど、その様子が、まんま『沈黙の艦隊』の中の国連安全保障理事会みたいで笑った。
日本発でとんでもない新種のイデオロギーが提案され、その抑止にアメリカが登場するところが。

しかも、各国首脳に与えられたキャラまでそっくり。
斜に構えて皮肉ばかり口にするフランス大統領
権力者に伴うノブレス・オブリージュを説くイギリスの女性首相とかね。

このあたりは、そもそも、日本でなにか世界をひっくり返すような突飛なアイデアを出すと、その突飛さに先進諸国がこぞって反対に当たる、という定番のプロットでもあるのだろうか。
それとも、そうしたプロットは、日本の書き手の中に潜む欧米先進国に対する一種のコンプレックスとして根付いているのだろうか。

それにしても、放送されたバビロン第7話の感想でちょっと書いてはいたけれど、まさか、本当にあの絶望的な結末の続きが、アメリカから始まるとは思わなかったよw
さすがに、諸外国が「新域」に介入する、というところまでは行かなかったけれど。

代わりに、生きるとは続くこと、死ぬとは終わることと、アレックスによって喝破されたわけだけど。
そして、それは、ユダヤ・キリスト教に根ざす「原罪」に通じるものだった。
蛇の誘惑で知恵の実を食べてしまったばかりに、アダムとイブは楽園を追放され、死を迎えることになった。
そこから「知ってしまう」ことが、原罪を介して、死をもたらすことになる。
アレックスはその展開を見事になぞらされてしまった。
曲世愛によって。

とはいえ、それがゆえに、副題が「終」となるとはね。
それもまたとんでもないミスリーディング。
だって『バビロン』は終わらずに続くから。
だまされた。
というよりは、やっぱりコケにされた、というのが実感かな。

もっとも、いっそのこと、これで終わりにしても実はそれほど問題もないような気がする。

だって、曲世は「大淫婦バビロン」なんだよ。
とても勝ち目があるとは思えないから。


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五等分の花嫁 第112話 『最後の祭りが五つ子の場合』 感想

2019-11-27 13:14:11 | 五等分の花嫁
うーむ
またもや、見事に、やられました。
日の出祭終了時に、五つ子が風太郎の登場を待っていた教室は、それぞれ別々のものだったんだね。
で、風太郎に、なかば強制的に確実に選ばせることにした。

これ、一花の入れ知恵なのかなぁ。

今回の冒頭をみると、前回の、五月が風太郎に向かって「君だって私の理想なんだよ」と告げて終わった場面から、時間的には連続しているようだから、このときに、五月から風太郎に、姉妹は別々の部屋にいるから、風太郎が選ぶ相手の場所に来てほしい、と提案してきたのだろうね。

なんだか、源氏物語みたいだけどw

で、その風太郎の選択に向けて、五つ子が揃って「最後の祭り」を堪能したのが、今回のお話だった、ということ。

なので、大きく物語が動く、という回ではなく、むしろ「祭りの余韻」を予め先取りしたような展開だった。

もちろん、無堂事件の直後だからってこともあるのだろうけど、五つ子の心は一つ、という感じがひしひしと伝わってくるような描写が積み重なっていくようものだった。

うむ、尊い。

とはいえ、それはあくまでもカウントダウンまでの、最後の「五つ子が五つ子のままでいられた時間」としての幸福な時間にすぎない。

そうして、最後には、五月のナレーションで、それぞれが風太郎を待っている、と告げたところで、次回を待つ。

うーん。

最初に気になったのは、四葉が待つ部屋は、彼女が「休んで」いるはずの保健室っぽかったのだけど、例の担当回扉絵のシーンでは、四葉はキャンプファイアーの場面を背にしていたこと。

これは、四葉が逃げ出したのか、それとも誰かを探しに出たのか。

ともあれ、やはりこの日の出祭終了宣言の前後で、四葉についてはもう一つドラマが待っていることは確定なんだろうな。

今回の五つ子揃っての描写と、今までの四葉の心情描写からすると、誰か一人が風太郎に選ばれて、それがきっかけに「五等分」の関係に亀裂が走るのを、四葉は、やはり嫌うように思うので、なにかしらのアクションを起こしそうな気がする。

だいたい、五人が別々の部屋で待つ、という展開は、風太郎ではなく、五つ子の方からも提案のようだから、すでに、この提案をした時点で、風太郎の選択の自由を奪っているようにも思えるから。

なので、四葉には、もう一回、それこそキャンプファイアーにおいて、ドラマが起こりそうな感じがする。

その一方で、これもまた前回からの直接的な続き、というバイアスもあるのかもしれないけれど、五月の存在感がなんだか増しているように思えたこと。

その代わりに、四葉を除く三姉妹の存在感が、同レベルのものになった感じがする。

特に、三玖なんて、もう二乃と同じ枠?というくらいの存在感になってしまったようにも思える。よくも悪くも達観してしまっている感じ。一花や二乃と同じように、もう風太郎に絶対の信頼感を寄せてしまっていて、なにが起ころうが、自分の気持ちはもう決まっている、というくらいの、超・安定感。

問題は、この安定感が、いい方に転ぶのか、わるい方に転ぶのか?

