BLACK SWAN

白鳥のブログ - 日々の世界を徒然と

西尾維新 『傾物語』  読了+感想

2010-12-25 11:03:32 | 西尾維新
帰りがけに書店で発見して、購入、そのままイッキ読み。
当然、以下はネタバレありだから、そのつもりで。























さて、今回は、ホント、タイトルにだまされましたねぇ~w


八九寺回とばかり思っていたら、八九寺はその主題でしかなくて、
八九寺のターンではなかった。

多分、最後の引きから考えると、
次回の『花物語』は阿良々木君と八九寺のいつものトークからいきなり始まり、
それで50pぐらい費やしてくれることに期待w

やはり、阿良々木-八九寺の掛け合いは、このシリーズの白眉だよね。
もはや古典落語の域に達してるから。次回も楽しみ。

で、物語の本当の主題は、阿良々木君と忍の精神の紐帯、
というか、要するに、二人なりの愛、ということ。
パートナーシップね。

で、この話に入る前に、先に書いてしまおうと思ったのは、シーズン2の物語構成のこと(なんだかアニメみたいだw)。

西尾維新がウマイな、と思うのは、前回の『猫物語(白)』が、それ以降の物語のプロローグであり、ティザーになっているところ。『猫物語(白)』の語り部が羽川だったのもそのためだ。こちらで羽川が経験した物語時間内の流れを、阿良々木君視点で補うのが、今回と次回、ということのようだ。『猫物語(白)』の最後で阿良々木君が登場するところで、羽川視点の描写によって阿良々木君が心なしか逞しくなったという記述があったと思うけど、それは、羽川の時間の間に、阿良々木君が複数の事件に対峙した後のことだから、ということだね。

ということで、間違いなく『猫物語(白)』は化物語シーズン2の第一話だったということになる。


そして、『傾物語』で行われたのは、阿良々木君と忍、という、互いにもはや出来そこないの吸血鬼二体のペアリング、パートナーシップを巡る物語。

しかも、文字通り、「異界」=「異次元別世界」へのタイムスリップならぬ異空間跳躍によって。

このあたりは、もう完全に、今風、だね。
並行世界、時空パラドックス、・・・。

ちょうど、『涼宮ハルヒの消失』を見た直後、
あるいは、『LOST』や『FRINGE』や『インセプション』を見た直後でもあるので、

ああ、西尾さん、あなた(まで)もそう来ましたか!

というのが途中までの印象だった。

『消失』の長門に相当するのが、本作では忍、ということで。
で、その狂いの原因が、想い人への気持ちの真剣さだった、というところまで全く並行的。
その分、切ない。

とはいえ、西尾維新の凄いところは、結局、そうした並行世界突入もお話を進めるため、しかも、文字通り、阿良々木君と忍の「お話=対話」を大量にやり取りさせるための舞台設定に過ぎないところだ。

いうまでもなく、そこで起こったトンデモ事件も、いつもの西尾維新的展開で、最後の数ページで呆気無く解決されてしまう。まるで事件が事件自体の力で解決されてしまったかの如く。そして、西尾維新的な、覚めた現実主義が改めて確認される。このあたりは、ホント、すごいよ。

で、結局やりたかったのは、忍の阿良々木君に対する想いを、吸血鬼もどきになって以後の彼女の想いを示すことが、今回の本当の主題だった。

だから、『傾物語』は『傷物語』の直接の続編といえるし、
後の『鬼物語』のプロローグということなのだろう。

今回の話で明かされなかった部分でいえば、

多分、『なでこスネーク』の時に、忍が神原や千石を睨んでいた、という時の、忍の感情がいかばかりのものであったか、というのが今後の大きな物語の鍵となるのだろうし、

『猫物語(白)』の途中で描写されていた、阿良々木君と忍の、一時的なペアリングの解除、というのも、このあたりの話と密接に絡んでいるのだろう。

というか、ここまで書いて思ったけど、もう一度『猫物語(白)』を読み直さないといけないな。

そこに、今後のシーズン2wの物語を読み解くパズルの鍵がたくさん埋めこまれているということになるのだろうから。

いや、『猫物語(白)』の時の、「ターミネーターとターミネーター2との違い」という比喩も、『傾物語』を読んだ後では、またちょっと異なるリアリティを持つように思えてくるし。

