BLACK SWAN

白鳥のブログ - 日々の世界を徒然と

西尾維新 『鬼物語』 感想

2011-09-29 12:45:28 | 西尾維新
直接的なネタバレはしないつもりだけど、どうしてもそうなるところもあるだろうから、その点、了解した上で続きをどうぞ。
































多分、『化物語』第二シリーズの中では、最も『化物語』らしい雰囲気をもつのが本作のように感じた。というか、実にこの物語世界の印象を支えていたのが八九寺真宵であったことを象徴するような作品だと思う。

そう、『鬼物語』は表向きは忍野忍=キスショットのターンと名うたれていて、確かにお話の多くを占めるのは400年前の忍の物語なのだけど、しかし、本作の実質的な主人公はどう考えても八九寺になる。

その意味では、『傾物語』と対をなす作品。
実際、語り部が阿良々木君であるところも、そういう印象を与える。
阿良々木君にとっての痛みの話なんだよね、どちらも。

裏返すと、この間にあった『花物語』と『囮物語』がいかにイレギュラーな、変化球であったというのもわかる。語り部の点でも、時空間の点でも。

そして、そのイレギュラーの演出そのものが忍野扇の所業であるような感じがプンプンする。
というか、第二シリーズ自体が、基本的に忍野扇による『化物語』の二次創作でした!なんてオチが待ってるのかも知れないような感じ。

今回、途中まで読んで、あれ、今回は忍野扇が出てこないなと思っていて、実際、彼女が出てこないことが、いつもの『化物語』世界が進行している雰囲気を確保するのに一役買っていたのだけど。

ところが彼/彼女は、最後の最後で登場してきた。

で、どうも振り返ると、彼女自身が今回登場した「怪異を超える非存在」たる「くらやみ(←阿良々木君による仮称)」を操る存在のように見えてくる。

「くらやみ」は、この世(という物語世界)のルールに準じない、その意味では因果律から逸脱した存在を狩る役割を担っていて、それが故に、忍と八九寺が対象になったわけで、要するに、キャラ設定から逸脱したり、メタ視点を持つ存在を許さずに、物語内世界が平穏で調和のとれた世界となることを調整する番人のような役割を担っている。

で、これって普通に考えたら創造主とか神とか、あるいはゲームマスターと呼ばれる役割だよね。要するにバグキャラとかチートな能力の発現を許さない、世界の守護者。

どうも、そういう役割を担ってるのが忍野扇なのだろうな、と。

で、同じく忍野一族であったメメは、そうした一族の「神的介入属性」を嫌っていたのだろうなとも思う。だからこそ、彼は「自分で助かるしかない」とか、バランスを保つ、とかいって、自助努力を促すような振る舞いをしていたのではないかな、と。

ということで、とにかく忍野一族の秘密、とりわけ扇の位置づけ、というのが第二シリーズの「扇の要」にあることはほぼ間違いないのだろうな。

ただ、第三シリーズの登場も示唆されている現在、忍野扇の話が次回作の『恋物語』で明らかにされるかどうか、というと怪しいところ。むしろ、忍野一族や、忍野メメの仲間たちの話が第三シリーズまで持ち越すことになるのだろうな、という気がしている。

大体、学習塾炎上事件の真相を描くと言っていた『鬼物語』自体、そのことには全く触れずに違う話をしてしまったわけだしw

第二シリーズで出された謎やら伏線の回収が『恋物語』のみで行われるには「尺が足りない」と思うのだよね。

というか、今回のノリでいくなら、次作で『囮物語』で生じた、千石撫子ラスボス化事件すら全く無視されそうな感じすらする。いや、あれは、たんなるノリですから、と。

で、その、「あ、あれ、嘘ですよー、夢ですよー」なんて言ってごまかすのが扇の役割のように思えてきてる。

というのも、今回の『鬼物語』で気になったのは、あからさまに「叙述トリック」や「メタフィクション」が作中で言及されているから。『花物語』では、いきなりの「未来の話≒時間跳躍」が導入され、『傾物語』では、平行世界の時空跳躍が扱われたりと、この第二シリーズは、そもそものこの物語シリーズ自体が物語内仮構でした、という感じがしてくるから。

まぁ、このあたりは、次回作を見ないことにはわからないのだけど。

でも、全体に漂う二次創作的嘘臭さが、八九寺の退場すら実は冗談でした、で終わらせてしまいそうで。。。 その分、今回の終幕部分も今一つリアリティに欠けていたと思う。

とはいえ、この嘘臭いリアリティの醸成こそが西尾維新の狙いだとしたら、やはりこの人は恐るべしってことになるのだけど。

ということで、『恋物語』の出版を心待ちしたい。

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魔法先生ネギま! 339時間目 『ラブラブ・コンプレックス』

