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白鳥のブログ - 日々の世界を徒然と

西尾維新 『化物語』 (+『傷物語』) 読了

2008-07-12 11:32:57 | 西尾維新
・・・って、2006年の刊行だから、思いっきり今更だけど。
刊行当時に購入したけれども、なぜか読み通せずじまい。

今回、前日譚の『傷物語』を読んで、ようやく読了。

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どうやら、最初読み切れなかったのは、第一章、第二章、ぐらいの、主人公達の、たわいもない会話のやりとり、に、当時、乗り切れなかったからのようで。

今回、上下巻で最後まで読み通して、改めて、西尾維新の物語構成力の妙にうなったのではありますが、初読の際には、そこまでたどり着けなかった。確かに、この作品は、西尾自身の言うとおり、「趣味で書いた」ところはあり、その分、つかみのところでちょっと話の向かう先を失っていたみたい。

一方、『傷物語』は、登場人物も最初から限られているし、前日譚という正確から、物語の収束先もある程度は見えていて、その分、入りやすかった。

途中、作中で、この作品はバッドエンドと何度か繰り返されるたび、いや、きっと、西尾だからこれも引っかけだろう、・・・、なんて思いながら読み進められたのもよかった。たぶん、『傷物語』の方が、物語構成がストレート。

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で、上で触れた、「趣味で書いた・・・」の「趣味」の部分だけど、これは、端的に言って、西尾維新が影響を受けた作家さんたちへのオマージュ、ってことかな。わかりやすいところでは、荒木飛呂彦、京極夏彦、あたり。特に、荒木飛呂彦については、『ジョジョ』第四部の、西尾なりの解釈であったようにも感じた。

『化物語』の方でうまい、と感じたのは、最終章のところでの、憑依?の使い方。多重人格性をうまく使うことで、本来なら吐露されない心情が引き出されるあたりは、見せ方としてうまい。また、このあたりの人格転換は、文字だけで構成される小説、という形式もうまく利用している。これがコミックだったら、多重人格とはいえ、人物としての同一性が先に出てしまい、ある種のサプライズとして仕込まれているネタが、読者によってあらかじめ想像されてしまうのではないかと思う。だから、このあたりは、文字を通じて、イメージを読者の中で再想像させる小説ならでは、の叙述だった。広い意味では、叙述トリックといえるかも。いや、単純に、ミスディレクション、の妙か。

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西尾の小説には必ずついて回る「戯言」も、登場人物の間での会話を通じて顕在。ただ、2008年の今から見ると、結構、今の西尾的記述の先駆け的な部分、というか実験的なところもあったのだと感じる。

たとえば、漢字そのものの視覚的構成自体をネタにするところがあるが、これは、いわば漢字の「図象性」を逆手に取った方法で、これは単純に面白い。読者が今読んでいるものは、文字列である、という認識がないとできない。
読んでる側は、没頭しているときは、これが文字列であるなんてことは、考えないで、透明なものとして捉えてしまっているから。

で、あとは、物語の持って行き方が西尾印で、いつも通り面白かった、ということで。

とりあえず。
とりいそぎ。

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