ようやく映像にする意味のある回がやってきた。
第1話が始まった時に、いくら何でも阿良々木くんの家の中、モダンでキッチュすぎるんじゃない、一軒家のくせに、てか、広すぎだろ、それ!、って思っていたのだが、しかし、今回の映像で納得。あ、この入浴場面をやりたかったからなんだ、と。
広い浴場に洋風の陶器製とおぼしき浴槽をおき、そこに薔薇を散らす、というのは、往年のフランス映画のようでいい。薔薇のところはむしろ『アメリカン・ビューティ』なのだろうけど。
原作の印象では、阿良々木家は普通の日本の一軒家のイメージだったから、お風呂場もそんなイメージで、だから、今回の忍との和解の場面も、そういう日本家屋の、決して広くない風呂場でのやりとりとしてイメージしていた。だから、なんだかんだいって、忍と阿良々木くんの対話は、アットホームなものをイメージしていた。
でも、今回のような背景だと、表面上はギスギスした、緊張感のあるやり取りにしながら、そのくせ、心の距離は詰めていく、という感じが出ていてよかった。これは、映像でないとできないから。
裏返すと、前回までは、映像による演出が過剰に見えて、どちらかというと『化物語』のパロディのようにしか見えなかった。それも無理矢理雰囲気を似せようとしてやっている感じで。なんか、映像づくり、無理してるなぁ、と。
でも、今回のは、よかった。
ただ、それも、この忍と阿良々木くんのやりとりだけは「本物」だからなんだよね。
彼らだけは、本物の「怪異」であるから。人外だから。
ヴァンパイアとしての、人とは異なる時間や生を持つ。
そのことの象徴として赤い薔薇の花弁もあったわけで。
それに比べて、他の面々は人外は知っているが今は異なる人ばかり。
少なくとも、今のところは。
その点では、むしろ羽川がイメチェンも含めて「猫」の片鱗を覗かせるような感じでちゃんと絵として描かれていたのは良かった。
こういう感じで次回以降も続いてくれることに期待w
第1話が始まった時に、いくら何でも阿良々木くんの家の中、モダンでキッチュすぎるんじゃない、一軒家のくせに、てか、広すぎだろ、それ!、って思っていたのだが、しかし、今回の映像で納得。あ、この入浴場面をやりたかったからなんだ、と。
広い浴場に洋風の陶器製とおぼしき浴槽をおき、そこに薔薇を散らす、というのは、往年のフランス映画のようでいい。薔薇のところはむしろ『アメリカン・ビューティ』なのだろうけど。
原作の印象では、阿良々木家は普通の日本の一軒家のイメージだったから、お風呂場もそんなイメージで、だから、今回の忍との和解の場面も、そういう日本家屋の、決して広くない風呂場でのやりとりとしてイメージしていた。だから、なんだかんだいって、忍と阿良々木くんの対話は、アットホームなものをイメージしていた。
でも、今回のような背景だと、表面上はギスギスした、緊張感のあるやり取りにしながら、そのくせ、心の距離は詰めていく、という感じが出ていてよかった。これは、映像でないとできないから。
裏返すと、前回までは、映像による演出が過剰に見えて、どちらかというと『化物語』のパロディのようにしか見えなかった。それも無理矢理雰囲気を似せようとしてやっている感じで。なんか、映像づくり、無理してるなぁ、と。
でも、今回のは、よかった。
ただ、それも、この忍と阿良々木くんのやりとりだけは「本物」だからなんだよね。
彼らだけは、本物の「怪異」であるから。人外だから。
ヴァンパイアとしての、人とは異なる時間や生を持つ。
そのことの象徴として赤い薔薇の花弁もあったわけで。
それに比べて、他の面々は人外は知っているが今は異なる人ばかり。
少なくとも、今のところは。
その点では、むしろ羽川がイメチェンも含めて「猫」の片鱗を覗かせるような感じでちゃんと絵として描かれていたのは良かった。
こういう感じで次回以降も続いてくれることに期待w