BLACK SWAN

白鳥のブログ - 日々の世界を徒然と

かぐや様は告らせたい?〜天才たちの恋愛頭脳戦〜 第8話 感想

2020-05-31 15:21:14 | かぐや様
ほらね! やっぱり藤原書記と早坂の出番が増えると格段に面白みが増すでしょ!

前回、言ったとおりじゃないw

とくに、早坂の出番が大事なことが、今回、よくわかった。

なんといっても、早坂の前では、かぐや様も遠慮なく、終始、本音を口にできてしまうところがいいw

だって、その結果、かぐや様が普段、取り繕っている彼女のイメージの裏に、かぐや様自身、気づいていない本心が隠れていることが明らかになるから。

そして、その無自覚な様子が、早坂にはありありとわかってしまうわけで。

だからこそ、今回、心臓外科の高価な医療機器を使ってまでして、ただ単に、かぐや様が白金に熱を上げている事実を詳らかにされることが恥ずかしくて仕方なくて、悶絶してしまったわけでしょw

あれが早坂にとって罰ゲームのようになってしまうのだから、かぐや様はホント、ひどいw、って、傲岸不遜だよねw

そして、こんな具合に、早坂が、かぐや様の裏の顔の欲望ダダ漏れの世界で、まさに子守をしている赤ん坊のおしめを替えさせられているような、思慕と羞恥がこんざいするようなところで、笑いをもたらしてくれているのに対して、

藤原書記は、生徒会という、表の舞台で、その舞台をひたすら理不尽に揺さぶりをかける悪魔の役をこなしている。

しかも、藤原書記の場合、素で、天然でやっているのが、ホントひどい。

その点で、藤原書記がサディスティックな笑いをもたらしているのに対して、早坂は、体を張ってw、ひたすらマゾヒスティックな笑いをもたらしている、ってことで。

今回の、藤原書記による伊井野の「いじり」なんて、まさにそれ。

しかも、問答無用に、伊井野を悪の道wに引き入れていくのだから、ホント、天然の悪人w、しかも、超サディスティックなw

ただ、その藤原書記の特徴は、かぐや様や白金、石上といった今までの生徒会メンバーだと今ひとつはっきりしなかったのだけど、後輩の伊井野だと、もう「後輩いじり」全開ってことで、あられもなく発揮されてしまうw

かぐや様たちが、新しいおもちゃを得たよう、と言っていたのは、けだし名言だよねw


ともあれ、やっぱり、この作品の「笑い」の鍵は、藤原書記と早坂の二人だよw

次回以降も彼女たち二人の、しかもサドとマゾをそれぞれ演じる、脇からのツッコミ役が冴え渡ることに期待w

いやー、ホントいい。

それにしても、伊井野、マジうぜーと思っていたけど、彼女の登場は、藤原書記を輝かせるための、一種の噛ませ犬役だったことだとわかって、ちょっと納得w

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「とある科学の超電磁砲」傑作選1: とある科学の超電磁砲 #1 「電撃使い(エレクトロマスター)」感想

2020-05-30 14:53:22 | 超電磁砲/禁書目録
・・・といっても、もちろん、すでに見たことはあるので、ひたすら懐かしかった。

しかし、無印の超電磁砲の第1話って、2009年の10月の放送だったんだなぁ。

10年以上も前のことなのか。

ちなみに、2期の超電磁砲Sですら、2013年4月だから7年前w

そりゃあ、ファンならずとも、とっとと続きを作ってくれ、とは思うよね。

しかも、作中時間は数ヶ月しか経っていない、というのだから。

なんか、いろいろな意味で、このラノベの発行リズムに合わせてアニメ制作もされるようになったために、ほとんどのアニメが完結を迎えずに放置されたままになる、というヤバイサイクルに入ってしまったんだろうな。

そりゃ、ゲームやマンガに流れるはずだ。

とりあえず、完結はするから。

今回、無印・超電磁砲の1話を見て思ったのは、2009年とはいえ10年前だと、作画がこんなに緩かったんだ、と思って、ちょっとビックリ。

当時の印象では作画クオリティの高いシリーズだな、と思ってみていたと思うけど、いやー、今から見ると、全然だねw

ちなみに、超電磁砲Sの方もちょっと見てみたけど、こちらはあまり今と変わらない気がしたので、どうやら、2009年から2013年までの4年間の間に、製作体制のイノベーションが起こっていたらしいw

今回の無印1話を見て、一番気になったのは、EDのスタッフ紹介の文字のフォントが、昔っぽいゴチック調であったことw

いまだと明朝っぽいものを使っているはずだけど、なんか、そのあたりは、やっぱり柔らかい線がきちんと表現できる描画体制と視聴環境が整った、ということなのかな。

思わず、副産物的感想だけど、そんなことを感じた。

で、無印1話自体は、あぁ、佐天さんって、このとき、初めて美琴たちと会っていたのかー、と苦笑してしまった。

今では、能力の有無や程度によらず、美琴、黒子、初春、佐天の4人のチームとして活躍しているのを思うと、えらく昔のことに思えてしまう。

まぁ、実際、美琴のレールガンのお披露目にしても、向かってくる普通自動車を跳ね飛ばす!という、この間の「竜王の顎」まででてきたようなパワーインフレが起こっている禁書/超電磁砲世界とくらべたら、随分とまぁ、ショボく、それゆえ平和な世界だったのだなぁ、とこちらも笑ってしまった。

とにかく、作画(だけでないだろうけど)表現力が段違いに向上していることはよくわかった。

そして、表現力のスケールが上がると、それに合わせて、お話のスケールも上げられるんだな、と思った次第。

まぁ、禁書IIIのアニメシリーズでの、垣根帝督のショボい扱いを見ると、もちろん、資金力も必要だ、ということもわかるけどw

ともあれ、久しぶりに見ると、色々と発見はあるもので面白いw

で、来週は、黒子セレクトの無印第2話か。

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『進撃の巨人 Final Season』は監督も制作スタッフも一新してMAPPAで制作されるのか!

2020-05-29 19:51:46 | 進撃
『進撃の巨人』のファイナルシーズンは、監督も制作スタッフも一新したとのこと。

でもまぁ、原作の方もファイナルシーズンに該当するところは、数年後の世界になっていて、エレンもミカサも、皆、雰囲気が大きく変わっていて、正直、原作で最初見たときは、あれ、いくつか読みそこねていた?と思ったくらい、物語構成も雰囲気も変わっていたので、

そういう意味では、監督も制作スタッフも一新、というのは、冒険かもしれないけれど、一つの手だったとは思う。

スタッフ変われば、必然的に、画面のイメージも変わるからねw

で、開始は当初の予定通り、今年の秋、ってことでいいのかな?

原作も大詰めのところになっているから、原作の最終話とシンクロする形で構成していくのだろうか、とかいろいろと気になる。

ともあれ、ファイナルシーズンの主人公は、事実上、ライナーなので、彼をどこまでショボくみすぼらしく壊れた人間として描くかが重要なところ。

対して、エレンは、主人公と言うよりはヴィランの方に寄ってしまった気がするから。

あとは、ミカサの出身が東洋だったとか、そのあたりの「ダイバーシティ」をどう描くか、かな。

正直にいえば、『進撃』の頂点は、女型の巨人編の頃だと思うので、あの頃に比べると、全て世界の秘密が暴かれてしまって、何かドギマギするという感じはしなくなってしまった。

その分、人間ドラマをガッチリと描いてほしい。

まぁ、だから、分裂病者で廃人スレスレまでいったライナーが主人公、ということになったのだろうけど。

でも、それは、ある意味、ダブル主人公制で面白い気はする。

実際、ライナーの正体がバレてから、もう一度最初の頃から読み直すと、やっぱりいろいろと発見があったと記憶しているから。

しかし、秋は盛りだくさんで、今から楽しみだなw

もちろん、原作の最終話も楽しみにしているけれどね。

あ、そうそう、ガビのCVってあやねるなの?

まぁ、はまり役といえばそうなのだけど・・・。

さすがにちょっとあざとい気もするw

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かくしごと 第9話 『師走は君の嘘』 感想

2020-05-29 19:09:34 | かくしごと
出版社の年末パーティが、出版不況でしょぼくなる、という笑えない話w

でも、今回は、それでまるまる押した感じで。

で、いろいろあったけど、ポイントは、姫ちゃんと羅砂が出会ったことなんだろうな。

これで、あの高校生の姫ちゃんが、子どものころ住んでいた鎌倉の家に探索に向かう流れにいつかつながるのだと思う。

てか、10歳の姫ちゃんと大学生の羅砂という年齢差、というのは、姫ちゃんが高校生になったときも羅砂はアラサーくらいということで、なんか家庭ドラマっぽい配役だよね。

ともあれ、姫ちゃんと羅砂が出会ってしまった以上、いよいよ、姫ちゃん高校生編?に向けた動きが加速するのかな。

なんていうか、あの頃はバカやれてて楽しかったね……、なんて展開にじきになりそうで、ちょっとドキドキしてきている。

どう考えても、不在の姫ちゃん母(=能登)をめぐる話になるのは間違いないと思うので、その切なくもシリアスな物語を、どう描いてくれるのか、楽しみ。

いや、その点では、主要人物のCVがみな、中堅どころっていうのは、結構、期待できるかなー、と思っている。

ここから先は、ドラマですよ、芝居の時間ですよ!

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五等分の花嫁記念日を記念して: なぜ『五等分の花嫁』は四葉エンドで終わったのか?

2020-05-28 10:25:05 | 五等分の花嫁
5月27日の「五等分の花嫁記念日」で久しぶりに、『五等分の花嫁』のことを思い出したら、意外とあれこれ思いついてしまったので、せっかくだから書きとめておく。

なぜ、四葉エンドで終わったのか

あれだけ、一花や二乃や三玖を通じて伏線を撒きまくっていたにもかかわらず。

気がつけば、風太郎の傍らには五月が、まるで嫁のように、歯に衣着せぬ物言いをし、ええい!、この二人、もうつきあっちゃえよ!と、バカップルぶりまで発揮していたのにw

でも、最後は、「将来の夢はお嫁さん!」とうそぶく四葉がもっていった。

正直に言えば、高3の修学旅行くらいまでなら、四葉、まぁ、いいヤツ?ぐらいには思っていたのだけれど、最後のコミックで言えば13巻から14巻にかけての四葉は、こいつ、なんて泥棒猫なんだ!、と思い切り手のひらを返さないではいられなかった。

四葉の好感度はストップ安!という感じでダダ下がっていった。

でもさ、それくらい、風太郎が日の出祭で四葉を選んでからの展開は、杜撰だったんだよ。

確かに、いつかは四葉も本心を明かし、晴れて一花、二乃、三玖と恋敵になるとは思っていたし、そこから、二転三転のやり取りがあり、ついには五月まで重い腰をあげ、というか、遅ればせながら五月も自分の恋心に気づき、5人の姉妹の間の駆け引きになるとばかり思っていた。

ところが、四葉が選ばれた時点で、物語はあっけなく終わってしまった。

それも多くの伏線を残したまま。

なので、心ある真面目なラブコメ読書経験者たちなら、おいおい、全然話の辻褄があわねえじゃねいか、なんだよ、あの伏線どうなったんだよ?それともあれか、伏線ってのは全部、その場限りのミスリーディングだったのかよ、と悪態も付きたくなってしまうくらい。

アマゾンの14巻のレビューで、星を1とか2とかつけてるものをみれば、納得できるものばかり。

でもね、どうやら、そうした読者は(ここのサイトも含めて)、一つ、大きな見落としをしていたのだと思う。

それはなにか?

多分、作者にとって、五つ子は、最初から「一人」だったんだよ。

なにせ、一卵性の五つ子なのだから。

全員が基本スペックは同じ、いわばコピー体。

で、そのオリジナルが、作者にとっては「四葉」だった!というのが真相だった。

なにしろ、当初は、五つ子の全てのCVを作者イチオシのあやねるにやってもらう、という話もあったわけでしょ?

つまり、五つ子は、全員、実は「四葉」だったんだよ。

こういってよければ、四葉は、五重人格の存在だった。

あ、これは、あくまでも作者にとっての視点ね。

で、そう考えれば、終盤、唐突に選ばれた四葉が全てもっていった、というのも納得がいく。

なぜなら、作者目線で行けば、一花も二乃も三玖も五月も、みんな四葉の分身だったのだから。

つまり、作者からすれば、

四葉は、

一花として悪女お姉ちゃんを演じ、

二乃としてツンデレを演じ、

三玖としておどおどした奥手女子を演じ、

五月として憎めない腹ペコキャラを演じていた。

そうして、姉妹の姿を通じて、四葉は、風太郎と一通り、恋愛イベントをこなしていた。

少なくとも、作者目線ではそう見えていた。

だから、作者にとってのゴールは最初から明確で、とにかく、「姉妹の4人」という四葉の別人格が、風太郎と様々なシチュエーションで、あれこれのやり取りをすませてしまった後で、おもむろに風太郎に四葉を選ばせればよい。

だって、ラブコメに必要なアレコレの定番シーンは、姉妹というアバターで四葉はすでに経験してしまったから。

ついでにいえば、風太郎も。

なにしろ最初から、風太郎と四葉(とその別人格の一花、二乃、三玖、五月)の2人しかいなかったのだから。

四葉と風太郎の二人芝居だったのだよ、最初からずっと。

妄想の4人が、そこらへんを闊歩している、というのが作者視点から見た『ごとよめ』の世界だった。


・・・ってことだったんだと思う。

もちろん、これはあくまでも作者の頭をよぎった最初期の着想で、それをどうしたらマンガにできるか、と考えて、五重人格が五つ子に変わり、アニメにするならCVも5人分必要、ということになって、5人がきちんと個別の人格として確立されていった。

そう思えば、アニメにしたら竹達彩奈効果で二乃の人気が爆上げでビックリ!とか作者自身、思ってしまったわけでしょ?

そうして、五つ子のそれぞれが独立したキャラとして動き始めてしまった。

そもそも、連載の段階で、三玖の人気の急浮上にも作者は驚いていたのだし。

だから、作者と読者のボタンの掛け違いは、そのあたりで始まったのだと思う。

となると、本来はそのあたりの調整を図るのが担当編集者の役割だったはずだけど、結果を見れば、彼らが大して力を発揮できなかったか、単純に大した力量を持ち合わせていなかった、のどちらかなんだろうな。

少なくとも13巻と14巻を見る限り、とにかく、終盤が、色んな意味で、作者や編集サイドの思惑から外れて、バタバタと物語をたたむしかなかったことは明白だし。

ともあれ、作者からすれば、四葉と風太郎しかいない世界を作りたかっただけのことで、あとは、それをどう膨らませて、今までにない斬新なマンガのふりを装うか、というところに注力したのだと思う。

それが、花嫁当てミステリー、という装いだった。

でも、もともと、それは、一人の四葉と4つの別人格から始まった「五つ子設定」だったから、誰が花嫁かなんて問いは、ミステリーでもなんでもなく、ただの出来レースでしかなかった。

その理屈でいけば、風太郎にしても、京都で会った最初から「四葉」しか存在せず、一花を会っても、二乃と口論をしても、三玖とデートしても、五月とバカを言い合っても、彼女たちの顔の向こうに、同じ顔をした四葉しか見えてなかった、ということになる。

その意味では、五つ子ゲーム、というのは、そもそもゲームとして成立していなかった。

あれがひどかったのは、「四葉の森」ではなく「五月の森」にしたことで。

でも多分、あそこは、作者からしたら「四葉の森」にしたかったのだろうな。

そして、あそこを「四葉の森」にしておけば、実は、四葉エンドももっと穏当に迎えられていたのだと思う。

そういう意味では、過剰に、オリジナルは四葉しかいないことを隠しすぎたのが失敗だった。

随所で、夢や眠りのシーンが繰り返されたのも、本当は、夢の世界で、四葉が5つに分裂して、別人格の4人を生み出していた、ということを示唆してしたのだと思う。

ただ、そういうアナロジーは、大してうまくいかなかった。

だから、この作品は駄作というよりも、失敗作、という方が適切。

四葉しかいない世界、四葉の多重人格からなる世界、としてうまく読者にプレゼンテーションできなかったのだから。

つまり、偽装すべきジャンルは、恋愛ミステリーではなく、恋愛ホラーだった。

ある日突然、風太郎の目に、一花、二乃、三玖、五月の姿がブレ始めて、いつしか四葉のイメージと重なって消えてしまう。

だから、結婚式にいた四葉以外の4人も、新婚旅行についてきた四葉以外の4人も、みな、いわば一種の生霊のようなものだった。

あのマルオが与えたマンションに、四葉は、ずっとたった一人で住んでいただけなんだよ。

姉妹なんて、実は最初からいなかった。

全部、夢、白昼夢だったんだよ!

・・・というオチであるべきだった。

あるいは、平行世界の四葉が二重写しでこの世界に顕現していたのだ!とかw


だから、うーん、惜しかったね、としか言えない。

でもまぁ、ミステリーという(ファンタジーではなく)リアリズムの世界を選んででしまったのだから、ああいう終わり方しかできなくても、仕方はなかったってこと。

つくづく、なろう的なゲーム脳世代の作者、という気はした。

でもそう考えると、あの流れで四つ葉エンドで終えても、平然と、むしろ満足していいられるのもよくわかる。

だって、最初から、五つ子なんていなくて、四葉しかいなかったのだから。

前に、きっと四葉という名前は、『君の名は。』の三葉にあやかってつけたのだろう、って書いたことがあるけど、本当にそれだった、ということ。

もともと四葉しか、作者にはいなかったんだよ。

残りの五つ子はその分身でしかなかった。

だから、消えて当然だった。

だったら、風太郎が二乃や三玖の告白に対して謝る必要もないし、一花の卒業のことを描く必要もないし、五月の敬語離れを一回限りのネタにしても問題はない。

だってはじめから彼女たちは存在しなかったのだから。

少なくとも物語を紡ぐ作者にとっては、全て、夢の世界の話だった。

そう考えれば辻褄があう。

ただ、そんな幻想物語(ファンタジー)を犯人当てのようなリアリズムに基づくミステリー仕立てを装ったのが間違いだった、ということ。

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今日2020年5月27日は「五等分の花嫁記念日」だったんだって!

2020-05-27 19:57:24 | 五等分の花嫁
いや、今ごろ、知ったのだけどw

しかし、記念日って何さ?

あの物語の締め方で、何を記念すればいいのか、よくわからない。

普通に読んでいったら、高3以降の物語、とりわけ京都への修学旅行からの後の展開は、支離滅裂だと思うけれど。

ただ、マンガも、ゲーム同様、物語の途上で、うぉおおお!って盛り上がれればいいだけのものになったのだよ!と言われれば、あぁ、そうなんですか?というしかない終わり方だよね。

ディズニーランドのライドのようなものね。

はい、ここは三玖が初々しい回、

はい、ここは二乃がデレる回、

はい、ここは一花が闇落ちする回、

はい、ここは四葉が泥棒猫のように風太郎の頬にキスする回、

はい、ここは五月がヒロインになるかも?と思わせる回、

などなど。

あのマンガが重視したのは、そういったシーンごとのテンプレMAXの展開の提供だった、というのが、最後まで読んで得た結論。

だから14巻の最後には、飛行機の中でまで眠りから覚める風太郎が描かれてしまう。

ぜーんぶ、夢、というウソ―! な展開。

要は、妄想の垂れ流し。

ただ、それでも人気を博したのは、まさに、その妄想の垂れ流したる個々のシーンで、あぁ、そう読者を震えさせますか、上手いですね!、と思わせることに、徹底的に拘っていたから。

だから、終わってみれば『五等分の花嫁』というのは漫画家の手による作品、というよりも、ただの絵師/イラストレーターによる「熱量のある絵」のシークエンス、というのが正解だと思う。

ただそうだとして一つだけわからないのは、まさに高3の修学旅行以後、どんどん絵が劣化していったことで。

最後は、みな、五月なみのデブになっていた。

てか、キャラのプロモーションが壊れていたわけで。

それじゃ、絵師としても失格でしょ。

あれは、ホント、よくわからなかった。

とはいえ、商業的には成功だったことは間違いないわけで、むしろ、あれで成功できたのはなぜか?という問いをたてる方が賢明なんじゃないか、と今では思っている。

絵と物語は、必ずしも、今、シンクロしている必要はなく、都合のいい物語を、あとで、読者が一人ひとり、脳内補完できればよい!

それが、むしろ、読者も、書き手も、共有している、今の時代のマンガなんじゃないかと思っている。

少なくとも、商業的な成功はそれで担保できる、ということみたい。

だから、まぁ、もはや考えるべきは、『五等分の花嫁』現象の社会学、みたいなことなんだろうな。

どうでもいい話だけどw

でもまぁ、五等分の花嫁記念日、というから、ちょっと考えてみたw

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炎炎ノ消防隊 第220話 『原国の父』 感想

2020-05-27 18:42:40 | 炎炎ノ消防隊
シンラたち第8が逃げ込んでいたのは浅草。

で、その浅草、という流れから紅丸の話に行って、そこでさらっと紅丸の夢らしき世界に移って、そこで紅丸のじいちゃんらしき火鉢というじじいが登場・・・で次回に続く。

その間、リヒトと火華、アーンド、スコップによる、ドッペルゲンガーって何?アドラって何?という会話が挟まれて、そのあとに、シンラと桜備の会話が続いていた。

まぁ、ここまで夢、夢、と言っているんだから、夢を介して一応、行き来できる平行世界がアドラで、その世界にはドッペルゲンガーという、自分の鏡像が存在していて、それが、一方の世界からもう一方の世界に出張ってくると、発火現象が起こる。

なんか、対消滅みたいな感じだよね。

なんていうか、全体的に『FRINGE』というアメリカのドラマに似ているかも。

あれも鏡の無効にもう一つの世界があって、基本的には存在する人物は同じだけど、生活する社会の雰囲気が違うというものだった。

で、そこでもAという世界とBという世界の間で、鏡像的な対の人物が入れ替わる、ということがあった。

どうやら前回のやりとりでいくと、シスターは、アドラのドッペルゲンガーがこちらに移って来ているみたいだし。

にしても、うーん、これ、やっぱりダメな展開じゃないか?

何をしたいのか、だんだんわからなくなってきた。

加えて、今後の展開のためのヒントを、たとえば紅丸に見る回想的な夢、から得る、というのはどうなのか。

それだと何でも、後出しジャンケンで言えちゃうじゃん。

そりゃあ、リヒトや火華でなくても、どう考えていいかわからん!ってなるよね。

推理のためのヒントが、誰かの夢の中で描かれるのだもの。

なんか、イライラする展開だなぁ。

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プリンセスコネクト!Re:Dive 第8話『リトルでリリカルなお子様ランチ~田園風玉子焼きセット~』感想: とにかく最初から最後までホッコリしどうしの回でしたw

2020-05-26 10:06:54 | プリコネ
うん、ホント、前回や前々回のシリアスとは打って変わって、最初から最後までホッコリしどうしの回だった。

他愛のない話といえばそれまでだけど、箸休めの回としては、いい回だったね。

微妙に、美食殿の面々のキャラの深堀りにもなっていたし。

特に、コッコロは、いつもは、自分が一番年下という感じで、その分、しっかりしなくちゃ、と力が入っているところがあるように見えるのだけど、自分よりも年下のリトルリリカルの三人を前にすると、ちゃんと年相応にお姉さんに見えてくるから不思議w

それから、キャルさんw

ホント、幼稚園の子どもたちを引率する先生みたいで笑ったw

てか、冒頭の、田植えをするときも、真っ直ぐに植えろ!と生真面目に対処しているところは、尊いなーとw

で、ペコリーヌはペコリーヌで、いつもの器用さを発揮して、着ぐるみを作って、場を盛り上げる。

で、この着ぐるみが、特に、半壊後wの右目が落ち気味になった姿が、いかにも「このすば」的風味を加えるのだから、ホント、ギャグの作りが上手い。

その上で、その着ぐるみから最後の怪鳥!退治につながるのだから。

ホント、テンポいいなぁw

もちろん、リトルリリカルの3人の登場で、お話が進められる場は、いつも以上に和んだものになっているのは間違いないのだけど、むしろ、その雰囲気をそのまま活かして、今回のエピソードの、あー、これ、ダメな感じ満載だー、でも、微笑ましい、という、マジで、このすば的世界にしてしまうのだからw

まぁ、それもこれも、ユウキが、いつもどおり適当にリトルリリカルのクエスト依頼に応えたしまったからなのだけどw

ホント、グッジョブ!のサムズアップ(親指上げ)は、便利な記号だなぁ。

結局、あの親指の記号性が、完全にこのすば世界とリンクさせてるんだよなw

なんにせよ、ドタバタ劇として、今回は最高!

そのくせ、途中でさらっと、キャルの抱える「あの方問題」にも触れるのだからニクイ。

あの、キャルが「あの方」の姿を見上げたシーンに重ねて、コップに映った自分の姿を見て、現実に戻ってくる場面は、地味で定番だけど上手い展開だな、と思った。

しかも、その現実の場所が、開放的な田植えの現場なのだからw

こういう対比の使い方、緩急の使い方が、ホント、上手いつくりだなと、毎回、感心している。

そうしていつも思う、早く次回が来ないかな、とw

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ぼくたちは勉強ができない 第159話 『[x]=機械仕掛けの親指姫編⑨』 感想: 理珠編はラブコメというよりもテレビっぽい恋愛ドラマだったw

2020-05-26 08:57:34 | ぼく勉
うん、なんというか、今回は冒頭で成幸が理珠父に挨拶に行っていたところからして、なんかドラマっぽかった。

終盤のキスシーンとかもね、なんかねっとり系のキスだったしw

多分、理珠が、やっぱり素のリケジョらしく、ド直球の真っ直ぐ系のキャラなだけに、物語自体も、シリアスっぽいトーンで押したんだろうな。

そう思うと、隠し味として、関城ならびに関城の両親の話を挟んでも理解可能。

あれは、理珠編の全体を、家族ドラマとかホームドラマとか、そういう雰囲気にしたかったからなんだろうな。

だって、理珠父なんて、見るからに昭和っぽい昔気質の蕎麦屋の親父だし。

そもそも蕎麦屋の娘という理珠の設定からして古風なわけだし。

で、その古風な、和服というか着物というか、下町的雰囲気をさらに増すために追加したキャラが、幽霊のみさおだったんだろうな。

そうして「和」のテイストを、みさおがいる限り、ずっと維持することができた。

だって、幽霊だよ、ひゅーどろどろ!、だよ。

そうして、関城&関城家と、みさおの存在で脇を固めることで、全体の雰囲気を、和風で古風なものに維持したところで、理珠のド直球に真っ直ぐな性格を全面に出してもおかしくない雰囲気にしたのだろうな、この最終話に向けて。

そうして、ラブコメではなくちょっと少女漫画チックな「重たい恋愛ドラマ」風な感じで終わりにしたのだった。

最後のキスシーンなんて、そもそもいつもの描き方と違って、成幸と理珠を描く線も少女漫画風に細かったしね。

そもそも、絵の雰囲気からしてシリアス。

裏返すと、それだけ理珠が、お笑いのあるラブコメやるには、天然&真面目キャラに過ぎたのだろうな。

そういうキャラごとのまさに「キャラ特性の配置」は、今回のように個別ルートに入ると際立つものなんだな、と実感。

そして、シリアスな「本物の」恋が成就したことを示すエピソードとして、幽霊のみさおが、友だちを作りたいという心残りを解消して、めでたく成仏したことが描かれる。

しかも、いわゆる「消える」というやつで。

特に、関城に何かをいうわけでもなく、成幸と理珠の恋が成就した瞬間に、みさおもまたふっと消えた。

うん、だから、この終わり方は、とてもシリアスだし、余韻あるものとして描いているよね。

その静謐さを醸し出すためにも、関城とみさおという二人の「お邪魔者」のキャラが必要だった、ってこと。

当初は、え、なんで幽霊?、なんで関城?と思ったし、あれ、もしかしてまさかの関城ルート?とまで邪推したけどw

終わってみれば、関城もみさおも理珠編のドラマに不可欠の舞台装置だったわけだ。

ちょっと感心してしまった。

漫画っていろいろな表現方法があるんだね。

となると、ぼく勉の作者って、結構、技工派というか、知性派なんだな。

いや、コメディって、そもそも頭がよくないと描けないから。

今回、それがよくわかった気がするw

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とある科学の超電磁砲T 大覇星祭編 感想: 15話で終わってみれば「監督・食蜂操祈/主演・御坂美琴」の典型的なお姫様救出劇だった!

2020-05-25 10:47:47 | 超電磁砲/禁書目録
改めて大覇星祭編を振り返って痛感したのだけど、このエピソードは、ホント、シナリオがよく考えられている。

今までの常識を覆すような仕掛けがてんこ盛り。

それもこれも食蜂操祈の「心理掌握」という人身操作の異能があればこそなのだけど。

その結果、いつものメンバーが、全く異なる動き方をするようになり、最後までどう収まるのか、予想がつかなかった。

いや、もちろん、最終的には「いつもの日常」に戻ることは当然視していたわけだけど。

問題は、それが「いつ、どういう風に」回復されるのか、ということだったわけで。

その点で、レベルの異なる「ミステリー」が多数埋め込まれていて、面白かった。

メタ、の上に、メタが重なって、メタメタメタ・・・、となる仕掛けが多重掛けされていた。

ホント、記憶操作、認識操作の能力って怖い。

物語の語りのフレームそのものを変えてしまうから。

確か、新約の禁書目録の最後の方で、黒子が、いつの間にか、美琴の隣を占める役割が食蜂に変わりつつあることに驚愕して、みさきちに対して「この泥棒猫が!」と怒りを上げていたのだけど、まさにその出発点になっていたのが、外伝の方のこの「大覇星祭編」のエピソードだったんだな、と思った次第。

だって、大覇星祭編って、終始、美琴は助けられる側でしょ、助ける側ではなくて。

何が凄いって、タイトルは『超電磁砲』っていいながら、今回、美琴がレールガンをぶっ放したの、第1話くらいじゃない?

というか、事件の解決にそもそもレールガン、全く使われていないからw

むしろ、美琴自身は、最後は、完全に上条&削板のタッグに、とりわけ上条さんに「竜王の顎」で救ってもらう「お姫様」ポジションだよね。

つまり、美琴が完全に「表のヒロイン」。

で、そうして美琴が上条さんに再び胸キュンになるような状況に対して、事件の真相に、事実上、一人で挑んでいったのが、みさきちこと食蜂操祈。

良くも悪くも、美琴が「お姫様」となるプロットを組んだのは、そしてそのために基本的な人物の配置をしたのは、みさきちだった。

そう思うと、削板の乱入にしたって、むしろ、プロットの人工性をごまかすための、ノイズとしての投入にしか見えなくなるから不思議。

ということで、食蜂は「裏のヒロイン」と言っていいでしょ。

要は、終わってみれば、美琴&みさきちによるダブルヒロインの物語だった、ってことで。

むしろ、事件の解決に奔走したという点では、大覇星祭編については

『とある科学の心理掌握』

ってマジで言ってもいいんじゃないかな。

それくらい、みさきちの一人舞台だった。

もちろん、彼女の場合、その「人を操る」能力から、何をするにしても実行部隊は彼女自身ではなく、彼女が「心理掌握」した第三者たちになるわけだけど。

良くも悪くも「裏方」であり「黒幕」のポジション。

でも、そうして人びとを操りながらも、大きな計画の遂行を指揮するのはあくまでもみさきちだった。

これは、同じレベル7の超能力といっても、アクセラレータや美琴、あるいは第4位のむ麦野なんかとは全く位相の異なる能力。

美琴たちのように物理事象には直接干渉できないけれど、かわりに人を介してならなんでもできる。

もっとも、その分、孤独にもなるわけど。

それこそギアスを用いて人を操るルルーシュではないけれど、「王の力は孤独にする」。

みさきちの場合は、「女王の力は孤独にする」、だけど。

まぁ、だから、彼女の能力を跳ね返すことのできる美琴には素直になれるのだろうけど。


しかし、ホントに美琴とみさきちのダブルヒロインだったな。

今回の場合、みさきちが記憶を操作して、いつもの美琴チームである、黒子や初春、佐天さんが、直接、美琴の仲間としてバックアップに回ってくれなかったことも大きい。

その結果、美琴は単身で動くしかなくなった。

いや、かわりに、婚后さんたちが尽力してくれたわけだが。

ただ、その分、黒子たちうるさい外野なしに、最後には上條さんだけによって助けられる、という「お姫様」を演じることができたのだけどね。

そして、その状態、というか人員配置まで指揮棒を振ったのが、みさきちだったのだから、やっぱりこれは『とある科学の心理掌握』と名付けるべきだよなw

その後の、黒子vs警策、のマッチアップまで含めて、全部、みさきちが割り振ったのだから。

で、そんな「黒幕」たる食蜂操祈が、では、なぜ、そのような動きにでたかといえば、それは15話で明らかになったように、ひとえにドリーのためだった、というわけで。

もっとも当初は、エクステリアを含めて木原幻生たちの動きに対抗することが動機だったと思うので、最終的にドリー(2号)と再会できたのは、みさきちにとっても嬉しい誤算だったはず。

ホント、幻生に勝ててよかったよね。

でも、それもまた、ルルーシュっぽく(あるいはデスノートのライトっぽく)、自分が負けるほうに賭けていた、という計算高い思考能力があればこそのことだったのだが。


ということで、

いやー、大覇星祭編、やっぱり見どころ満載だった。

別にまだ2周目の視聴を実施しないでも、こんなふうに思えるのだから、やっぱりもう1回、最初から見直したら、新たな発見がいくつかあるのだろうな。

久しぶりに禁書の世界を面白く感じられたよw

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