BLACK SWAN

白鳥のブログ - 日々の世界を徒然と

フラクタル 第3話 『グラニッツの村』

2011-01-31 12:00:00 | Weblog
これは、しばらく様子見ですかね。

というか、ネッサかわいい、というトーンだけでは見れないですね。こうなると。


今回の最後のところで突然生じた「惨劇」が今後どう転ぶのか。


突然、ナウシカからエウレカに転じてしまったような感じ。

1クールだからしょうがないのか、としか言えないかな。

展開があまりに唐突だから。

スンダやエウリが銃を放つ描写も唐突なら、
ネッサのそっくりさん、というか、オリジナル?の登場も唐突だし、
いきなり、ナノテク書き換え、とかいわれてもね。
クレインがビンテージ好きってのもね。。。

1クールだからしょうがない、というのは、
情報がてんこ盛りすぎて、お話がとてもチグハグ。


そして、そのチグハグっぷりを補うために

ジブリやボンズの先行作品のこと、思い出して脳内補完してくれ、といわんばかり。


そういう意味では、新しい物語の紡ぎ方なのかもしれないけれど、

この展開は、どうなのだろう。


オタクのためのオタクのアニメ、
でも、フジ仕様で間口広げるためにジブリ+ボンズフレイバー、まぶしました

って感じかな。

想像以上にリテラシーを求める構成。

もっとも、いろいろな意味で、最初に期待があった分、いま落差を感じているのかもしれない。

どうも雰囲気的には、

『東のエデン』の縮小再生産、劣化コピー

になっていくような感じがしてきた。

なにはともあれ、とりあえずは様子見かな。。。


それにしても、ジブリをアレンジしたボンズ的展開、というのは、

テクノロジーを今日的にしたという点で、思いの外、現代風なのかもしれない。


ジブリが自然重視(偏重)をベースにするのに対して、

ボンズはあくまでも技術=人工性=反自然にいくものね。

そして、ジブリのもつ、ユートピア=ディストピアのフレームはそのまま継承している。

つまり、ボンズ的バランス(絵、動き、物語、主題、音楽、・・・)というのは
割と現代アニメのストライクゾーンとしてのコンボなのかもしれない。

むしろ、そういう点から見る手もあるのかも。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

魔法少女まどか☆マギカ 第4話 『奇跡も、魔法も、あるんだよ』

2011-01-29 19:01:04 | まどマギ
さやか、契約しちゃいましたね。

そして、キュゥべえの通り名は「詐欺師」で決定w
これだけ、あからさまだと、ホントはいい奴なんじゃないか、と
思ってしまう自分がいたりして困るw

それはさておき、なんにせよ、さやかのいう

 奇跡を望む意味、と、その代償

は気になる。

というか、既に回想として語られているということは、
確実に悲劇的結末が訪れる、ということで。
それは、織り込み済み。

では、何が起こってしまうのか?

多分、

「願いが向かう先が自分ではない時――に何が起こるか」

ということだよね。つまり、

「利他的な願いは何をもたらすのか。」

ほむらがまどかに示した態度からすると、
彼女の経験からすると、魔法少女は、

 × 「みんなのために」
 ○ 「自分自身の祈りのために」

ということのようだから、そこからすると、

他者に向かう願いは、相手のあることだから、
徐々に契約した願いがブレていく。

たとえば、上条くんであれば、

「僕がいつ手を直してくれ、なんて君に頼んだ?、さやか」

とか

「昔のように弾けなければ、意味はないんだ」 

あるいは、

「僕がこんなにうまく弾けるはずがない」

とか。

(今回の上条くんのテンパリ具合からすると、
 彼は、これくらいエゴ丸出しのことは言いかねないと思う。)

いずれにしても、さやかが思うようには、
上条くんは進んでくれない。

そういう事態になったときに、

さやかの「見た目の願い」=上条くんの手を治す、

の裏にある

「本当の願い」=上条くんとともにありたい、

は確実に成就しない。

しかし、既に契約はなされ、
その対価として、自分の一生を魔女退治に費やさねばならない。

今のところの作中の説明では、
魔女退治がどうなったら終わるのか、
その説明は一切無い。

だから、魔女退治は一生ものなのだろう。

だからこそ、キュゥべえのいうように、

「テリトリー=縄張り=シマ」

が生まれてしまう。そして、新キャラであるキョウコのような魔法少女が現れる。

今後は、キョウコを交えた、さやか、ほむら、の三つ巴の潰し合い。

その一方で、さやかは、上条くんとのやりとりの中で自壊していく可能性もある。

そうやって、しばらく、

 魔法少女とはなにか

という話を進めるのか。

そこから導きだされるのは、

 利他的な願いこそがエゴである、という方向と

 利己的な対立は消耗戦しかうまない、という方向の

双方の衝突。

そして、いずれにしても、

 人への優しさが生み出すすれ違いの負の連鎖、

が災厄の種である。

その点で、まどか、のような子の参入が
状況を最悪にする、ということになるのだろう。

ほむら自身、まどかの優しさによって自分の判断が曇り、
マミのように殺害されてしまう可能性に考えが及んでいる。

マミのように魔女に破れていったものも何人も知っているのだろうし。

さしあたっては、キョウコがどう物語をかき回すのか。

それにしても、さやかにはもはやいい結末が待っているようには全く思えない。

それがまた、まどかの契約のきっかけになるのか。

さて、まどかは一体いつ契約するのだろう?

そして、彼女の願いは何になるのだろうか?

というか、この話題でいつまで引っ張るのだろう。。。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

魔法先生ネギま!315時間目 『宿命の戦いに向けて!』

2011-01-26 14:04:47 | UQH/ネギま!
うーん、やっぱり、タイトルからしてもうやばい。

「~に向けて」なんて、どこの官僚文書ですか!

少なくとも魔法世界編をあと10話ぐらい、
だから、連載だと3ヶ月ぐらいで終わらせようとしているのがミエミエだね。

実際、今回の内容もそう。

もはや、ネギくんは、ただのスーパーサイヤ人だしw

で、その力の源泉が、分断された茶々丸の姿を見ての怒りっていうんだから。

これじゃ、まんま、ピッコロが倒れているのを見て、ナッパを瞬殺した悟空じゃん。

なんだかなぁ。

ネギま!、ってこういう物語じゃなかったと思ってたけど。

というか、このネギの怒りを効果的に引き出すためのシンボルとして、
例の茶々丸寸断、という場面があったかと思うと、さすがにね。
ストーリーテラー赤松健もいよいよ焼きが回ってきたって感じかな。

というか、もしかして、ホントにスランプなのかね。
ここのところの、物語的失速は、結構、目に余るものがある。
あまりにも、流れが平板でテンプレ的だから。



今回の描写からすれば、ネギ君は既に、
アーウェルンクスシリーズを凌駕する力を身につけてしまったようなので、

この後の流れとしては、
フェイトが雷フェイトに苦戦しているところにネギ君が登場して、
むしろ、フェイトを救う立場になるのかもしれない。

で、その瞬殺ぶりを見て、逆に、フェイトも爆発的に力を開放し、
レベルアップするとかねw
(いやー、もう完全にDBZ!)

もっとも、明日菜とのどかが目覚めそうな描写もあったから、
とりあえず、彼女らは撤退して、まず、ネギ君と合流するのかもしれない。




とはいえ、今回のお話で一番重要だと思ったのは、

タイトル入り見開きのページの両脇に、

龍宮隊長 と 刹那

の戦闘シーンがあったこと。

彼女らの戦闘がここまで決着つかずに引っ張られているということは、
むしろ、彼女らの戦闘シーンなり、
それぞれの戦闘相手とのやりとりの中で、
今後の物語全体の行方を占うような情報が開示されていく、ということなのだろう。

そうなると、魔法世界編の終了の次は、

「魔族」とは何か

ってことになるのだろうね。

龍宮隊長も刹那も二人とも魔族と人間のハーフだし

少なくとも、ネギま世界には魔族なる存在が実在することは
既に、今までの描写で出てきているし、

ネギ君の村の襲撃が、ゲーデルの言うとおり、
メガロメセンブリア議会の差し金で魔族によって襲われたのなら、
魔族と人間の間で既に何らかの取り決めなりがなされているわけで、
それが、多分、部分的には魔法世界の創造にも関わっていると思う。

で、おそらくは、ナギやアリカの失踪もそれと関わっている。

でないと、やっぱり、ラカンがわざわざ
「闇のコース」をネギに勧めてないと思うのだよね。

それと、木乃香が「旧世界のお姫さま」と呼ばれているのも気になるし。

木乃香と刹那の契約、あるいは、小太郎と夏美の契約、のシーンを見ると、
東洋、もしくは、日本の契約の仕方も、ネギ君らイギリスの契約の仕方も
システムとしては変わらない。

であれば、龍宮隊長と刹那は魔族/人間ハーフとしても同列になる。

多分、このあたりが「次なる」物語の要になるのだろうな。


って、もちろん、これはネギまが打ち切りにならずに、
とりあえず、魔法世界編以後も継続するということであれば、ということだけど。

今の流れだと、とりあえず、魔法世界編を収束させたところで、
一旦、連載を終わらせる方向もあるように思える。

多分、映画の公開とかに合わせて、新章突入とかしたいから、
そのスケジュールから遡って、魔法世界編を急がせている気がしないでもない。
大人の事情ってやつw

ま、それなら、三ヶ月間ぐらい休んでから、連載再開、ってパターンもあるかな、と。
ONE PIECE方式ね。

というか、正直なところ、赤松健は少し休んだほうがいいんじゃないかな。
今の物語構成が彼のものだとしたら、上で書いたように、
ホント、ちょっと心配だから。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

STAR DRIVER 輝きのタクト 第16話 『タクトのシルシ』 ~まどか☆マギカと好対照なのが・・・

2011-01-25 23:02:55 | Weblog
「やりたいことと

 やるべきことが

 一致する時、

 世界の声が聞こえる」


うむ。いいね。これは。


だから、タクトのシルシは、バッテン、なんだ。

やりたいことの直線と、やるべきことの直線とが交叉して、バッテン。


要するに

私的欲望と公的義務が交叉するところで、
世界=宇宙を見出すことができる


で、ヘッドが言うリビドーというのは、

結局、やりたいこと=私欲 のことでしかないから

タクトから見たら、シルシのバッテンのうちの片方でしかない。

だから、タクトの敵ではない。

そして、だから、タクトは二刀流。

うーん、うまいね。よく考えられていて。
こういうのは好きだな~。

でも、この私欲と使命の交差、というのは、
まさに、まどか☆マギカが私欲だけの追求で
滅茶苦茶な世界になろうとしているのと好対照なのが面白い。

男の子が、女の子的素敵さの追求に走り、
女の子が、男の子的な試練に直面する。

なんか、ジェンダー的に逆な方向に行っているのも興味深い。

『フラクタル』の世界みたいに、
社会って、ホント、病んできてるのかなぁ。。。

いろいろ考えさせられるよ。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フラクタル 第2話 『ネッサ』 ~ フラクタル世界は『ネギま!』の魔法世界の隠喩なのだろうか

2011-01-24 14:36:32 | Weblog
いやー、これは、もう、ネッサ、で見るしかないのだろうなぁ。

花澤香菜パワーが炸裂ですよw

今まで彼女が演じてきた声色とは異なる質のもので、
でも、どこか、彼女が演じてきた声の集大成でもあるようで。

今回は、結局、そこに一番引きつけられてしまったのでした。


で、物語自体は、正直、過去作品へのオマージュが多すぎるし、
設定はいろいろと情報社会批判っぽいし、
絵的は、某作品の影響が多いように思える。

あからさまなくらいのカップリングとそれによる情報量の多さから、
物語に素直に没入させてくれない、というのが正直なところ。

構成、物語、絵、設定、の全てが自己主張していて、
つまりは、ハレーションを起こしていて、目がチカチカする、という感じ。

もう少し、お話が進めば、それらもしっくり来るのかもしれないが、
全体的にカップリングから批評性が強すぎるのが、
吉と出るか、凶と出るかは、
正直、もう少し立たないとわからない。

ただ、ノイタミナ枠のオリジナルって、こういう傾向は強いよね。
『東のエデン』が典型的だったけど。

よくも悪くもフジテレビ的な、いろいろな要素のごったまぜ。
で、それらがうまくバランスしないまま、
単に、異なる視聴者という客を呼び寄せるための誘引剤として使われる。

ウェブを見てると、
『放浪息子』の方がなんとなく評判がよいように思えるけれど、
そうすると、むしろ、原作があった方が、
そういうフジ的なものから解放されていいのかもしれない。

『東のエデン』って一昔前の、トレンディドラマみたいな展開だったものね。
『ギフト』とか。

で、物語的は、ニート問題のような本来背景にあった社会問題が、
最終的には、割と前面に出てくるようになって、物語としては非常につまらくなった。

『フラクタル』についても、正直、そういう匂いを感じる。



とまれ、第二回を見て思ったのは、

ネッサ、最高!

ってことだったのだがw

もちろん、花澤さんの新しい魅力、というのはあるのだけど、

それに加えて、ドッペルが闊歩する世界がネッサを通じて描かれたのがよかったかな。

(今、変換ミスで、「熱砂」となったのだけど、
 意外と、「熱砂」が元ネタなのかもしれないと思ったのだった。)

要するに、人間と見まごう形のドッペルがネッサ。

で、このネッサを見て、今までどうも今ひとつしっくりこなかった

『魔法先生ネギま!』の魔法世界の住人のあり方が

わかったような気がしてきた。

情報が先にあって、それが何らかの形で実体を持つ、そういうものとして。

いや、まだ、完全にわかった、というものではないのだけど、

基本的な設定として

『フラクタル』のフラクタル世界



『魔法先生ネギま!』の魔法世界

とは、同種の世界なんじゃないのかな、という見立てをまずしたいと思っている。

互いに互いを参照することで、
いろいろと見えてくることがあるような気がしている。


うーん、だから、やはり、『フラクタル』は物語としてよりは風刺=批評に見えるってことなのかな。

とりあえず、勢いに任せて始まってしまった、クレインとネッサの冒険の向かう先に注目したい。

しかし、ホント、テレビ局って、ジブリ好き、なんだなー。

いい加減、宮崎駿って、敬して拝してもいいと思うのだけどw

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

魔法少女まどか☆マギカ 第3話 『もう何も恐くない』

2011-01-22 15:11:12 | まどマギ
いやー、そうきましたか。

第三話にして、まさかの、マミの退場!

改めて、この物語が1クールもの、ってことを実感した。

それにしても、持ち上げては落とす。
巧妙にミスリードしながら、さらにその裏を書く。
イヌカレーの絵もさることながら、
この物語展開の密度には、舌を巻かずにはいられない。
いやー、参った、参った。



明言はされなかったけど、
結局、マミの魔法少女契約時の願いとは、

「生きたい」

ということだったわけか。

マミの直接の説明の通り、
それはもはや選択のしようがなかったわけで。

選択肢がなく、魔法少女になるしかなかったわけで、
おそらくは、作中描写された事故で、両親や家族も失った。
だから、生き残ったものの、生活は一人、
しかも、キュウべぇとの契約があるから、
魔女狩り(!)もしないわけにはいかない。
つまりは、とんでもないローン返済を背負わされていたわけで。

それにしても,今際の際で、魔法少女にスカウトするって、
キュウべぇ、おまえ、どれだけ悪魔なんだョ。

今回、確認されたことは、
まどかのソウルジェルの大きさが計り知れないこと。

そこから、どうやら、まどかの魔法少女としてのポテンシャルは果てしなく、
その彼女の可能性にマミもキュウべぇも、そして、ほむらも気になっている。

マミが選択肢がなく魔法少女になるしかなかったことを考えると、
基本的には、マミはキュウべぇの、言いなり、になるしかない。

だから、そのまどかのもつ強大な力を手にいれれば、おおかた、

マミ、君の苦労も随分減らすことができる、
だから、僕に協力して、まどかを魔法少女にするのを手伝って。
君にも悪い話じゃないでしょ、

とか言いながら、キュウべぇはマミを操ったのだろうなー。

さすがは、二言目には「契約、契約」というだけのことはある。
見た目のファンシーな小動物の姿に似合わず、
キュウべぇの計算高さ、腹黒さは、相当のものだ。

であれば、一体、キュウべぇは、まどかを魔法少女にして、
何をさせたいのか、次の疑問はそこだよね。

しかし、こうなると、さやかも魔法少女に、というのは
やはり、まどかを勧誘する上での呼び水くらいの意味でしかないのだろうな。
あくまでも、まどかを篭絡するための手段として。

ところが、蓋を開けてみると、実は、さやかが存外、真面目に「願い」について
考え始めてしまって、思いの外、契約に至らない。



・・・ってここまで考えると、イヤーなことも思いついてきて、

それは、今回のマミの退場、というのもフェイクなんじゃないか、ということね。

というのも、キュウべぇの悪魔の囁きぶりからすれば、
マミが退場するのも計算の上のことで、
その惨状を、まどかとさやかに目の当たりにさせることで、
あまり考える暇を与えずに、なし崩し的に魔法少女に契約させようとしていた、という気もする。

今回の、まどかの「憧れのマミさん」発言からすれば、
まどかが、魔法少女になる契約時の願いが、

「マミさんを生き返らせて」

になる可能性は相当高いから。

でも、マミの契約時の願いが、もしも、

「生きたい」
ないし
「死にたくない」

であったとすれば、今回の退場も実は見た目のことでしかない可能性がある。

つまり、マミは実質的に「不死」の存在となっていて、
いや、むしろ、死ねない体、になっていて、
その不死の体ゆえ、いつまでも魔女と戦い続けなければならない。
要するに、シジフォスの神話、のシジフォスのように、
半永久的に魔女と戦わなければならない。

(だから、まどかが「マミを生き返らせて」という願いは、
マミが不死であったら、自動的にかなってしまうわけで、
その場合は、キュウベェからすると、ラッキーなのかな。
というか、まどかからすれば、
キャッチセールスに引っかかったようなものだよね。)

こうなると、もはや「願い」ではなく「呪い」だよね。
「願い」とか「呪い」とかいうのは、
それに関わる側の主観的な取り方でしかなくて。
単に、自分の行うことの道筋を、自分でない第三者が調整して水路づけてくれるだけのこと。
だから、「願い」も「呪い」も大差ない。
であれば、魔法少女と魔女も、同様に、大差ないものになる。

もしかしたら、彼女は、もう既に何年も今の姿のまま、戦ってきたのかもしれない。
だからこそ、まどかの「マミさんは、もう一人じゃないです」という発言に、
自分の悩みのど真ん中を打たれてしまったのかもしれない。

いずれにしても、死なない=不死が契約内容であるならば、
いずれ、マミは物語に復帰する可能性はある。
そうであれば、第三話での退場も納得が行く。

とはいえ、もし、本当にそうだとしたら、
最終コーナーでのまどかとさやかの絶望なり憤慨は計り知れない。

ポイントは、マミが、今際の際で魔法少女となる契約をした、
という情報は、鑑賞者である私たちしか知らず、
作中人物のまどかやさやかは知らない、ということ。

これが、どこまでミスリードを誘うものなのか。

というか、既にまんまとその流れに乗らされているわけだけどw



ただ、ほむらは、この展開をある程度読んでいた気もするので、少しややこしい。

今回、わざわざ、マミとほむらが、夜の公園?で話す場面もあったけど、
あそこで、キュウべぇの思惑を、マミがほむらにそれとなく伝えた、という気もしないではない。
であれば、マミが退場後のほむらの登場も、マミからすれば計算していたともいえなくはない。
マミなりのキュウべぇへの抵抗、ということで。

ま、さすがに、これはうがりすぎの見方だと思うけど。

まだ、ちょっと書いてみたいことはあるのだけど、それはまたあとで。

とりあえずは終了。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

魔法少女まどか☆マギカ 第2話 補足 ほむら=愛猫説など

2011-01-18 19:51:19 | まどマギ
ウェブを見てると、やはり、この『まどか☆マギカ』については注目度がぜんぜん違うことがわかる。

それらを眺めていて感じたことをいくつか。


「ほむら」はOPで登場するまどかの飼猫である説

これはいろいろなところで見かけるけど、なるほどなぁ、と思う。

OPはとてもよく作られていて、
えーと、よく作られている、というのは絵も音楽も。
カットも、歌の歌詞も。。。と全部いい、ってことなんだけど。

たとえば、一瞬だけど、さやかが言ってる上条くんらしき人が、
バイオリンかヴィオラをもってさやかと二人でいるシーンとかあって、
ちゃんと物語の向かう方向を示唆してくれている。

そう思ってよくみると、まどかが抱えている黒猫が、
そういえば、まだ出てきていない。
しかも、そのシーンは、まどかは、実は、泣いてるんだよね。
(そう思うとOP冒頭の水玉もまどかの涙のように見えてくる)

で、その黒猫が実はまどかの愛猫で、
この猫がまどかを救うために「ほむら」に転生した、という方向。

その際には、最近よくあるフラッシュバックものとして、
ほむら=愛猫が、時間軸を、まどかがキュウべえによって魔法少女にスカウトされる前に
もどすことが「魔法少女になって叶えてもらった願い」であるということ。

これは、とってもなるほどね、と思う。

しかし、一つに気になるところがあって、それは、

魔女といえば黒猫、

というやつね。

それに従えば、黒猫のほむらは魔女になってから魔法少女になった、みたいなことも起こる。

そのことが何を意味するかは実はよくわからないままに言ってるのだけどw

で、黒猫=魔女サイド、ということであれば、
いうまでもなく、キュウべえが「白い」小動物であることが気になる。

だいたい、「何でも願いを一つ叶えてあげる」というのは、
それこそ、ギアスのCCではないが、普通、魔女ないし悪魔の側の「契約」だよね。
要するに、ルルーシュがギアスを契約によって得たのと似たようなもの。

だから、黒猫と白いキュウべえ、の対比からすると、

そんなに単純に、魔女が悪い存在だなんていえない、ってことになりそう。



あと、ほむら=愛猫説に加えてあるのが、

今私たちが見ているまどかの物語は、全てまどかの願望が投影された幸せの世界だ、というもので、
それは、ほむら=愛猫が魔法少女になる際に叶えてもらった願いだ、というもの。

この説には、ゾクゾクさせられる。

というのも、毎回、一応、まどかが目覚めるところから始まるじゃない。

あ、これ、夢オチか・・・ってな感じで。

あれは、今、そもそも起こっている話が夢であることを示唆している。

であれば、まどかの家がばかみたいにデカかったり、
まどかの学校が、妙にガラス張りでピカピカだったりするのも納得ができる。

なぜなら、それは少女であるまどかが想像する家や学校のイメージだから。

何か、大きな家に住みたい!、とか、
何か、ピカピカの学校で学びたい!、とかね。

スケールやテイストが子どもっぽい、ないしは、少女っぽいところが。

いや、これも、この世界がまどかの願望で、
だから、実の世界は、第一話冒頭にあった、陰惨な世界だ、

というように捉えるからこそ、そう見えてくるわけだけど。

でも、そういう感じがとてもしてくる。

DARKER THAN BLACKの蘇芳の方の話で、

蘇芳の記憶は実は紫苑が埋め込んだもので、
だから、実は、蘇芳の思い出は紫苑の願望の投影物だった、

というように解釈できてしまったときに近い感じ。

いずれにしても、目の前で実際に流れている物語は、実はやり直し後の世界、ってことになる。

そして、その超絶ハッピーな世界を、
まどかは、魔法少女になることで、自分から破壊していってしまう。

しかも、その魔法少女になる際の願いは、
きっと、とても個人的な願望の投影でしかなく、
その私的な願望=欲望、を
破滅した世界を何とかする願い、に変えたいと思っても、
それは後の祭り。

きっとキュウべえは、それはできない、と平然というのだろうな。

ということで、キュウべぇ、どれだけ、キャッチセールス商法なんだよw ってことで。

ただ、何にせよ、魔法少女になる決断が、
一つの願いの成就、というインセンティブによって、
天秤にかけられてしまうところが、どうにも今日的、といえば今日的。

自己責任、ってやつ。

そして、願いの成就を先払いさせられることで、
魔法少女の役割は、否が応にも果たさざるをえない。
つまり、ローンをくんで家を立てて、借金返すために働くのと、構造的には変わらない。
これは、キビシイ。

しかし、そうなると、物語の構造は、そのまま、ファウスト。

キュウべえは、メフィストフェレス。

そうすると、ファウストがまどか、ってこと???


・・・と、とにかく『まどか☆マギカ』は悲劇コースが約束されてしまっているようなのでw

これが、どこまで悲劇のママで終わるかも気になる。

って、これ、1クールなんだっけ? 

成功したら、続編へ、って展開かな。

いやー、とにかく、次回が楽しみでならないw



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フラクタル 第1話 『出会い』

2011-01-17 19:23:56 | Weblog
初見の時、全然気がつかなかったけど、

ネッサって、ドッペルだったんだ。

なるほど。

ネッサの、作中内人間と遜色ないリアリティを際だたせるために、
冒頭のドッペルたちが、どうしようもなくショボいものだったわけか。
ギャップを示すためだったわけか。

ということは、これは、いわゆる非実在少女、の批評的存在なわけですね。

なんか、見方が全然変わってきた気がする。

全体としての、ジブリやボンズのパクリのような印象にすっかり埋もれてしまって
一番大事な批評性に気がつかなかったとは。。。



それにしても、公式サイトのキャラデザインと
実際の絵って、ギャップ、ありすぎだよね。
どうしちゃったんだろう。。。

ネッサなんか、髪の色、違うじゃない。
って、ドッペルだから、次回、青くするのかな。

どうも、全体的にちぐはぐした印象があるな。
背後にある設定は滅茶苦茶、ハードな気がするけど。

さて、どうなることやら。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

STAR DRIVER 輝きのタクト 第15話 『封印の巫女』

2011-01-17 00:58:58 | Weblog
なんか急にシリアスモード?
というか、突然ギアチェンジ、アクセル全開! の予感。

不思議ちゃんミズノがそのまま不思議ワールド突入、のような感じ。

ゼロ時間の設定に、慣れてダレてきたところで、エンドレスエイトよろしく、時間を遡ってやり直しに至らせる設定はなにげにシビア。しかも、それを試みるミズノはそのやり直しの記憶を保持したまま、何度もやり直しの場面に立ちあわせられるとは。

もともとゼロ時間設定自体が、この物語の設定を舞台じみたものにしていたわけだけど、このやり直し設定で、その舞台性=ゲーム性が増した、ということだね。

それとともに、ゲーム的世界なんだから、以後もなんでもあり、だよ、という宣言のようにもみえるので、今後は、その「何でもあり」感を、どれだけ、作り手に都合よく、後出しジャンケン的には使わないか、というところに関心はいくかな(都合良く使うと、Angel Beatsの二の舞になる)。

そのゲーム性が明らかになってきたところで、おおかたの予想通り、どうやらマリノは非実在少女wということで。世界の設定がこれだけゲーム的なら、そのうちの一人や二人、誰かの意思で生み出されていてもおかしくはないってところか。

ただ、このマリノの話は丁寧にあつかってくれることを希望。
でないと、書割の、ゲーム的人工世界だから、マリノは出たり消えたりできる、ということになってしまう。それは、ちょっとね。

同じことはヘッドについても当てはまって。

バニッシング・エイジ=Vanishing Ageだから、てっきり「消え行く時代」という意味だと思ったけど、あのRのイニシャルからすると、タクトの父説もあるわけで、そうすると、「消え行く年齢→年齢なんて関係ない」ということになる。

で、突然、ヘッドvsタクト、で、時空を越えた親子対決、みたいなオチになるのか。

確かに、タクトは、爺ちゃんに言われて、この島に来たようだったから、爺さんがその息子(=タクトの父)のやろうとしていることに気づいて、その阻止のためにタクトを島にやった、ということはありえる。

彼らも「シルシを持つもの」の家系の一つとしてあった、ということで。

ただ、タクトが島の外からやってきたこと、タウバーンの存在は、綺羅星十字団からしても想定外であったことを考えると、タクトのシルシは、この島をゲーム版と捉えれば、一種のゲームマスターのポジションになる。であれば、タウバーンが毎回ゼロ時間の空間を破りながら参上するのも理解できる。いわば、ジョーカー的存在。

(このあたりは、そのままネギ君の設定にも近いような。
ホント、ゲーム盤的物語設定って増えたな。)

タクトの設定は全然明らかにされていなかったから、ヘッドの口からそのことが説明されるというのも理解できる。

で、そのヘッドはスガタのスカウトに奔走する。
多分、綺羅星の構想を話して、で、みんなでこの島から出ようぜ、みたいな感じで。
スガタからすると、タクトとは異なる方法で、ワコを島の外に出してやるために。

巫女がこの島に閉じこまれている存在で、かつ、ワコ自身はその脱出がいかに無理であるかということは、今回のミズノへの接し方からわかるように、既に知っていること。

今回のミズノの恐怖は、そのままワコがかつて経験した恐怖だったはず。

島の外に出ようとすれば強制的にやり直しモードが発動し、しかし、彼女だけにはそのやり直しの記憶が残ることで、周りにどれだけ人がいようとも、この世界には自分一人しかいないという精神的責め苦が与えられる。それは余りにも苦しい体験だから、その体験を回避するために、自ら逃げ出すことを諦めることを選択する。

これはシンドイ。

最初にあったサカナちゃんが鳥かごに入っている描写はそういうことだったわけで。

しかし、サカナちゃんが外に出たことを考えると、確かに封印が解かれると外部に出ることができる、ということで。

それが次回、ミズノの封印が解かれる背景でもある。というか、ミズノ自身によって封印を解いてくれ、と懇願しての結果になるのかもしれない。

うーん。

何にせよ、物語自体が、大きく旋回していることは間違いなくて。

1クールのEDにあった、サカナちゃんとミズノがバスの広告にでているところが結構気に入っていて、あれが残りの二人の巫女についてもあるのかな、と思っていた頃が懐かしい。

何にせよ、「起承転結」の「転」の章として、いい意味で、今までのぬるま湯のような世界をひっくり返して欲しい。

そして、そのぬるま湯の中で淡々と描かれてきた綺羅星のメンバーのサイドストーリーたちが一気に絡み合い、それまでと違うレベルに変質することを期待したい。

あとは、ミズノに災厄だけが訪れることはなきよう。

もしかしたら、そのミズノに手を差し伸ばす存在として、サカナちゃんが再度現れる、という構成なのかもしれない。

それから、マリノにも幸あらんことを。
このままフェードアウトはさすがに悲しすぎるから。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

GOSICK -ゴシック- 第2話 『死者の魂が難破船をおしあげる』

2011-01-15 10:24:30 | Weblog
といっても、第2話、冒頭しかまだ見てないのだけどw

とはいえ、書けるときに書いておこうと思ったので。

いや、このGOSICKは、想像していたよりもよい感じで安心。

桜庭一樹の原作は読んだことはあるけど、随分前のことなので、ほとんど忘れている。
そのためか、結構、新鮮な感じで見れる。

ただ、原作を読んだ時も、これ、なんかマンガ的だな、と思っていたのだが、
むしろ、その感じが、映像になるとフィットしているようで面白い。

要するに、原作自体が時代がかった設定だから、なんだけど。

時代的には、昭和になるかならないかぐらいの頃のこと。
それゆえ、久城の帝国軍人の息子、という設定が、
文字で読むと、結構重くて、なんだかなー、と思っていたのだけど、
映像にすると、わりとしっくり来る。

きっと、映像って、表現のデフォルトが全体的に保守的だからなんだろうね。

男の子、女の子、の役割が書割的に決まっていて、
その二人が動き出す、というのが基本線としてある。

ヨーロッパの小国の古城の囚われの姫、なんて、
そのまま「ゴシック」な設定だしw

というか、ルパンのカリ城の感じだよね。
どこか、懐かしい感じさえさせる。

なので、このGOSICKは、そういう雰囲気全体がウェルメイドな気がする。

とりわけ、背景が優しいあたたかい感じのするのもいい。

というか、背景のやさしさが、ヴィクトリカにコケティッシュなところも与えて、良い感じ。

例の、まどかマギカのイヌカレー背景もそうだけど、
映像作品としての全体のクオリティを上げる、という意味では、
背景の描き込みやそのトーンの重要性は、ここのところ、増している気がする。

もちろん、動きが映像の命なのだけど、
それとは別に、ブルーレイみたいなものがでてくると、
絵のクオリティそのものも重要になってきている。

GOSICKはその点で、お話的にはそれほど激しいものではないけど、
全体として不思議なトーンを出している。

多分、今期のトップは、ぶっちぎりで、まどかマギカだと思うけれど、
それに対して、
GOSICKは、始まった時から、良質の佳作、の場所を占めた感じ。


確か、原作って、桜庭一樹が、ラノベからちゃんとした文学の方に向かってしまったために、
物語進行としては、中断されていたと思っているのだけど、
今回の映像化で、何か動きはあるのかな?

ちょうど、西尾維新が、化物語の映像化で、息を吹き返したように。

何にせよ、約束された佳作として、GOSICKは楽しみにしたい。




(以下、全く関係けどw)

そういう意味では、ここのところの『禁書目録II』のやる気の無さにはほとほと呆れている。
素直に『超電磁砲II』をやったほうがよかったんじゃないかな。

シリーズ構成もひどければ、個々のエピソードの間延びした展開にも呆れるし、
それで、作画までグタグダになっていたら、もう目も当てられない。。。。

・・・って話は、さすがに脱線がすぎるので、また別エントリーにしよう。


いや、言いたいことは、

絵も、物語も、シリーズ構成も、背景描き込み、も全部あっての作品ということで。

今期は、その巧拙の差が作品ごとにかなり露骨に出ている気がする。

特に、ラノベ原作ものが多いだけに、映像化の意気込みや良し悪し、という点でも比較可能だし。

とはいえ、とりあえず、そうした話も、別の機会に。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする