BLACK SWAN

白鳥のブログ - 日々の世界を徒然と

西尾維新 『悲報伝』 感想

2013-11-27 18:23:16 | 西尾維新
空々空が主人公?の伝説シリーズ第四弾。
二ヶ月遅れの刊行だったけど、恒例となったこの厚さを維持してるのだから、まぁ、仕方ないかな―。
で、肝心の内容は・・・

というところで、いつもどおりスペースを開けます。
部分的にはネタバレになるところもあるだろうから、未読の人はそのつもりで。










































で、肝心の内容だけど、まぁ、いつもどおり。
これもこのシリーズでは恒例となった、冗長な説明の連続。
とはいえ、その冗長さをもはや期待してしまっているところもあって(苦笑

もっとも、今回は、四国巡りという物語の縛りwに対して、高知と愛媛を一気に済ませようとした結果、全編に亘って、チームスプリングとチームオータムの抗争が主題になってしまったので、読後感からすると、むしろ、伝説シリーズからすると「外伝」っぽい感じがしたかな。

空々くんのマイペースっぷりはいつもどおりで、全然ブレない。
それに対して、パンプキンが、相手チームで空々くんポジションの参謀役を務めていて、むしろ、彼女が空々くん化していてw、苦笑せざるを得ない。

今回、大きな変化といえば「悲恋」の登場だけど、まさか「悲惨伝」の感想で記したように、あっさり空々くんの仲間、というか、部下になるとは思わなかったw
前巻までの緊張感は何だったんだよ―、というのが、悲恋については正直なところ。

・・・なので、実は、本作は次の「非業伝」に向けた「繋ぎ回」って感じがとてもするんだよね。

正直、チームスプリングにしてもオータムにしても、全然愛着がわかないし。
というか、どうせ、空々くんに絡まない魔法少女は即退場でしょ?ってのが前作までのデフォルトなので、そういう構えで読むと、ホント、「悲報伝」一冊を通じて起こったことは、パンプキンが空々組wに再合流した、ってことだけなんだよね。
物語的には、それだけ。

あ、悲恋、という、一応の不確定要素はあるのだけど、悲恋のヤバさが仮にあるとしても、その話は次巻ってことなのだろう。

なので、ホント、パンプキンの帰還だけが今回の成果。

しかも、死んだパンプキンをジャイアントインパクトの「不死」で蘇らせるのも、何となく、真ん中ぐらいまで読んだところで予想がついたし。

そういう意味では、中継ぎの消化回。

まぁ、それでつまらないか、というと、普通には面白くて、頁を繰らせてしまうところは、さすが西尾維新、って感じ。

そういう意味では、チームの抗争、という組み立ては、両軍の様子を順次描写していく、という展開が予想出来るだけに、読みやすかったのだろうな。

あとは、西尾維新がわりとよく使う「双子」というモチーフね。

それも、一組先に双子を出しておいて、さらに・・・、という展開は、軽くミスディレクションなわけで。

最近、またちょっと、ミステリー的な方向に戻ってきているのかね、西尾さんは。
『暦物語』も『終物語(上)』もそんなだったし。

ミステリー的モチーフで全体の物語の背骨を作りながら、キャラの独白や会話で間を埋めるというのが基本的な構成。

しかしなー。
非業伝がでるとわかっていると、こういう展開になるかな、という典型のような、繋ぎ回。

なんていうか、野球は9回まであって、まさに、6回とか7回のあたりの話って感じ。

そろそろ終わるけど、まだ終わらない、という読みがあるからこそできる「中継ぎ回」。

こうなると、次の非業伝でちゃんと終わるかどうかが、肝心だな。

そう思うと、今回、やたらと、本来の敵であるはずの「地球」との再戦について、やたらと強調されていたので、むしろ、ここから先の話は、この、無駄に長いw四国編を経た後、第一作である「悲鳴伝」で強調されていた「地球陣」との争いへと、どう繋がっていくかだよね、次作である非業伝の見どころは。

そういう意味では、今回は、地球撲滅軍側の描写、不明室の描写が一切なかったので、彼らがこの四国の騒動をどう捉えているのか、が気になるし、それもまた非業伝で記されるのだろうな。「焚き火」はなにしてるだろう、とかね。

あるいは、絶和リーグも、この四国ゲームの果てに得られるであろう究極魔法をどうしようとしているのか。そのことも説明もほとんどないわけで。四国ゲーム監督者のチーム「白夜」の動きが、一応、絶和の考えの一部でもあるようだけど。それもねー。

ていうか、白夜の面々は、ホント、何、考えてるのだろう。
あまり、不明室とやってることは変わらない気がするし。

そういう意味では、パンプキンと魔女であるかんづめとの「再会」の意味も気になる。
「この姿では初めて」というかんづめの発言からすれば、以前は異なる姿をしていた、ということになるし。

まぁ、要するに、かんづめは、いわゆるロリババァってことになるのだろうけどね。

このかんづめとの再会も含めて、ここに来てパンプキンの位置づけが急速に浮上してきている、というか、四国編の物語の鍵となってきているのもに気になる。

こうなると、パンプキンには死んでほしくないな―、とかね。

あー、でも、相変わらず潜伏中のストロークがいるんだよね―。
最後の最後で、彼女が狂言回しを思想だよな~。次巻あたりで。
さすがに、皆、その存在を忘れてきてるしね。

それにしても、魔法、なんでもありだな。
もはやジョジョのスタンド並みに何でもあり。
最弱と最強が円環をなすあたりもね。
その、最弱対最強、という意味でも、パンプキンとストロークの因縁は気になるんだよねー。

ということで、繋ぎ回だった「悲報伝」だけど、よくよく見直すと、今までの伏線を回収しつつ、その上で、より大きな伏線をちまちまと張ってるんだよな。

なので、当然、非業伝は楽しみ。

悲恋はきっと何かやらかすでしょ―。

いや、あの「通信」装置が気になるんだよね。
あれはさ、きっと、絶和の本拠地、ないし、魔法研究部門の本拠地を、自律的に探索するためのロボだと思うんだよね。
なので、悲恋の通信装置は、やっぱり、爆撃用のターゲット設定をするためにあると思うのだよね。そのための異常なまでの白兵戦能力だと思うのだよね。
敵の本拠地に悲恋が到着した時点で、そこに向けてピンポイントでミサイルなりビームなりが撃たれるという仕組み。

ロックオンのための装置。

仮に対象が動く標的になっても、悲恋がその反応速度で随伴すれば、絶対に的を外さないわけだから。

逆に、パンプキンの「自然体」は、一種の隠形術でもあって、そのロックオンを無効化する手段なのかもしれない。

まぁ、そのレベルで、裏テーマである、科学対魔法、の対決が実際になされる、というのが、次巻以降じゃないのかな。

で、そういうわかりやすい、

地撲vs絶和
科学vs魔法
悲恋vsパンプキン

という構図の中で、生存本能だけで、それこそ「自由」に動いてしまう空々くんが、文字通りのジョーカーとして活躍することになるというか。

てかさ、そういう展開になって、それなりに、空々くん側の陣容が強化されないと、さすがに、地球陣との最終?決戦に対処するのは不可能だよね。

それに、今更、地撲側で新たな同僚キャラに出てこられても興ざめだしね。

そういう意味では、

究極の回復魔法(=不死再生)の術者  ジャイアントインパクト
魔女で、それ故多分ロリババア  かんづめ
超自然体  パンプキン
不明室の究極兵器  悲恋

という空々チームは、できればそのまま地球陣と対決して欲しいかな。

そういう意味では、チーム白夜から一人くらい空々くん側についてもいいよね。

まあ、なんというか、戯言シリーズ的にいうとそういうことだよね。
何だかんだ言って、心のない主人公の周りに、彼を気に病むキャラが参集する、ってことで。


ということで、非業伝、楽しみだな。

といっても、また半年後かなー。

その間に、『終物語(下)』や『続終物語』もあるしねー。
あ、『りぽぐら』もか。
しかし、そうなると、確かに「りすか」の最終巻もいい加減出して欲しいし、
人類最強のスピンオフや、病院坂黒猫の話も、ぼちぼち出して欲しいかな。

それにしても、西尾維新、多産だな―。驚くよ。

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東京レイヴンズ 第10巻 感想

2013-11-12 21:32:26 | レイヴンズ
現在放送中のものを見て、もしかして面白い?って思って、原作を読み始めたんだけど。。。
これがメチャクチャ面白い!
いやー、久しぶりにアタリを引いた気がする。
なので、10巻感想、ってあるけど、実際には、10巻までの感想になるかな。

原作では、9巻までが第1部、10巻から第2部、となる。
ちなみに、第1部の締めである、8巻、9巻は圧巻だった!と最初に書いておく。
むしろ、今放送中のシリーズではどこまで描くのかな?と思うくらい。
いや、ホント、凄いです。
とても、ラノベを読んでる気がしなかった。
それくらいドラマがある。

ということで、いつもどおり、スペースを開けておきますw
















































とにかく、この東レwの凄いところは、プロットがもの凄くきっちり練られているところ。

9巻までの第一部で、結局、春虎こそが夜光の生まれ変り、ということになるのだけど、そこまでの展開がうまい。

それに、全てのキャラクターがきちんと物語に絡んでくる。
伏線が無駄に巻かれることなく、きちんと後ほど回収される。
ミスディレクションも多用され、あれれ、という具合に予想が覆される。
ちょっとした思わせぶりな言葉遣いも、単なるポーズではなく、しかる後にその意味が明かされる。

・・・といった具合に、とにかく、これ、読んでて楽しいのだ。

それに、描写も文章もきっちり書き込まれている。
重要な作内設定は何度も解説されるのだけど、それがしかるべきところに挟まれているので、ああーもうそれ知ってるよ―、なんて思わせることもない。
むしろ、読み進める上での「間」をとるために、巧妙に挟み込まれる。
シーンの変化にも一切無駄がない。(特に9巻)

ということで、これは、ホントに、素晴らしい。
正直いって、ここのところ、展開がもたついているとしか思えない、アクセル・ワールドや禁書目録の作者は、東レを読んで勉強すべきだと思うほどw

で、最初に書いたとおり、10巻は第二部のスタートに当たり、主人公が春虎から夏目に変わる。
そして、春虎と夏目のポジションが入れ替わったことを象徴するように、物語のスタートが第一部の反復のような静かなところから始まる。

これだけでもホント上手い。

その上で、第一部で名前だけの登場、あるいはチョイ出演って感じでいたキャラを登場させることで、全体の雰囲気も第一部との間で断絶を生み出している。

こういう「雰囲気」の調整が、この作者はホントに上手。

圧巻なのは、最後の最後で明かされる、新登場の秋乃が相馬の一族であるところ。
いや、マジで上手いよ。

どう考えたって物語的には「つづく」なのだけど、それでいて、きちんと物語は10巻単体で完結している。

そういう意味では、6巻から9巻まで基本的には大きな物語は連続しているのだけど、一応、個別の事件は、それぞれの巻で完結しているわけで、そういう、なんていうのか、シリーズ構成がホントにチャンとしている。

・・・って全然10巻そのものの感想に行かないなw

第一部からの変化で一番大きなことは、多分、夏目が実質的に「死人=ゾンビ」として蘇ってしまったこと。
そして、それもあってか、春虎との間に距離ができていること。
その結果、第二部では、夏目が春虎を追いかけることになること。
その構造の変化は面白い。

そして、10巻では小出しにしか明らかにされていないけれど、春虎、夏目、冬児、京子、天馬、鈴鹿、の仲間が、皆バラバラになってしまったこと。
これは、9巻の最後で、冬児が予言していたことだけど、そのとおりになっている。

なので、このバラバラになった仲間が再度結集するのか?、というのもこれからの見どころの一つ。まぁ、既に鈴鹿が相馬の家に出入りしているようだから、簡単には全員結集、というわけにも行かないのだろうな、と。

そもそも、再結集する動機が、春虎に会う、というのだけでは弱いよね。
当然、この先、再結集の目的も変わってくることだろう。

あと、10巻である意味大活躍したオッサンの三善だけど、このオッサンの配置換えが今後どう影響するのか。

いや、どう考えても、陰陽庁の十二神将も、一枚岩のままではいられないでしょ。
多分、倉橋、夜叉丸の陰謀に与するものと、それに造反するものと別れると思うのだよね。その時に、目が効く三善が一つのキーパーソンになりそうな気がする。

もちろん、もう一人の鍵は、現在潜伏中の天海なはずだけどね。
そして、その天海と冬児が一緒にいる(らしい)ことを踏まえると、造反した十二神将が、何らかの形で春虎たちと合流することもあるかもしれない。

いや、その前に、春虎がどうなったのか。
夜光の意志をどう次ごうとするのか。
そもそも、夜光は何のために転生を試みたのか。

このあたりも大きな謎。

・・・という感じで、とにかく、東レは、続きを気にかけさせる要素で溢れている。

で、それだけでなく、本文自体もグイグイ読ませるんだよね。

いやー、ホント素晴らしい。

是非ともアニメで9巻の内容をやってほしいと思うぐらい。

何か中途半端な感想になってしまったので、また書くかもしれないけれど、10巻は第二部の開始としては、とてもよく出来てたと思う。

今から、11巻が楽しみだけど、先月10巻が出たばかりだからな―。
いつになることやら。

そういう意味では、一気に第一部の終了まで読みたのは良かった!

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西尾維新 『終物語(上)』 感想

2013-11-04 11:47:09 | 西尾維新
うーん、これは、賛否両論別れるかなー。
いつもなら、阿良々木くんの出る物語シリーズは購入後、最長でも3日ぐらいで読み切れるのだけど、今回は、どうもいつもと違って物語に乗りきれず、えらく時間がかかってしまった。
そういう意味で、今回は、微妙・・・な感じ。
もっとも、最近読むものに対して、総じて同種の「ビミョーな感じ」を受けているので、どちらかというと、単純に読み手の側のコンディションの問題なのかもしれない。
要するに、こういう話に飽きてきたのかもしれない。

ということで、以下、感想を記そうと思うけど、部分的にはネタバレもあるので、スペースを開けておきます。読む人は一応了解の上でよろしく。





































既にネットの上では多くの人が指摘しているように思うけど、今回の『終物語』は、大分、今までの物語シーズンの印象と異なる。もっとも、前作の『暦物語』も似たようなところがあったので、これはファイナルシーズンに特有の雰囲気なのかもしれない。

簡単にいうと、ミステリー色が濃くなった。
それも「無駄に」、ね。
無駄に、というのは、どうも、このミステリー展開は、今までの流れからすると、シリーズの引き伸ばし工作にも見えるんだよね。

今回、どうも読むのが遅くなったってのは、全編に亘って登場した忍野扇の存在がどうにも「ダーク」だったってこともあるのだけど(←これは結構マジでそう思ってる)、そもそも、第一話である「おうぎフォーミュラ」が、ミステリー色ってことだけでなく、そもそも題材にしている、紛糾した(阿良々木くんが議長を務めた)学級会の様子が、どうにも退屈だったから。

まぁ、西尾維新ワールドにおける「学級会」というのが、あるいは学校の「クラス」というのが、どうにも偽善的で、そこに居合わせるだけで鬱になるような魔窟空間であることはわかっているのだけど、それにしても、今回の、紛糾する学級会は気持ち悪かった。

皆で議論するってことを、これほどまでに2ちゃんの書き込み合戦、というか、炎上のように記さなくてもいいんじゃないの?、とまずは素朴に嫌悪感を持ったかな。

で、西尾維新らしい後味の悪さを示すのが、真犯人が担任の教諭だった、っていう事実のところね。

まぁ、扇ちゃんが扇動役ってこともあって、なおのこと、気味悪いわけだが。

で、面倒なのは、この胸糞悪い話が、『終物語(上)』全体としては、老倉育が登場するためのイントロでしかなかった、のがね。

いやー、さすがは西尾維新。迂遠過ぎる。

で、そこから先の「そだちリドル」にしても、「そだちロスト」にしても、老倉育はあくまでも話を進めるためのネタでしかなくて、やりたかったことは、阿良々木くんの過去話だけだった、ってことで。

それもエラく迂遠に感じたところ。

いやー、ホント、マジで、第三話で羽川が登場してくれなかったら、何なの?この話?ってキレるところだったな。

もっとも、その羽川にしても、どちらかというと、扇ちゃんの「悪のスペック」がどれだけのものか、強調するためのものでしかなかった、って気もするけど。

あー、でも、裏返すと、羽川の「善のスペック」もそれくらい高くて、傍目にはやはり「気持ち悪い」って範疇に入ってしまうのかもしれないが。

いやいや。それくらい、気持ち悪い。

もともと『終物語』が「おうぎダーク」として予告されていたことを考えると、やっぱり「扇=ダーク=くらやみ」ってのが「正解=真相」なんだろうけどね。

迷子探し → 八九寺の成敗、成仏
千石の下駄箱確認 → クチナワの仕込み
羽川の海外ロケハン → (多分)羽川を阿良々木くんから遠ざけるための催眠
戦場ヶ原のメール → (多分)扇による、なりすまし

前にも物語シリーズの感想で書いたと思うけど、多分、忍野扇は、一種のメタフィクション的作家のポジションで、その意味では、八九寺に近いポジション。
で、だからこそ、八九寺を早期に始末した。

忍野扇が関わることで、物語シリーズの「物語時空」そのものが歪められてしまって、どうも正規のルートから外れてしまっている感じがする。今回の阿良々木くんの、ありえなくらいの健忘症も、そうした扇の「物語改変力」の現れだろうし、簡単に阿良々木くんが言い含められてしまうのも、扇が作家ポジションの、というか、今風にいうなら、ゲームマスターのポジションを握っているからでしょ、きっと。

そういう意味では、忍野扇はラスボスの立ち位置にいる。

ゲーマスだからこそ、物語を容易にハックする。

ファイナルシーズンになって、妙にミステリー臭が強くなったのも、この扇が探偵=メタ作家=ゲーマス、として振る舞うことの必然といえる。

だから、多分、何の予告もなく突然ファイナルシーズンに前作の『暦物語』が書かれたのも、シリーズ全体の構成として、扇によるメタミステリーの導入を不自然に感じさせないための工夫、仕掛け、といえるのだろう。

前作で、米澤穂信的な、針小棒大な日常ミステリーを『暦物語』で導入しておけば、本作の忍野扇探偵の登場もそれほど唐突には見えないしね。

で、そうなってくると、やっぱり気になるのは、次作の『終物語(下)』への続きよりも、『暦物語』の最後に起こった事件、つまり、臥煙伊豆湖による阿良々木くんの殺害の意味、だよね。それと、八九寺の再登場。

やっぱり、臥煙伊豆湖vs忍野扇、という大きな対立があるのかなー。

それにしても、どうして「忍野扇」と名乗っているのか。
これ、普通に考えると、忍野メメないし忍野一族が、忍同様、名前で怪異としての存在を縛ったってことだよね。

つまり、阿良々木くんたちの命名による「くらやみ(仮称)」に対して名を与えることで縛った。

そういえば、『鬼物語』の中で、忍、というか、キスショットが昔、くらやみに襲われて身体の半分だか3分の2だか、を食われた、って話があったけど、そこから考えると、忍野扇の正体は、くらやみそのもの、というよりも、くらやみに食われたキスショット=忍の半身の成れの果て、なのかもしれない。あるいは、同様にくらやみに食われたキスショットの最初の眷属の成れの果てなのかも。さらには、その両者が混合し融合して発生した怪異なのかもしれない。

つまりは、忍のダークサイドが扇、ということ。

でないと、『傾物語』でわざわざパラレルワールドの自己崩壊した忍が登場する意味とかないのではないかな、と。

だから、阿良々木くんと仲のいい、幼女枠wの、八九寺や斧乃木ちゃんの存在を亡き者にするように画策したり、

千石を蛇神化させることで、羽川や戦場ヶ原との阿良々木君の関係を破綻させようとしたりしたんじゃないのかなーと。

そして、だから、そうした忍のダークサイドである扇の動機を解消ないし緩和するために、忍と阿良々木君のリンケージが一時的にはずされたのではないかな、とか。

もしかしたら、臥煙伊豆湖さんがアララギ君の存在を抹消させたのも、くらやみ=扇=忍のダークサイドを孤立させて、文字通り、成敗するためだっからではないかな?とかね。

となると、もちろん、扇の道連れに、忍も臥煙伊豆湖たちに消されてしまって、阿良々木くんは、めでたく吸血鬼属性を失い、人間に戻ることができる、ということではないのかな。

どうも、物語的には、こうした感じで、最終的には因果が回りそうな気がするのだよね。
てか、そうでもしないと、セカンドシリーズ以後の物語が余りにも破綻したものになってしまうから。

要するに、ファイナルシーズンとは、阿良々木くんと忍との関係、怪異としての、吸血鬼としての関係を破談に持ちこみ、晴れて人間となった阿良々木君が戦場ヶ原たちとともに生きていくところで、終わるのではないから。

それが、直江津高校を卒業する意味ではないのかとl

でないと、延々、阿良々木君の高校三年生の一年間を根掘り葉掘りしていかないだろうし、そのための俯瞰視点を得るための『暦物語』なんて書かれなかったと思うのだよね。

少なくとも、物語の「語り」上は、物語シリーズ全体を、一種のメタミステリーとして読んでくださいね、というのが、ファイナルシーズンになってからの大きなメッセージなのだろう。

となると、ホントに『終物語(中)』が出るかもねw
だって、そうじゃないと、今書いたような、メタミステリー的見方のための素材を提供することが難しくなるだろうから。

それに、『続・終物語』とは、シリーズ全体の後日譚になるだろうと思っているから。

でないと、「暦ブック」なんて副題をつけないでしょ。
「第本話」だしw

メタミステリー的に、これは、阿良々木暦が「語った」本であった、その「語り」はいくらでも変えていくことができる・・・、という具合のエンディング。


まぁ、以上は一種の妄想なわけだがw
しかし、『終物語(上)』を読むと、あながち外れてないんじゃないかな―、って思う。

ということで、ちょっとだれてきてるところもあるのだけど、あと2冊か3冊で示されるフィナーレを楽しみにしたいと思う。

要するに、阿良々木君が先延ばしにしてきた、
吸血鬼としての「永遠の楽園」を選択するのか、
それとも、
人間としての「有限な幸福」を選択するのか。

その選択が行われるのだと思う、最後にはね。

それはつまり、忍/八九寺/斧乃木 を選ぶのか、
戦場ヶ原/羽川/神原 を選ぶのか。

もっといえば、忍をとるのか、戦場ヶ原をとるのか、という二択になるのだと思う。

そして、そういう「苦い選択」を主人公に迫ってこそ、西尾維新なはずだから。


ということで、続きを早く!

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