BLACK SWAN

白鳥のブログ - 日々の世界を徒然と

神のみぞ知るセカイ 最終回 FLAG 268 感想

2014-04-23 15:59:54 | 神のみ
過去編が決着か、と思ったそばからあっという間の最終回。
正直、直近の4回分くらいは、いささか駆け足にすぎないか?とは思うものの、今回のラストには素直に満足できた。

そもそも、この過去編自体、だいぶ前から、女神編の長いエピローグみたいなものだと思っていたので、最後の最後で、女神編で不幸にも狂言回しの役割をあてがわれてしまった「ちひろ」に焦点があたったのは至極真っ当な幕引きだと思う。

というか、この「ちひろエンディング」がなかったら、過去編なんかやる意味なかったわけで。なぜなら、過去編は、女神編の事件が生じる「起源」をつくりに行く物語なわけだから。いわば、その事件の予期せぬ精神的被害者となった「ちひろ」に対する贖罪の物語だったわけだから。

もちろん、最後の最後で、ユピテルの姉妹から誰か一人を選ぶことなんて、どう考えてもできなかったわけだから、今回作中で桂馬自身が述べている通り、彼女たち以外の誰かを選ぶことでユピテルの姉妹(とその宿主)たちを「解放」させてあげる意味はあったのだと思う。

まぁ、この作品のズルいところは、そういう作者のメタな意図を、作中人物である桂馬の台詞を通してベタに語ってしまうところだけどw それにしたって、ここまでの流れがあるから、そんなには気にならない。

もっとも、最後の天理の扱いは賛否両論あるのだろうな、とは思う。過去編であれだけ桂馬に引き回され、その後、10年?にわたって、この桂馬とのミッションを行うことをずっと抱え込んできたわけだから、天理に対しても何らかの「報酬」はあるべきだとは感じるよね。なにしろ、桂馬は、天理の桂馬に対する気持ちを知っていながら、というか、知っているからこそ、彼女に対して、時間を超えたメッセンジャーの役割を託したわけだから。だから、この点では、確実に、桂馬は「ひとでなし」だよね。

ただ、そのひとでなしっぷりも、今回の事件の大きさを考えればやむなき、ということになるし、天理自身の経験からすれば、過去編において桂馬のバディを務めることができたのだから、それでよかった、ってことになるのだろうな。もっとも、その言い訳は主には読者に対するものだろうけどw

それに、多分、天理のケアは、どくろうが行っているのだろうし。

多分、桂馬と別れた後のどくろう=二階堂先生は、天理と合流しているのだろう。

そう思うと、もしも次にスピンオフがあるとしたら、この天理/どくろうペアなんだろうな、と思う。

というのも、これは、前の女神編の最後もそうだったけど、今回の過去編は、結局のところ、桂馬の物語についての決着でしかなくて、新地獄の方の話はすっ飛ばされていたわけで。

(新地獄の騒動は、あくまでも、この神のみの話の「背景」に過ぎない。その点を、無駄に書き込むことなくさらっとやり過ごしたのは、作者の選択としては正解だったと思う。)

いや、最終回にハクアが出てこないのはあまりに可哀想だしw、
リューネさんがこのままフェイドアウトするとは思えないし。
あと、過去編の、いやーな女の子(名前忘れたw)もそのまま放置だし。

そもそも、どくろうとリューネは最後の最後で因縁ができてしまったわけで。

なので、この後、新地獄編のような方向のスピンオフがあるんじゃないかな。

もっとも、その方向が面白いかどうかは微妙だけどw

神のみ、の面白かったところは「ゲーム攻略」というフレームを徹頭徹尾物語の枠組みとして採用したところにあったわけで。だからこそ、最後の、過去編のような、どう考えても無茶だろ?それ?、という「過去における自作自演のゲーム設定の仕込み」も可能になったわけで。というか、いきなりそんな話の展開になっても無理があるようにはみえなかった。むしろ、当然な、自然な流れのように取ることができた。

