前回の引きで、あれ、これ、音が合ってない!と大騒ぎになったコメットA出品作「芝浜UFO大戦!」。
・・・なのだけど、浅草の機転?というか、監督判断で、物語にテコ入れすることで、なんとか完成させることができた。
・・・なのだけど、今回の最後に見せられた作品そのものは、結構、抽象的で、え???、なにこれ???、という感じのものだった。
しかも、それで、『映像研』という作品の最終話になってしまうのだから。。。
意外と、最後は、「意識高い系」で落としてきたよね。
「芝浜UFO大戦!」という作品自体は、お仕着せの「ハッピーエンド」を否定した形で、なんでもかんでも大団円なんてヌルいこと言ってんじゃねぇよ!、と一応、世のエンタメ風潮に釘を差してきたし。
そのような展開に土壇場で変えた監督・浅草氏については、最後のシーンで、彼女の妄想力こそが、彼女の想像力の源泉であることを強烈に示していた。
なにしろ、目覚めたら、彼女の目には、芝浜の空を飛ぶUFOの姿が映ってくるのだし、そのUFOに対して、お気に入りのぬいぐるみを使って、対抗するイメージを、起き抜けであるにもかかわらず、自動的に想像してしまうのだから。
そして、そんな浅草の妄想力は、作品を通じて視聴者たちに目にも感染していく。
だから、「芝浜UFO大戦!」を見た人たちは、芝浜の街に、映画と同じように、「かっぱ人?」たちの建物が、街の中に隆起してくる様子を幻視してしまうw
まるで、それこそが想像力ってものだぜ!というみたいに。
一応、ここまでの話で、水崎のアニメータとしての「動き」の再現へのこだわりや、金森のプロデューサーとしての周りの利益を勘案しながらもとにかく作品は完成させてなんぼ!、という姿勢が描かれてきた。
それにならえば、今回示された浅草の妄想力は、ディレクターに必要な才覚として、描かれた、ということなのだろうな。
で、それを示したところで、一応、このクールの作品としても終わりということで。
なんか、いろいろと語りたくさせる面白さに溢れた作品だった。
できれば続きが見たいので、続編の製作に期待w
あ、それにしても、百目鬼が最後の私的鑑賞会には参加しないところはいいね。
なんで、音響さんって、ああいうふうにマイペースな人として描かれるのだろうw
・・・なのだけど、浅草の機転?というか、監督判断で、物語にテコ入れすることで、なんとか完成させることができた。
・・・なのだけど、今回の最後に見せられた作品そのものは、結構、抽象的で、え???、なにこれ???、という感じのものだった。
しかも、それで、『映像研』という作品の最終話になってしまうのだから。。。
意外と、最後は、「意識高い系」で落としてきたよね。
「芝浜UFO大戦!」という作品自体は、お仕着せの「ハッピーエンド」を否定した形で、なんでもかんでも大団円なんてヌルいこと言ってんじゃねぇよ!、と一応、世のエンタメ風潮に釘を差してきたし。
そのような展開に土壇場で変えた監督・浅草氏については、最後のシーンで、彼女の妄想力こそが、彼女の想像力の源泉であることを強烈に示していた。
なにしろ、目覚めたら、彼女の目には、芝浜の空を飛ぶUFOの姿が映ってくるのだし、そのUFOに対して、お気に入りのぬいぐるみを使って、対抗するイメージを、起き抜けであるにもかかわらず、自動的に想像してしまうのだから。
そして、そんな浅草の妄想力は、作品を通じて視聴者たちに目にも感染していく。
だから、「芝浜UFO大戦!」を見た人たちは、芝浜の街に、映画と同じように、「かっぱ人?」たちの建物が、街の中に隆起してくる様子を幻視してしまうw
まるで、それこそが想像力ってものだぜ!というみたいに。
一応、ここまでの話で、水崎のアニメータとしての「動き」の再現へのこだわりや、金森のプロデューサーとしての周りの利益を勘案しながらもとにかく作品は完成させてなんぼ!、という姿勢が描かれてきた。
それにならえば、今回示された浅草の妄想力は、ディレクターに必要な才覚として、描かれた、ということなのだろうな。
で、それを示したところで、一応、このクールの作品としても終わりということで。
なんか、いろいろと語りたくさせる面白さに溢れた作品だった。
できれば続きが見たいので、続編の製作に期待w
あ、それにしても、百目鬼が最後の私的鑑賞会には参加しないところはいいね。
なんで、音響さんって、ああいうふうにマイペースな人として描かれるのだろうw