BLACK SWAN

白鳥のブログ - 日々の世界を徒然と

チェンソーマン 第12話 『日本刀VSチェンソー』 感想

2022-12-28 12:38:24 | チェンソーマン
え、チェンソーマンって1クールで終わりなの?

てっきり後半2クール目でロゼ編をねっとりやると思っていたのに。

まぁ、映画にするのかね、ロゼ編だけ取り出して。

しかし、そうなると完結まで長いなぁ。

あと、映画に流れ込むにはあまりにも勢いがなさすぎじゃない、と思ったり。

今回の最終話にしても地味だったしね。

ていうか、なまじ邦画っぽいしんみりさばっかり強調してきちゃったから、サムライソードに対する金玉蹴りレクイエムのシーンが妙に浮いちゃった。

あそこはもっとバカっぽく、デンジのノリでやっちゃうところなのに。

デンジも今までの演技の結果、イカれた子どもって感じから、ただの変質者の青年みたいになっちゃったので、その分、余計にねっとりした感じになってなんかすっきりしなかった。

てか、デンジって、あんなチンピラ風情なやつじゃなかったんだけどな。

これもまた制作陣との解釈違い。

で、正直、アクションとかどうでもいいんだよね。

ひとつのシーンでしかないから。

問題は、そのアクションをどう物語の中に位置づけるかで。

そのあたりが完全にギクシャクしていたな。

別にこの最終話に限らず、クール全体を通じて。

でも前からMAPPAの作風には疑問をもっていたので、今回のチェンソーマンでそれがはっきりした感じ。

MAPPAは別にアニメがつくりたいんじゃなくて、売れるコンテントがつくりたいだけなんだな、ってのがよくわかった。

そのためにCGをつかって制作を簡易化とか迅速化できるところは効率化させることにも躊躇しない。

それ自体は、企業体としては正しい選択だから否定はしないけど、だからこそ問題はその上でどういう作品にするか、指揮する人が大事になるわけで。

その点で、チェンソーマンはホントにしくったよね。

どこかで見かけたけど、MAPPAじゃなくて、ボンズあたりが『血界戦線』っぽいノリで作ってたほうが、きっと原作の、東京を舞台にしているけど、乾いた和テイストの悪魔もの、っていう、微妙なラインをなんとか映像化できたんじゃないかな、とは思うよね。

もちろん、アクションとかの演出は問題なくやれてしまう感じで。

まぁ、そう思うとチェンソーマンというのがなかなか難しい作品ではある遠ものだけどね。

でも、邦画の和テイスト一辺倒の作品でないことは間違いない。

なので、やっぱりいまいちだったよね、1クール通じて。

あと、今回、アクションは神作画とかいうのもあるけど、あれは単によく動いているだけのことで、別に「神」ではないよね。

だいじなのは動きだけじゃなくて構図だから。

それもまた1クール全部に通じることで。

鳴り物入りで、あれだけ雑誌やサイトにパブ記事を書かせて、広告も売ったのに、全部が仇になった。

静かに始めるダークホースにしておけばよかったのにね。。。

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チェンソーマン 第11話 『作戦開始』 感想

2022-12-21 12:26:33 | チェンソーマン
ホント、淡々と進むね。

盛り上がりに欠ける、というか。

未来の悪魔、はこれじゃない感が強かったけど。

でも今までの邦画しんみり路線から期待値下げておいたらちょうどいいくらいだった。

てか、ここまで来ると、監督の人は、きっと洋画が嫌いなんだろうな。

アメリカが嫌いというか。

今回で言えば、ヤクザの場面とか無駄に力が入っていたように思うし。

なんか、だんだん、右翼っぽいヤクザ映画を見ているような気がしてきた。

でもそれならまだ、アキバ冥土のほうが百倍マシなんだけどw

なんだろうね、これはもう完全にミスマッチなんだろうな。

洋食を食べに来たのに、最初から和食御膳が供されている感じ。

ステーキとかハンバーガーを食べに来たら、お通しが出てひじきとか刺し身とか汁物とか出てきてる感じかなぁ。

もう修正不可能だろうね。

日本ガラパゴス化、ここに極まれり、って感じ。

ほとんどGo toTravelのノリだなぁ。

これで、デンジたち、魔人とか悪魔とかの元ネタが、聖書の黙示録なんだから、もう、これどうするんだ?って感じだよね。

今回の、天使の悪魔とか、鮫の魔人とか、もろもろピーキーな奴らが出てきたのに、ベクトルが完全に逆だからな。

もしかして、天使とか、日本産とか思ってるのかね? この監督は。

ここまで我田引水な解釈もスゴイと思うのだけど。

その分、ものすごく右翼臭のする作品に思えてきたよ、このアニメ版は。

原作は、そのあたり、微妙に綱渡りしてくれてると思うのだけど。

でもまぁ、公安のマキマが、今回ヤクザに言った言葉が全てか。

国家だけが暴力の行使を支配する。

さすがは支配の悪魔。

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チェンソーマン 第10話 『もっとボロボロ』 感想

2022-12-14 11:19:34 | チェンソーマン
あいかわらずのアキ推しの邦画しんみり展開。

さすがにもうこのトーンには飽きた、というか、解釈違いの溝は埋められないから、MAPPAのチェンソーマンは、こういうダラダラとアキを愛でる作品で行く、ってことなんだろうな。

岸辺とデンジ&パワーのやり取りも、これじゃない感は拭えないし。

それに、最後はやっぱり「未来の悪魔」のセリフで占めるべきだよね。

すでに指摘されてるけど、これ毎回変わるEDまで関心を向かわせるために、わざとやってることなんだってこともわかってきたし。

なんか、このチェンソーマン、なまじMAPPAが社運を賭けちゃったから、グッズ展開とかメディアPR展開とか、むりやり人工的にブームを作ろうとしている姿があからさまに見えてきて、ちょっと引いてしまう。

もはや死に体のカルチャー誌という「雑誌」の表紙をチェンソーマンのイラストが飾ったり、中を見れば、無理やりCVの面々を着飾らせてインタビューに答えさせている。

『鬼滅の刃』よ再び! みたいな必死感ばかりが前面に出てきてる気しかしない。

なんていうか、そんなものないのに商法としては「チェンソーマン・ユニバース」でもつくりたいの?って思いたくなるような無理矢理のバブル感。

EDを毎回変える、ってのも、その一環でしょ?

プラットフォームとしての『チェンソーマン』w。

でもなぁ、そんなの別に見たかったわけじゃないからなぁ。

マーケティングばかり目立って、さすがに下品に思えてきたよ。

原作は決して手放しに礼賛できるようなたぐいのものではないと思うけど、たしかにタランティーノ作品に見られるようなエグさとポップさは見るところがあったのに、そういうところをことごとく潰してくるからな。

食べたかったのは、
和風化されたテリヤキバーガーじゃなくて、
デカいチェダーチーズがとろけたダブルバーガーだったんだよ。
で、隠し味にわさびが使ってあるくらいのね。

そういうズレを感じる。

ホント、もう今更なんだけど。

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チェンソーマン 第9話 『京都より』 感想

2022-12-07 16:48:17 | チェンソーマン
もう、ボソボソ話すのやめろよ! 何言ってるか、わかんねぇんだよ!

・・・ってのが、今回、ホントに思ったこと。

デンジとサムライソードの戦いはたしかにスゴイし、

それ以上に、コベニのなんか超絶体術もスゴイし、

だが、それを越えてマキマの遠隔での呪殺し?もスゴイのだけど。

でもさ、こうなるならなおのこと、邦画テイストはマイナスだったなぁ、って思う。

だって、マキマの呪殺は、邦画ではなく洋画的なポップな展開の中でやるからこそ、異質性が生きるわけで。

それを、すでに悪魔による殺害を、呪いによる変質的な殺しとして描いてしまっているから、全然、違和感がないんだよね。

原作は、そういうところ、和と洋のミスマッチをうまく使っていたはずで。

ていうか、本来、悪魔は洋モノなんだよ。

対して、和モノは妖怪なんだよね。

なんか、そこを完全に履き違えているので、なんかスゴイけどあれれ?って思う。

冷製パスタ頼んだはずなのに、ざるそばがでてきた感じ。

だから、どうしてもチグハグになる。

強いて言えば、たしかに京都組は和テイストなんだけど。

東京組は洋モノよりのごった煮なんだよ。

それを全部、邦画的に表現するから、東京が過剰に和テイストになっている。

これじゃ、帝都ですらなく江戸時代テイスト。

で、そうじゃないのがチェンソーマンだと思うんだけどね。

ということで、今回は、デンジにしてもコベニにしてもマキマにしても、スゴイことをスゴイ映像でやってるのだけど、でも、これ違う、と思ってしまう。

呪術廻戦やるなら、このテイストでも良かったと思うのだけど。

でもさ、チェンソーを持ち出すところがすでに洋モノホラーなんだからさ。

そこは邦画じゃなくタランティーノで行ってほしかったよ。

いや、邦画のチャンバラ好きなタランティーノの洋画を生かして、というネジレの上にネジレが必要だったんだよ、きっと、チェンソーマンには。

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チェンソーマン 第8話 『銃声』 感想

2022-11-30 12:23:07 | チェンソーマン
あー、姫野パイセン、ここで退場か。

そういえばそうだったな。

ここからデンジの周りは、仲間内の人間関係も含めて、ひたすら不穏なものになっていったっけ。

ようやく、この作品世界の理不尽さが染み出して来た感じ。

で、そういう理不尽さを醸し出すために、今回はやたらと引いたショットで静寂な戦闘シーンを描いたのかもしれないけれど。

それも痛し痒しで甲乙つけがたい。

やっぱり戦闘は戦闘で徹底的に残酷に暴力的に描くべきだと思うのだよね。

サムライソードとか、それに応じるアキの刀とか、いわゆる殺陣になったら、気分的にストイックな画面になるのはわかるのだけど、でも、やっぱり、『チェンソーマン』のノリは、今回で言えば、銃の代わりに刀で殺り合う『パルプ・フィクション』だと思うのだよね。

ストイックよりもヴァイオレンス。

その暴虐性があればこそ、デンジの何も考えない嗅覚だけで生きる、いい意味でのガキっぽさが生きてくるわけで。

ヴァイオレンスが過ぎればこそ、パワーちゃんwのチキンぶりも際立つわけでw

なんていうか、原作のマンガはそういう、和洋のアンバランスな折衷が、不思議なテイストを生み出していたと思う。

背景が白いからストイック、というわけではないのだよ、きっと。

なので、やっぱりこれじゃないなぁ、という感じが強い。

あとは、引きのカメラが多いから、何をしても暴力に「力=パワー」が感じないんだよね。

でも、暴力の基本って、やっぱり、拳に象徴される「マッシブなパワー」だと思うので、その圧倒的質量感、重たさを感じさせないMAPPAの画面は、軽すぎる。

どんなに速い球を投げても球質が軽いと、軽く打ち返されてしまうのに近いというか。

端的にいって、凄みが足りない。

だから、エロをやっても全然エロくない。

ドロドロした感じがしない。

この全体的にいえるMAPPA作品の画面の軽さは、かなり致命的だと思う。

進撃の時に感じた上辺だけをなぞってる感が、チェンソーマンでもしてしまう。

そこはやっぱり残念なんだ。

幽霊の悪魔も、蛇の悪魔も、全然怖くない。

一瞬しか現れない分、悪魔として恐怖感を残すのは絶対要件だと思うのだけど、それがない。

そこが決定的にこの映像版に欠けているところだと思う。

もっと情念を刺激するような画面じゃなきゃだめなんだよ、きっと。

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チェンソーマン 第7話 『キスの味』 感想

2022-11-23 12:49:28 | チェンソーマン
確かに永久機関とかノーベル賞のくだり、あれで終わりなの?っては思ったな。

かわりに、Bパートの飲み会の部分にものすごく力を入れていたけど。

でも、どちらかというと、Aパートの決着の部分の方を期待していたのだけど。

まさか姫野センパイとのゲロチューの描写にあんなにリソースを割いてくるとは。

ここまで期待していたところを見事に外され続けると、逆にちょっと凄いな、とは思ってきた。

もうこれ半分以上、監督による「新訳・チェンソーマン」じゃん、ってね。

まぁ、マキマを含めて公安の仲間との交流をここでできるだけしっとり描いておいて、で、あとの虐殺とか裏切りとか謀略とか圧倒的暴力とかで、それをひっくり返すつもりなんだろうけど。

でもなー、それも多分『チェンソーマン』という話の中では、ただの背景であり、味付けのひとつでしかないからなぁ。

なんていうか、過剰に日常描写に力を入れすぎている、と言うか。

あと、日常描写が「和風」にすぎる、というか。

同じ居酒屋を使うにしてもなんかもっとイカれたポップな印象だったのだけど。

多分、監督の敬愛する邦画リアリズムのせいで、そこがしっとり日本風になってしまっていて。

まぁ、アニメだと全部色を塗らなくちゃいけないから、あれこれ考えるのが面倒になって、普通に世の中にある居酒屋のよどんだ感じになっちゃうのだろうけど。

でも、その飲み会にしたって、もっとバカっぽい大学のサークルっぽいノリだと思うのだけどね。

ちょっと社会人な空気にすぎるというか。

そういう意味では、もっとデンジとパワーの奇行を前に出して彼らに場の空気を作らせるようにしたほうが演出的に良かったと思うかな。

大事なのは、キャラ間の「コントラスト」の付け方にあるわけで。

それがなく、リアリズム重視の邦画のようにダラダラとカメラを回し続けるような演出をされてもなぁ、と思ってしまう。

要するにチグハグなんだよね。

まぁ、もうそういうものだと思って見てるからいいんだけどね。

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チェンソーマン 第6話 『デンジを殺せ』 感想

2022-11-16 10:57:54 | チェンソーマン
コベニがうざいだけの回だったなw

いや、もとからウザキャラだったから仕方ないけど。

でも、だからといって、ここまで彼女の描写にエネルギー使う必要はないかなぁ、とは思った。

あと、アキと姫野センパイの描写も。

描く必要がないとは全然思わないけど、多分、そういうのはもっとドライにサクサク話を進めて、デンジがチェンソーマンになって動き出すところまで今回、進めればいいのに。

なんかね、多分、最終コーナーで、チェンソーマンって、裏切りの連鎖みたいな展開になるから、そのための仕込みとして、各キャラが殺害されたときの喪失感の増大wに備えて、今の日常のやり取りに尺をさいているように思うのだけど、でも、それが行き過ぎて全体がモタモタしている感じ。

あと、キャラ全員にスポットを当てるから、結果的に、画面の情報量が無駄に多くて、息が抜きにくい。

なにがいいたいかというと、やっぱり、緩急の使い分けがなんにもない。

あー、でも、それが邦画の特徴です!ウリなんです!って言い返されたら、もうなんにも言えないけれどね。

やっぱり、邦画の悪いところだけ、真似しているように思うのだけど。

あと、ちょっと画面が明るすぎ。

ホテルの中だから、というのもあるのだろうけど、明るすぎるためにサブキャラにまでちゃんと輪郭が浮き出てきて見にくい。

そういう意味では、視点キャラができてないのだと思う。

それは『進撃』のファイナル・シーズンを見てても思ったので、MAPPAの癖なのかもしれないけれど。

なんか、突き放した印象を与えるんだよね。

その意味では、邦画というよりはゲームっぽいんだよね。

というかゲーム内ムービーか。

そのMAPPAの映像の癖と、監督の邦画志向が多分、うまくマッチしていないのだと思う。

それで、いまいち、気持ちよく見れない。

でも原作は、ある種の快感原則に沿って読ませるマンガなので、ちょっとそこのズレが修復し難くなってきている気がする。

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チェンソーマン 第5話 『銃の悪魔』 感想

2022-11-09 14:30:30 | チェンソーマン
つまらなかった。

銃の悪魔に対する恐怖感、全然伝わってこないじゃん。

初出の際にインパクト与えないでどうするの?

なんか無駄に画面が静かな邦画調というのが、ホントに合ってないと思ってきた。

あと、無駄に顔面アップが多すぎて、本当にアップが必要なところがわからなくなってしまって、ものすごく単調に見えてきた。

あー、だから、なんか退屈な感じがするのか。

まぁね、チェンソーマンって、小説でいったら、最後でビックリする「叙述トリック」系の物語だったりするから、序盤の今がつまらないのは仕方がないのだけどさ。

でもなぁ、もう少しなんとかやりようがあったんじゃないかな。

もうね、基本、この作品は退屈だ、という気分で見るのが確定してしまった。

それはとても残念。

別にぼそぼそと喋る邦画が全部ダメだとまでは言わないけれど、でも、その静かさも「緩急」があればこそ、でしょ?

今回で言えば、やっぱり、銃の悪魔の悲惨さ、そして世界中で起こった数十秒間の惨劇をガッツリ画面で見せないでどうするんだよ。

アキが典型だけど、銃の悪魔に対する復讐心や恐怖心というのが、序盤のドラマの最大の駆動力なのに、その破壊力の凄まじさを全く表現しないのって、どうなの?

そりゃ、まともに爆弾銃撃による都市の殲滅が、作画的にカロリー高いのはわかるけどさ。

でもさ、社運賭けてる事案なんでしょ、MAPPAにとってチェンソーマンって?

だったらそこは力を抜いたらダメでしょ。

だいたいさ、核とかビームとかレールガンとかいった、アニメの世界でよく出てくる殺傷兵器に比べたら、銃、って言われただけじゃ通常兵器のひとつくらいにしか聞こえないじゃん。

でも、その銃撃が、アサルトライフルではないけど、あれくらいの瞬間殺傷力の高い銃器を、数千台、数万台の規模で広域に一斉射撃したら、どんな状態になるのか、それをちゃんと想像して、悲惨さを見せなきゃ、意味ないじゃん。

その短時間の蹂躙振りがあるからこそ、アキは、デンジがいとも簡単に銃の悪魔を対峙するとか言ってることに苛つくわけだし。

とにかく、静と動をちゃんと使い分けるつもりがないなら、こんなしみったれた感じしかしない邦画調の画面づくりとか続けても意味ないよ。

監督は、アニメじゃない表現で、とか言ってるみたいだけど、それで、この邦画調というのは、単によくある「逆張り」でイキってるだけのヤツと変わらない。

せめて、アキの家が吹き飛ばされるところくらい、壊滅的に破壊された、と表現すべきだよ。

マキマが何度も言ってるけど、悪魔の能力は、人びとの恐怖心や不安感が増すほど上がるのだから、大量銃撃による無差別大量殺人が世界に巻き起こした恐怖を描かずにどうするんだよ。

監督こそ、まったく、チェンソーマンのこと、誤解してるんじゃないの?

でなければ、あんなマキマがデンジを誘惑するシーンばかりに無駄にエネルギーを使うことなんてないと思うけどな。

緩急の付け方くらい、ちゃんと使いこなせよ、って話。

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チェンソーマン 第4話 『救出』 感想

2022-11-02 08:45:38 | チェンソーマン
コウモリの悪魔を倒したところからの、「デンジVSヒルの悪魔」戦。

確かにアクションはすごかったのだけど、でも、やっぱりそのアクション事態が、呪術廻戦でみたようなもので、なんというか、デジャビュ感のほうが強くて、いまいち乗れなかった。

あとは、これはもうMAPPAの作風なんだろうけど、妙にキャラの表現がぬるっとしているんよね。テカっているといってもいいのだけど。

どうもその雰囲気が苦手なのかもしれない。

TRIGGERの作風が見るものを選ぶのと同じ感じかな。

なので、アクションがすごくて神回だった!って声があるのはわかるけど、そのアクションの味付けがちょっとだめだった。

単純にこれは好き嫌いの問題だという自覚はあるけどねw

その一方で、アキの日常シーンの描写はやっぱり過剰。

もちろん、終盤でアキとデンジとパワーの日常が、彼らにとってだけでなく物語構造上も重要だったりするので、そのためにも時間をかけたのかもしれないけれど。

でも、原作を読んだ時の印象は、こんなジメジメした日常ではなくて、もっとカラッとしたものだったんだよね。

ちょっとタランティーノ風というか。

なので、やっぱり監督の邦画趣味での味付けは、全体的に明後日の方向にあるな、と思った。

過剰に日本的にしているのもちょっと違う。

日本を舞台にしながら、西洋的悪魔の話をしていて、その悪魔がポップなチェーンソーとか銃だ、というのが、原作の白い画面が表現しているものだと思う。

なんていうか、日本臭を除いた大友克洋の『AKIRA』というのが、デンジとパワーのイメージかなぁ。

まぁ、アキは、ちょっと日本臭があるけどね。

ここまで来ると作品の解釈の違いのせいだから、なんともいえないのだけどねー

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チェンソーマン 第3話 『ニャーコの行方』 感想

2022-10-26 12:08:09 | チェンソーマン
つまらなかったなぁ。

というか、今回、この『チェンソーマン』のアニメがダメな理由がよくわかった。

監督の解釈が、チェンソーマン好き好き熱が強すぎる。

『チェンソーマン』ってもっと静かな「静」の物語なんだよね。

というか、「虚無」なんだよ。

だから、確かにCVの芝居が下手なのもあるけど、そもそも芝居の付け方の方向が間違っている。

デンジって、もっとチンピラで、もっと根っこから頭のネジが緩んでいて、それこそ動物的な感覚しかもちあわせていないくらい「人間未満」の虚無と欲望の塊。

そういう意味ではデンジって徹底的に「子ども」なんだよ。

16歳の姿はしてるけど、多分、頭の中身、価値体系は5才児とか6才児くらい。

だから、パワーやマキマの胸をもみたい、というのも、お母さんのおっぱいを飲みたい、触りたい、に近い感じ。

そのどうしようもないくらい「幼稚」なところが、全然、表現されていない。

今のデンジ役のCVは、あまりにも理性的すぎるし、知恵が回りすぎる

デンジを、エヴァのシンジや、呪術廻戦の乙骨みたいな陰キャのように捉えているけど、ベクトルはそっちじゃないんだよね。

別に岡本信彦的なバーサク最強ヒーローみたいな感じでもない。

原作を読めばわかってもらえると思うけど、もっと単純に「幼児」なんだよ、デンジって。

人間未満の欲望に忠実なだけの生き物。

だからこそ、悪魔のポチタと心を通わせることができたわけだし、マキマの関心を呼ぶことができた。

(まぁ、マキマにはちゃんと理由があるのだけど、それはネタバレになるのでここではやめておく。)

『チェンソーマン』って、デンジが、シンジや乙骨のように厨二病的偏向を捨てて「大人」になる話ではない。

そうではなくて、デンジが「人間」になる話なんだよ。

だから、まずは「人間未満」の「こども」の頭で16歳の体を動かさないといけない。

そういった解釈が、多分、監督に徹底的に欠けているから、そういう芝居をCVのために用意してやれない。

なので、これ、CVが未熟な新人だからダメなんじゃなくて、単純に、監督の解釈が明後日の方向に向いているせいなんだよ。

なんていうか、そもそも作品解釈の入り口で間違っちゃってるから、この先、修正は難しいだろうね。

そういう意味では、まだマキマの方はマシかも。

マキマは、ちゃんと理性はあるけど、ネジが緩んだ狂人なので、あのもっともらしい演技は間違ってはいない。

もっともその分、単純に演技の下手さ、未熟さのほうが目立ってしまうわけだけど。


こういう感じに、原作の「虚無」な部分を、物語としても、絵柄としても、キャラとしても、完全に間違って監督が解釈しているから、アニメで見ると、全体の印象がそら恐ろしくギクシャクしてしまう。

だから、デンジの戦闘シーンを平気でアクションシーンと勘違いして、後ろでロックが流れているようなシーンを作ってしまう。

無駄にアクションの凄さを伝えようと、引きを多用するカメラワークにしてしまう。

コウモリの悪魔や、マキマを召喚した偉い人たちには、いかにもな居丈高な演技をさせてしまう。

どれもこれも「虚無」が足りない。

警察ものでも、捕物帳でも、スパイものでも、アクションものでもない。

とにかく、悪魔が虚無をもたらす世界が描かれているのに、その陰鬱さがない。

まぁ、それを、天然色で動きがあって肉声で喋らなきゃいけないアニメでやること自体が無茶なのかもしれないけれど。

でもなぁー、なんか、邦画全般に当てはまる、映画ってこんなもんでしょ、という枠組みが先にあって、それに原作の解釈を無理やり合わせた結果、どれもこれも似たような映画になって、全然見る気がしない、のと全く同じ匂いがする。

悪い意味で、何を見てもMAPPAのプロトコルで作りましたっていう工業製品にしか見えない。

結構、これは大問題だと思うよ。

『進撃』をあれだけ腐らせたファイナルシーズンと全く同じ、「いや、アニメになっただけ、マシじゃん、そうだろ?」っていうような印象を与えてくるのだから。

悪い意味で、MAPPA臭が抜けないのは、ほんとにダメだと思う。


ということで、『チェンソーマン』に興味を持った人は、とにかく、原作の第1部を読むべし。それが全てだよ。

ちなみに、第2部は今のところは微妙だけどw

でも、後半化けるかもしれないと思わせるところが面白い。

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