なんていうか、設定だけなら、まんま「ターミネーター」なんだけどねw

まぁ、そういう「ゲーム的設定」が前提だからこそ、そうした設定を無視して物語をひっ繰り回す役としての、イレギュラーというか、ノイズとしてのちひろが生きてしまったわけで。桂馬のシナリオを無視して勝手に動き出してしまったわけでw

となると、ある意味で、最後でちひろが選択されるところは、論理的に正しい解なんだよね。

それに、だからこそ、その「正しい解」で一旦物語を締めてから、しかし、その後の桂馬を巡って、普通にちひろと歩美が競り合う、ってことをするのかもしれない。

そういう意味で、この物語は、桂馬だけでなく登場人物たち全員が「攻略ゲーム」を卒業する物語なわけだから。

とはいえ、そこから先の話は、もはやラブコメですらない、本当のリアルワールドの恋愛物語になるわけで、それをこの神のみの作者が自ら書くかというと・・・、多分ないだろう。

そういう意味でも、今回の終わりは良かったんじゃないかな。

最終兵器エルシーのリアル妹化とか、二階堂先生の正体が「どくろう」であったとか、正直、えー?、マジで?、という、少しばかり取ってつけたようなバレもなかったわけではなかったけど、でも、それらのいささか唐突なバレも、まぁ、そう言われれば納得できなくはない、と思えるくらいの描写は今までもされてきていたので、むしろ、作者、うまく畳んだなー、と思ったくらい。

ともあれ、前にここでも書いたとおり、女神編の最後を、ちひろのアンチヒロインで締めたところは、物語的にうまいな~、と思っていたので、そこで桂馬が受けた傷を、この過去編を通じて癒やさせてあげたのはホントに上手いな、と思ったのでした。

うん、いいお話だった。

女神編は既にアニメ化されているので、次にアニメ化するならこの過去編なのだろうけど、正直、アニメにするには鬱な展開が多いから、映像化はあってもなくてもいい、って感じかな。

そういう意味では、神のみ、自体は、女神編で物語としては既に完結していたってことで。過去編は、むしろ、その背後にあった「仕掛け」を実際に経験していくための、長いエピローグだった、という理解でいいのだと思う。

それにしても、ちひろがここまで物語のキーパースンになるとは思ってなかった。ホント、ステルスのような存在w

でもまぁさぁ、女神編の最後で、彼女にも、ユピテルの女神たちのもつ、天使の羽が見えたわけだから、落ち着くべきところに落ち着いた終幕だった、ってことで。

いやー、満足。
面白かった。



しかし、これでサンデーも読むものがなくなってしまったな・・・



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『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [新編]叛逆の物語』 感想

2014-04-09 09:11:09 | まどマギ
ようやく、まどマギの新作映画を見たのだけど、
率直なところ、面白いけれど、同時につまらない。

正直、ビミョー。

TV版は面白かったのに、なんでかなー、と思って、で、どうもこの話、既視感があるな-、と思って気づいたのだけど、これ、基本的には、押井守のビューティフルドリーマーの焼き直し、だよね。

多幸感のある閉鎖空間が、実は登場人物のうちの一人が見ている夢で、その夢を誘導した第三者がいて、その第三者の計画を出し抜いて、多幸感たっぷりの世界から抜け出す、という構図。

概ね、前半の1時間、いや、1時間半ぐらいは、これの今風の焼き直し。

この「閉鎖空間」性が、たまならく、内輪もめ、っぽい印象を与えてくる。
なんか、うじうじやってんなー、という感じ。

で、ビューティブルドリーマーと異なるのは(いや、ホントは変わらないのだけど)、夢を見ている本人がそこから抜けだそうとするところ。自分自身の夢からの脱出、という矛盾を抱え込むために、結果的に、さらなる「悪堕ち」を選択するところ。

でも、この主人公が絶望、悪堕ちするところは、逆に虚淵ワールド全開で、これも見たことあるな-、と思ったら、Fate/Zeroの最後で、セイバーが聖杯の秘密を知って絶望するところね。今までやってきたことが徒労に終わる。それに近い。

