BLACK SWAN

白鳥のブログ - 日々の世界を徒然と

【推しの子】最終巻(第16巻)の感想だけど、新規加筆パート、酷すぎでしょ!

2024-12-19 10:17:10 | 推しの子
連載第166話をもって終了した【推しの子】の最終巻では、新規に加筆された部分が載るってことで、一応期待していたわけだけど。。。

はーぁ、ひどいね、これは。

一応、アクアの死後のキャラの顛末、ってことで、

かなはハリウッドデビューもして大女優としての道を歩み始めた、って感じ。

一方、あかねは、プロファイリング脳をこじらせてオカルトにまで手を出すスピリチュアル女優?になってしまったみたいで。。。

うーん、これ、アクアの死の真相を知っているかどうかで、ここまで人生が分岐するか!ってことを描きたかったのかね?

で、そのナビゲート役がMEMちょ、ってのもねー。。。

まぁ、途中から、MEMちょが、いわゆる「作者の代弁」を作中で果たすメタキャラなのはわかっていたけど、しかし、最後まで彼女にMC任せるかなぁ。。。

期待はしてなかったから大きなダメージはないけど、なんていうか、とことん、作者は読者を舐めてたんだなぁ、というのがわかった。

なんていうか、この裏切られ感は、『五等分の花嫁』のときに近いなぁ、と。

春場ねぎって人も大概だったけど、まさか、あれに似た経験をまた味わうとはw

まぁ、『ごとよめ』のほうが、まだ作者が好きなことを描いたら読者の嗜好とズレてしまったということだったら、ムカつくことはムカつくけど、まだ理解はできるとして。

『推しの子』の場合は、そもそも物語の結構からして、読者を釣るのは当然、という流れできていただけに、あのなんのひねりもないラストはないわー、ってことになるのはやむなし。

結局、アイなんてまじでただの出オチだしw

当初から、せいぜいがアクアのおまけ、アイのコピーにすぎなくて、物語の背骨にほとんど関わってこなかったルビーが、アイドルとして大成することをゴールに置かれれても、白けるだけだし。

いや、一応、それも、吾郎にさりなが誓ったことが成就した、ってことだから、物語の最初にゴールとして置かれていたでしょ?というのもわからなくはないけど。

でも、物語の本丸は、アイの殺害を誘導した実父カミキへの復讐だったわけだから、それをもっと華々しく達成してくれないことにはどうにもならない。

その意味では、『15年の嘘』なんて映画の脚本で、一応の真相を「ヌルく」語ってしまったところから、物語的には「詰んで」いたんだな、と今なら思う。

あんな映画にせずに、ストレートにアクアがカミキを始末すればよかった。

なんだったら、あかねがいうように、アクアとあかねの二人で完全犯罪を狙えばよかった。

でも、きっと、そんな込み入ったプロットを作者たちは考えることができなかっただけなんでしょ?

その言い訳を、あかねの後悔として明かすのだからズルい。

結局、やりたいことは込み入ったシリアスな復讐劇だったわけだけど、それを演るのが面倒だから、真相の開示を映画製作という「メタフレーム」で誤魔化しただけだったってことでw

なんだかなぁー。

ほんと、騙されたよ。

連載終了からそれなりに時間が経って頭もクールダウンできたところで最終巻の加筆パートを見たので、なんか、そういう原作の穴がよく目についてきた。

まぁ、カミキが直接の実行犯ではなかった、というのは、いかにも現代的な陰謀論のフレーム、つまり悪事の裏にはそれを操った「黒幕がいる」というネトウヨ的発想そのものだからね。

そういう意味では、確かに、ミームの女王である「MEMちょ」が語り部として生き残るのが妥当なところなのだけど。

まぁ、そもそも「【推しの子】」ってタイトルが、いわゆる「スレ」を模していたこともわかったわけだから。

気分は「電車男」だったわけだよね、作者的には。

はーあ。

くだらないにもほどがあるよ、まったく。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【推しの子】 第166話(最終話) 『星』 感想5:この【推しの子】という漫画は、ただ「芸能あるある」の醜聞を描きたいだけの作品だったのだろうか?

