うーん、ものすごい駆け足だったねぇ。
冒頭の、鳥籠使い、バンケット、ロイズの三つ巴の戦闘とか、完全にダイジェストw
おまけに画面が暗くて何をしているか、ほとんどわからない始末。
まぁ、戦闘自体は、本筋である謎解きに花を添える余興のようなものだから(まさに前座!w)、それほど拘る必要もないのだけれど。
でもなぁ、ヴィクターの戦闘はちゃんと描いてほしかったなぁ。
彼が完敗の瀬戸際にあったからこそ、津軽の助っ人がマジで活きたわけで。
そのことに本当に感謝したからこそ、津軽にあれこれバンケットの情報を流してやった、という流れなのが、そういう機微が伝わらない作りになってしまった。
一方、静句vsカミーラの方は、なんていうか女性どうしで睦み合う場面が妙にソフトで比喩的な表現で描かれて、無駄に力が入っていたりして。
ちょっと重点をおくところ、違うんじゃない?って思ったけど、でもまぁ、映像にするとああなっちゃうんだろうね。
で、駆け足で戦闘を終えたあとに肝心の鴉夜さまによる謎解きだけど、これもやっぱり、映像でやるとたるいよね。
別にこの作品に限らず、推理小説ものをアニメにすると常に生じる謎解き場面の退屈さ。
『虚構推理』のときにも思ったけど、謎解きの場面がとにかく、ラジオの朗読ドラマみたいになってしまって、なまじ映像がある分、謎解きのポイントが分かりにくくなってしまう、という。。。
ただ、今回の場合、鴉夜さまの真相究明は、ノラの動機の部分で滑ってしまっていて、そここそが人狼村編の面白いところだったのだけど、あまりよく伝わらなかったよね。
原作3巻の感想でも書いたように、要するに、人狼の完成体を目指すために、人狼村の娘たちは「巫女」という名で、本人の意志とは関係なく村の不特定の男性と性交を強要されるわけで。
要するにレイプ。
そんな集団の利益を重視して、個人の尊厳を平気で踏みにじる人狼村の慣習に腹が立ってノラは一連の殺人を行ったわけで、つまり、種の強化とかいって望まぬセックスをさせる村の因習に対して怒りをぶつけていたのだけど、そのノラの怒りとか恨みとか悔しさとか、そういうものが全く伝わってこなかったよね。
冒頭であんなにカーミラの血による睦み合いを描くくらいなら、ちゃんと村の生娘たちがいきなり成人男性に犯されているところこそ、マイルドに描けばよかっただろうに。
というか、そのような因習になんらおかしさを覚えなくなっている人狼村そのものに対して、ノラは怒りをぶつけていたんだけどね。
そういうノラの逡巡が全く描かれなかったのは残念だった。
まぁ、それが難しいのはわかるんだけどさ。
でもだからこそ、最後は原作通り、そうして人狼村を抜け出したノラがロンドンの街の物珍しさに笑みを浮かべているところを描いてほしかったし、そのロンドンで、彼女がルパンとファントムに出会う場面まで描いてほしかった。
そうすることで、ノラははじめて人狼村の呪いから抜け出すことが出来た・・・ってオチだったはずだから。
ということで、なんていうか、言い古されたことだけど「メディアの違いを理解せよ!」ってことで、もう少しだけ、原作が文章で表現していたことの意図をくんで、必要な表現を補ってほしかった。
でも、繰り返しになるけど、推理小説という形態が、アニメには鬼門だ、ということだよね。
今思い出したけど森博嗣の『すべてがFになる』もアニメはひどかったからね。
そういう意味では『化物語』は巧いことやってたなぁ。
あれは西尾維新の戯言と、全盛期のシャフトだからこそ可能だった、一種の奇跡だったんだな、と思ってしまったw
とまれ、『アンデッドガール・マーダーファルス』については、事実上、原作を使い尽くしてしまったので、続きがあるとしても原作が溜まってからのことだから、完全に予定は未定だねw
その意味でもちょっと中途半端だったかなぁ。