だから、物語構成としては、前半が押井、後半が虚淵のテンプレをなぞっている。

じゃ、どこがまどマギらしいのか?、ってことになるのだけど、それは、結局のところ、ほむらがまどかに抱く「愛」だった、ってところ。

でも、この「愛」というのも結構曲者。

なぜなら、まどマギの本編(TV版のこと)の最後では、まどかが全ての魔法少女の救済という、いわば「人類愛」を示したのに対して、ほむらが示したのは、特定の個人、すなわちまどかに対する愛情、というか、「情愛」だよね。これだけ。

で、結局、ここが一番つまらない、と思ったところなんだよね。

なんか、せっかく、TV版で、最後、高みを目指して上りつめるような、高揚感で終わったのに。それを、たかだか、ほむら一人の、きわめて私的な物語にまで貶めてしまって。。。 蛇足感が半端ない。

もっとも、好意的に解釈すれば、そもそもTV版の展開における、最終的なまどかの決断とそれを支える神的能力自体、ほむらが、何度も何度もループを繰り返したからこ充填されたものだったので、実は、TV版もホントは「プレイヤーほむら」による「まどか救済ゲーム」のクリアを目指す、私秘的な物語に過ぎなかったんだよね。むしろ、ほむらが望んでいた結末を、最後の土壇場でまどかに乗っ取られた、つまり、ほむらの物語をまどかにハックされてしまったわけで。

だから、今回の最後での、ほむらの悪魔化による「円環の理」のハッキングは、正しい意味で意趣返しといえるわけで。

それゆえ、最後に、ほむらはまどかが「いずれは私の敵になる」という言い方をしたんだろうね。実は既に一度敵対しているわけだから。

それにしても、この、ほむらによる世界=箱庭空間にまどかを閉じ込めて、その中で彼女の能力の発動を抑制しつつ、ほむらにとって心地よいまどかとある日常を維持していくところも、これ、どこかで見たことあるなー、と思っていた。

で、思い出したのは、マンガ版のデビルマンの最終話で、天使(で両性具有体)だった飛鳥了がデビルマンである不動明の亡骸(上半身)とともに、天使群が見守る中で、共に横たわっているところ。

まぁ、悪魔と神(天使)という立場は入れ替わっているけど、ほむらが神まどかの半身である「まどかの記憶」とともに安寧を求めている、という点では、全く同じ。

さらにいえば、飛鳥了と不動明は現世ではともに男なわけだけど、飛鳥了は一方的に不動明を愛していた。対して、ほむらも一方的に同性であるまどかに愛を示していた。というか、その愛が高じて、自らを犠牲にして魔法少女たちを救ったまどか、そのまどかを救うために、叛逆の徒として、「まどかが神だから、私は悪魔になる」ことを選択したわけで。

デビルマンにかこつけて考えれば、現実世界では男性だった飛鳥了は自分の記憶が操作されていることに気づいて、そこから自分が天使だったことを思い出したはずだけど、しかし、そこで両性具有であるという設定がわざわざ付与されたのは、飛鳥了の中の女性性が、男性である不動明に惹かれる方便として使われるためだった。

ちなみに、不動明も人間と悪魔が共存できる世界を作るために、人間と悪魔と峻別することを強いる神/天使に楯突いたわけで、いわば、ポジションとしては完全に「まどか」ポジション。

なので、ホントに、最後の30分の展開は、デビルマンに近い。

そして、私的な情愛で世界をひっくり返すことを選択することを正当化する理屈としてあげられるのが、その人が「女性」であるから、という理由である構図まで全く一緒。

あ、そうか、だから、ほむらは悪魔に転じるに当たって、魔法少女から「魔女」へとクラスチェンジしなければいけなかったわけだ。少女ではなく、情愛に生きる女性として脱皮する、というか、変態(←青虫が蝶になる方)する必要があった。

・・・という具合に、なんていうか、この映画は、お話そのものに既視感が伴いすぎるため、面白いかどうかと聞かれれば面白いけど、でも、筋がテンプレ的に見えてしまうがゆえにサプライズがなくつまらない、というのが正直な感想だった。

この点は「まどかは魔法少女になるのかどうか」という一点だけで最後まで緊張感を保ち続けながら、しかし、二転三転する展開を毎回繰り返してきたTV版とくらべてやっぱり物語の緊張感に欠けたというしかない。

