アニメの第1話を見て、やっぱり気になってしまって、原作に手を出してしまったのだけど、
いやー、これはちょっと近年、稀に見るほどの傑作マンガじゃない?
それくらい途中から続きが気になって仕方なく、最後まで一気に読み進んでしまった。
それに、タイムリープ・ミステリーとしてみたときも出色でしょ。
比較するのは難しいところはあるけど、『君の名は。』の上位互換といってもいいくらい。
それくらい、タイムリープ・ミステリーの魅力が全て詰まっている!
それも、結局のところ、少なくとも慎平視点から見たときは、島に戻った7月22日から24日までの、「わずか3日間」の出来事にすぎないんだよね。
そこで一度目にする、文字通りのデッドエンドを回避するために死力を尽くす。
もちろん、その3日間の間に、その3日間より前に生じた事件が、一応「回想」という形で紹介されるわけだけど、そこはタイムリープものらしく、いつの間にか、それら「過去の回想」もまたリアルイベントのような錯覚に陥らされていく。。。
タイムリープ・ミステリーって、前回までのループを主人公自身が「記憶」や「経験」として反省的に検討し直すから、本質的にメタフィクションになるのだけど、その特質を余すところなく使ってくる。
その点でキャラの配置も秀逸で、中でも
慎平の「俯瞰」特性
ひづるの職業が「作家」
という設定は、作中で前回までのループを分析し、新しいループでの攻略法を考える上で極めてナチュラル。
とにかく主人公の慎平があたふたしないところがよい。
「俯瞰」特性があるから、臨機応変に物事に対処できるし、ループに慣れて以後は、ループ特性を活かすために、即断即決ができる主人公になるところもいい。
慎平自身はほとんど戦闘力がなく、もっぱら戦うのは影であるウシオなので、その分、慎平自身は自分が戦略担当であることを自覚している。
まぁ、いわば、慎平とウシオは、Fateでいうところのマスターとサーヴァントの関係のようなものなのだけど、その関係は、むしろ、ウシオが一時期消滅した後、彼女の役割を影ミオが担っていたところではっきりする。
ウシオと違って、もともと影ミオは敵で、慎平は1周目に影ミオにしゃさつされていたこともあったからか、影ミオが仲間になって以後も、基本ドライな関係が維持されたことも大きくて、明らかに慎平は、影ミオについては「使役」させていたから。
まぁ、オリジナルの澪が妹のような存在で、姉の潮に対するのとは違って、慎平自身も、兄貴口調で命令気味になっていたことも大きいだろうけど。
ともあれ、戦闘力がない分、慎平は自分が司令塔の役割であることを強く自覚していた。
一方、ひづるの方は、14年前にハイネによって殺された双子の弟の竜之介の魂を、正確には、竜之介をコピーした竜之介の影の魂を、ひづるの内部に抱えていたため、参謀役なだけでなく、自らの身体の制御を影竜之介に預けることで、直接戦闘に臨むこともできる
つまり、ひづるは人間と影のハイブリッド。
その特性で、単に状況を分析するだけでなく、自らその作戦を遂行できる傑物なわけで、それゆえ、慎平が自分の役割に自覚的になっていく過程において、慎平とウシオを導く師範の役割も果たしていた。
その意味では、慎平がもともと作家ひづるの大ファンで、出会った当初から「先生」と呼んでいたのも、地味に効いている。
ひづるは、慎平とウシオの指南役として登場し、彼らが十分成長したと見極めたところで(といっても、その時はウシオが消失していたときだから状況的には極めてヤバいときだったわけだけど)、シデの手にかかり、先に散っていった。
ただ、そこで同時に、影竜之介を慎平に託す、という、いわば遺言イベントも生じるわけで。
いやー、このあたりのね、キャラの配置のさせ方、というか、動かし方というのが、もうとにかく上手いんだよ、このマンガは!
こんな感じで感想なり考察なりを書き始めたら、もう止まらない、という感じでw
なので、とりあえず、今回はここで止めておく。
少なくとも書きたいと思ってしまうこととしては、
● ウシオの存在意義
● 物語のループ構造、ならびに、それが物語の結末に与える影響
● タイムリープゆえの驚愕と爽快感
● ハイネの存在意義
● シデの存在意義
● ヒルコ伝承の役割
● スワンプマン=沼男の哲学的意義
● 澪ならびに影ミオの意義
● 平行世界設定
● 菱形家の人びと、特に朱鷺子
● 先行したタイムリープものとの差異
・・・等々、ちょっと思いついたことでもこれくらいあるw
しかもすごいのは、たとえば「ウシオの存在意義」といっても、この物語にタイムリープもの特有のメタフィクション性があるから、
それゆえ、常に「作中の個別イベントにおける意義」と「物語全体の構造における意義」という具合に、常に、アリの視点とトリの視点から分析できてしまうところw
そういう意味では、慎平いうところの「俯瞰」特性が全編にわたり染み付いている、って感じなんだよね。
常に、
目の前で起きた一回性の事件/存在としての意義
と、
ループ内、あるいはループを通じて(超えて)反復される事件/存在としての意義
の複眼で、今読んだマンガの描写を受け止めないといけない、という気にさせられるw
いやー、ホント、すごい作品だよ。
つくづく思うのは、一気読みできてよかった、ということで。
これ、連載されている時に読んでいたら、多分、これだけの緊張感をもって読みきれなかったと思う。
次の回が登場するまでウダウダ考えている内に、熱が冷めてしまうことも十分考えられるから。
その意味でも一気読みできてよかったし、アニメの方も、一気に最後までやって完結されるのは素晴らしい。
しかもタイトルにある「サマータイム」の真っ只中である、現実の「2022年の夏」の間に話は進むのだからw
いやー、ほんと素晴らしい。
ということで、先に挙げたような内容についてもまた、感想なり考察なりのかたちで、あとでアップしていきたいと思うw
でもまぁ、それくらい傑作!ということなんだよw