冒頭の、鳥籠使い、バンケット、ロイズの三つ巴の戦闘とか、完全にダイジェストw
おまけに画面が暗くて何をしているか、ほとんどわからない始末。
まぁ、戦闘自体は、本筋である謎解きに花を添える余興のようなものだから(まさに前座!w)、それほど拘る必要もないのだけれど。
でもなぁ、ヴィクターの戦闘はちゃんと描いてほしかったなぁ。
彼が完敗の瀬戸際にあったからこそ、津軽の助っ人がマジで活きたわけで。
そのことに本当に感謝したからこそ、津軽にあれこれバンケットの情報を流してやった、という流れなのが、そういう機微が伝わらない作りになってしまった。
一方、静句vsカミーラの方は、なんていうか女性どうしで睦み合う場面が妙にソフトで比喩的な表現で描かれて、無駄に力が入っていたりして。
ちょっと重点をおくところ、違うんじゃない?って思ったけど、でもまぁ、映像にするとああなっちゃうんだろうね。
で、駆け足で戦闘を終えたあとに肝心の鴉夜さまによる謎解きだけど、これもやっぱり、映像でやるとたるいよね。
別にこの作品に限らず、推理小説ものをアニメにすると常に生じる謎解き場面の退屈さ。
『虚構推理』のときにも思ったけど、謎解きの場面がとにかく、ラジオの朗読ドラマみたいになってしまって、なまじ映像がある分、謎解きのポイントが分かりにくくなってしまう、という。。。
ただ、今回の場合、鴉夜さまの真相究明は、ノラの動機の部分で滑ってしまっていて、そここそが人狼村編の面白いところだったのだけど、あまりよく伝わらなかったよね。
原作3巻の感想でも書いたように、要するに、人狼の完成体を目指すために、人狼村の娘たちは「巫女」という名で、本人の意志とは関係なく村の不特定の男性と性交を強要されるわけで。
要するにレイプ。
そんな集団の利益を重視して、個人の尊厳を平気で踏みにじる人狼村の慣習に腹が立ってノラは一連の殺人を行ったわけで、つまり、種の強化とかいって望まぬセックスをさせる村の因習に対して怒りをぶつけていたのだけど、そのノラの怒りとか恨みとか悔しさとか、そういうものが全く伝わってこなかったよね。
冒頭であんなにカーミラの血による睦み合いを描くくらいなら、ちゃんと村の生娘たちがいきなり成人男性に犯されているところこそ、マイルドに描けばよかっただろうに。
というか、そのような因習になんらおかしさを覚えなくなっている人狼村そのものに対して、ノラは怒りをぶつけていたんだけどね。
そういうノラの逡巡が全く描かれなかったのは残念だった。
まぁ、それが難しいのはわかるんだけどさ。
でもだからこそ、最後は原作通り、そうして人狼村を抜け出したノラがロンドンの街の物珍しさに笑みを浮かべているところを描いてほしかったし、そのロンドンで、彼女がルパンとファントムに出会う場面まで描いてほしかった。
そうすることで、ノラははじめて人狼村の呪いから抜け出すことが出来た・・・ってオチだったはずだから。
ということで、なんていうか、言い古されたことだけど「メディアの違いを理解せよ!」ってことで、もう少しだけ、原作が文章で表現していたことの意図をくんで、必要な表現を補ってほしかった。
でも、繰り返しになるけど、推理小説という形態が、アニメには鬼門だ、ということだよね。
今思い出したけど森博嗣の『すべてがFになる』もアニメはひどかったからね。
そういう意味では『化物語』は巧いことやってたなぁ。
あれは西尾維新の戯言と、全盛期のシャフトだからこそ可能だった、一種の奇跡だったんだな、と思ってしまったw
とまれ、『アンデッドガール・マーダーファルス』については、事実上、原作を使い尽くしてしまったので、続きがあるとしても原作が溜まってからのことだから、完全に予定は未定だねw
その意味でもちょっと中途半端だったかなぁ。