前回で、シデもを倒し、ヒルコの襲来も消去し、ウシオが世界の再構築をしようとして終わったところを受けての最終回。
要するに、ループを抜けた先の「未来」を実感するエピローグだったわけだけど。
うん、よかった!
もちろん、このエピローグの内容もすでに知ってはいたけれど、原作とはまたちがって叙情のあるつくりで仕上がっていたと思う。
なによりも島の人びとの日常が回復されたことが随所で表現されていてよかった。
それに、前回の最後でハイネが願ったとおりに、彼女がちゃんと成人した竜太郎の娘として登場したところもね。
再登場したひづるが、本編の時と同様に、慎平の話をちゃんと「あり得べき」物語として理解し、その出所を並行世界に定めるところとかも。
それをネタにして『サマータイムレンダ』なる小説を書こうとするのは、まぁ、ちょっと、作者、やりすぎじゃない?とは思ったけどw
でも、ひづる、という物語の効果に理解のある人物がいたからこそ、最初の頃は慎平は立ち上がることができたんだよな、って改めて思った。
なので、やっぱり、この作品、人物の配置が物語の展開にきっちりとハマっていて、びっくりなんだよ。
もちろん、メインの話は、慎平と潮の悲恋にあるわけだけど、その背後で、ひづると竜之介、そして波稲の過去の話がちゃんと効いてくる。
前回の感想でも書いたように、アニメでは、このループの物語を起動させて潮/ウシオにループからの脱出役を任せたのが、そのそも波稲だったことを思うと、ホント、このひづる、竜之介、波稲の3人は、物語に不可欠なバイプレイヤーだったんだよね。
潮と慎平が7月24日の惨劇を回避しようと懸命に戦ったの対して、ひづるたち3人は、その大本を叩かなくちゃいけないと思いながら、3人ともがかつて「失敗」してた人物として登場していた。
だから、3人が3人の方法で「贖罪」を試みようといていた。
過去のやり直しを望んだのは、慎平と潮以上に、ひづる、竜之介、波稲の3人だったんだよね。
その、この物語の根底にある「原罪」について、この最終話はより伝わるように描かれていたと思う。
まぁ、そういうところが、アニメの面白いところだよね。
マンガの方は強調したいキャラや場面を切り出して示すから、慎平と潮が前面に出てきて、後は皆、程度の差こそあれバイプレイヤーになってしまうけど、
アニメの場合は、コマのあいだをちゃんと動きで補わなきゃいけないから、それによって各人の行動の意味が言外で示されることになる。
要するに、ちょっとした動作やしぐさで、心情や意図を描くことができるわけで、ひづる、竜之介、波稲については、その点の補強が全25話の中で緻密になされていたんだな、と思う。
そういう意味では、終盤、原作とはちょっと違って、物語の厚みが増していたよね。
まぁ、そう感じるのも、第24話の最後でウシオが、自分がハイネに選ばれた理由に触れることで、物語起動の最初の一撃である、波稲が潮をコピーした意図が明らかにされたからだけどね。
あれはやっぱり大きかったなぁ。
見方がかわったもの。
でも、そういう、終盤で明かされた真実によって、それまでの物語全体の解釈にブレが生じるところが、ループものの面白いところだけどねw
ということで、とにかく面白かった!
アニメという原作の翻案を得たことで、原作の方の読みにも深みが増したので、なんかこうやって書いていると、いくらでも新たな解釈が浮かんできそうなのだけどw
慎平についても、潮についても。
もちろん、澪やひづるについても。
なので、もしかしたら、この後、また全25話についての感想とか書くかも、だけど、とりあえず、今はこのあたりで。
ただ最後にひとつだけ。
やっぱり潮の物語だったんだよね。
オリジナルの潮が殺された時点で、ウシオの行動は、いわば潮の残留思念、亡霊のようなもので。
その潮の怨念が、たまたま得ることができた波稲の「影」のボディを得たことで、現実世界にとどまることができた。
その時限付きの現実世界への残存が、全てだったんだよね。
なので「影」とはよくいったもので、本当に影だったんだよね、潮の。
その潮の未練があったからこそ、慎平は仮初のリーダー役を務めることができた。
怨霊になってもおかしくなかった潮が、聖霊として慎平の守護者になった。
それだけ聞くとなんだかFATEみたいだけど、でもまぁ、そこに意味があった。
そもそも、潮は殺された時点で、慎平と恋に失敗して、いわば「失恋」していたわけだから。
そういう意味では2クール目のEDは、最高だったね。
とまれ、こんな感じで止まらなくなるのでw、とりあえず今はここまでw
要するに、ループを抜けた先の「未来」を実感するエピローグだったわけだけど。
うん、よかった!
もちろん、このエピローグの内容もすでに知ってはいたけれど、原作とはまたちがって叙情のあるつくりで仕上がっていたと思う。
なによりも島の人びとの日常が回復されたことが随所で表現されていてよかった。
それに、前回の最後でハイネが願ったとおりに、彼女がちゃんと成人した竜太郎の娘として登場したところもね。
再登場したひづるが、本編の時と同様に、慎平の話をちゃんと「あり得べき」物語として理解し、その出所を並行世界に定めるところとかも。
それをネタにして『サマータイムレンダ』なる小説を書こうとするのは、まぁ、ちょっと、作者、やりすぎじゃない?とは思ったけどw
でも、ひづる、という物語の効果に理解のある人物がいたからこそ、最初の頃は慎平は立ち上がることができたんだよな、って改めて思った。
なので、やっぱり、この作品、人物の配置が物語の展開にきっちりとハマっていて、びっくりなんだよ。
もちろん、メインの話は、慎平と潮の悲恋にあるわけだけど、その背後で、ひづると竜之介、そして波稲の過去の話がちゃんと効いてくる。
前回の感想でも書いたように、アニメでは、このループの物語を起動させて潮/ウシオにループからの脱出役を任せたのが、そのそも波稲だったことを思うと、ホント、このひづる、竜之介、波稲の3人は、物語に不可欠なバイプレイヤーだったんだよね。
潮と慎平が7月24日の惨劇を回避しようと懸命に戦ったの対して、ひづるたち3人は、その大本を叩かなくちゃいけないと思いながら、3人ともがかつて「失敗」してた人物として登場していた。
だから、3人が3人の方法で「贖罪」を試みようといていた。
過去のやり直しを望んだのは、慎平と潮以上に、ひづる、竜之介、波稲の3人だったんだよね。
その、この物語の根底にある「原罪」について、この最終話はより伝わるように描かれていたと思う。
まぁ、そういうところが、アニメの面白いところだよね。
マンガの方は強調したいキャラや場面を切り出して示すから、慎平と潮が前面に出てきて、後は皆、程度の差こそあれバイプレイヤーになってしまうけど、
アニメの場合は、コマのあいだをちゃんと動きで補わなきゃいけないから、それによって各人の行動の意味が言外で示されることになる。
要するに、ちょっとした動作やしぐさで、心情や意図を描くことができるわけで、ひづる、竜之介、波稲については、その点の補強が全25話の中で緻密になされていたんだな、と思う。
そういう意味では、終盤、原作とはちょっと違って、物語の厚みが増していたよね。
まぁ、そう感じるのも、第24話の最後でウシオが、自分がハイネに選ばれた理由に触れることで、物語起動の最初の一撃である、波稲が潮をコピーした意図が明らかにされたからだけどね。
あれはやっぱり大きかったなぁ。
見方がかわったもの。
でも、そういう、終盤で明かされた真実によって、それまでの物語全体の解釈にブレが生じるところが、ループものの面白いところだけどねw
ということで、とにかく面白かった!
アニメという原作の翻案を得たことで、原作の方の読みにも深みが増したので、なんかこうやって書いていると、いくらでも新たな解釈が浮かんできそうなのだけどw
慎平についても、潮についても。
もちろん、澪やひづるについても。
なので、もしかしたら、この後、また全25話についての感想とか書くかも、だけど、とりあえず、今はこのあたりで。
ただ最後にひとつだけ。
やっぱり潮の物語だったんだよね。
オリジナルの潮が殺された時点で、ウシオの行動は、いわば潮の残留思念、亡霊のようなもので。
その潮の怨念が、たまたま得ることができた波稲の「影」のボディを得たことで、現実世界にとどまることができた。
その時限付きの現実世界への残存が、全てだったんだよね。
なので「影」とはよくいったもので、本当に影だったんだよね、潮の。
その潮の未練があったからこそ、慎平は仮初のリーダー役を務めることができた。
怨霊になってもおかしくなかった潮が、聖霊として慎平の守護者になった。
それだけ聞くとなんだかFATEみたいだけど、でもまぁ、そこに意味があった。
そもそも、潮は殺された時点で、慎平と恋に失敗して、いわば「失恋」していたわけだから。
そういう意味では2クール目のEDは、最高だったね。
とまれ、こんな感じで止まらなくなるのでw、とりあえず今はここまでw