2024-11-14 21:41:07 | 推しの子
感想1感想2感想3感想4もあります)

【推しの子】の最終話の、あまりにもカタルシスのない終わり方を見て思ったのは、この作品は、ただ、芸能界やメディア業界に巣食う、汚い大人たちの醜聞を描きたいだけだったのか? という疑問だった。

いや、結構、真面目に、あのルビーのバカみたいに場違いな、明るい言葉の終幕に呆れたからなのだけど。

だって、最終3話ってよく考えると本気で意味不明だったから。

あかねも、かなも、ルビーも、ただひとしきり、泣き崩れたあと、ほとんどオートマで、復活してたから。

いや喪に服すっての確かにあるし、人はたちなおるものだけど、でもそれを文字通りただ「ひとはたちなおるものだ」と一文書いただけで終わらせるのって、表現者として終わってると思うから。

そうなると、この作品は、本編こそが、ただの舞台装置でしかなかった、ってことになって。

そこで残るのは、その時々の話の流れの中で出てきた、芸能界とメディア業界の汚い商慣行だけだった。

出演者を見捨てるリアリティショーの製作陣
枕営業
ルッキズムですすめるだけのキャスティング
異母兄弟、異父兄弟の横行
賞味期限切れした子役の末路
・・・
などなど

それぞれの内容は、そういうこともあるんだろうな、ということだけで、ホント、週刊誌の芸能欄で出てくるネタを見ているようなもの。

で、その内容に、それなりに読者は憤りや不快感を覚えて、ひとしきりげんなりする。

でも、この作品の作者の狙いは、そうして読者の感情操作をして盛り上げるだけだった、ってことだよね。

だって、アイというアイドルが、未婚のまま子どもを出産したという、大本のプロット自体が、最大級のスキャンダルだから。

でも、それすら、最後まで読むと、芸能界あるあるの、ただのネタでしかなかったという虚しさ。

いや、マジでこの漫画、何がしたかったの?って思うよ。

個人的には、カミキを殺すのではなく、カミキを牢屋に入れて、彼に反省する苦悩の時間を与える、というのも一つの物語的解決策だと思ったのだけど。

あかねの完全犯罪は、むしろ、カミキを半ば冤罪でも牢屋にいれるところで使ってほしかったのだけど。

でも、そんなトリックの知恵は、作者にはなかったってことだよね。

単純に期待しすぎてた。

転生を、ただ、カミキを殺めるためになされた、というのは、神様ひどすぎ、って思うしね。

いくら芸能の神であっても。

転生も、アイの出産も、全部ただの舞台装置だったっていうのは、さすがに、虚無がすぎるでしょ。

ほんと、ガッカリだよ。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【推しの子】 第166話(最終話) 『星』 感想4:ルビーって、どうやってアクアの死を乗り越えて前を向こうと思ったのだろう? アイドルだから、ではさすがに無茶すぎるよね?

2024-11-14 18:43:00 | 推しの子
感想1感想2感想3感想5もあります)

今回の最終話では、ルビーがアクアの死を乗り越えて、アイドルとして突き進む道を選んだわけだけど・・・。

一体何をきっかけにして、復活したのだろう?

正直、アクアの死で絶望したところから含めて、描写があまりにもダイジェストで、何がなんだかわからない。

一番わからないのは、アクアが、ルビーの安全を考えて、カミキといわば心中を図ったということで。

まさか、その事実を、あかねが伝えたとは思えないし。

だとすると、ルビー目線からすると、ただ、アクアがカミキに恨まれて刺された、という事実しか残らない。

ただ、そのカミキは、ルビーにとっても一応、父親になるので、アクアは、実の父親に殺された、ということになる。

まぁ、それだけで普通なら、娘のルビーが心を閉ざしても全然おかしくはないのだけど、でも、ルビーの「中の人」はさりななわけだから、アクアのことを吾郎の転生として認識して以降、カミキのことは生物学上の父親以上には思わない。

となると、単に、再び、吾郎=アクアが、カミキの手で殺された、というだけになるんじゃないの?

