BLACK SWAN

白鳥のブログ - 日々の世界を徒然と

蒼き鋼のアルペジオ -アルス・ノヴァ- 第12話 『航路を拓く力』

2013-12-24 19:15:04 | アルペジオ
楽しみにした最終回だけど、ちょっと惜しかった。

物理空間での戦闘とはいっても、メンタルモデルのもつ人外的能力を駆使した、サイバーっぽい戦闘、しかも、ほとんとイオナとコンゴウの戦いになってしまった。

なんていうか、魔法戦みたいで。

それも、最終回の今回、本格的に魔法戦になってしまったので、正直なところ、手に汗握るというよりも、ポカン、だった。要するに、イオナにせよ、コンゴウにせよ、手札としてどんな技を持っているかが事前にわからなかったから、なんか今ひとつピンとこない。

しかも、ボッチになって引きこもってしまったコンゴウを救い出すために、戦闘中にもか係わらず、いろいろと「意志」とか「変化」とか、抽象的な概念語を交わし合っての戦闘になってしまった。

要するに、ガンダムとエヴァを足して2で割ったような展開。
あと、戦闘行為そのものは、Fate/Zeroと超電磁砲を足して2で割ったような展開。

そのため、この物語の魅力であった、戦艦戦という、物理戦闘における戦術の展開とそれによるカタルシスがほとんどないものになってしまった。

つまり、今までの、おお!そう来るか、という展開がほとんどなかった、ってこと。

まぁ、これは、メンタルモデルが中心の話になっていたから、仕方のないことなのだろうけど。

でも、もう少し、尺があったら、つまり、2クールが前提だったら、こういうまとめ方はしなかっただろうな、きっと、という意味で、残念。

でも、それを除けば、綺麗にまとめた感じ。
あっさり、振動弾頭がサンディエゴに届けられてしまったのはちょっと拍子抜けだったけど。
この12話で物語的には一応完結させなきゃいけなくて、駆け足になってるところも惜しかったかな。

もっとも、ここまで盛り上がるとは、多分、制作側も想定できなかっただろうから、やむなきかなー、と。

裏返すと、これだけ評判がよければ、このまま「アルス・ノヴァ」の流れで二期製作、って流れもあると期待したい。

それにしても、タカオ、最後の最後でメンタルモデルが再生出来てよかったね~。
ようやく、群像に飛びつくことが出来たw

既に、新生401として共に航海をしてきたわけだから、心情的に随分近くなったと感じていたのだろうけど、その分、フィジカルに感じることが出来なくて苦しかったのではないかと思うので、そりゃ、飛びつくよね。

ただ、10話のことを思うと、もう少し尺があったら、ちゃんとその場面も描けるとよかったのだけど。つまりは、あと15分くらい欲しかった。

しかし、キリシマ、もう、キリクマであることがアイデンティティとなってしまったのだろうか?

メンタルモデルの面々が一堂に会する、冒頭の、コンゴウとの概念伝達の場面でもキリクマのままで登場。振動弾頭をアメリカに届けた場面でも、キリクマのまま参列。他の面々に比べて一生懸命歩いているのに笑った。アンダーからのショットがそれを強調していたのも面白い。

で、結局、キリシマ、ハルナ、蒔絵は、アメリカに残ったのかな?あの椰子の実の海岸はサンディエゴ?
そうすると、ナノマテリアルを新規に獲得できないこともあったのだろうか。。。
まぁ、蒔絵との友情を優先した、ってことかな。

「面倒な思考ルーチンになっちまったな」

といいながら、そのくせ、この面倒くさい思考ルーチンが最も気に入ってしまったのがキリシマで、それを受け入れるにはキリクマの外見をそのまま選択したのかも。

まぁ、キャラ的にはちょっとタカオと被るからね、って事情もあったのかもしれない。

・・・と、最終回を振り返ったわけだが、
あー、しかし、終わってしまったか。。。

やっぱり、この物語は、このままもっと見たかったなー。

もう1クールあるなら、今回のメンタルモデル戦も、なるほど、そういう戦い方もあるのか、ってことで、とっても納得できたんだけどね。

どうやら原作だとヤマトも登場するみたいだから、それらの設定を活かして、是非、二期をお願いしたいところ。

その場合は、401のクルーには、メンタルモデルの面々もそのまま、是非参加して欲しいところ。できれば、ハルナ、キリシマ、蒔絵、も参加してほしいなぁ。
もちろん、ピンチになったら、友軍コンゴウの登場も含めてw