その点、まだ恋の伸びしろがある、という点では、四葉や五月に、物語のリソースをこれからさく余地が残っているように思えてならないんだよね。

個人的には、特に五つ子の誰かに特に思い入れがあるわけではなく、むしろ「この中の誰が犯人=花嫁か?」というノリで楽しんでいる方なので、これまでの日の出祭編の流れを見ると、四葉と五月の末脚に期待したくはなってしまう感じ。

そう思うと、前回、五月が、無堂事件を通じて、彼女の抱える様々な問題に一通り、周りも認める形で決着を見たのに対して、四葉の場合は、あくまでも彼女の中で勝手に決着がついたように思っているだけにすぎないのは、やっぱり五月と四葉の間での、大きな違いだよね。

といっても、それも五月編が終わって初めて抱く感想なのだけど。

その意味でも、四葉にはまだドラマが残っている。

あと、前回の最後で、五月が五月の姿のままで、風太郎に丁寧語をやめて、タメ口で語りかけたわけだけど、あの口調って、風太郎からすると、やっぱり零奈(=6年前の四葉)のものと感じたんじゃないのかな。

とすると、風太郎が、四葉のキスを零奈との妄想キスと勘違いしていたことにも、もしかしたら気がつくんじゃないかな、とね。なにしろ、この二日間あまりの間で、風太郎はキス・マスターになってしまったわけだからw

ということで、風太郎からすれば、誰か一人を選ぶためにも、はっきりさせなくちゃいけないことがある、と行動を起こしてくるのかもしれない。

その意味では、風太郎の3日間の心理の変化がわかりにくいので、そこも、一回、通しで見直す場面があるのかもしれない。

あと、これは完全に個人的に気になっているだけのことだけど、竹林、本当にあれで終わりなのかな?

このタイミングで竹林が再登場したのって、風太郎に京都で会った少女=四葉が、どれだけ風太郎に大きな変化をもたらしたかを、それこそ、外側からの視点で思い出させるためのものだったのだろうし。

なにより、竹林自身は、風太郎を変えた京都の少女が四葉であることを突き止めているから。

なので、竹林がそのことを風太郎に黙っているとも思えない。少なくとも、風太郎にヒントくらいは与えているのではないか。

だから、ポイントは、風太郎が、四葉が6年前に京都で会って誓いを交わした少女である事実に、この日の出祭期間中に、というよりも、竹林と再会したことで、気づいたかどうかにあるように思える。

だって、この四葉との誓いの話って、それこそ実父との対決以上に、この物語の終幕にあたって、避けることのできない出来事だと思うのだよね。

だから、その話を、この日の出祭編に盛り込んでくるのかどうか。

次回以降、気になるのはそこかな。

だって、風太郎が誰か一人を選んだら、その時点で、実質的にこの物語は終わりのはずだから。

まさか、本気で五つ子同士の間での奪い合いを描いたりはしないよね?

いや、それはそれで見てみたい気もするけれどw

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ソードアート・オンライン 第22巻 『キス・アンド・フライ』 感想: ブルーレイの付録短編集と思いきや、実は意外とユナイタル・リング編の序章だったりする?

2019-11-26 17:52:58 | SAO/AW
待ちに待った22巻のハズだったのだけど、蓋を開けてみれば、ブルーレイ特典の短編集だった。
・・・なので、すっかりなめていたのだけど、実際に読んでみると、あれ、これもしかしてユナイタル・リング編のイントロになっている?という気がしてきたから不思議。


とはいえ、まずは、単純に見直すと、基本的には、後付けでSAOの物語を補填する短編4本からなっている。

後付けだから、ちょっと、それなー、という気になって呆れるものと、
後付けというよりも、SAOプログレッシブやアクセル・ワールドの執筆を経て、SAOの世界観が広がった? と思わせるものが混在している感じ。

冒頭の「ザ・デイビフォア」は、まさに前者の方。
えー、今更、そんなキリトとアスナのログハウスにクエストがあった、なんてもっともらしいバックストーリーつけられてもな―、と一瞬、呆然としてしまったw

しかも、オズの魔法使いネタなんてw

うーん、なーんか、ログハウスにまつわるネタなんかないかなー、あ、そうか、ログハウス、飛ばしちゃうのはどう? ほら、オズの魔法使いがそうだったじゃん!、なんて作者か、もしくは編集者さんがネタだし会議で思いついて、ドヤ顔でほくそ笑んでいる姿が目に浮かぶようじゃないw
上手いこと、言えたな―、って。

だって、このエピソードは、ホント、オズの魔法使いネタにおんぶにだっこの展開だからね。

なんで、むしろ、これ、単に、本編のSAOシリーズの中で、ほら、アルゴって姉さんキャラがいたの、思い出して!、彼女、この後、23巻からのユナイタル・リングで、また活躍するからさ!、って言いたいだけだったんじゃないのかなぁ、とw