その喪失感ってハンパないと思うのだけど。

だから、仮にアイドルとして復活したとしても、ルビーの目は、白い星ではなく、黒い星でないとおかしいと思うのだけど。

つまり、カミキに対する呪詛を抱えたまま「黒い星の目」をしてアイドルとして復活しておいて、その過程で何か「黒い星」を「白い星」に変える出来事に出会って、ようやく完全復活した、という最低限の流れがないと、さすがに物語として成立しないと思うのだけど。

まぁ、この最終回は、端的に、打ち切りエンドの印象しかない。

正確には、アクアが死んで以後の、この最終3話だけど。


そう考えると、正直、ルビーというキャラが全くわからない。

前にも書いたように、アクアの皮を被った吾郎が、ルビーの皮を被ったさりなをカミキに殺させないために、ともに死んだ、というだけのことで。

それ、吾郎のさりなに対する執着が逆に気持ち悪いだけなんだけど。

ていうか、吾郎の意識が単に地縛霊のようにアクアに乗り移っていて、いわば成仏するために、生前に命を救えなかったさりなを救う「やりなおし」をしているだけに見える。

でも、吾郎がそこまでさりなに執着する意味もよくわからない。

だって、吾郎の原点は、むしろ、出生において母を失ったことでしょ?

ていうか、だから、アイの殺害現場に居合わせたことがアクアとしての彼のトラウマになったわけで。

だから、やっぱり単純にアイの復讐を遂げるのがアクアの行動原理だったらまだ理解できたのだけど。

そこにルビー=さりなの話まで混ぜてくるから、物語のカタルシスがどこにも見いだせなくなった。

結果、主人公のアクアが死んだのに、バッドエンドという判断すらしてもらえないような中途半端なものになった。

それもこれも、ルビーって存在が全くわからないから。

だって、転生の事実を知らないため、あかねですら、アクアがやろうとしたことは、ルビーを守ることで、いわば究極のシスコン野郎だった、ということだけでしょ?


・・・ということで、やっぱりなんとも理解しがたい終わり方で。

ネットの中でひたすら「クソ漫画」と言われてしまっているのもわかる。

ホント、ただ、芸能界あるある、を描くことで、読者のアテンションを集めたかっただけなんだろうな。

嫌な時代だなぁ。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【推しの子】 第166話(最終話) 『星』 感想3:B小町のコンサート会場にいた目に星をつけた少年?は、アクアの転生体ってことなの?

2024-11-14 07:37:29 | 推しの子
感想1感想2感想4感想5もあります)

B小町の東京ドームコンサートの会場で、ルビーを見ながら「暗闇に光を照らすために生まれてきた」という言葉を発した少年?(少女っぽくも見えるけど)は、アイやアクア、ルビーのように目に星がついているのだけど、この子は、アクアのさらなる転生体ってことなの?

一応、会場の外にカラス(ツクヨミ?)もいたし。

ただその場合、さすがに年齢が合わないよね?

アクアが死んでから誕生して成長して・・・ことを考えると、さすがに無理があるよね?

もちろん、これまで生きてきた子どもに「アクアの魂」が憑依した、ということもあるのかもしれないし(転生ではなく)、

実は、この東京ドームコンサートは、アクアが死んでから5年くらいは経っている、ということなのかもしれないけれど。

なので、そうなると、むしろ、アクア以外の人が転生した姿なのかな?と。

で、その転生した少年?を今度は、ルビーが、かつてのアイのように導く?という予感をさせているってことかな?

まぁ、目に星印がついているのが転生体というなら、アイももともとは転生体、ってことになるけど。

あー、そうか、だったら、この少年は、実は少女で、ツクヨミは否定したけど、もしかしたら、アイの転生体なのかもしれないね。

ということで、一応、転生の流れは止まらない?ってことなのかな?

もちろん、目の星は、単にその子に才能があって、長じてアイドルになる!だけの才能を持っている、という印なのかもしれないけれど。

どうなんだろうねぇ。。。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【推しの子】 第166話(最終話) 『星』 感想2:結局、アクアにとっての「推しの子」はルビーとなった「さりな」だった、ってことでいいんだよね?

2024-11-14 07:36:26 | 推しの子
感想1感想3感想4感想5もあります)

前の感想でも書いたように、最終話は、ほとんどあかねのナレーションによるエピローグ。

で、よくよく考えてみると、結局、アクアが自分の腹を刺してカミキを突き落として二人して死んだところが、物語としては最後だったってことだよね?