その意味で残念。

押井守、虚淵玄、永井豪、という三人のもつ物語のテンプレをつなぎとめたのが、映画全体の基本的構造で、その中にTV版では実現できなかった「華やかな場面」を繋いでシーンを構成していた。それとわかる、お手盛りのサービスシーンが多すぎた。

具体的には、戦隊もどきの5人の魔法少女の活躍、とりわけ、さやかと杏子の共闘や、マミvsほむらの戦い。あるいは、まどか神の一番の従者となったさやかの、魔女力を発動した戦闘とか。このシーンは、まぁ、スタンドそのものだよね。

何がいいたいかというと、メインの物語の構成の間に配されているのが、簡単にいえば、公式スタッフが作った、いわば二次創作的な映像、つまりはファンが喜びそうな「映像」を配していたということ。

で、残念ながら、そうしたシーンがあまりにあざとくて、スゲーと思う前に、ドンビいてしまった。その分、乗れなかった。

ということで、まどマギはTV版でやめとけば良かったのに・・・、というのが最後まで見終わった時の印象。残念感が半端無かった。

TV版の時にあった猥雑感や予想の裏切りが、この映画にはほとんどなかった。その意味で、これは、まどマギの続編とはあまりいいたくないな、と思う。

そうそう、キューべぇを徹底的に悪者にすることで、物語のもつテンプレの掛けあわせ的構造からうまく目を離させているところも姑息といえば姑息。

最後を文字通りボロ雑巾のように使われたキューべぇのシーンで終わらせたところは、最後の最後になって、実は物語の本当の語り部は(ヤバイものに手を出してしまった)不遇のキューべぇであった、とすることで、全編、ほむらの夢ないしストーカー的妄想であったこの映画の構図をうまく隠蔽している。

と同時に、最後で、ほむら視点が抜け出すことで、もしかしたら、今度はそのほむらにキューべぇが反逆する物語が紡がれるのではないか、と思わせもする。

だって、今度は、キューべぇが、事の一部始終を知っている存在になってしまったわけだから。

というわけで、まどマギの裏番であるキューべぇの暗躍が、次なる物語を生み出すのかもしれない。

だって、あ、やべ、こんな奴らに関わるんじゃなかったぜ、撤退だ、触らぬ神に祟りなしだぜ!、という具合に調子よく逃げ出そうと思ったら、ほむらに拉致られて、その後、ボロ雑巾のように使われたわけだから。

そりゃ、キューべぇにしたって、憎さ百倍、この恨みはらさでおくべきか、と思うよね。

ということで、続編があるとしたら、またもや懲りずにキューべぇが暗躍するのだろうなw

それはそれで見てみたい気がする。

だって、キューべぇがいなかったら、まどマギの話は生まれないのだから。
魔法少女の生みの親は彼(たち)なんだからw

観測者キューベェの逆襲が、次の物語の柱だな、きっとw

ともあれ、
まどか=円、と、ほむら=炎、だから、
はなから、まどかとほむらの二人は、
それぞれが「調和」と「破壊」の象徴としての役割を与えられていた、ということで。
その意味で、破壊者が調和者に対して「叛逆」する物語。

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西尾維新 『終物語(下)』 感想

2014-04-02 15:51:17 | 西尾維新
いやー、びっくり!
ファイナルシーズンのフィナーレにふさわしい大団円で超・満足。
というか、西尾維新、凄いなー。

多分、何をかいてもネタバレになってしまいそうなので、まずはスペース、空けときます。
















































とにかく、何が凄いかって、ファイナル・シーズン、というか、セカンド・シーズン以後の伏線や謎の全てを回収する着地点を見出した西尾維新の語りの妙。

これならば、セカンド・シーズンのアニメ化が『花物語』だけ外された理由もわかるし、逆に、この『終物語(下)』が出てからおもむろにアニメ化されるのもわかる。なぜなら、時系列的にそれが一番整合的だから。

裏返すと、『花物語』が、『傾物語』にあとに来たのは、あそこで一回、阿良々木くんたちが卒業した世界を描いておくことで物語構成上の保険をかけておかないと、その後の悪魔のような展開、つまり、八九寺の成仏や、千石の蛇神化、貝木の殺害、影縫の失踪、あたりがあまりに重くなってしまうから、ってことだったんだろうな、と。

それにしても、セカンドからここまでの時系列が込み入った展開には驚いたし、それらの入り組んだ構成がなるべくしてなっていた、というのが凄いなー、と。

・・・と、こんな感じで書いていると、周縁的なことばかり書き続けて本筋に入れそうにないから、いきなり、本質的なネタバレをすると、

忍野扇は、阿良々木暦が生み出した怪異だった!

ということに尽きる。

つまり、ある意味で、セカンドシーズンに入ってから、というか、正確には、『鬼物語』以後の展開は、基本的に、阿良々木くんの、いわば自作自演だった、ってことになる。

普通ならなんだそれ?、ってことになるのだが、そう感じさせないで納得させてしまうところが西尾維新のすごいところ。

というか、こんなオチがついても、ああ、それはそうかもな、と思わせられるところが凄い。

まぁ、そんな展開は何重にも伏線を張っておかないと難しいわけだし、その多くは、実は、『終物語』の上巻や中巻で示されていた、という点では、大分後出しジャンケンのようなところもあるのだけど。

けれども、たとえば、個人の自意識が怪異を生み出してしまう、というのは、セカンドの第一作である『猫物語(白)』で、羽川を例にして既に示されていた。あるいは、後出しジャンケン、という構成については、そもそも、セカンド以降は時系列がもともとメチャクチャな構成にされているから、『終物語』になってから過去編に戻っても大して違和感はなかった。なにせ、忍がタイムトラベルを実現させてしまうようなことまで既にやってしまっているのだから。

裏返すと、『終物語』の上巻で、どうして今更、阿良々木くんの過去話をしなくちゃいけないのか、とか、中巻で、どうして(というか、実は満を持して?)猫白の裏側で起こっていた話を語ったのか、というのも、全ては、扇=阿良々木くんが全ての元凶であったからなんだよね。

唐突にみえた阿良々木くんの両親が警察官という設定も、これならば納得がいく。警察官の家庭ゆえ、阿良々木家では「正義」を子供の頃から考えないではいられない環境であり、その結果、「正義」を巡る自問自答や自責の念が自ずから阿良々木くんの中で累積し、結果として、忍野扇という怪異を生み出してしまったわけで。

そういう、あー、あそこの記述は、ここで生きてくるのか、というものが、今回の『終物語(下)』ではてんこ盛り。

いわば、セカンドシーズン以後の「正解」が示されたものだった。

その上、大ホームランwなのは、八九寺を地獄から救い出して、あまつさえ北白蛇神社の神様に据えてしまったこと。

いやー、これは、まいったw

やっぱり八九寺が登場すると、この作品は締まるw

それにしても、八九寺のメタ発言属性が、まさか、死後の世界での道案内役として生きてくるとは思わなかったなぁ。。。

まぁ、怪異も、タイムトラベルも、あるいは、多分、ブラックホール、ダークマター、もありの世界なのだから、そりゃ、死後の世界ぐらい出ても、もう驚かないよね。というか、感覚が麻痺にされていたのには素朴に驚かされたw

まぁ、あとは、忍野メメのことや、臥煙さんのことや、忍のことや、羽川のことや、月火のことや、斧乃木ちゃんのこととか、いろいろと書きたいことはあるのだけど、とりあえず、一旦ここで終えておく。

多分、もうちょっと落ち着いたらまた書くと思うけど。

しかし、突き詰めると、この『終物語(下)』はファイナル・シーズン最初の『憑物語』からの直繋がりなんだよね。間に3冊も挟まってしまったから、すっかり忘れていたけどw

そして、ポスト八九寺が斧乃木ちゃんだったってことを思うと、『憑物語』も良く出来ていたんだよねー。

ということで、とりあえず一旦終了。

いやー、面白かった。
大満足!