いや、アルゴ姉さんの再登場は素で嬉しいんだけどね。

とまれ、「ザ・デイ・ビフォア」はそういうふうに、ファンサービスの一環くらいにしか思えなかった。

でも、その一方で、続く「ザ・デイ・アフター」の方は、キリトたちがSAOのデス地獄から抜け出して、ALOで普通にプレイしていたときにアスナを襲った怪現象の解明の話。

で、そのちょっとしたアスナの意識の「離脱感覚」の背後にあったのは、SAO初期のエピソードで、キリト以外全滅した、つまり全員死亡した「月夜の黒猫団」の一人、サチがシステムに残した一種のメッセージだった、というもの。

そして、そのメッセージが、直接には何のつながりもないアスナに届いたのは、SAO時代にキリトとアスナが結婚していたことと、現在キリトがALOで使っているアバターがSAO時代とは異なるものであるのに対してアスナはSAO時代のものをそのまま流用していることから。つまり、サチ→キリト→アスナ、の順でできた経路を通じてアスナにとどいたものだった、というもの。

これは小編ながら、読後、だいぶ唸らされた。

もちろん、こういう亡霊のような形であっても、サチが再び現れたことは喜ばしいことだったのだけど、それ以上にやはり、もはや失われてしまった茅場晶彦が作ったオリジナル・アインクラッドのシステムへの振り返り、というのがとても気になったところだった。

というのも、いってしまえば、ALO以降のSAOって、基本的には、この茅場版元祖アインクラッドのシステムに秘められていた可能性や革新性に、少しずつキリトたちが接近していく、という物語だと思っているから。ついでにいえば、アクセル・ワールドもその一部だと思っているので。

なので、サチの、いわば「残留思念」みたいなものをシステムが保持していた、というのも、SAOのアリシゼーション編を知った後では、もしかして茅場も、フラクトライトを通じて魂を複製する試みを、アインクラッドの頃から試していたんじゃないの?と思ったりするから。

少なくとも、茅場自身は、アリシゼーション以後の随所での登場の示唆を考えると、自殺の際に脳のフルスキャニングをして、マインドアップロードを実現したように思えるから。
なので、ハードウェア的にはフラクトライトのコピーには至らないまでも、それに準じた技術で自分自身のマインドをストアする方法を考案していたのではないかな、と思っていたので。

とすると、実は元祖アインクラッド編において、死を迎えたプレイヤーたちの魂は、何らかのデータの形で、アインクラッドのシステムのどこかにストアされているのでないかと思いたくなる。

というか、部分的にそうして人格再生を試みようとした話が、劇場版SAOのオーディナル・スケールのユナを巡る話だったはずなので。

だから、サチの残留思念についても、そういうシステムの発動結果なのだろうな、と思ったんだよね。

もちろん、作者的にも、こうした茅場アインクラッドが実は宝の山だった、というのは、後になって気づいたことで、だから、手を変え品を変え、「全ては茅場の頭から始まった!」ってサーガにしようとしているのだと思うけど。

すっかり中断しているSAOプログレッシブなんて、まさに金鉱床としての茅場アインクラッドは舐め尽くすために、アナザーストーリーを最初から書いてみよう、といういかにもゲームなんだからいいよね?という開き直りで始まっていたものだったのだろうし。

プログレッシブにおけるNPC女戦士キズメルなんてまさにそれだよね。

・・・って思ってたら、まさに続く「虹の橋」のエピソード冒頭でキズメルの名前が出てきて笑ってしまったのだった。

作者の中では、プログレッシブは、あくまでもアインクラッド編の正史に含まれたものとして扱っているようで。ということは、キリトとアスナがキズメルとやり取りした経験は、その後のSAO正編の中でも、二人にとっての現実として振り返られるエピソードになっているということになる。

もっとはっきりいえば、ユナイタル・リング編で、アインクラッド編の初期を描いたプログレッシブ編も組み込まれてくる可能性は高い、ということ。

というか、そのための、アルゴ姉さんの本編復活なんだろうな。

なにしろ、アルゴ姉もまた、サチと同様に、アインクラッド編初期のエピソードキャラの一人でしかなかったはずだから。
しかも、「情報屋」の彼女は、今回の「ザ・デイ・ビフォア」にもあるように、アインクラッドの中で生じた異変については、基本的に自ら調査に乗り出さないで入られない性分だったわけだから、SAOサバイバーの中では、最もあの茅場アインクラッドの詳細について詳しい存在だったと思うんだよね、アルゴは。

その彼女のユナイタル・リング編での再登場は、この新章が、アンダーワールドを含めた茅場アインクラッドの革新性に迫る話になるからなんだろうな、と思ってきた。アルゴがいれば、在りし日のアインクラッドのシステムの詳細との齟齬や類似性にも気がつくことになるから。加えて、アンダーワールド生まれのアリスもユナイタル・リングには登場しているから、アンダーワールドとユナイタル・リングとの差異も指摘されるのだろうし。

あ、そうすると、21巻の最後で登場した神邑樒についても、もしかしたらカムラ製のオーグマーの開発過程でフラクトライトとは別手段の「魂の複製」を可能とする技術が存在していたことをおいおい示していくために登場したのかもね。ナーブギアとは異なる設計思想のインターフェイスで茅場システムであるアインクラッドにアクセスすることで、茅場が隠蔽していたシステムの部分にもアクセス可能になる、・・・とか。


・・・ってすっかり脱線してしまったけど、実はこの22巻、単にブルーレイの付録の短編集というだけでなく、細部に目を配ると、ユナイタル・リング編以後の展開を促すためのエピソードとして書かれていた、ということになりそうな気がしている。

もっとも、そう思ったのは、最初の2つの短編(「ザ・デイ・ビフォア」と「ザ・デイ・アフター」)の部分で、残りの「虹の橋」と「Sisters’ Prayer」はそれぞれ、ALOのクエストの補填とユウキ編の前日譚だったので、この限りではないのだけど。

やはり、アインクラッドのシステムに関わるような話でないとユナイタル・リングとの接点は見つからないみたいだけど。。。

とはいえ、「虹の橋」は、カーディナル・システムによるクエストの自動生成の話と関わるから、ゆくゆくはユナイタル・リング内のクエストとも関係してくるといえばしてくるのだろうけどね。

ということで、前半の2編については、というか、そう感じさせたのは「ザ・デイ・アフター」のサチの再登場?が大きいのだけど、茅場アインクラッドの秘密はこれからのSAOユニバースの物語を進めていく上で、常に立ち返るべき対象になるのだな、というのを強く実感させられたのだった。

あとは、素直にユナイタル・リングの続編を待つばかり。

と言ってる間に、来月には、23巻が出るのか。
さてさて、アルゴ姉さんとカムラは、どう絡んでくるのだろう。
ようやく、本格的に新章の起動、ということかな。

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鬼滅の刃 第184話『戦線離脱』感想:炭治郎には鬼の未来が待っているのか?

2019-11-25 14:15:47 | 鬼滅の刃
なるほど、そう来ましたか!
無惨の攻撃による炭治郎の鬼化、もしくは身体崩壊。

ホント、この作者、マンガの王道的展開、
というか、むしろ古典的展開によく通じている。
それに、読者に次の展開を予想させるための材料も、すでにきちんと撒いている。

だって、無惨の血を与えられたら、鬼化が暴走して身体破壊に至るという描写は、だいぶ初期にすでに描かれている。あの手毬の鬼が出てくるあたり。

とはいえ、その一方で、すでに竈門家については、禰豆子が完全鬼化を免れてここまで生存していて、かつ、日光をも克服する進化個体?となっている。

あるいは、玄弥のように、一時的に鬼化して戦う人間も存在している。しかも、これは玄弥に限られたものではない。

ということで、ここで炭治郎が無惨の血に侵される事態が引き起こす未来は、炭治郎の絶命以外にも選択肢をいくつも考えつくことができる。

なにが言いたいかというと、どうせ炭治郎、死なないんだろう?、この先の展開は読めるぜ!というのは、作者からすれば、まさに思うつぼの状態であること。その上で、次どうなるのかな、と選択肢をいくつも浮かべて楽しむのが面白い、ということ。

とにかく、今回の引きの場面が、今後の展開上、「ポイント・オブ・ノーリターン」になることは間違いないだろうから。

想定される展開としては、

●日の呼吸の使い手の末裔である炭治郎が、自力で、無惨の血の支配から逃れる。あるいは、浄化を達成する。ただし、未熟な使い手であるため、何らかの後遺症は残る。

●禰豆子がこの窮地に駆けつけ、彼女の血鬼術(爆血)で無惨の血の侵食を浄化する。この場合、炭治郎が隻眼になるのは必至。

●愈史郎が駆けつけ、珠世から預かっていた「鬼化を免れる薬(血清?)」を投与され、一命を取り留める。

●カナヲが駆けつけ、蟲柱である忍から預かっていた何らかの秘薬による処置を施す。といっても、これは一時しのぎにしかならないかも。

●以上、あれこれを試したものの回復せず、炭治郎は(かつてのジョナサン・ジョースターのように)死去。以後は、禰豆子が(ジョセフ・ジョースターのように)打倒無惨の剣士となる。

●以上、あれこれ試したものの効果はなく、炭治郎の完全鬼化が進む。その上で暴走した鬼の能力で敵味方関係なく襲い、その中で(偶然にも)無惨に致命傷を与える。結果、無惨が(ディオのように)炭治郎の身体を乗っ取り、炭治郎が新たな無惨となる。その炭治郎を無惨から解放すべく禰豆子が完全参戦することになる。

・・・なんて感じかね。

まぁ、一番あり得る展開は、炭治郎が、人間と鬼のハイブリッド、いわば「半人半鬼」の存在となって、禰豆子同様、血鬼術も使える「日の呼吸」の剣士になる、というところかな。
ただし、部分的には鬼滅隊からも追われる身になってしまう可能性もある。

いや、血鬼術って、鳴女もそうだけど、どんどん何でもありの異能力と化してきていて、これ、要は、ジョジョにおけるスタンドみたいなものだよね。

そう考えると、炭治郎のパワーアップ!のためには、単に波紋法のような「(日の)呼吸法」による戦闘力アップだけでなく、血鬼術というなんちゃってスタンドを使えるようになる展開もありえるのかな、と。

もちろん、諸刃の剣的なパワーアップとして。

あと、かねてから炭治郎は、人間から鬼になったものについては、彼らの抱えたそれぞれの事情を考慮して、慈しむことの大事さを、周りにも説いてきていたわけで。

その炭治郎が、身を持って、ハイブリッドの、禰豆子同様、人間と鬼の境界にある存在と化す、というのもありなんじゃないかな、と。

むしろ、この状況では、それこそが王道的展開でもあるように思えてくるので。

その場合、「日の呼吸」はむしろ、炭治郎自身を人間に戻すために身につけるべき秘技として会得しなければならないものになるのではないかと。

で、無惨を対峙した後の炭治郎は、自分と禰豆子を人間に戻すための方策を探しに向かう、という展開かな、とw

そうして、第一部完!、第二部開始!、ってことになって、見事、終わらないコンテントの仲間入りを果たす、って感じかなー、と。

まぁ、第二部は、半ば冗談だけど。

ともあれ、ここに来て炭治郎を巡る不安定要素が増えることは、無惨と対峙する柱たちの心理を考える上で重要な要素だよね。

単純に、柱たちの心のなかで逡巡が生じ、その結果、彼らの取る選択肢もまた、増えることになるから。

ただ、こうやって見てくると、炭治郎が禰豆子の兄であり、同じ竈門一族の一人であることを「うっかり」忘れて、炭治郎に自分の血を受け付ける無惨って、ホント、脇が甘い。その意味で、愛すべき敵キャラだよね。
それもまた、この作品の魅力なんだろうなぁ。
敵方が適度に間抜けであるところ、でも本人はその自覚がないところw

ということで、次回が楽しみ。

いやー、こういうメリハリのある展開ができるところが週刊誌のいいところだよね。

ここのところのワンピが、すっかりもう今までの伏線回収のためもバックストーリーばかりを、まさに義務とばかりに書き続けている結果、恐ろしいくらいテンポの悪い作品になりさがってしまったのとは大違い。

そういう意味でも、炭治郎の鬼化にどんなオチが待っているのか、楽しみである。

そういえば、カナヲだけでなく善逸や伊之助も、炭治郎の危機に駆けつけてくるのかな?一般の鬼滅隊隊士が「肉の壁」として柱の防衛に駆けつけているところをみると、彼らも無惨との戦いの場にやって来ることになると思うのだけど。

・・・って今更ながら気がついたけど、岩柱と風柱の参戦はまだ?いつ?

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Fate/Grand Order - 絶対魔獣戦線バビロニア - 第8話 『魔獣母神』 感想

2019-11-25 00:43:47 | Fate
いやー、ビックリ!ビックリ!
牛若丸、かっこいいねぇ
ものすごい動きで。
しかもCVははやみんだというのだから。
ものすごいテンションが上がったよ。
もちろん、負けたのは残念だし、最後の場面には唖然としたけど。
でも、キャラが立っていてすばらしい。

正直、今までFateということで惰性で見ていたのだけど、なんだか退屈な話だなぁ、と思っていた。
藤丸にしてもマシュにしても、なんか地味な主人公だなぁと。
なにより、Fateの設定、ここまで好き放題に使うかなぁと。

だけど、この牛若丸はいい!
てか、牛若丸だけで話、作ればいいのに。

にしても、ソシャゲ原作ものってストーリーらしいストーリーにならないのだがどうにも。。。

まぁ、そのかわりに、作画にリソースをさいて、とにかく、絵の動きで快感を与えようとしているわけで、それはそれで、おおおお!!!!、と確かに気持ちはいいんだけどね。

なんか、もうそういう、素敵キャラに対する「動きある作画の素晴らしさ」だけをウリにすればいいのに。

そういう意味で、軽やかに戦場を疾走する牛若丸の姿は、はやみんヴォイスとともに、素晴らしかった。

バカみたいな感想だけど、ほんと、それだけw

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ゴブリンスレイヤー 11 (第11巻) 感想

2019-11-24 00:09:25 | Weblog
安定のゴブリン退治物語。
なんというか、時代劇的安定感w
物語の始まりと終わりは決まっていて、あとはその間の展開を、手を変え品を変え埋めていくだけの展開。
その分、頭を空っぽにしても読み進められる(←褒めてるから)。

今回でいえば、舞台が砂漠になり、今までに登場しなかった蟲人が現れたり、獣人があらわれたりして、物語の舞台である四方世界の世界観が広がった。

で、それに伴い、最後には竜まで現れて、妖精弓手も納得できる「冒険」も成立した。

加えて、今回きりかどうかはわからないけれど、女商人も暫定的にゴブスレ・パーティに加わり、いい味を出していた。妖精弓手ではないけれど、女商人、正式にパーティ入りしてもいいと思うけどな。ワンピでチームルフィのクルーが増えていくのと同じようなノリで。機が熟したから、女商人も仲間入り、という展開。

ていうか、それくらいしてたまには新風を入れないと、流石に物語としてはマンネリ化していくと思うんだよね。

まぁ、だからこそ、今回、女商人がワンポイントリリーフ的に、旅の一行に加わった、という形なんだろうけど。

いつまでも同じメンバーだと飽きもくるし。
事実上、女神官が語り部みたいなものだし。
今回のように、彼女の成長の視点から書いているだけじゃ、単調になるしね。

しかし、今、ここまで書いて思ったけど、この「女商人」とか「女神官」とか、役割だけで匿名的に記していくのって、単純に、しんどいね。誰が誰か、だんだんわからなくなってくる。

いつの間にか、かなりサブキャラも増えてきたことだし、ぼちぼち、実名を出してもいいんじゃないかな。

それから、今回、幕間に書かれた話は、正直なところ、退屈だし、なぜ、ここに置かれているのか、全くわからなかった。

以前の勇者チームのように、あくまでも辺境で市井の敵であるゴブリン(だけ)を叩くゴブリンスレイヤーとの対比によって、四方世界のスケールを補う役割があったキャラなら、名前もそのストーリーも、本編と直接交わらなかったとしても、理解するのは容易だったけど、さすがに、今回の幕間の物語は意味不明だった。

このあたりは、もう割り切ってしまったほうがいいんじゃないかな?

いや、ゴブリンスレイヤー一行の物語自体は、嫌いではないし、できればもっと読みたいとは思うけれど、今の「語りの様式」がいろいろな意味で、物語の展開を窮屈にしかしていないように思えてきたから。。。

なので、一旦、シリーズを終えて、各キャラの実名で新シリーズとしてリブートしたほうがいいのでないかと思う。もう十分、各キャラの役割や位置づけはわかったので。

単純に、現状の機能名・役割名で記すのは、登場人物の増加の中で、そもそも読む際の、視認性が著しく落ちてきているように思えるから。

まぁ、今更なのかもしれないけれど。

タイミング的には、ゴブリンスレイヤーが、本格的に、ゴブリン退治以外の「冒険」に乗り出す時、でいいんじゃないかな。

マンネリしているのは間違いないけど、不思議と続きが読みたくなる中毒性がある物語であることも、また確かなので(笑)。

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五等分の花嫁 第111話 『最後の祭りが五月の場合③』 感想

2019-11-20 14:06:53 | 五等分の花嫁
やっぱり来たね、五月回の3回目。
そして、やっぱり来たね、無堂との対決。

とはいえ、まさか、白昼の無堂フルボッコ大会になるとは思わなかったw
なんか、見た目だけなら、無堂がまんまと五月たちにはめられたwという感じもしなくはない。
だって、あっさり、その場には示し合わせたように、風太郎父の勇也、下田さん、それにマルオまで現れてくるのだから。

ともあれ、ハゲの無堂先生、孤立無援。

ところが、そんな不幸な状況でも全く同情を寄せる必要なんてねぇよ、と思わせるくらいクズなのが無堂クオリティw
なにせ、実の娘の五月ら五つ子だけでなく、かつての教え子(であることが今回判明)であった勇也たちにまで、久しぶりにあって、クズ呼ばわりされるわけだから。

てか、勇也がマルオに言ってた「同窓会」って、え、要するに数年ぶりの「お礼参り」ってことだったわけ? それってガチでヤンキーじゃんw、って思ったもの。

ついでに、しれっと勇也が下田さんを連れて登場してきたところも、あれー、あっさり、関係性ばらしてんなー、と思ったけど。

ともあれ、無堂、なんかラノベでよくでてくるクズ顔の顔芸キャラみたいで、さすがにちょっと不憫に感じたけどね。

とはいえ、こいつ五つ子の実父なんだよなー。
こいつのDNA、五つ子はみな、半分、引き継いでるんだし。
なんか、そのことが、今後、呪いにならないのか、ちょっと心配になった。

でも、そんな疑念を、さしあたっては、全部吹き飛ばすくらい、強烈な拒絶が五月から無堂には示されたわけで。それは、裏返すと五月が本気で零奈ママのことを慕っていたということの現れでもある。

そのあたりの五月の母への想い、教師への想いへの決着をつけさせるための噛ませ役としてのみ、無堂は今回、登場した、ってことなんだろうな。

だって、普通、五人も姉妹がいたら、一人くらいは、でもお父さんもたいへんだったのかも・・・、とか言い出す子が出てきても良さそうなものなのだけど。

その意味では、最も家族という形への呪縛の強い二乃が、直前の出来事とはいえ、マルオとの関係を正常化させていたのは、話の進め方が上手いな、と思った。ねぎ先生、どれだけ、着実に布石を打ってくるのか。

外堀を埋めてくるのかw


で、その外堀を埋める、という点では、いやー、五月の外堀、埋まっちゃいましたねー。

この五月回の3話は、五月が風太郎ラブ戦線参戦への完全なる準備回だったね。

だって、

「君だって私の理想なんだよ、それだけ聞いてほしかったの」

なんて、いったいぜんたい、なんてデレだよ、って思うものね。

いやだって、いきなり「理想」だよ。しかも母に準じる位置の。
そして、これをきっかけに口調まで変えてくるのだから。

五月からすれば、自分を解放してくれた人、ナンバーワンなんだよね、風太郎は。

まったく、聞いている読者の方がむず痒くなってくるほどに。

でも、五月は、多分、零奈を演じるに当たって、四葉から、風太郎と四葉の誓いについても聞かされていて、風太郎が、文字通り、懸命に努力した結果、今の彼がある、というのを知っていることも大きいよね。

その意味での「風太郎は私の理想」でもある。

でも、てことは、五月は、零奈の演じているうちに、実は、本来なら四葉がいるべき場所を占めてしまったという感じもする。

多分、その感覚は、風太郎は風太郎で感じているように思っていて、彼は彼で、五月が、今における「かつての零奈」のように見えているように感じる。
少なくとも前回の、五月の説得に駆けつけて彼女に夢を手放す必要はないと言っている部分のやり取りは、そのまま、かつての、零奈=四葉とのやり取りの再演だものね。

ということで、四葉が煮え切らないうちに、五月は、風太郎の中で、四葉ポジションも占めるようになってしまったように思える。

これ、やっぱり、物語の終着点である「花嫁」という点では、大きいよね。
なんたって、五月の場合、すでに勇也を「お父様」と呼んでるし。

今まで溜め込んでいたものを全部ひっくるめて、風太郎のことが大好きになっちゃったんだろうなぁ。

日の出祭の最中に五月に起こった出来事は、全部、寝た子を起こすためのものだったんだな、と思う。

風太郎に、とにかく五つ子をまるっとひっくるめて「好きだ」と言われ、
二乃からは、あんたも候補者の一人だ、と言われ、
幼馴染の竹林の登場には、俄然、対抗心を燃やし(てか、焚き付けられw)、
無堂の一件では、折れそうになった心を風太郎に支えてもらったのだから。

これだけ、イベントがあったら、意識しないほうがおかしいよね。

というか、これだけの物量作戦を描くことで、五月が花嫁になっても、読者に文句は言わなせない、というのが、ねぎ先生のメタメッセージなのだろう。

それに、例の「五つ子キスのノルマ」イベントにしても、結局、五月だけは、やはりなされていないわけで。

今回、これはもしや?というシーンはあったものの、それは、完全に風太郎ならびに読者に対するミスリードでしかなかった。

風太郎にからすれば、(多分)この前の時点で、風太郎が四葉からされたキスを、一花、二乃、三玖からのキス攻勢の結果生じた妄想の産物だと思ってしまっていたことは大きい。しかも相手は四葉ではなく零奈がイメージされていたわけで、そこから、あ、また、おれ、妄想しちゃった?という感じになってしまった。

もちろん、読者も同じ流れ。

しかも、一花からの謎掛けで、鐘キスの相手は誰だったのか?というのが頭に残っていて、それもまた妄想をもたらすきっかけだった。

なにより、鐘キスの相手は、少なくとも見た目は五月だったわけで。

ということで、蓋を開けてみれば、この3日間で、風太郎は風太郎で、このあと、五月を意識しないではいられない状態に置かれてしまった、ということだね。

ここから果たして、今までのケースとは異なり、風太郎のほうが五月を追いかける、という展開が待っているのだろうか?

裏返すと、一花、二乃、三玖からのキス攻勢と、四葉からの静かな告白も、すべて五月との関係を意識に登らせるための前フリ、お膳立てだった、ということになりそうで、怖いw

こういう状況で、いよいよ、日の出祭の終了時間の「あの場面」を迎えることになるのか。。。

五つ子の「①」回で描かれていた、日の出祭の終了を告げている「あの場面」、結局、今回の「無堂、白昼フルボッコ」によって、前に予想してた、実父の再登場に対する家族会議ではなくなってしまったので、当初想定されていたとおり、「で、風太郎は誰を選ぶの?」の答えが出される場所になるのかな。

そうすると、今回の流れからすると、一人だけ四葉が校庭にいることにやはり違和感を覚えることになるのだけど。。。

あと、今更だけど、無堂、今回で退場でいいんだよね?
いや、もう全くこの先、登場しなくていいのだけどw

それと、逆に、竹林、これでオシマイ?
もう少しなにかしてはくれないの?とは思う。

それにしても、これだけ濃密な三日間を経て、それでもなお、風太郎は、誰か一人を本当に選べるの?

どうやら、一日目の、一花をタクシーに乗せる場面で、「誰も選ばない」というその時点での風太郎の答えに対して、一花から左頬に(ということは一花の右手で)ビンタを受けたようだけど。

(いや、ここで一瞬、もしかしてビンタしたのは竹林か?とも思ったのだけど、でも、彼女の登場は2日目なんだよね。となると、そもそも風太郎にビンタをできるほど親しい存在の人がいない。。。。)

それでも「選ばない」のか。

もっとも、あれだけ濃密な三日間だったからこそ、逆に、自信をもって「選ばない」と伝えるようにも思うけど。。。

ともあれ、いよいよ日の出祭編、決着かね?

それとも、シスターズウォー編の最後にあった「エキシビションマッチ」回のように、『最後の祭りが風太郎の場合』回のようなものが挟まれるのだろうか?

いずれにしても、物語の終幕は近づいた気はする。

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バビロン 第7話 『最悪』 感想

2019-11-19 13:44:05 | バビロン
なんかすごいところで終わったね。
なのに、次の第8話が12月30日って、どういうこと?
本当に万策尽きたの?
それとも、原作の購入を誘うジラシ商法?

まぁ、こんなに焦らされたら、原作に手を出しちゃうかも…、なのだが。

でも、これ、野﨑まどが原作なんだよね?
うーん、野﨑まど、って微妙だからなぁ。

以前に『know』を読んだときも思ったけど、野﨑まど作品って、イントロこそ、思いきり現代的、ないしは近未来的な設定で、妙にリアリティ重視の世界を描くのだけど、そう思っているうちに、途中でたいてい2度ほど作風をガラッと転調させるんだよね。

まず、リアルな現代世界に、なにか超常的な不思議な事件が発生して、で、その解決が、文字通り超自然的な方法を疑似科学を纏った形で、もっともらしく図られるタイプの話になりがちだから。

だから、読後感が、なんか狐につままれたみたいな感じで、うーん、求めていた結末はこれじゃないなーって感じが半端ないんだよね。

なんていうか、シリアスからオカルトへの転調が強引、かつ臭すぎる、というか。

だから、この『バビロン』もそんなオチになりそうな気がするんだよなぁ。

まぁ、きっと読んじゃうんだろうけど。

で、あと、今回のエピソードについては、猟奇的殺人の表現にトライした!ってところに注目するバズ?が、制作サイドを含めて流れているけど、でも、そのタブーに挑戦!ってのも、テレビ放送としては、という条件付きのものだよね。

これくらいの猟奇性なら映画では普通に扱われているし、そもそも今回の表現にしても、ずいぶんとオブラートに包まれていたものだったので、これで神回とかいわれてもなぁ、と。

いや、息を呑むシーンはたしかにあったけど。

でも、それにしたった曲世愛の能力?があまりにイレギュラー過ぎてよくわからない。

というか、曲世の能力って、一種の「魅了」で、男性をたぶらかして好きに扱える、というものなんじゃないの? それこそ、九字院がセックスのたとえ、というか、男性の射精の比喩で、その興奮ぶり、ならびに反動としての虚脱感、について語っていたように。そうした人間の本能的部分に直接刺激を与えるなにかを曲世は備えている、ということだよね。

となると、わざわざ正崎の前で、猟奇殺人を実行してみせる必要があるのか?

多分、 野﨑まど的な疑似科学の理屈で行くと、脳科学あたりを引用して、その人間の「情動」を扱う脳の部位を直撃する化学物質とか電気信号とかを発することができる能力を生まれながらにして持つ特異体質の人間が曲世、ということになるのだろうけど。

あとは、その能力が、曲世による教唆の介在をほのめかす自殺や、今回のような曲世による直接的な殺人行為をどう絡んでくるのか。

もともと、正崎善なんて名前の検事という、正義=法の執行官を主人公にしているあたり、その正義の執行を揶揄するのは見えているのだけど。

そういう意味では、今回、曲世が、正崎との対比で「悪」を自称していたのも、なんかちょっと不思議。

本当の悪なら、わざわざ悪を名乗る必要なんてないはずだから。

というわけで、確かに、なんかヤバいことを仕掛けてきたなぁと、という気はする。

にしても、今回のエピソードで、事実上、正崎側のスタッフは皆、曲世に殺害されたことになるので、次回からは、キャストの総入れ替えになるのかな?

野﨑まど的展開だと、このあたりで唐突に自殺法を潰すために他国の勢力が介入する!なんてことがありそうなのだけど。。。

なんか、やっぱり後味が悪いんだよなぁ、野﨑まどって。。。

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