それにしても、ホント、完全なるダークホース。
当初は全く気にかけていなかったけど、きちんとドラマを埋め込んだ良作だった。

勝因は、メンタルモデルの物語にしたところだろうね。

なんていうのかな、人間と出会った戦闘女神(バルキリーとかアマゾネスとか)が、人間と接触し、どうやって人間と交流し相互に信頼を得ていくのか、その結果、生じた女神の間の歪をどうやって解消していくのか、・・・、という感じで、叙事詩や神話のような構成になってしまったところがよかった。

期せずして、その、人外としてのメンタルモデルを描く上で、フルCGという手法も逆に生きていたし。

不思議なのは、途中から、きちんと人間?ドラマが脚本的に作られていたから、見ている側も、もうこれがフルCGとか気にならなくなってしまって。だから、これは、感情移入をさせる上でヒューマンな物語に作りこんでいったところが上手かったのだろうな、と思う。

裏返すと、つくづく物語が大事なんだな、と思った。

久しぶりの快作、傑作。
物語的にも、表現的にも。

是非とも、二期をお願いしたい!


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蒼き鋼のアルペジオ -アルス・ノヴァ- 第11話 『姉妹』

2013-12-17 20:01:02 | アルペジオ
いやー、前回が超神回だっただけに、今回は一見すると地味な気がするけど、とはいえ、よく出来ている。これ、やっぱり、脚本がいいんだな。

前回の流れがないと、こうはならないよなー、ということばかりで。

まず、今回は、イオナと同型艦=姉妹の400、402との交戦が中心だったわけだけど、姉妹に刃を向けることに躊躇するイオナを描くにあたって、タカオと融合した新401であることがとても生きている、ということ。

操舵をタカオに委ねることで、イオナは400や402と交戦中にも拘わらず、会話を交わすことが出来た。イオナ自身、最初から「姉妹」という言葉を使っていることからわかるように、400や402を他の霧の艦隊とは異なるものとみなしている。あたかも三つ子であるかのようなメンタルモデルの外観を、今回、執拗に強調しているのも、そのあたりをはっきりさせるため。そして、その姉妹を傷つけることと群像を守ることを天秤にかけて、後者を選択する。その躊躇や迷い、葛藤をイオナは表情に表すわけだけど、そんな余裕は従来だったら交戦中はありえない。となると、タカオに操舵を預けられる現状があればこそ可能になった展開といえる。

それに、イオナって、実はずっと「私は霧だ」と自分をアイデンティファイしているんだよね。そのことが今回も強調されたわけで。この自問自答は、前々回あたり、タカオから、「群像の船になる」ことが「命令」だからしてるのね、と指摘されたあたりから継続されている。そして、イオナ自身は、それが命令からなのか、自発的意志からなのか、名状しがたいことに当惑している。その当惑を扱う上で、同型艦=姉妹との交流は状況として上手い。なぜなら、姉妹とのあいだで、鏡像的な関係がどうしても想像されるから。要は、もしかしたら、イオナではなく400や402が群像の船になっていたという展開もあったはずという疑念。

このあたりは、イオナが自身を個体として捉えているか、それとも、アドミラリティコードという大きな意志から役割を与えられた存在でしかないのか、という戸惑いでもあるわけで。

そのあたりの疑念があるからこそ、躊躇が生じる。

けれども、その躊躇を振るい払うために効いてくるのが、前回、400と402にイオナが撃沈されたという冷徹な事実。そして、その結果、群像が瀕死の状態にしてしまったという事実。その後悔が躊躇を振るい払うために効いている。

このあたりが脚本が上手いなと思うところ。

その意味で、今回、物語展開上、地味に重要な役どころを演じているのがハルナ。

冒頭、群像に対して、ハルナは「前回沈められているのに、400、402と交戦するとは、勝算はあるのか?」と問い詰めるわけだけど、この辺りの冷静な発言は、とてもハルナらしい。

もちろん、これは、ハルナからすれば、勝算のない戦いに巻き込まれることで、蒔絵を危険な目に合わせたくない、という判断からなのだけど、そういうハルナの態度が、現在、401に集っている者達が、一種の呉越同舟状態であることを再確認させるわけで。

その上で、群像の戦術に納得した上で、実際に、ハルナ、キリシマも今回の作戦に協力することになる。面白いのは、ハルナ、キリシマ、ヒュウガは今回、群像の作戦に協力するうちに、しっかり、群像の指揮下でそれぞれの役割を自発的に果たしてしまうのだよね。

このあたりも上手い。

つまり、当初は、互いに利するところがあるために始まった暫定的な共闘も、その共闘を繰り広げるうちに継続的な信頼関係に変わってしまうというところ。むしろ、関係は強固で確かなものになってしまう。

このあたりも、前回、401が撃沈されている、という事実があればこそのリアリティ。

こういうところが、脚本として上手い、と思うのだよね。

なぜなら、登場人物それぞれの思惑を見る側に勝手に想像させて、そうやって彼らの行動を納得させることで、ドラマを引き起こしているわけだから。

うーん、やっぱり、この物語は良く出来てるなー。
ホント、面白い。

そうそう、タカオがちゃんと401内に存在していて一安心w
さすがにメンタルモデルは失っていたけれど。
まぁ、それくらいの代償がないと、前回の内容が薄れてしまうから、やむなしなんだろうけれどね。

ただ、結果的にはタカオの望んだ通りになっていて。

新401にはタカオの兵装も上乗せされていて、その分、群像の願望の実現に寄与できるし、間接的にではあれど、群像から「命令」してもらえるのだから。
まぁ、群像になかなか気持ちを推し量ってもらえないのは不憫だが。
でも、別に、この物語は、群像のハーレムワールドでもなんでもないわけだから、多少、群像が鈍感?であっても、全然気にならないところがいい。

というか、今回は、初めて401クルーとメンタルモデルたちが共闘したのだけど、そんな雰囲気の中で、群像ラブ!なことを明示しているのはタカオだけだから。そういう意味でも、ハルナの存在は大きいよな。

しかし、こうなると、実体はなく二次元の存在になっているタカオと、実体はあるけれどその実クマのぬいぐるみのキリシマと、どっちがいいんだ?という究極の選択にもなってくるわけで。ちょっと面白いw

まぁ、どちらもその存在のあり方が、ちゃんと物語にフィットしているからいいんだけどね。あと、ナノマテリアルさえ調達できれば、もとのメンタルモデル体?にもどることもできることはわかっているわけだから。

しかし、なんか、タカオはナビAIみたいになってるなw

それにしても、冒頭のハルナの「惜しい船を失った」という発言のくだりは、ハルナだからこそできる、シリアスを装ったボケだったわけでw

うん、今回の話で、ハルナの株はまた随分とあがった。

てか、ハルナ、物語を進める上で、やっぱり重要な役回りだなw

結果的に彼女の判断が、振動弾頭だけでなく、その開発者である蒔絵まで401に乗船させることになったわけだから。

そして、彼女の判断によって、もれなくキリシマもついてくるわけだからw

・・・ということで今回も面白かった。

そうそう、最後のコンゴウの変化ぶりには驚いたけど、でも、あの、マヤとの融合?を図るところを見ると、今回のタイトルの「姉妹」は、実は、コンゴウとマヤとの関係でもあった、ということだよね。

この場合は、同胞という意味での姉妹、ということだけど。

そして、誰もが期待したとおり、コンゴウの口から「401を倒すのは私だ!」という、あんた、ラオウか!と思わせるような発言が出てきてニンマリ。

最終回の展開はとても綺麗に予想出来てしまうわけだけど、その王道的展開をベタベタに画力で見せてくるのか、それとも、さらにもう一回何かひねりを加えてくるのか。

いやー、しかし、ホント、この物語は、しりあがりにどんどん面白くなっていく。

次回の最終回が楽しみだ!

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蒼き鋼のアルペジオ -アルス・ノヴァ- 第10話 『その身を捧ぐ』

2013-12-13 00:10:48 | アルペジオ
いやー、まさか、こんな超!神!展開が待っていようとは!
タカオ、マジで決断力ありすぎだろう!
というか、それほど群像への「愛」が深かったということなのだが。

タカオが「その身を捧ぐ」ことで、401が復活する場面は、マジでゾクゾクした。
鳥肌が立った。

また、あの場面が、海底、というのがいいよね。
群像とコアになったイオナが横たわるカプセルのほかは、タカオしかいない静謐な世界。
その群像のもとに、泳いで近づいていくタカオがね。
どう見ても、群像の生命維持カプセルが棺にしか見えない。
その棺に寄り添うタカオ・・・

いやー、まいった、これは、ホント、名場面だよ!

このシーンのためだけに401が沈められたのだろうな。
ここのところ、海中描写が少なかったことも効いている。

というか、いままで、こんなふうに「海」を描いてなかったよね。
その分、この、彼らしか存在しない海底という場所が効いている。

で、その生命維持カプセルをどう引き上げるのではなく、
自らの船体のナノマテリアルを捧げて、401の船体を修復、というか、再構成するのだもの。参りました。
これは、この世界の設定があればこそ可能なドラマで。

タカオの解体されたナノマテリアルが輝く奔流となって海底に届き、あたりを照らしながらカプセルに身を寄せるタカオに降り注ぐ場面は、不覚にも、マジで美しいと思ったものね。
いやー、参った。

あれ、復活した401は船体には、タカオの戦艦としての面影?も残っているんだよね。
艦橋があったように見えたし。

それにしても、まさか、ここまで化けるとは。
なんていうか、今期のナンバーワンをもっていったんじゃないかな、これ。
それくらい、今回の話は、深いし、凄いよ。

前回の「動」に対して、今回は全編にわたって「静」だったわけだけど、にも関わらず、いや、むしろ、だからこそ、前回よりもドラマがあった。

群像、イオナ、タカオ、の、各人各様の「自己犠牲」の形。
その背後で生じたコンゴウの「執着」という「感情の創発」。
それを促した、まさかのマヤの「操り人形」という正体。

てかさー、これ、結局のところ、完全に「人間(らしさ)って何よ―???」ということだよね。

前回の感想で、この作品は、人類と「霧という存在」の「ファーストコンタクト」の物語だ、と言ったけど、まさか、その翌週に、「人間とは何か」、「人間と人形/機械との違いは何か」、なんて主題が持ち込まれるとは思わなかったよ。

いやー、ホント、面白いよ、この作品は。

構造的には、一見すると、群像のハーレム設定にもみえるわけだけど、それをうまく撒き餌にして、その背後で、人と人との関わりとはいかなるものか?、という主題をガチで持ち込んでしまうのだから。

そもそも群像はこの世界を救いたい、座して死を待つようなことはしたくない、だから、行動したい、という、ある意味で彼のいる世界では、真っ当な志から、彼が引き受けたミッションの引き継ぎこそをイオナに求めるわけだけど、そのミッションを担うのは自分ではなく群像であり、だからこそ最優先すべきは群像の存命であると判断したイオナ。このイオナの判断は、彼女が群像を愛しているから、というような明確な表現にまでは、この段階では行き着かない行動。

でも、その自己犠牲の行動を「愛」というコトバでくるむ役割を担ったのがタカオだった。タカオの、自身の身体=ナノマテリアルをイオナに譲渡し、結果として、群像の思いを遂げさせることにタカオ自身も貢献する、という形をとった。

この、群像、イオナ、タカオ、の三段ロケットはホントに凄いよ。

これは、今後のタカオの登場の仕方にもよるけれど、もしもタカオ―イオナの船体/身体融合の結果、401艦内にもタカオのゴーストのようなものが残るのであれば、ある意味、タカオはイオナと身体的に同化することで、まさにタカオのもつ「愛」成分wまでイオナに譲渡することになる。

この点は、ヒュウガが、イオナのサブプロセッサーとして生きる、と宣言していたことに対する一種のあてつけにもなって、その分、ヒュウガとタカオの関係も複雑なものとなりそうだしw

というか、タカオ、自分には(群像とイオナの間に)入り込む隙なんかない、なんて言ったけど、これで大逆転だよね。むしろ、身を差し出すことで、強引に二人の間に割り込んだようですらある。なんたって、新生401のボディはもともとタカオなんだから。もうこれで、タカオも群像とともに旅をする、ということになったのだから。いやー、押しかけ女房作戦、大成功じゃなイカ!

それに、さすがにメンタルモデルのコアだけは残るだろうから、仮にナノマテリアルが不足だとしても、キリシマのように、何らかの物理的依り代を得れば、タカオもメンタルモデルを再現することができるのかもしれない。だとすれば、この際ロリ化して、蒔絵とは違う意味で、場を盛り上げる存在になるのかもしれない。

ともあれ、キリシマにせよ、タカオにせよ、コアが無事なら、あとはナノマテリアルの供給のみなのだろうから、極論すれば、もう完全に悪役が決まったw400や402を撃沈した後、彼らの船体の一部を奪う、というのでもいいと思うけどね。

もっとも、そうやってタカオとキリシマが完全復活するのは、物語的にはもはや蛇足でしかないのかもねw

あとは、こうした状況の一部始終見ていた、記録好きのハルナが、どういうふうに影響をうけるかだよね。彼女の立ち位置は、一種の「記録屋=歴史家」のようなものだから、彼女によって、人類との接触によって霧がいかに変貌しうるか、ということが一般化されていくのかもしれない。

・・・で、最後のコンゴウ。

いやー、愛憎は裏返し、とはよく言うけれど、コンゴウが前回示した「嫌い」という判断=感情までも、人間的な「執着」の現れと解釈されたのは、コンゴウからすれば、もの凄く不幸なことなのだろうな。

そういう意味では、コンゴウ艦隊?に、イオナが接触することで、玉突きよろしく、みな、何らかの影響をうけてしまったわけで。その影響の元凶を群像という人間の個体に絞ってしまったところが、コンゴウの脳筋なところだったんだろうな。既に、メンタルモデル間で多様な心情のやりとりを行ってしまっていたわけだから。

だから、コンゴウは、もの凄く不幸なわけだけど。

それにしても、ここに来て、この作品がフルCGで作られていることがこれほどまでに意味を持つとは思わなかった。ちょっと絵的に「違和感」があることが、むしろ、メンタルモデルの間で、人間的か人形的か、の違いを分けることに繋がろうとは。

だから、後半、この物語は完全にメンタルモデルがやりとりする物語になったってことだよね。401クルーが背景になってしまうのもよくわかる。

そして、フルCGでできたキャラが、完全に人間となる瞬間が、タカオやイオナが示したように涙を流すところだったんだろうな。泣ける、というのが人間の示す反応の最たるもの、ってことで。

そうそう、よく見ると、イオナが涙を流すシーンは、実はタカオによって401が再生されて海上に浮上してきてからのことなんだよね。その前の、群像がもう死ぬかも、という時のイオナは、むしろ自分の感情をどう表現していいか、終始戸惑っていたわけで。となると、この、イオナの涙は、やっぱり再生を通じて、タカオの「乙女プラグイン」が新たに実装されたからなのかな―、とか思えてきて。明らかに表情が、それ以前と違うから。

もっとも、となると、タカオがホントに401+イオナと「融合」してしまった、ともとれるわけで。。。これは解釈にこまるところ。

それにしても面白いのは、イオナの目の間がちょっと離れていて・・・、結果的にちょっとキモい、みたいなCGによる絵面も、むしろ、メンタルモデルの彼らが、人間とは違う存在であることを示すためにちょうどよかったとも思えるところ。

だから、逆に、マヤが壊れた、というか、マヤが操り人形であったことも、むしろ、それが本来の姿、とでも言うべきもので。いわゆる「不気味の谷」が微妙に、メンタルモデルによってズレルの面白い。

そういうことで、フルCGは、メンタルモデルの物語を作るための環境としても必要だったってことだよね。そういう、自己批評的なメタ構造も持ち合わせているとは思わなかった。

いやー、これは、マジで脱帽!
こんなに、楽しむポイントが多層化されているとは思わなかったよ。
マジ、傑作だね!

それにしても、これ、最後、どうなるのかな。
まだ2話、あるわけだけど。

コンゴウをどうするか、というのは大きな問題だけど、それはもう、「機械ないしAIがどうやって人間としての意識を得るのか?」という話になってしまって、ちょっと思弁的過ぎるよね、この物語の結末としては。

むしろ、今回の、タカオの振る舞いをどう401に残ったものたちが解釈し行動するのか、というところに焦点を置くのかな―。

もちろん、タカオの復活問題については、何らかの形で言及されるのだろうけど。

しかし、まさに、死ぬ=自己犠牲することで、姿は消えても、群像の「心のなかで生き続ける」というのは、超乙女プラグインのなせる技だと思えるし。

何らかの形で、タカオが群像から「ありがとう」と言ってもらえるといいよね。

多分、そこで、群像たち人間は、あのメンタルモデルのお茶会空間にはいけない、という事実を改めて実感させられるのだろうし。

・・・ということで、いやー、10話、すごかったわ。
これ、もう、タカオは、今期のトップヒロイン、持っていったんじゃないかな。
デレだけじゃなく、ここまで突っ走ると、もうホント清々しい。
なので、最高の10話だった!
こんなに高揚したのは、最近だったら、まどマギの最終2話以来かな。

ホント、これだけハードル上げてしまって、一体最終話までどうするのか、ってのが逆にとても気になってしまうくらい。その意味でも、残り2話が超楽しみ!!!

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蒼き鋼のアルペジオ -アルス・ノヴァ- 第9話 『決死の脱出行』

2013-12-06 00:12:19 | アルペジオ
東京レイブンズについて大分書いたから、こちらも忘れないうちに。
アルペジオは、東レ同様、今期のダークホース。

いやー、最初は何だ、このガチな軍艦設定と思ったけど、
ある意味で、これは、ファーストコンタクトものの変種だったわけで。
それに加えて、後半に入っての、メンタルモデルたちのはっちゃけぶり。

正しい意味で、萌えと燃えを並び立てていて、いい。

素直に、戦略の展開ぶりが面白いし、それを支えるキャラたちもいい。

まぁ、若干、401の人間のクルーたちが空気化しているのが何だけど、これはこれでいいんだろうな、と。

今回であれば、タカオのデレがちゃんと「蒼き鋼」の戦術の展開に繋がっているところがうまい。タカオの衣装の色が、それまでの赤から青に変わる、という演出もわかりやすいけど、あの場面でやられると、おお!って思うものね。

あるいは、ヒュウガの、テンションがメチャクチャ高いテンションも。
これはこれでいい。

今回の最後の部分は、あれ、401撃沈?、と思うものの、再三再四、イオナが「私は群像の船」と言ってるあたり、実は、イオナというメンタルモデルが究極の要素であって、物質的実体である戦艦(彼女の場合は潜水艦)はあまり関係がないのかな、と思う。

となると、沈んでいても、何とか二人?が助かれば再起もあるかな、と思う。

いや、実は、あの401の船体そのものが、一種のレプリカであり、ダミーだ、ということもあるのではないかな、と思っている。

要するに、ヒュウガが、401クルーが不在の折に、イオナのバックアップなのかダミー用の船体を作っていてもおかしくないし。それだけの設備も資源も硫黄島にはあったと思うし、何より、あのイオナ想いのヒュウガが、400や402の存在を度外視しているはずがないと思うのだよね、仮にも元旗艦であるわけだから。より大きな視野で、霧全体の勢力分布を理解しているはずだし。

それに、そういう撃沈も含めて徹底的にダミー化する意志があったからこそ、振動魚雷やその開発者である蒔絵をタカオに任せたと思うんだよね。

というか、そもそもイオナと群像を除く401のクルーまでタカオに乗船しているわけだから。401本体は、最悪、彼らがマニュアルでも動かせる状態にあるんじゃないかな。

最後の描写だと、タカオはヒュウガを拾いに一旦硫黄島の方に戻るようだし、そこで、既に起動済みの401本体で群像たちを探しに行けばいい。もちろん、そのためには、周囲に霧の脅威がない、ってことが大前提になるのだろうけど。それも含めて、コンゴウたちとまず、一戦交える必要があったんじゃないかな。向こうの戦力も戦意もいったん削ぐために。

まぁ、以上は、そんな展開があったら、軍師・群像っぽいな、ということも含めてのことなんだけど。

でも、この物語は、そういう、いい意味で、裏の裏をかく戦略ゲームの面白さもあるので。それは、物語の進行でもいえて。

たとえば、ハルナが蒔絵の屋敷で静養するあたりも、あれ、これ、横道に入ってる気がするけど、どうするのだろう、と思ったのだけど、しばらくそのまま刑部邸の描写が続いて、いよいよもってハルナたちのピンチというところに、イオナがさっそうと登場したりするところ。実際、あそこまでハルナ、キリシマ、蒔絵の物語に転じていたので、実はイオナたちの存在を忘れていたのだけど(なぜなら、もうアメリカに向かっていたと思っていた)、よもやの再登場だったわけで。

そういう見る側のミスディレクションも微妙にこの物語はけしかけているところがある。

なので、今回もそういう展開かな、と思ってる。

ということで、次回が楽しみ。

しかし、本作も、今回のダークホース。

本当は、こういう展開をIS2あたりに期待していたのだけど、ISの二期は一期と比べて恐ろしくつまらない展開になってしまって、がっかりしていた(あれ、そもそも原作が悪いのか?)。その穴を埋めてくれたのが本作だと思ってる。

こちらこそホントに1クールなので、ラストスパートが楽しみ。

しかし、あれが全編CGでの作成なのか。
凄いな。
最初こそちょっと違和感があったけど、実際に物語が動き始めたら全然気にならなくなってしまった。その点も面白い。

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