本編は、アクアがカミキを殺したところで終わり。

それ以後の数話は全てエピローグ。

となると、この物語は、吾郎という人物が転生して、転生した先の母親を殺した実の父親を殺して終わり、という話だった。

もちろん、その母が、転生前に推していたアイドルその人で、ついで双子の妹が、自分が救えなかった患者の転生だったというオチがついて。

だから、アクアの周りには、かなとあかね、というアクア争奪戦を繰り広げる女優が2人いたわけだけど、アクア自身は、結局、その二人に対する執着よりも、アイへの執着が強く、さらにルビー/さりなに対する執着が強かった。

だって、結局、カミキを殺したのって、アイへの復讐もあるけど、最後はそれ以上に、いつルビーがカミキに殺されるかわからない、その不安を取り除くことにあったわけだから。

つまり、アクアにとっての「推しの子」は、あくまでもルビーに転生した「さりな」だったわけだ。

さりなこそが、アクアにとっての「推しの子」だった。

そういう意味では、最初から最後まで、この物語は「吾郎とさりな」の物語だった。

ただ、姿形が、アクアとルビーの格好をしていたから、その「転生前」からの感情がわかりにくかった。

というか、正直にいって、うまく表現されてなかったよね。

だから、最後にアイよりもルビーが大事、ということになっても、今ひとつピンとこない。

だって、ずっと「アイの殺害への復讐」が主題だったじゃん!って思うし。

アクア自体は、かなともあかねとも、いい感じだったじゃない、姫川も指摘していたように。

だから、やっぱり、物語の焦点が終盤、ぼやけていたことは間違いない。

今思えば、アクアの意図を汲んで勝手に動いていたあかねが、ルビーをカミキの魔の手が救った場面が何度かあったので、実は「ルビーがアクアの推しの子」というのは、そうしたあかねの振る舞いによって示唆されていたといえなくもないけど。

でも、やっぱりそれではわかりにくい。

というか、本編のネタとして使われていた「芸能界あるある!」な醜聞の連続で、やっぱり、アクアは転生したアクアの方が主たる人格だと思われていたし。

なので、やっぱり、最後はいろいろとぼやけてしまったなぁ。。。

まぁ、一応、

アクアの死体が打ち上げられたであろう浜辺で泣き崩れる「あかね」

棺の中に眠るアクアに平手打ちを食らわせて号泣する「かな」

アイとアクアの写真を見て微笑む「ルビー」

という具合に、この3話で、3人のヒロインの感情的決着はつけさせてた!って原作者は主張するのだろうけど。。。

でもね、やっぱりこれ、わかりにくいよ。

ポカーンだよ。

あとさ、一応、ツクヨミは、ルビーの前にも現れていたじゃない。

だったら、最後にツクヨミがルビーを見守るシーンがあっても良かったと思うのだけど。

でもきっとそれをいれると、転生周りの設定や伏線はどうなったんだ!と怒り出す読者が湧いてくると思って、やめたのかもね。


・・・ということで、なんかね、やっぱり、パッとしない終わり方だったなぁ。。。

擁護はできない。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【推しの子】 第166話(最終話) 『星』 感想:ええええ? これで終わり? ほとんど、あかねのナレーションじゃん!!! 物語の伏線も全部丸投げ?でいいの? 

2024-11-14 07:35:51 | 推しの子
感想2感想3感想4感想5もあります)

前回、アクアの死後、荒れたかなやルビーが描かれて、でも、最後に、どうやらルビーの復活!? ・・・という空気を漂わせながら終わってたのだけど・・・・

最終話だから、盛大に東京ドームコンサートでもやって盛り上がって、ルビーの決め台詞で終わるのだとばかり思っていたのだけど。

ほとんど、あかねのナレーションじゃん!

ルビーが復活してアイドルになるなら、せめてルビーのモノローグで、アクアの死の後のルビーの感情くらい、ちゃんと描いて終わろうよ!

それが、一応、復活コンサートをやった挙げ句、最後に、アイとアクアが照らしてくれた未来を私は行く!ってルビーに宣言させて終わりって・・・。

いやー、これ、いくらなんでも読者、バカにしているでしょ?

これ、わざわざ転生した双子でやる必要がある話だったのかな?

ていうか、転生はなんだったの?
どうして転生できたの?

ツクヨミはなんのためにでてきたの?
というか、ツクヨミって、結局なんだったの?

最後にアイもアクアも物語的に登場せずに終わる、って何?

いや、せめてアイくらいは登場させようよ?

だって、アイの子どもの物語じゃん?

これじゃ、ホントに、ただ、吾郎の転生であるアクアが、かつてのアイドルで母だったアイを殺した真の犯人である実父カミキヒカルを殺した、という、ただそれだけの話じゃん。

憎い相手にを殺した、という点では、アイの殺害も、カミキの殺害も、大差ないような話じゃん。

さすがに、これ、ありえないでしょ?

まさか、『呪術廻戦』を超える、ダメなだらしない終わり方をする漫画が出てくるとは思わなかったよ。

せめて、アクアとルビーが転生したのはなぜだったのか? くらいは明らかにしないとダメでしょ。

確かにツクヨミが、魂のない双子に死んだ魂を入れたとか、言ってはいたけどさ。

でも、細かいところを言えば、吾郎の殺害と、アイの出産がほぼ重なったから、吾郎の魂が転生させられたのはわからなくはないけど、でもさりなはもっとずっと以前にしんでいたわけじゃない。

だったら、なんでその間、さりなの魂は地上にとどまってルビーの身体に移されたのか、とか、最低限の説明は必要じゃないかな?

それに、物語としての締めは、そのルビーの独白でこそなされるべきで、この最終話まで、あかねがずっと代弁し続ける、ってのはさすがにおかしい。

これじゃ、アクアが便利にあかねをつかったように、作者も、最後のナレーション訳に使うために、あかねだけをずっとアクアの真意に近い人物として描いてきたみたいじゃん。

というか、あかねがアクアの恋人(仮)役にしたのも、そのためだった、ってことになるじゃん。

あー、もう、とにかく、これは最終話としてひどすぎ。

アクアが死んでから、最後にもう一花咲かせるような物語の山場があると期待していたのに、結局、アクアがカミキを倒してからはずっと、ただのエピローグだった。

酷すぎるよ、この終幕は。

ちょっと今はこれ以上書くと、ただの罵倒になりそうなので、ここで一旦切り上げるようにするけど。

でも、こんな最終話じゃ、完結後の作品の感想を書く気すらきっと起こらない。

どういうことなの? まったく!!!


感想2へ)
感想3へ)
感想4へ)
感想5へ)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【推しの子】 第165話 『そして』 感想:すべて「アクアの死」の後日談、かなもルビーもまずは壊れた・・・そしてやはり、あかねが真ヒロイン・・・

2024-11-07 12:32:02 | 推しの子
前回、アクアの水死体が発見されて大変だった、という話の続き。

語り部はもちろん、真ヒロインのあかね。

アクアの葬儀では、かなが暴走。

アクアに平手を食らわせて、ミヤコがそれに激怒してかなに平手を返しながらも、かながアクアに自分が好きだと伝えられなかったことを悔いて号泣。

映画『15年の嘘』はアクアの死で上映を取りやめる話も出たが、監督が強硬に反対し、鏑木Pの判断で上映を強硬し、ヒット作に。

その間、ルビーは、とじこもり。

そりゃそうだ、吾郎=アクアと知っているさりな=ルビーからすれば、2度も愛する人を失ったのだから。

で、その全てを伝える語り部があかね。

さすがは真ヒロインだけのことはあって、最後までアクアの物語を紡ぎ通すつもりのよう。

で、最後の語りで、でも、かなもルビーも復活することを示唆して終わり。

で、次回最終回。

うーん?

うーん?

今回は、完全にアクアの死の後の顛末を描写しただけだから、そこに物語的含みはなにもない。

語り部が完全にあかねに移ったことくらい。

そうそう、ルビーの殺害未遂で捕まったニノの供述で、カミキがマジであれこれ人を操作してヤバいことだらけだったことも判明。

あかねは、自分が囮になることも考えたらしいが、それをいい出したらアクアに駄目だしされることもわかっていた。

手紙くらいアクアに残してほしいと思ったものの、それをしたら、警察に疑われることを怖れたアクアが拒絶。

ということで、ことの真相を知るのはあかねだけ。

あかねはあかねで、このことは墓場まで持っていくことを決めた模様。


ということで、次回、最終回。

ルビーが復活コンサート、かなが女優として復活、・・・という無難な終わり?

それに、アクアの転生?が描かれるかどうか。

なんか、最後は、アクアが転生した子どもが、ルビーか、あるいは、かなの子どもとして生まれて終わり、とかかな?

とにかく、『呪術廻戦』と一、二を争う、最終3話の迷走ぶり。

最終回、ホントにどうするのだろう?