ああ、だから、西尾維新は、『化物語』のアニメ化を経験することで、きっと「物語構成」だけでなく「シリーズ構成」も大事、ということに気付いたのだろうな。

シーズン2の作品群の出版時期が予め予告されているのも、そうしたシーズン構成が出来上がったところで行われているのだろうし、もっといえば、アニメ化した時に息を飲む展開!ということにしているのかもしれない。

いやー、楽しいなぁ。
次の『花物語』は3月発売かぁ。
ホント、絶妙の引きで参りますよw



追記

あ、そうか、「八九寺」と「八九寺さん」って
「朝比奈さん」と「朝比奈さん(大人バージョン)」みたいな関係だ。

なんだか、ホントに『消失』のように思えてきた。
それも狙ったんだとすれば、流石です!

*

今気づいたけど、Boxの表紙のイラスト、
まんま、インセプションの構図じゃないかw

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もっと To LOVEる -とらぶる- 第12話 『大スキ1/大スキ2/大スキ3』

2010-12-22 23:33:36 | Weblog
最終回。
終わっちゃいましたねぇ。

このTo LOVEるは、結局、リトを巡る美少女ゲーム的展開を匂わせつつ、ララをはじめとしたキャラたちの可愛さをひたすら愛でる構成だった。

って、これ、成功だったんじゃないかな。

前のテレビシリーズは、最初の頃は、
あれ、これ、もしかして『うる星やつら』のパクリ?
という感じだったんだけど、

ララのキャラが『うる星』とは全く違って、
ある意味不思議ちゃんだったため、
彼女の存在は、この物語の空間設定にだけ影響を与えている。

その感じがこの最終回でリト自身がまさに気づいてしまったところが、
なんともいえず、うまいなぁ、と思ったのでした。

なんていうのかな、ララは環境設定だけをしているんだよね、
でも、その環境設定がリトにとって世界との繋がりを
多少のトラブルはあれど、良くしてくれている。

要するに、あげまん、ってやつなんだけど、
そうしたララの有り様に対する「好き」と
春菜に対する「好き」は確かに並存可能で、
ここが単なる三角関係に終わらないところがあって興味深かった。

ま、もちろん、宇宙王ルールwによって、
一夫多妻(ララ)も、王の側室・ハーレム(モモ)も可能、
というのは一応の説明にはなるけど、
でも、これらはいわば、物語的破綻を避けるための方便でしかない。

ポイントは、むしろ、そのようなハーレム的状況であるにも関わらず、
リトは、結局のところ、春菜に一途なわけで、
その一途さと、ララへの感情をどう整理させるかが本来の意味で
物語の山場だった。

だって、唯にしてもヤミにしても、彼女らのリトに対する好感度は
上がっているにも関わらず、それにリトは取り合わないわけで。

もちろん、彼女らがリトに引かれていく過程は微笑ましく見られるわけだけどw

唯もヤミも今回のシリーズではそうとう焦点が当たったのに
終劇はこういう具合というのはホント、ある意味今風なんだろうな。

何にせよ、前シリーズのような、中途半端な宇宙人描写がなくて
むしろ、物語的にはストレートに見られてよかった。

どうだろう、これ、一応、本編のTo LOVEるからすると、
スピンオフ的な存在なのだろうか。
原作、読んでないからそのあたりよくわからないのだけど。

でも、今回のシリーズはよかった。
前回との違いを見ると、今のアニメ(のビジネス)のあり方も
なんとなく分かってくるような気がする。

満足、満足w

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ハヤテのごとく!第301話 『子はかすがいかもしれない。まだかすがってないけど』

2010-12-22 22:31:44 | Weblog
ほう、これはまた意外な展開。
アテネ(とヒナ)までアパートに住まわせますかw

面白いアイデアなんだけど、ただ、この手の展開、最近多すぎないかい?
要するに、美少女ゲーム的過ぎる、ってことなんだけど。

ま、キャラが既に固定メンバーになってしまってるから、常に、彼ら・彼女らが一同に会せるようなシチュエーション設定の方が、お話にスピード感が出るのは間違いないけど。

というか、話、進めやすいしね。

とはいえねぇ。

もちろん、この状況で、

アテネとマリア

アテネとナギ

ヒナとハヤテ

そして

アテネとハヤテ

の間を動かそうをしているのだろうけど。

特に、アテネとマリアの関係については、何かの拍子に明らかにされちゃう、という感じなんだろうな。

あと、ハヤテの兄さんのことも。

それにしても、いい加減、愛歌の思わせぶりな動きにも見通しが欲しいなぁ。

といっても、結局、ハヤテ君は、キャラマンガなんだからな。

そういう物語を回すような展開はしないのだろうなぁー。

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魔法先生ネギま!312時間目 『絶対窮地の捨て身忍法』

2010-12-22 22:28:53 | UQH/ネギま!
うーん、前回から3週間待ってこれか。
なんだかなぁ。

前回が思い切り、「転」の回だったから仕方ないけど、お約束通り仲間が倒されていくのはやはり見てて辛い。あと二回ぐらいは、今回のような「苦境」が描かれるのだろうな。ただ、分断された苦境はホント、見てて辛い。

パルの機転でとりあえずは最悪の事態を脱したものの、いまだ大ピンチであることは間違いない。高音が思いがけず活躍したりという流れで行くと、これは満を持してのココネ+美空の活躍が待っているのか? いやー、ビミョーだよなw

楓の方は風フェイトとマッチアップで善戦はするものの結局は追い詰められている。

ただ、こちらも微かながら希望があるのは、風フェイトが雷化しているところで、なんとなくの予感だが、これは楓と刹那が魔族化するネギ君を抑えこもうとした時の特訓が生きてくるのではないかな、と思うのだよね。

楓って常に「負けない」人のように思っていて、
つまりは、うまく逃げおおせる人だと思う。
忍って、そもそも戦闘員ではないからね。

さらにいえば、彼女のアーティファクトは、
一応魔法攻撃吸収効果もあったはずだから。
無傷ということはないと思うけど、
なんとか逃げ切るのではないかと思う(というか思いたい)。

むしろ、取り戻したGGMKをどうするかだよね。
まきえに渡しても。。。ねぇw
のどかがダメなら、ユエっちが世界図絵でなんとか使い方を読むとかしたいところ。

というか、今までの魔法世界編の話からすると、ネギ・パーティのアーティファクトはいずれも優れものの魔法具のようだから、ユエっちがなんとかできそうな気がする。


ということで、対「火フェイト」組も対「風フェイト」組も、現有戦力で再度防戦をするのかどうかというのが物語的にはひとつの鍵だね。どちらも、増援が到着、という形がやっぱり望ましいかな。

火組は、前にも書いたとおり、超鈴音が来て欲しいと思うし、
(ま、これが一番のツリであることは間違いないだろうがw)

風組は、意外と、龍宮隊長が楓のサポートに再登場、
ってことはないのな、と思ったりする。

というか、

龍宮vsポヨ



刹那vs月詠

の戦いが一定の連載回数を使って描写されるのかといえば、違う気がするんだよね。少なくとも龍宮隊長のは、後日回想シーンぐらいで簡単に説明されそうな気がする。

というか、今の状況は、あまりにも多時点多地点の展開過ぎて、いずれのシーンも真面目に描こうとしたら、物語全体のスピードを損ねるに決まっているから。

だとすると、次回の、水フェイトのところで、何らかの動作で、もう一度、ネギ・パーティが一堂に会することができるような荒業が行われるように思うのだよね。

それは、もしかしたら、麻帆良学園と一気にゲートが繋がってしまって、そこにネギ・パーティの全員が転移させられる、というような展開かな。であれば、少なくともエヴァの登場はあるからね。

超でなければ、エヴァが、いわば舎弟wの茶々丸を傷付けられたことに対して、私怨で火フェイトと一蹴するという展開もあるかなと。

なにせ、エヴァは氷系だから。
思いっきり、火フェイトを圧倒する、という展開もあるように思えてくる。

しかし、それにしても年末年始にこの展開。
生殺しすぎるなw


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全ては舞台である ~ STAR DRIVER 輝きのタクト 第11話 『サイバディの私的活用術』

2010-12-12 20:35:51 | Weblog
「このシチュエイションは気に入ってたんだけどな。
だって、夫の愛人の娘が正体を隠しながら身近にいて、
わたくしを憎んでるなんて、
なかなかロマンチックで素敵じゃない」


カナコがこう最後に語ったことが全てなのだ。

そう全ては演目であり舞台なのだ。
そうして、ようやくこの物語がわかった気がしてきた。



今回の雰囲気はフランソワーズ・サガン。
『悲しみよ、こんにちは』とか。

カナコの豪華客船でわかるけど、
要するにこの島は、南仏なんだ。島ではなくて。
そして、それが舞台。

芝居=劇が、幾重にも重なっているのが、この世界。

(だから、ロボットものとして弱い、と言ってる人達は、
残念ながら、この物語の最も素敵なところを見過ごしていることになる。)

特に、ミズノが登場し、彼女がサカナちゃんから、
コーラスのバトンを受け取ってから、明確になってきた。

全ては舞台。

シモーヌからすれば、全てはカナコの手のひらの上で行われていた。

ミズノの歌=コーラスによって、ゼロ時間の舞台の幕が上がるのも、
そういうことだ。

「夜間飛行」が演劇集団=舞台であることは間違いないとして、
タクトらが今いる島も、一つの舞台であり、
ゼロ時間も一つの舞台だ。

舞台装置が何重にも組み合わされた世界。
そこから全ては舞台、ということになる。

ゼロ時間に、皆、集まって観戦しているのも、
むしろ、これは観劇なんだ、きっと。
オペラやバレエを観るのに近い演出。

要するに、世界はすべからく劇なのである、
演目は、限られた舞台の上でこそ上演されるのだ。

わかりやすい、私怨や愛情が、さしあたっての
私闘の動機になるのもそういうこと。

仮面で、偽名の、綺羅星十字団、なんて、
演劇集団みたいな名前もそのものズバリ。



最初は、この物語は、いつ、この島から皆が出ていくかが、
物語の転機だと思っていたのだけど、
どうやら違う。
むしろ、この島=南仏の、クローズドな世界で、
いかにして、異なる生のあり方を示していくか、がお話の中心になるのだろう。

だから、この舞台演出をしばらくは楽しめばいい。

で、事態は、このゼロ時間がはじけるところで、
日常とつながってしまうあたりから、変わっていくだろう。

結局、これは子どもたちの姿をした大人の物語を舞台として行おうとしている、
という解釈をしたほうが良くて。
それはカナコとミドリの対比というか、混在・併存がそれを示している。

大人が子供であり、
子どもが大人である。

であれば、サン・テクジュペリの世界そのものではないか。

そうして、サガンよろしく想像的ロマンにカナコ自らがしびれる今回の最後に繋がる。
だから、そうした外連味を楽しまないと。

それにしても、ミズノは、毎回、バスに飛び乗って歌うのだねw
あの歌、透き通った感じがして、とてもいい。

でも、夏の風が来た、とミズノが言ってるところからすれば、
春夏秋冬で、四人の巫女が移っていくのだろうな、きっと。

その意味で、ミズノとマリノの夏物語編には期待大なのだ。

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ハヤテのごとく! 第300話 『王の帰還』

2010-12-08 15:09:45 | Weblog
今週はネギま!が休載だからスルーしようと思っていたのだが、
ハヤテ君が想定外に意外な方向に行きそうで期待、高まる。

ポイントは、アテネの再登場。
アテネ・ギリシア編には期待していたのに、あんなオチで終わってしまって、
なんだか肩透かしをくらってしまったきがしていたので、
アテネの再登場は、素直に楽しみ。

まぁ、人気投票でヒナとツートップになるのだから、
そりゃ、再登場させないわけにはいかないよねw

とはいえ、この先、ハヤテというか、畑健二郎は、
この話をどうしていくのだろう。
アテネの再登場で、その点がとても気になる。

というのも、アテネの話は、
明らかにハヤテの話の中では別系列の話だから。

というか、ナギ周辺のだらだらした日常の話は、
アテネの話を入れ込むための、連載上の工夫にしかみえなくて。

アテネ・ギリシア編で肩透かしを食らった、というのは、
アテネ(とヒナ)があれだけ前面に出る展開になったにも関わらず、
最後のところで、ハヤテはいわばナギに対する忠義を優先したわけで、
いくらハヤテが朴念仁の天然ジゴロといっても、
それはお話としてどうなのだろう、と素朴に思ったのでした。
美しい話であることは間違いないのだけどね。

何が言いたいかというと、
アテネの物語と、ナギの物語?は、互いに独立したもので、
同一平面上に乗ってこない。
で、今回の人気投票でもわかったように、
キャラ的にも、ヒナとアテネなわけでしょ。
だったら、そちら側に舵を切ってもいいと思うんだよね、物語としても。

なんていえばいいかな、
当世流行りのゲーム的な「攻略ルート」的なキャラクターのやりとりだけが前面に出て、
けれども、実際のマンガという枠組みは、分岐せずにまっすぐ進むしかないので、
本来なら分岐ルートで収束する複数の質の異なるお話が、
同一平明上に無理やり置かれている、という感じ。

それらのバランスが上手く取れなくなっている、ということかな。

アテネが登場する前までもそういうところはあったけど、
それまでは、ギャグとラブコメ的展開で、お茶を濁していたし、
王玉の話はシリアスだけど、ナギが引き受ける話のようにみえていた。

ところが、その話はアテネが執り行う話になってしまった。

要するに、ナギとアテネは、多分、物語構成上は同一人物で対処することが、
二人に分割してしまったように思える。
で、その分、お話としては複雑なものになってしまった。

本来、一人を動かせばいいところを二人にしてしまった結果、
ヒナの動きにまで制約が出てきてしまって、自由に動かせない。
メインストリームの話に参画することができない。
そうすると、ギリシア編のように、完全にかませ犬的位置づけにされてしまう。
だから、読まされる方としては、歯がゆい思いばかりすることになってしまう。

・・・と、こんな感じ。

今ちょっと時間がないから、またあとで時間を見つけて記すかな。

*

ホントは、ネギ君のほうを書こうかなと思っていたのだけどw
休載中に、超鈴音編を読み返してみると、それなりに、
ヒントらしきものがこめられていたことに気づいたのでw

あと、超編を見直すと、ユエの立ち位置がホントに大きく変わったことに
驚いたのでした。

・・・ってことも別の機会に。
何たって、まだ二週間ほど間はあるからなw


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ネギま! 311時間目 補足

2010-12-02 15:04:53 | UQH/ネギま!
フェイト6の「氷」は誤植で、「水」とのこと。
赤松健本人による指摘らしい。
で、水なのは、古代ギリシアの四大元素だから、とのこと。
つまり、フェイト3から6までで、
土、火、風、水、ということ。

しかし、そうなるとますます、
ネギま世界の魔法は科学の初期段階のものだ、
という感じがしてくる。
そういえば、ユエの詠唱?も、「ソクラテス以前」だし。
(フォア・ゾ・クラティカ、ソクラティカ、というやつ)
あー、しかし、ユエはなんでこれを選んだんだろう・・・

もっとも、ゲーデル(不完全性定理)とか、ラカン(精神分析)とか、
魔法世界が人工物であることの示唆は既に随所にあったから。
古代ギリシアの云々、というのも似たようなものなのかもしれない。

やっぱり魔族と人間との間の共同作業のように思えるんだよね。
コタローの再生能力とか、魔族?(狗族?)だから当たり前じゃん、
という設定あたりについて、改めてなんで?ということになりそうな気がする。

そういえば、ラカンが闇の道、光の道、といっていたけど、
闇=魔族、としたら、光はどうなるのだろう?
闇の道はエヴァ、光の道はナギ、をイメージとして出していたから、
光はナギが今いる世界、ってことになるのだろうか。
魔族だから天使?とかなのかね。
そうすると、クウネルがアーティファクトでナギを呼び戻したとき、
ハトが周りを包んでいた、とか、結構示唆的に思えてきた・・・。

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魔法先生ネギま! 311時間目 『フェイトの逆襲』

2010-12-01 15:46:20 | UQH/ネギま!
いやー、やばい、やばい。
ここにいたって、フェイトが3体増えるとは!

でも、今回の展開は、この一年間くらいで最もクラっと来た展開かな。
やばい、やばい、やばい、って、ゾクゾクしたもの。

正直、ここのところのネギまは
お話(=ダンジョン攻略w)のセオリー通りにきっちり一歩ずつ進んでいる感じで、
予め展開が読めてしまい、退屈だった。
もう、ネギま!も撤退かなー、とか思っていたのだけど、
311時間目で全く先が見えなくなってしまい、

楽しくなってしょうがないw

たしかに、お約束の展開ではある。

ネギパーティの経験値や実力が、魔法世界に移った直後に比べたら格段にあがり、
たとえネギ君抜きであっても彼らの総力(知略や突破力など)を結集すれば、
フェイトを出し抜くくらいならなんとかなるのではないか、という程だった。
実際、それは今回の話の中盤までは妥当だった。

ただ、総力戦だっただけに、戦局の前提が根底から覆された場合に、
その完璧な策略も一気に瓦解する。
まさに、ゲームのボードをひっくり返すように。
フェイトが他に三人いる、というのは、それは隠し玉過ぎるだろ!って。
ネギパーティの絶望がひしひしと伝わってくる。

幕引きの千雨の顔に浮かぶ絶望感は、彼女だけでなく、読者のものだよね。
(やっぱり、千雨は読者視点のプレイヤーだということを再確認)。

加えて、フェイト4に破砕された茶々丸の姿も。
これもその痛ましさがそのまま伝わってくる。

正直、ここまでの魔法世界の住人の消滅は、ラカンもそうだったが、
なにかふわっと空気のように消えてしまって、
実は作中のネギパーティの面々ほど、その悲しさが伝わってこなかった.

委員長が消えたことでユエがどれだけ悲嘆にくれているのか、
そのユエの悲しみは確かにわかる。
でも、委員長の消失そのものが何か悲しさをもたらしたかというと、
正直なところ、そうではなかった。

その意味では、フェイトによる石化も同じ印象で、
石化呪文を解けばなんとかなるんでしょ、という感じだ。
だから、前回のゆーなやさえの石化も、石化して悲しいというよりも、
彼女らはなんて献身的なんだ、仲間思いなんだ、という
ゆーなやさえ、それにビーの心の気高さの方に気が向かった。

しかし、今回の茶々丸の破砕の場面は、
はじめて、身体に対する痛撃という意味で、
死が、具体的に描かれたのではないか。

魔法世界に入ってからは、
茶々丸のボディはすっかりヒューマノイド化されたものとして、
つまり、人間的な概観を持っていて、
加えて、周りに魔法世界のキメラ型の住人が多数いることで、
むしろ、茶々丸の人間らしさが際立つような描かれ方がされていた。

だから、その彼女がフェイト4に破砕された瞬間、内部の機械が露にされたことも含めて、
端的に衝撃を受けたのだった。

もちろん、茶々丸はロボットで、体を分断された後もきちんと意識を保っている。
でもそれは次のページを繰らないとわからない。
茶々丸はボディを修繕すれば大丈夫なのだろう。
それはたしかにそうなのだが、作中人物の身体に直接危害が加えられたことで、
強制的に目を覚まされた感覚はあった。

多分、いろいろな表現上の制約もあって、
人間のキャラを一刀両断することが困難なことの帰結として、
茶々丸が破壊対象として取り上げられたのだろうが、
それまでの彼女の(時に過剰なまでの)人間らしさも、
この時のためのものであったとすれば、赤松健恐るべし、と言っていいと思う。



さて、この先の展開はとても気になる。

当然予想されるのは、敵方の圧倒的な戦力アップに対して、
ネギパーティはどう対処するのか。

今の状況のままなら、とりあえず、

フェイト4に対しては、
麻帆良学園チームがどこまで対応できるのか。
一番ここが望み薄な感じだが、
隠し玉1は、ココネが、ザジみたいに変化するということだったり。

隠し玉2は、超鈴音の再臨。
空飛び猫がどうやってか超から届いたというのが、
魔法世界と超の世界をつなぐパスの存在を示唆しているわけだから。
その使い手である茶々丸が破壊されたことで、
何らかのシグナルは超のもとに届くのではないか。
そうやって超が再登場する。
そのことで、魔法世界の火星問題のストーリーも見えるようになる。

フェイト5に対しては、
楓とユエがどこまで対峙できるか。
ここに、刹那、もしくは龍宮隊長が合流できれば、あるいは、
という展開もあるかもしれないが、それも厳しいだろう。
とすると、誰が駆けつけるのか・・・
さすがに、タカミチやゲーデルは無理だよなーと思うと、
エヴァクラスの誰かが来ないと厳しい。
というか、エヴァが来ると面白いのだけどね。
麻帆良学園と通路が通じて・・・とか。

ただ、ここで気になっているのは、
未だ完全復活していない、ユエの記憶のこと。
コレットの魔法ごときwが何時までも解除されないというのは
どうにもおかしいと思うので、これはきっと、
何か違う意志が働いていると思わないではいられない。
その「何か」によって、この窮地から抜け出せるのかもしれない。
その「何か」は、今は眠りについているアスナが目を覚まし、
改めてネギパーティに参戦、ということかもしれない。

あるいは、未だどんなものか明らかにされていないアーティファクトとともに
ルーナ=栞が駆けつける、ということかもしれない。

フェイト6に対しては、
さしあたっては苦が頑張るのだろうけど、
ピクッという描写があったことから、ネギ君が復活するのが王道中の王道だけど、
それがどのタイミングか、というのはある。
あと、ネギ君の侵食がどうやって収まるのか、ということも。

ここで気になるのは、アキラのことかな。
パクティオーしたのかどうか、によるけど、
クーの他にはアキラぐらいしか突破力で対応できるのはこの場面にいないから、
ネギ君の意識がもどったところで、カモもいることだし
千雨のようにパクティオーをして何らかの突破口を開くのかな。
アキラはどこかしら隠し玉キャラっぽい感じはするし。
あるいは、この場面にこそ、ルーナが再登場か。
千雨がデュナミスを駆け引きするというような展開もあるかもしれないが・・・。

ある意味で王道展開の一つは、
フェイト自身が、4から6を倒す展開。
少なくとも、ネギ君と戦いたがっていた彼からすると、
また、ネギ自身もフェイトと「友達になる」ことを欲しているわけだから、
この展開もあるかもしれない。
最大のゲリラ戦的展開だけどね。



いずれにしても、こういう緊迫感のある、ゲーム的にいえば、
分岐がいかようにでもありうるような状況は端的に面白い。

で、この物語自体の展開に加えて,

魔法世界、
火星、
そして、
魔族、

の話が絡んでくるのかな。
特に、エヴァも属する魔族の話。

魔法世界が実は人工世界だった、ということから、
魔法はある意味で科学と変わらない存在になったわけで、
つまりは、人間の手のかかったもの。
そうなると、魔族こそが、オリジナルで人間とは異なる不可解なものとしてあることになる。

というか、謎を抱えた存在。

龍宮はハーフだし、刹那もそのカテゴリーかな。
もちろん、ザジもいるし。

で、結局、ネギ君のふるさとを襲ったのも魔族だし。
その魔族を送ったのはメガロメセンブリアなわけだし。

前々から、フェイトがアスナとこのかを新旧世界のお姫さま、
といってるのが気になってるんだよね。
昔、ネギ君を襲った魔族のこともあるし。

魔族と人間が手を結んで始めたのが魔法で、
その魔法を人間だけで制御できるようになったのが、
超の時代の科学なわけで。

で、ネギ君が考える魔法世界の救済策というのは、
超たちのように、科学一辺倒で対処するのではなく、
魔族と人間の協力関係を積極的に築くことによって、
超の世界になってしまった道を変えていく、ということなのかもしれない。

そのことを、闇の魔法で魔族化しつつあるネギ君が気づいていく、という展開。

作中でネギ君の最大の能力は「開発力」であることは、
ラカン戦の時に十分に示されているから、
彼が、何らかの理論を示して、あとは、総動員体制で対処する、
その時には、フェイトの力も必要で、だからこそ、
フェイトと手打ちをすることができる。

こんな感じかな。

ネギま!、面白くなってきたじゃないか。

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