2011-09-28 15:43:00 | UQH/ネギま!
ハートマーク付きのタイトルの連続がここのところの雰囲気をよく伝えている。

うーん、ここまで来ると、嵐の前の静けさ、って感じだな~。

とりわけ今回のは、久しく登場を逸していた柿崎、釘宮、それに桜子の回だから。
なんだか、とりあえず終了までに、クラスメイト全員にスポットライト当てておくよー、って感じがひしひしとする。

なんていうのかなー、
紙の上に描かれた今回の漫画を読みながら、
目の前に移った物語とは全く異なる話を想像してしまう、というか。
全然違うことを読み取ろうとしてしまう。
こんな日常風景の裏で、一体この世界について何が起こっているのだろう?って。

なんというか、葬送曲というか。

もちろん、政府要人との会合とかいうのは、例のテラフォーミング絡みなんだろうけどね。

しかし、何だかなー。
物語の進行が著しくチグハグしたものになってきているような。
ある意味で、あの無駄に長かったネギvsフェイトの喧嘩wのあとだけに、
余計にこの日常感がチグハグしてしまって。

というか、フェイトがカラオケしてるとこなんて、まんま同人誌ネタじゃん。
そんなこと、本編で描く必要があるのかな、ってね。
無駄に現実世界とのリンクをつくろうとしているのがハヤテ風に見えたりしてね。

しかし、亜子の話、こんなとこでネタにされるとは。。。とっても不憫。

それも含めてヌルい展開だなぁ。

そろそろビシッと魔法世界編後の物語を起動して欲しいぞ。
このヌルい消化試合感を是非とも拭い去って欲しい。

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魔法先生ネギま! 338時間目 『恋する宇宙開発計画』 追記・補足

2011-09-23 01:34:21 | UQH/ネギま!
気になったのでさかのぼってみたけど、やっぱり、

魔力の源泉は生命力

というのは、今回初めてだされた物語内事実だと思う。

11巻の92時間目で「魔力」と「気」について違いが説明されていて、

「魔力」も「気」もともに

森羅万象・万物に宿るエネルギー

といった上で、

魔力
=大気に満ちる自然のエネルギーを精神の力と術法で人に従えたもの
≒精神力


=人に宿る生命のエネルギーを体内で燃焼させているようなもの
≒体力

と対比的に説明されている。

これでいくと、魔力の源である「大気に満ちるエネルギー」の出所が生命ということになって、いわば「元気玉」みたいに使ってるってことになるけど、この説明はちょっと厳しい気がする。

上の説明に素直に従えば、生命エネルギーの方はやはり「気」だよね。

とすると、魔力の源泉は生命力、というネギの説明に対しては、

●ネギが勘違いしている。
●ネギがわざとこう言っている。

の二つが考えられて、前者の場合は、単純な勘違い、というか認識ミスだとすると、この間違いが下で、今後、計画に支障が生じる、ということになる。

後者の場合だと、本当は、魔力の源泉は他にあるのだけど、計画を進める上で必要だから、他の人への説明も含めてわざと嘘をついている、ということになる。

どちらもありそうだけど、後者のほうだと、千雨=読者代表、という捉え方とも合致する。つまり、読者も騙そうとしていることになる。で、こちらのほうがありそうかな。というか、後者のほうが物語的には面白い。ネギがある事実を隠蔽していることになるから。

つまり、本当の源泉はXなんだけど、それを「生命力」に変えることで問題解決を図る、ということ。要するに、エネルギー源を変えることに近い。

となると、そのXは何なのか?ってことになるけど、これは、ネギの「闇の魔法」のことを考えたら、X=魔族、ということなんじゃないのかな?

というのも、魔力の源泉が生命力であるなら、わざわざ火星に魔法世界を作る必要はなく、素直に地球で作ればいいことになる。でも、実際には火星が依り代にされた。
であれば、生命力の源泉=火星人と考えるべき。
では、火星にはどのような生命があるのか、あるいは、そもそも火星には生命があるのか・・・、という話は全く作中では触れられていない。

この時気になるのがやはり魔族ポヨの存在。

ポヨは何故、魔法世界編の終盤で唐突に登場したのか?
それは単純に魔法世界が火星にあったから、とはいえないか。

というのも、ポヨの登場は、フェイト達の計画を阻止しようとするネギ達こそを阻止するために行われた。ということは、ポヨにとって、魔法世界の瓦解はマイナスになるから、という判断があったはず。

で、ここは素直に考えると、魔族が絶滅の危機に瀕していて、魔法世界を支えるだけの生命力=魔力を供給できなくなっている、と考えるのが妥当ではないだろうか。

もちろん、X=魔族だったとして、その魔族がもともと火星人だったのか、あるいは、地球上の存在が何らかの方法で火星に送られたのか、はわからない。

さらにいえば、魔法世界には、どうして、真性の地球人が一定数移住していたのか、という疑問も残る。

どうやら猫耳とかついていた存在は、魔力で構成されていた存在のようだけど、ややこしいのは、一見して人間と変わらない外観をしていても、ラカンのように実は魔力で実在させられていた存在も併存していること。