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【推しの子】 第164話 『終幕』 感想3:「アクアの死」があくまでも「劇中劇」や「夢オチ」である可能性について。

2024-10-31 12:25:14 | 推しの子
感想1感想2もあります)

前回のツクヨミによる解説に続いて、今回のアクアの内面吐露、その後の顛末のあかねによるナレーションによって、「アクアの死」は確定してしまったように見えるけど、ネットを見ると、でもね!という意見も見られるのは確か。

それらは確かに検討の余地はあると思うので、残り2話で何をするかも含めて、ちょっと考えておくと。

まず、
このアクアの死が、あくまでも映画『15年の嘘』の一部、あるいは、アクアがカミキにアイの真意を伝えた後で付加されたエピローグである可能性。

いや、エピローグである必要すらなく、単なる「エピローグ案」である可能性。

一応、アクアは、『15年の嘘』の脚本を書いた本人だから、彼がエピローグ案として「終幕」に到る部分を、たとえば五反田監督と相談していたような展開。

その場合は、五反田に対して、アクアの本心を「告白する」という機会にもなると思うけど。

ただ、五反田は、幼少の頃からアクアの特異性に気づきながら、アクアをずっと見続けてきた、半分親代わりのような存在だから、彼に対して、アクアが脚本化する過程で全てを告白する、という流れも、まったくないとは言えない。

だって、この物語は、基本的に、アクアの復讐劇で構成されているけれど、でも、茜が言う通り、それでは、アクアが幸せになることはないから。

だから、アクアが、ルビーとアクアが転生者だという「大嘘」を物語的に設定して、監督に、その脚本の良し悪しを検討した、という可能性も、なくはない。

いや、まぁ、これがだいぶ無理があることはわかっているけれどねw

でも、あの「アクアの死」を覆すには、物語的にメタな構造を入れない限り無理なのは間違いないし、都合の良いことに、最終章の少し前から、この物語は基本的に『15年の嘘』という映画製作を並行した物語なっていたから。

なんだったら、『推しの子』という物語が、最初から映画『15年の嘘』の一部としてて語られていたのかもしれない。

そうすると、アニメ化はバッサリ切られた、序盤のいくつかのエピソードの頭にあった登場人物たちに対するインタビューのシーンも、この映画がクランクアップしてさらに上映後に収録されたものである可能性もある。

だって、そうでないと、あの「アクアの死」を迎えた後で、あんな呑気なインタビューができるかな?と思うわけでw

ということで、

「アクアの死」はあくまでも映画『15年の嘘』のエピローグだった。

そういう物語的ひっくり返しも、あるかもしれない。


で、「アクアの死」がひっくり返るもう一つの可能性として「夢オチ」もなくはない。

なぜなら、夢オチの場合は、単純に、脚本家アクアが監督五反田に告白する、というプロセスを排して、単純に、自分の夢で自己完結するだけのことだからw

その場合、夢を見ているのはあくまでもアクアではなく生前の吾郎、ってことになるだろうけど。

その可能性がなくもないのは、前回のツクヨミの解説の中で、アクアが、吾郎として、さりなが病気から回復してアイの同僚としてB小町入りしてアイドルになる、という「夢」を見ていたから。

いわゆる、「夢=並行世界」理論に従えば、長い夢として、別世界の自分を経験する、というのも物語的にはなくはない。

ドクター・ストレンジがやってことだよねw

なので、この物語が最初から、在りし日の吾郎が見た夢だった、というのもなくはない。

そうなると、最終回は、「・・・という夢を見た!」とさりなに語る吾郎で終わる、という感じ。

まぁ、その吾郎・さりな時空にまで戻れば、アイも存命で出てきて終わり、ってことになるので、なくはないかもw


・・・ということで、「アクアの死」をひっくり返してなかったことにする可能性はゼロではない。

そもそも、「推しのアイドルの子どもに転生する」という設定そのものが、相当キモいドルヲタの妄想、といえなくもないので。

ただし、その結末はそうとう荒れそうだけどw


次回、冒頭で、今回の「泣き崩れるあかね」を完成試写会であかね本人が見ている場面から始まる可能性も・・・・なくはないと思うかなw

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【推しの子】 第164話 『終幕』 感想2:結局、この作品のヒロインはあかねだった、もっとも悲劇のヒロインだったけど。。。うーん。。。

2024-10-31 11:43:11 | 推しの子
感想1感想3もあります)