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ストライク・ザ・ブラッド 第24話 『暁の帝国篇 II』

2014-04-01 16:08:01 | ストブラ
ストブラの最終回・・・なのだけど、
どちらかというと、最後の二話は外伝的かな。
原作の本編にはないものなので。
その分、ストーリーは全くわからなかったから、素直に楽しめたけど。

要するに、未来から娘がやって来ました!って話だったわけで。
でも、20年後の世界が「暁の帝国」というのだったら、
それは古城が皇帝というわけだから、
別に彼の伴侶が雪菜だけとは限らないよね。
というわけで、多分、零菜だけでなく萌葱の生物学的父親は古城、ってことなんだろうけどね。
で、雪菜にしても浅葱にしても忙しすぎるから、彼女らの娘の養育は実質的に凪沙が行ってきたから、結果的に「古城くん」という呼び名がデフォになったんだろうね。

まぁ、真性の暁ハーレム誕生、ということでw
もっとも、要するに、それは第四真祖のドミニオンってことだから、その主がハーレムであることは全く問題ない!

ってことで、むしろ、ストブラは、最終的に誰が正妻か?なんてくだらない問いを物語構成上持つことなく進めることができることが、これで確約されたわけでw

ある意味、これはこれで正しい設定だと思うなw
だって、王者がハーレムを持つのなんてマジで普通じゃない。
そこをわかっていてもグダグダ扱わないといけない、というのが、ラノベの鬱陶しさだったわけだけど、そこはもう、どうでもいい、ということで。

そもそも、ストブラの場合、古城の眷獣掌握のために新規の献血者が必要だ、ってルールの縛りがヒロインを増やさざるをえない構成を許してくれるわけだから。

ということで、外伝的な未来からの来訪者のエピソードだったわけだけど、意外と深い意味をもつ回だったなー、と思った。

どうでもいいけど、中二的武器の名前をあずみんボイスでやられると、零菜がどうにもニャル子さんみたいで困ったw ある意味、ものすごい存在感だなw

ともあれ、2クールに渡ったストブラも終了。

終わってみれば、最後は素直に面白かったかな。
東レと違って、ストーリーや演出については、うまく原作を処理していて、良かったと思う。
もちろん、全部は描けないから、原作の中に残してしまったネタも多いのだけど、そういうネタがなくても、少なくとも第一期で完結させる分には問題ないものばかりなのは上手い。
ちゃんと、取捨選択がされていて。

ちなみに、最も外されることが多かったネタは、雪菜の過去話と、凪沙の奇怪な行動だったのだけど、それも第2クールに入って、適度に挟み込んできて上手いな、と思った。

ところで、ここから先は、原作のネタバレも含むけど、結局、今回の第一期では原作の6巻までを消化。

で、次の7巻、8巻は、ずっと伏せられていた、古城がなぜ第四真祖になったのか?についての過去話と、それを通じて、そもそも第四真祖とは何か?という疑問に徐々に答える話になっている。

そういう意味では、大転換点の直前で終わったんだよね。

なので、ここまで上手く作ったのなら、是非、第二期でこのあたりの話を突っ込んで表現して欲しいところ。

原作的には、10巻まで既に出ているので、あと、2、3冊、ということはまぁ、1年ぐらいしたところで第二期をやってくれるといいかなー、と思う。

前に、10巻の感想でも書いたけど、2、3巻ってことは、多分それで、古城が12体の眷獣を全て掌握する、というところまで行くと思うのだよね。となると、残るは、カインとの最終決戦、つまりは、聖殲、の話の手前ということになって、原作をアピールするにもいい感じだと思うし。

ということで、原作の続きも、二期も楽しみにしたい。

これも10巻感想で書いたことだけど、このストブラ、既存ラノベのオイシイところのマッシュアップ的な作品なんだよね。実際、第1巻は2011年5月に出てるわけで。

そういう意味では、ラノベ第二世代、というか、10年代のラノベの一つの典型だと思うので、その意味でも、上手く最終話に着地してくれるといいな、と思う。

ホント、禁書目録×カンピオーネ×はがない×・・・、という感じの作品なので。

この第一期は、よく出来た佳作だった。
まぁ、もう少し作画のバラ付きをなくしてくれたら傑作の部類に入ったんだろうけど。

ともあれ、第二期を楽しみに待ちたい。

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