となると、むしろ、魔族的存在が魔法世界で活動するために、真性の人間の存在が必要だった、というようにも考えられる。つまり、純粋な魔法世界人の存在には、その依り代として?あるいは、参照先として? 地球人が必要だった、ということになる。

まぁ、このあたりは、メガロメセンブリアの高官らを縛り上げれば遠からず分かりそうなものだけどw 

とにかく、魔族と人間の双方が魔法世界の存立のためには必要なのは多分間違いない。

そして、人間はさておき、魔族の方は、魔法世界消滅を阻止することを望むような利害をもっていた。

で、その利害がまたぶり返してきて、ネギの計画が破綻に追いやられる、ということなんじゃないのかな。

ということで、魔法世界の成り立ち、魔力の源泉、魔族の存在、あたりが、始まりの魔法使いの「始まり」を含めて、今後の転回の鍵になるんじゃないのか。

その意味で、始まりの魔法使いがどうやら一種の霊体で、存続のためには寄生先としての実体のある人間が必要だ、というところが鍵になるような気がする。

その時、魔法世界の王族の末裔たるアリカの生死が関わる話であるがゆえに、ナギが自らの身体を始まりの魔法使いに差し出した、というようなことがあったのではないか。

というか、こう考えてくると、アリカやアスナ、さらにはネギ、という存在が、厳密に人間と言えるのかどうか、ということも疑問に思えてくる。にしろ、アスナは既に百年を生きてきた存在と言われるわけだから。

また、魔族と人間の中間的存在という点では、龍宮や刹那、さらには小太郎も、魔族編の中で彼らの存在の真相に迫らざるを得ないのかもしれない。

というか、少なくとも龍宮については、彼女が超鈴音の作戦に乗った背後には、百年後の火星を救うことに何らかの直接の利害があったからではないだろうか。
(龍宮が魔法世界の秘密を知っていたかどうかについては何ら情報はない。)

前にも書いたけど、超が魔法を使う際に体に浮き上がった紋章が、闇の魔法のものにそっくりだった、というのも、魔族の関わりを暗示しているように思う。

もっとも、超裏技として、超が最登場すれば、タイムマシンというワイルドカードも手にすることができる。魔法世界、宇宙、タイムマシン、と来るともはや何だかわけがわからないことになるけれどw

ともあれ、魔力の源泉は生命力、というのが「嘘」であった場合、物語が様々に動き出すことは間違い無いだろう。

そうして、ネギに嘘をつかせることを可能にするためにも、魔法世界編直後の描写が麻帆良学園の生徒主体の日常生活描写を中心に持ってきたように思える。

・・・と、以上は、こういう方向に向かったら、ネギま!はまだまだ面白くなるし、少なくとも魔法世界の半分くらい分量の物語は紡がれそう、という直感で書いたもの。

とはいえ、そんな空想にはお構いなしに、このままあっさり物語が集結する可能性は否めない。

とりあえず、次回、どんなところから話が始まるのか、気になってしょうがないw


それにしても、久しぶりに11巻なんて開いてしまったけど、
この頃のネギま!は良かったなぁ。
ネギが真っ直ぐに成長過程にあって、
周りのみんながその成長を後押ししている。


もう一回ぐらい、こういう牧歌的な世界が見てみたいなぁw

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神様ドォルズ 第12話 『暴走』

2011-09-21 15:08:06 | Weblog
最終話を目前になんだか盛り上がってきた。

想像していた以上に、しり上がりにいい感じになってきていて、面白い。

きっと、一方で横溝正史的な、因襲に塗れた「現代から取り残された村」を舞台にしつつ、その一方で、現代的な問題で病んでいる都会=東京を、綺麗に対比しつつ、物語を進めているのがいいのだろうな。

もっとも、前回登場の「村初めての国会議員」の登場には、さすがにいつの時代の話だ、という気にはさせられたけどw

あ、そうか、どこかで『ひぐらしのなく頃に』的な感じがするのか。。。

そうした、村vs都会、という時空のずれを、横溝正史的な異界的空間を導入することでうまく処理した物語世界に、いいキャラとメカ(案山子)を配置した所もうまい。

隻と案山子、の関係が、操縦者とメカ、主と従者、あるいは、飼い主と動物、のような感じで、調和と破綻をうまく入れているところもいい。

とはいえ、終盤での盛り上がりを支えているのは、やはり匡平が何故隻をやめたのか、そして、やはり隻に戻るのか、それを自分の意思で選ぶのか、それでも選ばされたと感じるのか・・・

という具合に匡平の葛藤を軸に据えてきてるからだろうな。

ここまであからさまな物語の中心も珍しいんじゃないか、と思うほど。

今回の流れからすれば、カカシが暴走し、匡平も暴走する。
そして、以前に、主従の関係があった玖吼理が匡平の暴走に応える。

今回うまいなぁと思ったのは、まひると禍津妃のやり取りの中で、案山子が隻の従順な家来ではないということを明らかにしたところ。案山子にも意思があるし、案山子は隻に応じていまの形があるということを、物語の流れの中で、しかも匡平の覚醒に至る事件の直前のところできちんと説明しているところ。

これでは盛り上がらないはずがないよね。
実際、最後に、玖吼理も匡平が隻であった頃を思い出すように動き出すし。

ホント、この展開はうまい。

で、結果的に、匡平が台風の目として、周りにいる人々を、隻や案山子を含めて巻き込んでいってしまう。

で、それが許されるのも、詩緒が匡平の妹だから多少影が薄くなっても問題ない、という設定にしてあるところ。

結局、ドラマツルギーがとてもよく埋めこまれている。

いやー、次回、どうなって終わるのだろう。

で、当然、いつか二期があるって感じだよね、これは!

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魔法先生ネギま! 338時間目 『恋する宇宙開発計画』

2011-09-21 14:29:12 | UQH/ネギま!
本人でなくとも、最近、ちょっとはぶられてんじゃね? と思っていた千雨回w
そして、千雨回らしくSF的展開の火星テラフォーミング計画の開示。。。

ふむ。

久しぶりに千雨が前面に出たのはいいとして、
とはいえ、なんだろうなぁ、この、全体として遠くを見やるような、
静かなまとまった感があるのは。。。

あっさりテラフォーミングなんてタネ明かしをしてしまったところが、
どうにもリアリティがあるんだかないんだか。
それも含めて、あー、やっぱ、ネギま!、近々終わるんだ、って感じが
何ともぬるい感じで漂っているのがねぇ。

いや、テラフォーミングなんて、あまりにもベタ過ぎて。
というか、そもそも、百年後には火星は人類が住めるようになるから、って
超鈴音が再三再四主張していたから、物語内的には、見事に予定調和なんだけどね。

ふむ。

しかし、そうなるとむしろ、ポヨが確か言っていた、
「君の進む道は、超鈴音の世界に続く道・・・」
とかいう方向のまんまの気がして、
あれ、それでいいんだっけ?という気もする。

あと、微妙にテラフォーミングというトンデモバカデカイ話のせいで、
魔法の話がどっかに言ってしまったような気すらする。

いや、何気にとても大事なことがさらりと言われていて、それは、

「魔力の源泉は生命力」

というところ。

そういえば、昔、ネギがエヴァに稽古をつけてもらい始めた初期に、
このかと一緒に、魔力の源泉とかの話とかしてたな、とは思ったけど。
あれ、小太郎と、東洋魔法と西洋魔法の違いについて話していたとこだっけ?
とにかく、魔力が何らかの意味で生命と関わることは既に言及されていたとは思う。

で、だから、火星を生命力溢れる世界にすれば大丈夫!、というのは確かにわかる。

千雨ではないけど、わかり過ぎるほどよくわかる。

でも、やっぱり、これは正攻法過ぎてやっぱり間違った解決方法じゃないのか、と思うんだよね。

というか、火星緑化作戦で起こることは、足下の問題のとりあえずの解決でしかない。

でも、読者を含めてずっと気にし続けているのは、

さて、一体全体どうして、こんな魔法世界がそもそも造られてしまったのか?

というところにあるはずで、この問を、火星緑化作戦は隠蔽してしまっている。

それもあって、本来、作中キャラからすれば嬉しいはずの、そして、読者からすれば楽しいはずの、魔法世界から戻ってきての、麻帆良学園での学園生活という日常が、どうにも嘘くさく感じられてしまう。

まさに今回、千雨がネットアイドルの生活に戻っても、
どうもいまいち乗り切れないのと同じように。

というか、前から、千雨は基本的に読者(目線の)代表キャラと思っているので、
今回の千雨の行動や問いは、ほとんど読者の疑問の解消に近いと思ってる。
だからってこともあるのだけど。

つまり、ネギが千雨に説明する場面は、ネギが読者に物語の骨子を説明するのとほぼ同じ、ということで。

なので、千雨ではないけど、
ちょっとこれ都合良すぎじゃね? という疑問が浮上する。
いつの間にか、ファンタジーからSFかよ、
それ、物語の目標を微妙に書き換えてるだろよ、とね。

で、この先の展開が微妙なのは、
その気になれば、このままでネギま!を終わらせることも不可能ではないから。
まさに、ファンタジー内の問題をSF的科学考証で解決するなら、
グウの音もでないから。

でも、そのSF的解決ってのは、さすがになしだろ?ってことになれば、
ネギま!はこの先も続くことになる。

その場合は、やっぱりファンタジーなんだからファンタジー的解決をちゃんとしないとだめだろ、と。

つまり、囚われの姫を取り返して、世界の起源の秘密を解明し、継承する。

ここでいう囚われの姫は、造物主=始まりの魔法使いに取り込まれてしまったナギのことだし、世界の起源というのは、魔法世界の成り立ち、のこと。

これらのファンタジー的終末にきちんと取り込むのかどうか。

一応、こういう疑問をジリジリと持たせようとしているのが、
ここのところの、ヌルい学園生活描写回だと思っているのだけど。

とはいえ、これ、やり始めると、きっと長いよねぇ。

というか、ポヨ=魔族あたりが最登場して、彼らの時間スケールから見たら、
ネギの計画はやっぱ駄目だ! とか言って欲しいけどなぁ。

でも、魔力の源泉が生命力といわれちゃうとねぇ。。。

となると、魔族ってなんなのよ?

と問いたくなってはくるのだが。

ポヨと対峙した龍宮が、この魔力の充填なら使えるとかいって、
魔族形態になってたとは思うけど、
となると、魔力と魔族の力とは異なる、ってことになるよね。
当初は、そのような魔族的力に一番近い存在がフェイトだと思ってたけど、
彼も造物主による被造物=人形だったということだから、
フェイトに代わって、こうした魔法世界や魔族の秘密に肉薄できるキャラを
どこかで見つけないと(もしくは新規に登場させないと)、
話自体が進まないような気がする。

あー、そうか。
結局、そういう新しい物語の運び役の人が、今、いなくなってしまって、
その分、方向感を失っている、というのが、今のネギま!の空気なのだろうな。

次回あたりから、そろそろそうした方向感を与えてくれる新事件!が起こることに期待したいなぁ。

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TIGER and BUNNY 第25話 『Eternal Immortality』

2011-09-19 01:29:54 | Weblog
気がついたらタイバニも終了。
最初は舐めていたのだが、中盤で盛り上がった。
後半は、正直なところ、ちょっとだれてしまった感じは否めないけど、
虎徹さんwをはじめとしたキャラの魅力で乗り切ったという感じ。
二期ありという話も聞くので、期待。

スポンサーロゴ入りのヒーローということで、
当初は番組企画自体が色物的に扱われていたけど、
一度その設定も飲み込めてしまえば、ほとんど気にならなくなった。

むしろ、今時のヒーローとしては説得力のあるものに感じてきた。
もちろん、舞台が日本ではなく多分近未来のマンハッタンというところも含めて。
王道展開をするには、舞台設定が極めて重要なことに気付かされた。

超傑作というわけではないけれど、こうしたものも見たい、という意味では、
良き佳作だった。

最終話でタイガーが引退宣言をし、それにつられてバーナビーも引退を選択したわけで、
あ、これは、二期で、コンビ再結成なのね!と瞬間的に思ったのだけど、
あっさり、最後で二人とも復帰を宣言していて、
いやー、もう少し引っ張ろうよ・・・、と思ったものの、
結局、このテンポのよさ、というか、王道展開の先取り、のところが、
タイバニの魅力なのだと思った。
コテコテの展開をどんどん消化して前にズンズンすすむところが。

ここのところの数話については、正直、タイバニ以外のヒーローの不甲斐なさに呆れつつ、そうした扱いを躊躇せずやってしまうのも、思い切りのよさとしていいのかも、と思った。

裏返すと、あくまでも主役のヒーローはタイバニの二人でしかない、ということで。

とりあえず、タナトスや楓という絡め手の能力者がほぼ手つかずにあるので、
二期では、そのあたりをうまく按配して欲しい。
ウロボロスにしても安易にその首謀者を見せるのではなく、ちょい見せしつつ、
二期だけでなく、三期、とか、継続シリーズにしてくれると面白い。
もちろん、間が空いたら、それぞれのヒーローのスポンサーロゴが変わる、
というのも含めて。

ともあれ、この佳作は大事に育てて行って欲しい。

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境界線上のホライゾン 4(上) 感想

2011-09-14 20:38:49 | Weblog
いやー、このシリーズはホントに面白い!

来月からアニメが始まるけど、そのプレビューを確か6月くらいに見て、
何だかとても気になって、結局、3巻までを夏に読んだ。
で、今回、リアルタイムで4巻の上を読了。

この物語は、よく出来ている。
世界設定も、物語進行も、非常に良く練られている。
これだけ登場人物が多数出てくるのに、きちんとひとりひとりのキャラが立っているのが凄いところ。

(同じような設定の『禁書目録』よりも遥かに・・・1000倍くらい? 物語展開がうまい。)

10月からのアニメでもCVの割り当てが話題になってるみたいだけど、
確かに2巻以後に登場するキャラも多数いて、かつ、その中からも、
物語の本筋に絡んでくるキャラが続々出てくるので、
今後のためにも、CVのストックも必要になるほど。

3巻まではCVイメージが固まっていなかったけど、
今回は、既に発表された人たちで脳内変換されていて、
いずれも合ってる感じがしていた。
主役級の10人くらいはバッチリ!という感じ。

いやー、セージュンの沢城さん、とか、
アサマチの小清水さん、とか、
ミトッサンの井上さん、とか、
トーリの福山さん、とか、
葵姉の斎藤さん、とか、
どれも、ぴったりのイメージで驚くよw

で、この物語は各巻ごとの引きが凄いのだけど、
この4巻についても絶妙の引きで終わってる。

感想といいながら、全然感想になっていないのは、
やはり、お話としては、4巻の中、下を読んでからでないと書きにくいな、と。

あと、1~3巻の間のことにもどうしても触れることになるのだけど、
それは、多分、10月からのアニメに合わせて触れるほうが面白そうなので、
とりあえずは、ホライゾン、面白いぞ、と言っておこう。

今回目立ったのは、二代、ウッキー、ネシンバラ、立花夫、里見、あたり。
彼らは4巻全体で物語を引っ張るんだろうな。
(あ、ネシンバラは今回限りのネタキャラかもしれないけれどw)

とはいえ、物語に安らぎを与えてくれたのが、
意外と、アデーレと鈴さん、それに立花嫁。
あ、それとメアリーねw
あと、アサマチとミトッサンは王道的安定感w

いずれもネタバレになるから、気になる人は読んでくださいな。

それにしても、川上稔のストーリーテリングの妙には脱帽する。
中盤でだれそうなところで、きちんと盛り上げるネタを振り込み、
ページを繰る手を休ませない。
そして、最終コーナーでまたもや一気に読ませる。

ほんと、川上稔は緩急の付け方が上手い。
これだけの人数のキャラを動かせるのだから。

今回、ちょっと日本史色が強くなって、ちょっとどうかなーと思っていたら、
後半で、きちんとそこも補ってくる。

来月の4巻中が楽しみでならないw

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西尾維新 『少女不十分』 感想

2011-09-09 23:03:22 | 西尾維新
久方ぶりの、西尾維新の「新作」。
ネタバレにはならないと思うけど、それっぽいことは書くだろうから、読む人は一応その心づもりで。





















とはいえ、極めて「私小説」っぽい構成で、これを新作と読んでいいかは微妙なところ。

基本的には、売れっ子作家である語り手の「僕」が、彼が作家となるきっかけとなった10年前のとある「事件」について語る構成。

プライバシー保護とか、表現規制とか、いろいろと理屈をつけて「僕」の名を伏せたまま物語が続くため、読み手としては、どうしてもこの「僕」を西尾維新本人と重ねる形で読み進めてしまう。

というのも、作家の「僕」の特徴、たとえば比類のない速書き作家であるとか、西尾維新を連想させる形容は多いため、これを西尾の私小説として読むように誘導する仕掛けはそこら中に見られる。

とはいえ、一応最後の最後で、作家の名前が示されて、一応、僕≠西尾維新、というエクスキューズが示される。

もっとも、西尾維新という名はペンネームでしかないから、僕の名が西尾維新でないからといって、僕が西尾維新の「中の人」でないことまでは担保されない。

ということで、どこまでいっても、これは西尾維新の私小説として誤読されるのだろう。

その点が、西尾らしいズルさといえる。

そのような私小説として読むと、物語の最終段階で示された「僕」の作家としての動機は、道を外れた人間でも幸せに生きることができる物語を記すことにあるという。
そして、その意味で、「良き大人」であることを強いる模範的な書き物、すなわち「小説」ではない、ということになる。

実際、道を外れた人たちが紆余曲折を経て、彼らなりの幸せを得る、というのは西尾維新の物語に通底する。それを、どうやら作家自身が吐露したとも取れる構成。

道を外れる、というのは「異化」の初歩だから、そのような登場人物を持ちだした時点で、必然的に物語らしきものは勝手に動き出してしまう。

ともあれ、この本の内容について、何度か「僕」が強調しているように、西尾の作品は、物語ですらなく、「事件」でとどまることが多い。そして、その「外れた道」からは結局戻らないままお話は終わる。

基本的にはオープンエンド。

というのも、道を外れた人が幸福になるそのあり方は、必ずしも世間的に広く認められている「大団円」的な、規範的な「幸せ」ではないからだ。つまり、登場人物が彼/彼女の内面で「どう幸せなのか」は、語り手の想像を超えているから。だから、それぞれの「幸せ」を読み手が勝手に想像するしかない。

ということで、西尾作品の読後感が微妙にずれるのは、その「それぞれの幸せ」が、読み手が想像できるエリア内にあるかどうかで変わってくるのだろうな、と感じた次第。

なんとなく、今まで西尾維新を読んで、腑に落ちる時に落ちない時にきれいに別れてしまう理由がわかったような気がする。

要するに、物語的な結論は常に想定されていない、ということ。

そして、西尾作品を出来ればそのようなものとして読んで欲しい、というのが、この『少女不十分』で伝えたかったことのように思えた。

で、読後感は、新作と聞いて期待したけど、あまり面白くはなかった、ってところ。というか、やっぱり西尾維新、スランプにあるのだろうか、と。

『少女不十分』では、結局、正しい西尾維新作品の読み方を作者自身が指示したように見えるし。

化物語の第二シリーズでは、ファン受けの良い展開、というか、自分で二次創作してるような話を書いているし。

化物語以外でも、病院坂黒猫や、赤い請負人の物語をこれまた二次創作的に書いているし。

書きたいものがなくなってしまったのではないか、とちょっと心配になった。

ということで、また何か気づいたら書くだろうけど、とりあえずはこんな感じ。

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魔法先生ネギま! 337時間目 『力になりたい!』 追加・補足

2011-09-08 14:55:42 | UQH/ネギま!
ちょっと思いついたが、仮に魔法世界と現実世界の行き来が可能になるのなら、その両者の間で知人・友人を作った、魔法世界編のネギ・パーティの面々は、成人してから重要な役目を果たすようになるのだろうね。

とりわけ、魔法世界の学校に、結果的に「留学」してしまったユエの重要度は高いし、そのカウンターパートして、アリアドネーの学友、特に委員長の役目もね。二つの世界の架け橋になる。

「紅き翼」の一件に関わった人たちが、その後、魔法世界各国の要職に就いて指導者的立場をとったことを思えば、ネギ・パーティの面々にはそういう役割がついてまわりそうな気がする。実際、「紅き翼」の関係者は、今回の魔法世界編で、ネギを筆頭に「白き翼」関係者を導く役割を果たしたわけだから。同じことを「白き翼」も行う。もちろん、雪広あやか+千鶴も加えられるわけだけど。

ただ、こう考えると急にネギの世界の時間軸が一気に延びたような気がしていて、物語全体が先を急いでいるような気がしてくる。

なんというか、ある意味で神話的というか。

もしもネギがエヴァなみの生命力を獲得してしまったのだとしたら数百年の存命も可能なわけで、となると超鈴音との再会も、わざわざタイムマシンを使わなくても可能になる。

まぁ、造物主という存在の時間観念とはそれくらいのものなのだろうけど。

しかし、となると、ネギ・パーティの面々の存在が相対的に卑小なものに見えてきてしまう。これは、ちょっと寂しい気がする。

ネギのパワーアップインフレの時から、こうした事態は想定可能だったわけだけど、それにしてもね。

もっとも、よくよく考えると、現実世界に魔法世界の存在を知らしめる、というのは、超との戦いの時に、一度ネギやユエが否定した展開だったはずで、それをネギ自身が進める心境はどうなのだろう?

というか、魔法世界=火星、ということに気づいたときに、ネギの頭では、超の計画の意図が想起されたのだろうか?

・・・って、もちろん、まだ、魔法世界を現実世界に紹介すると決まったわけではないから、何にしても時期尚早のことだけど。

ただ、もしかしてユエの記憶が戻らないのって、この超の計画を否定したことを消去して、ユエが要らぬ心労を抱えないようにするためじゃないのかと思えてきたりして。

その場合はもちろん、ユエの記憶を操作している、より大きな存在がいるということになるのでw、物語はどんどんトンデモ化していくわけだけど。

ネギま!ってリアルとファンタジーのどっちを狙ってるのだろう。
だんだんわかんなくなってきたりして。。。

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魔法先生ネギま! 337時間目 『力になりたい!』

2011-09-07 15:45:50 | UQH/ネギま!
茶々丸とユエに焦点を当てながら、ネギの計画の片鱗を見せたのはうまいかな。

前者からは、この計画が数十年から百年単位のもの
後者からは、魔法世界=火星と現実世界=地球との往来を示唆

ここから考えると、魔法世界の住人を地球に移住させることを想定してるみたい。

で、実験期間を、アリアドネー大使のような形で、
魔法世界人を現実世界で生活できる環境をどう作るか、その対策が試みられる。

前の描写だと、クーネルは現実世界での実体化が困難なようだから。
となると、実体化を長期にわたって固定化させるための方策が必要になり、
そのことを何とかしようとする。

この点から考えると、意外と茶々丸的ロボ的存在は、一つの鍵になるのかも。
魔法世界人の実体化の試作体というか。
超鈴音は、そのことを見越していたのかもしれない。
といっても、ここ真面目に考えるとタイムパラドックスになるけど。

ネギが魔法世界で遊説をしているのも、
まずは、大戦の英雄ということで名を売っておいてから、
いざ魔法世界からの大量移民開始!って段になって時に、
合意が取れるようにしている、ということなんだろうな。

ポヨの話では、魔法世界消滅は10年後とみなされているから、百年計画ではどうしても時間が合わない。

となると、最悪の場合、90年間ほど、魔法世界でも地球でもない第三の場所に逃げ込まないといけなくなる。で、それが、前回フェイトが言っていた「エレベータ」が絡む話で、おそらくは、地球の衛星軌道上か、もしくは、月に「仮設の移民先」を用意する。そのための資金源獲得のために雪広グループと千鶴の実家のような財界要人を巻き込んでいる。彼女らの実家が中心になって、資材確保と各種政府間調整を実施中、ということなのだろう。

なんだか、壮大な話だw

でも、魔法世界住民の全てを救うという計画だとそれくらいスケールが大きくはなってしまうよね。

このままだと、ネギは魔法世界の「第二の造物主」になってしまうよね。
ま、第一の造物主の末裔、というのだから、ある意味、血のなせる技、ってことか。

とはいえ、いささかリアル実社会的要素を気にしすぎじゃないかな、とも思っている。

いや、こういうところにリアル考証のエネルギーを注ぐと、どうしても、そもそもどうして魔法世界なんか作っちゃったんだ、とか、ネギま!の世界の「魔法」ってなんだったのか?、とか、どうしても気になってくるから。魔族のことも。

とりあえず、エヴァが、魔族と人間の間をどうつなぐか、という一種の「実験」から生まれたのは多分間違いないだろう。魔法世界人と人間の間の繋ぎ手が、もしかしたら茶々丸的存在なんじゃないの?というのが、今回示されたヒントのようにも思うし。

あー、ところで、ネギのふるさとの人たちの石化はまだ解けないのかな?
フェイトが仲間になったんだから解呪されていてもよさそうなものだから。

で、ネギのふるさとといえば、相変わらずネカネの存在が気になる。

ネギには姉はいない、ネカネはアスカそっくり、・・・とかの事情を考えると、消息不明のアリカがネカネの中に封印されている、とか想像してしまう。

いや、つまり、もしもネギの考えていることが、魔法世界人の地球への移民計画だとするならば、その過程で、今書いたような、もろもろのネギま!世界の秘密に触れざるを得なくなる。

というか、もうちょっと物語構成的視点から見れば、そうやって、移民計画と魔法世界の創造を関連付けると、ネギの計画を説明していく過程で、この魔法世界の成り立ちを、効率良く、それこそ教科書的にサクッと説明できてしまうように思える。そうやって、ひと通り、魔法世界の成り立ちとか魔法世界人の由来とかダイジェスト的に説明してしまうことで、さっさとナギ=始まりの魔法使いとの最終決戦に望んでしまうのかもしれない。

あ、今気がついたけど、ナギとの最終決戦は多分麻帆良学園、すなわち地球側であるだろうから、そこで、たとえばラカンの実体化という形で、魔法世界人の地球での存続の仕方が活用されるのかもしれない。となると、まずは、ネギの計画を実行に移すことが、物語の展開上も必要になる、ってことなのかも。

しかし、こうなると、前回フェイトが言った、ネギと並び立つにはそれなりの資格が必要、というのもリアルになってくるのかも。なんたって、話のスケールがでかすぎる。

そして、フェイトは、始まりの魔法使い=ナギに仕えていて、そこから離脱したのだから、ナギクラスの存在に仕えるようにならないとプライドが許さない。

よくよく考えたら、要人に仕えるというのは、つまり、マスターと執事の関係というのは、一種の恋愛関係的な信頼関係がなければ成立しない。だとすると、前回のフェイトの様子も納得できたりして。

とはいえ、百年かかる計画かぁ。
もしかしたら、ネギは魔族化してしまったから、その百年も問題なく迎えられてしまうのかな。作中内では、アスナも百年以上生きていた、ということになってるから、そのような長寿?の存在になってもおかしくはないわけで。となると、魂をボディに移せばいつまでも存続可能な茶々丸が秘書役というのも、まんざらではないのかも。

むしろ、ユエの絡み方が気になるところ。
もしかしたら、ユエの記憶がいまだに戻らない、というのは、何か、魔法世界人と地球人の間の往来の上で大事な要素なのかもしれない・・・なんて考えてしまう。

という具合に、新章がぼちぼち始まりかけたところで次回は休載か。
どの段階で次の展開のロードマップが示されるのか、気になるなぁ。

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