この回の「終幕」を見る限り、この物語のヒロインは、あかね、だったってことだよね。

だって、最後までアクアの本心を理解して、彼の意図に寄り添って、時にはそれを先取りしながら「尽くして」きたのは、あかね、だったから。

じゃ、ルビーとかなはどうだったかといえば。

ルビーについては、さりなの転生であることがわかった時点で、文字通り、さりなの「生まれ変わり」として、念願のアイドルになり続けることを願う対象でしかなかった。

アクアからすれば、ルビーは、献身の対象であり、吾郎の記憶からすれば、ある意味、贖罪の対象だったってことで。

で、かなは、アクアからすれば、最後まで意図的に蚊帳の外に置くことで、幼少時に出会ったときの「太陽」の面影を残したサンクチュアリだったのだろうな。

かなは、あくまでも癒やしの空間だった。

アクアにとっての「かな」は、吾郎にとってのアイのポジションをしめていたというわけで。

その意味で、かなは、アクアにとってのアイドルだった。

ただ、こんな感じで、ルビーもかなも、アクアからは一歩距離が置かれたまま、アクアの死を迎えたことになる。

対して、あかねは、彼女の感の良さと頭の良さから、アクアからすれば、気が付かなくていいことまで気がついてしまう、その意味で「便利な女」だった。

だから、途中で、あかねを利用対象としてそばに置くようになったわけだけど、一方のあかねは、アクアの本心に近づけば近づくほど、アクアのことが放っておけなくなった。

多分、あかねだけが、物語の全体を通じて、丁寧に心の変遷が描かれていた。

それは、あかねが頭のいいキャラとして登場して、彼女の独白を通じて、何を考え、何を憂えているか、その都度描かれてきたから。

正直、そういう描写はルビーやかなにはほとんどなかった。

ルビーはただ、アイが大好き、先生(吾郎)が大好き、アクアが大好き、という感情を示してきただけ。

それでも、ルビーの場合は、前世の吾郎への思慕のことがあったから、アクア大好き!も理解できたけど。

かなの場合は、どうしてアクアに惹かれたのか、そこは今ひとつ、不明。

その意味では、完全に幼馴染キャラになっていたよね。

だから、こう見てくると、もともと、あかね、が浮上してもおかしくない話だったわけだけど、でも、それだと、アクアの罪悪感が拭えなかった。

そういう意味で、恋愛物語としては破綻していたから、この「アクアの死」の結末は、全てを円満に解決するには仕方がない着地点だったのかな、と思い始めている。

でも、まさか、ホントにアクアが死ぬとは思ってなかったけどね。。。

もちろん、物語の「結構」としては、まだ逆転の話はあり得るのだけど。

それは、また次にでも。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【推しの子】 第164話 『終幕』 感想:アクア、ホントに死んでしまった。そして、最後まで理解者であり協力者はただ一人、あかね、だったんだね。

2024-10-31 11:42:38 | 推しの子
感想2感想3もあります)

前回、ツクヨミに死を宣告されたアクア。

その死にゆく様を、アクアの主観でしばらく描いた後、彼は永眠。

アクアも最後は苦しむのではなく、B小町3人の歌声を聞きながら(そう思いながら)安らかに息を引き取ることができた。


そして、その後を引き受けて、アクアの死を語るのが、彼が見つかった浜辺に花を添えるあかね。

結局、アクアが、カミキへの復讐の件で最後まで信じていたのあかねだった。

だから、あかねにルビーを守る方を任せ、アクアは単身でカミキの殺害に向かった。

あかねはやっぱり、どこまでアクアとともに歩んで、最後は一緒に畜生に堕ちてもいいと思っていたけど、でも、そのあかねの決意を、アクアは認めなかった。

だから、あくまでもカミキの殺害は一人で行った。

と同時に、ルビーにスキャンダルをもたらさないよう、カミキに恨まれて殺された、というシナリオを最後まで演じた。

ということでカミキへの復讐劇は、あかねによる解題で幕を引いた。

あかねだけがアクアの真意を知る。

ある意味、あかねが最もアクアに愛されていた、という幕引き。

まぁ、完全によき理解者としての愛人ポジションだったけど。。。

浜辺で一人アクアを偲ぶあかねの姿は、完全に女優のそれだよね。

アクアとともに現実を劇的に生きた。

復讐劇を演じきってあげた。。。


さて、残り2回、何を話す?

アクアの死後、ルビーやかな、それにあかねがどう生きたか、その話かな。

しかし、ツクヨミによる再度のアクアの転生はありえるのだろうか?

とりいそぎ。


感想2へ)
感想3へ)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする