終わってしまった。
で、終わり方は・・・えー、微妙。
結果的には、評価が難しい作品になったなぁ。。。
ウェルメイドの物語、というには中途半端に思えるからなのだけど。
で、その中途半端さ、というのは、結局のところ、ノイタミナの踏ん切りの悪さに起因しているように思えるからなんだよね。
第一には尺の問題。
第二にはテーマの処理の問題。
簡単に言うと『東のエデン』の時に感じたのと似たフラストレーションを感じた。
つまり、尺が短いから物語が昇華しきれずに、尻切れトンボ的に突然終了する。
(ま、エデンの場合は、映画という続編はあったわけですが、それにしてもね)。
その分、テーマが、問題提起としては斬新なように思えて、解決=終幕がテンプレ的なものに見えてしまう。
あの花、の場合であれば:
前回の「花火」がめんまの願いではなかったというのは判明したものの、その願い(じんたんのお母さんからめんまが頼まれた「じんたんを泣かすこと」)はその過程で既に遂行されてしまっていたこと。
これはその終幕があまりに唐突であることから必然的に尺の問題に帰着させたくなってしまう。たとえば、これが11話、というか1クールではなく2クールであったらどうだったのか。
ノイタミナという「枠」があくまでも、1クールのアニメ二本を毎季積んでいく枠として機能しているようにしか見えない。そういう意味では、一度くらい、変則2クールを実際に試みてしまえば、物語の展開も予測しにくくなるはずなのだけど。何事も前例は大事。
特に、今回冒頭の、バスターズの告白シーンは、その告白が(予想できていたものとはいえ)赤裸々なだけに、この告白会を経たところで、皆で再度めんまに向きあうという展開が欲しかったかな。実際には、その脇で既にめんまは成仏しかかっている、という、いささか肩透かし的な展開だったのが、どうにも。
でも、これはどう考えても尺の問題だと思うのだよね。
で、テーマの処理の方は、一番大きなところで行くと、やはり、これをアニメでやる意味があったのか、というところだよね。思い切りテレビドラマ的展開で。
で、実は、ドラマ的展開そのものは大して気にならない。つまり、アニメだからこうあるべきだ、という見方は取らない方なので。
ただ、それにしても、ドラマとの拮抗の中で何をなすか、というのは結構大事だったと思うのだけど、今回のような終わり方で行くと、単に、めんまという幽霊の映像処理がアニメのほうが容易だったから、くらいにしか思えない。
ドラマとの対比で行けば、そういうところだけでなく、おそらくは、もはやアニメのCVのほうが長回しのセリフを繰り出すことができるところとか、そういうドラマ化の要素を最大限引き出せるのがアニメのほうだ、というので行って欲しかったな。
岡田磨里が注目を集めるのって、昔なら訓練を受けた俳優が長回しを行えたのだけど、最近はタレント出身の役者が増えてセリフ回しが単調になっているのに対して、CVの人たちのほうが、上手く演じきれてしまうから、だと思ってのだけど。
あと、アニメのほうが絵的に好きなことをできるからでもある。
だから、最終3話ぐらいでは、やはり失速したかな。
個人的には8話がやはりよかった。あそこまでだね、よかったのは。
ただ、最終3話の問題は、監督や脚本家の問題というよりは、ノイタミナの制約の方が大きいように見えるな。
もしかしたら、まずは佳作を重ねていくことが大事、ということなのかもしれないが、せっかくオリジナルで勝負するなら、もうちょっと腹くくってほしいな。
ノイタミナの不完全燃焼な感じがなくなるのを強く希望。
とはいえ、あの花、物語的には確かに佳作だった。
個々のキャラはどれも人物として生き生きしてたと思う。
ま、めんまを生き生きしてた、というのはちょっとアレだけど。
幽霊ものって、冒頭から物語の終焉が見えてしまうところがあるわけだから、それをなんとか突破して欲しかった。
ともあれ、めんま役の茅野愛衣の今後の活躍に期待かな。
で、終わり方は・・・えー、微妙。
結果的には、評価が難しい作品になったなぁ。。。
ウェルメイドの物語、というには中途半端に思えるからなのだけど。
で、その中途半端さ、というのは、結局のところ、ノイタミナの踏ん切りの悪さに起因しているように思えるからなんだよね。
第一には尺の問題。
第二にはテーマの処理の問題。
簡単に言うと『東のエデン』の時に感じたのと似たフラストレーションを感じた。
つまり、尺が短いから物語が昇華しきれずに、尻切れトンボ的に突然終了する。
(ま、エデンの場合は、映画という続編はあったわけですが、それにしてもね)。
その分、テーマが、問題提起としては斬新なように思えて、解決=終幕がテンプレ的なものに見えてしまう。
あの花、の場合であれば:
前回の「花火」がめんまの願いではなかったというのは判明したものの、その願い(じんたんのお母さんからめんまが頼まれた「じんたんを泣かすこと」)はその過程で既に遂行されてしまっていたこと。
これはその終幕があまりに唐突であることから必然的に尺の問題に帰着させたくなってしまう。たとえば、これが11話、というか1クールではなく2クールであったらどうだったのか。
ノイタミナという「枠」があくまでも、1クールのアニメ二本を毎季積んでいく枠として機能しているようにしか見えない。そういう意味では、一度くらい、変則2クールを実際に試みてしまえば、物語の展開も予測しにくくなるはずなのだけど。何事も前例は大事。
特に、今回冒頭の、バスターズの告白シーンは、その告白が(予想できていたものとはいえ)赤裸々なだけに、この告白会を経たところで、皆で再度めんまに向きあうという展開が欲しかったかな。実際には、その脇で既にめんまは成仏しかかっている、という、いささか肩透かし的な展開だったのが、どうにも。
でも、これはどう考えても尺の問題だと思うのだよね。
で、テーマの処理の方は、一番大きなところで行くと、やはり、これをアニメでやる意味があったのか、というところだよね。思い切りテレビドラマ的展開で。
で、実は、ドラマ的展開そのものは大して気にならない。つまり、アニメだからこうあるべきだ、という見方は取らない方なので。
ただ、それにしても、ドラマとの拮抗の中で何をなすか、というのは結構大事だったと思うのだけど、今回のような終わり方で行くと、単に、めんまという幽霊の映像処理がアニメのほうが容易だったから、くらいにしか思えない。
ドラマとの対比で行けば、そういうところだけでなく、おそらくは、もはやアニメのCVのほうが長回しのセリフを繰り出すことができるところとか、そういうドラマ化の要素を最大限引き出せるのがアニメのほうだ、というので行って欲しかったな。
岡田磨里が注目を集めるのって、昔なら訓練を受けた俳優が長回しを行えたのだけど、最近はタレント出身の役者が増えてセリフ回しが単調になっているのに対して、CVの人たちのほうが、上手く演じきれてしまうから、だと思ってのだけど。
あと、アニメのほうが絵的に好きなことをできるからでもある。
だから、最終3話ぐらいでは、やはり失速したかな。
個人的には8話がやはりよかった。あそこまでだね、よかったのは。
ただ、最終3話の問題は、監督や脚本家の問題というよりは、ノイタミナの制約の方が大きいように見えるな。
もしかしたら、まずは佳作を重ねていくことが大事、ということなのかもしれないが、せっかくオリジナルで勝負するなら、もうちょっと腹くくってほしいな。
ノイタミナの不完全燃焼な感じがなくなるのを強く希望。
とはいえ、あの花、物語的には確かに佳作だった。
個々のキャラはどれも人物として生き生きしてたと思う。
ま、めんまを生き生きしてた、というのはちょっとアレだけど。
幽霊ものって、冒頭から物語の終焉が見えてしまうところがあるわけだから、それをなんとか突破して欲しかった。
ともあれ、めんま役の茅野愛衣の今後の活躍に期待かな。