BLACK SWAN

白鳥のブログ - 日々の世界を徒然と

境界線上のホライゾン 第5話 『月下の卒業者』

2011-10-31 18:43:23 | Weblog
ようやく原作1の上巻を終了。
今回は確かによくできていたかも、という気がするから、
やっぱり、アニメ化はアクション中心ってことだよね。

確かに鹿角の動きとか原作ではよくわかんなかったしね。
いわゆる剣技からなる殺陣(たて)に分類される戦いは、想像が付くけれど、
重力制御とか何ぞ?と思うから。
それは前回と今回のでよくわかった。

Fate/Zero5話で、イスカンダルが牛が引く戦車でバーカーサーを踏みつぶすところも原作ではいまいちよくわからなかったけど、映像化したらなるほど、と思ったのと似てる。

とりあえず、以後、原作1の下巻に次回から突入するわけだが。
此処から先はもう少しうまく構成してほしいな。
単純に、設定の情報が提供されていない、というだけではなくて、
この先に生じる、たとえば正純の演説とか、どのように見せてくれるのか。
できれば、歌舞伎でいうところの、見得を切るような演出にして欲しいなぁ。

ホライゾンの世界は、要するに国盗り合戦の世界だから、
そこでは、武闘だけではことは収まらない。
だからこそ、作中に政治を司る生徒会と、軍事を司る総長連合があるわけで、
前者は、言葉と金と知識をリソースにして弁舌=口八丁手八丁で切り盛りしていく世界。
それも、武闘=アクション同様、うまく描いてくれないと。

アクションの部分が受けがいいのは、映像化したら当たり前なわけだから。
一種の心理戦のようなものをどう映像として表現するのか。

あと、キャラが多い分、時間軸を平行して物語は進んでいくわけで、
ここまでの5話は、それをほぼ1話ごとに別視点で同日の話を進めてきたわけど、
それだと、やはりちょっとだるい。
映像って、文章と違って、後戻りが容易ではない。
裏返すと、視聴の流れの中に、できるだけ情報を組み込んで行かないと理解しにくい。

どうも、このあたりの映像化にあたっての構成がホライゾンの場合、まだうまくない。

変則だけど2クールもあるのだから、そこはもう少しうまく処理してほしいな。

まぁ、オリジナルのギルクラですら、あんな具合だから、原作付きの場合、そのような構成が極度に困難になるのはわかるのだけどね。

とりあえず、ここから先はトーリと正純の心理描写を相当丁寧にやらないと、アクションのカタルシスはあっても、物語としてはなんだこれ?ということになりかねないと思う。

思い切った絞り込みを期待したい。

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Fate/Zero 第5話 『凶獣咆吼』

2011-10-30 18:31:42 | Fate
キャスターを除く英霊が揃い踏みする今回の場面は、原作でも白眉のシーン。
で、それが文句なく再現されていて、これは映像化してくれてアリガトウ!って言わざるを得ない。

それにしても、うまく表現してきたな。
再現というレベルを超えている。

いや、シーンそのものは原作の印象通りなのだけど、その印象のように映像を作るのは凄いよ。繰り返しになるけどホライゾンの方がどう見てもスタッフが原作未消化なまま刺激の強い場面とその絵だけを頼りに無理矢理映像にしているのとはレベルが違う。

で、いよいよ、Zeroの本当の主人公であるイスカンダルが本格的に動き出した。
ケイネスに対する豪快な侮蔑は、原作の中でも胸がすくところだったのだけど、やっぱりいいね。イスカンダルあってのZeroというのがとても良くわかる。

イスカンダルが本当の主人公というのは、原作を読んでの印象だけど、今回のように、彼は、終始、このZeroの場を支配していく。彼が物語の方向を、あの豪放磊落なセリフとともに都度決めていく。非常にいい。

Stay nightの前日譚としてのZeroの場合、セイバー、ギル、切嗣、綺礼、は最初からキャラが決まっていて、かつ、Zero後の世界でのあり方についても既に記されている。裏返すと、彼らのパラメータは既に固定されてしまっている。

そのため、勢い、彼ら以外のキャラがこのZeroの物語自体の牽引役にならざるを得なくて、その時、一番目立って場を支配するのが征服王。

これ以上書くと今後のネタバレになってしまうから、それはZero原作の感想として、別途書くつもりだけど、とにかく、今回の登場人物らの動きは、原作に忠実でありながら原作を超える凄さを伴っていて、いや、とにかく参りましたw

そう思って考えてみると、Stay nightの方って、英霊が揃い踏み、っていうシーンはなかった。あちらは、主人公らが皆ウェイバーのような子供であるため、一人一人の行動原理が未完成なものばかりなので、彼らの個人的悩みばかりがともすれば、鬱々と語られてしまうわけだけど、Zeroの方は基本的に「大人」が動いている分、個々のキャラに厚みや陰影があっていい。で、その陰影を、たとえば今回の雁夜のように短いセリフで印象的に表現しているのがZeroのいいところ。これは原作でも映像でもどちらでもうまく描かれている。そのせいか、セイバーすら、Stay nightの時よりも精神年齢が大人のように見えてくるから不思議(ギルは全くキャラがブレないわけだけどw)。

あと、Zeroの方では、決してマスターとサーヴァントの関係が単純な主従関係になっていないところがとにかく面白い。その典型が、ライダー組の、イスカンダルとウェイバーで、もはやどちらがマスターかわからない。

単純な主従関係にならない、というのは、マスターとサーヴァントがそれぞれの意志や利害を独自にもっているからで、そのため、双方の思惑がどこまで協調できるか、という問題も抱える。こちらは、今回の遠坂時臣とギルの関係が典型。

そうして、決して7組のサバイバルゲームに落ち着かない所がZeroの際立った特徴になる。

で、その中で、やはり物語の扇の要を占めるのがイスカンダル。

気になる人は、是非原作を読んで欲しいが(もしくは最終話までこのシリーズを見て欲しいが)、イスカンダルがいなかったら、多分、そうした錯綜した物語が文字通り錯綜したまま飛び散ってしまう感じがとてもするわけで。

ともあれ、今回で、前半の山場を一つ越えたわけで、今後はこの面々の思惑の錯綜ぶりが少しずつ明らかにされていく。

いやー、楽しみ。

まどマギやシュタゲが先にあって虚淵玄という個人名が既に立っていることもあるのだろうけど、Stan nightの時とは全く異なる密度を感じる。絵の密度はもちろんのこと、物語の構成もCVの人たちの芝居も含めて。こういうところは、ギルクラのスタッフの人達は是非とも参考にしてほしいな。物語を作るというところ。

まずは、次回のXXXXがどうなるか、気になるw

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ギルティクラウン 第3話 『顕出 void-sampling』

2011-10-28 14:24:34 | Weblog
なんだろうなぁ。決して手放しに面白いとはいえないのだけど、どうもあれこれ言いたくさせる作品だよな、ギルクラは。

目立つのは未だにギアスとの類似性だけど、それだけじゃなく、歌う女子とか、過去の日本アニメのおいしいとこ取りの要素が大。あと、『東のエデン』のときからそうだけど、ウォーターフロント的な一見華美で瀟洒な「都会」を背景にするバブリーな雰囲気は往年のフジのドラマ的。てか、ガイとかなんだろうねぇ、あの格好w

で、前回の引きで、そのまま主人公は葬儀社入りするのかと思えば、あっさりどうでもいい日常に戻らせる当たりが、まさに終わらない日常の90年代風。

総じて、この作品は、設定や各種ギミックはいろいろ考えてるし、supercellを使う当たりも、ピンドラのやくしまるえつこ同様、割りと現代的な雰囲気を醸し出すのにいいところを突いてきているのに、いかんせん、物語の根幹がどうにも古臭い。それもゼロ年代どころか、90年代臭がするわけで。

その古さが、物語の背景にある、オウンゴールによる日本占領とあいまって、やっぱり自虐的に見えてしまって、素直に物語に没入させてくれない。ノイズが多すぎる。もう少し、その制作者側の自意識を排除するような慎ましさが欲しいところ。

前回の引きで、学園パートってこの作品に必要なのか?と思ったのは、それじゃまたぞろ主人公がうじうじしたシンジの再来じゃん、と直感して、また、エヴァかよ、と思ったわけだけど、案の定、エヴァ同様、ヴォイドの取り出しは17歳以下だから、実質武器の素材となるのは学生に限られる=学園パートは不可欠、ってことになったわけで、もう、ホント呆れる。ギアスだけでなくエヴァもかよ、って。大体、歌使うところは、マクロスだったりメガゾーンだったりするわけでしょ、よくは知らないけど。

で、ヴォイドの設定とその利用ができるのは主人公(+2人)に限られることから、作品開始前に宣伝されていたように、まさに周りにいる同級生(のヴォイド)を利用して窮地を脱することになる。きっと、その過程で、仲間もできれば敵もできる・・・。

って思って見てたら、最後にあっさり裏切られてるしなw
うーん、この主人公、いったい誰得なんだ?

これでいっその事、逮捕された主人公が支配者側に篭絡されて葬儀社の好敵手になっていく、というのであればちょっとは面白くなりそうだけど。とことん、自分の意志はなく(彼に意志がないことは葬儀社入りを拒否した段階で一応示されてるから)、長いものに巻かれる奴ということで。意志なき全能なんて害悪でしかない、というのをいっそのこと描く。主人公の少年は途中で退場し、一応彼の能力を次ぐ新たな主人公が現れる、とかね。要するに、主役ロボが途中で大破して新ロボが登場するのと同じ展開。でも、本作の場合は、主人公が能力者で、いわばロボそのものだから、ありえない展開でもないと思うのだけど。

ま、さすがにそんな風にはせず、葬儀社とかが主人公を救出して、途中はもうちょっといろいろ道草的エピソードをまぶしつつ、結局、葬儀社入りして、ん?何のために戦うのかはあまりよくわからないまま、クラスメートの何人かを武器として利用しつつバトルをとりあえずは繰り返す。で、最終コーナーで、それまでのエピソードで体験したことから、改めて葬儀社の目的と対峙して・・・、とかいう流れかなぁ。

うーん、やっぱりあからさまにおいしいとこ取りしている分、物語としての選択肢についても類型化されたものを想像させずにはいられないので、どこか既視感が漂ってしまって、その分没入をさせず、結果的に不満の方が残ってしまう。そういう感じ。

いろいろな意味で残念さが漂う感じがする。

主人公誰得?というのはこういうことで、物語的共感が生み出されにくいフレームだよね、これ。学園パートはなく、前回の引きでいきなり葬儀社入りするところから始まれば、また大分様子も変わったのだろうけど。ま、いきなり子供が大人の活動に巻き込まれて・・・というのではフラクタルの二の舞になる、と思われたのかも知れないが。

最近、Fate/Zeroを通読して、Fate/Stay nightより面白いのは、結局ギャルゲーベースのStay nightと違ってZeroの場合、子供たちが主人公でないから物語的広がりが確保できて面白いんだ、と感じた。多分にこのことも影響しているのだとは思うのだけどね。

大体いまどきの子が、うじうじした90年代風主人公なんか見て共感できるのかな?そういうところがとても疑問。もっとロールモデルが求められてると思う。Zeroが面白いのはその役割をウェイバーが一身に引き受けているところなんだよね。

・・・って、やっぱりZeroのこと、ちゃんと考えなきゃだなぁ。。。

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魔法先生ネギま! 342時間目 『代償の正体!』

2011-10-26 16:14:52 | UQH/ネギま!
さて、次回あたりで、魔法世界編終了後の幕間のエピソードが終わって、新章突入かな?
でなければ、もうこのまま終わってもいい感じ。ま、それはないだろうけど。

ラカンをはじめとして、これだけネギの後見人の大人たちが集結している、ということは、ここで、何か新たな敵(魔族?とかメガロメセンブリア評議会?とか)が襲来して、「闇の魔法」をもつエヴァとネギ以外(あと、流れ上、明日菜と刹那も)が拉致されてしまって、とにかく、その窮地を脱することが、当面の物語の方向になって、なし崩し的に新章突入って感じじゃないかなー。というか、それを希望w

いや、この展開はまんざらではないと思うんだよね。
特に、アルが拉致られると、始まりの魔法使いとかエヴァの秘密とかの情報を得ることがとりあえずできなくなって、ネギ・パーティはそこから始めないといけない。
あと、ゲーデルが拉致られるとメガロメセンブリアや多分魔族なんかの情報にもアクセスしにくい。ということで、ここでもネギ達が自力で何とかしないといけない。

始まりの魔法使い=ナギは確定事項だから、彼を救い出すための動きにエヴァが参入しないということはないと思うんだよね。あと、そうすることで、ネギ、フェイト、小太郎、という坊主トリオにもお目付け役ができるし。
あと、ラカンだけは、本体が魔法世界にある、ということになるので、後日、フェイトの師範役になる、もしくは共闘路線とかね。

さしあたっては、拉致られた紅い翼のおっさんたちを救出することが目的化する。

あと、大きな目標としては、ネギの闇の魔法による再生=不老不死化、という呪縛を解き放つことが、刹那以下、ネギ・パーティの願いになるような気がする。
その場合、もちろん、エヴァの不老不死からの解呪もね。

で、その処置をするためには、必然的に、魔法とは何か、というネギま!世界最大の秘密に立ち入らざるをえない。

ということで、前から言ってる、魔族やらパクティオーやら、もろもろのネギま!世界を成立させている秘密に迫っていく。

いやー、たとえば、もう妄想全開で行けば、エヴァの中に実はアリカが封印されている、とか、あるんじゃないかな、と思うんだよね。
というか、アリカって、最初に見た時、大人バージョンに変身したエヴァに似てないか?と思ったこともあったので、そういうこともあるんじゃないのかな、と。

もはや、後付の理屈だけど、ナギがどうしてエヴァを麻帆良学園の中に囚われるような魔法をかけたのか。始まりの魔法使いが世界樹の下に封印されていて、その監視役のように、図書館島にずっとアルが潜伏していた、ということを考えれば、何かがあったときに、エヴァをすぐに呼び出せるようにした、としか思えないんだよね。

闇の魔法への対処方法や、ヴァンパイアとしてのあり方がどうして試みられたのか、とか、エヴァは単なる被害者でしかないからわからない。
だから、とりあえず、エヴァのように不老不死に近づいたと思しきネギについても対処方法がわからない。

ついでに言えば、黄昏の姫御子としての明日菜も、魔法世界の存在を左右する鍵だ、という作中内の役割が明確になり、かつ明日菜本人も自覚しただけのことであり、だからといって、その自分の能力が一体何に起因しているのかは、本人もあずかり知らない。

要するに、みんな、自分がバケモノだということだけはわかったけど、どうしてそんなバケモノになってしまったのか、わからない。

でも、とりあえずは、魔法世界救出作戦に着手せざるを得ないから、そういう根本的な疑問は看過されてしまっている。

刹那じゃ無理だろうけど、この手の話は、千雨や朝倉、あるいはユエやのどかあたりが絡んできたら、自発的に想像していくような気がする。

つまり、

ネギ、エヴァ ら → 紅い翼のおっさんらの救出
ネギ・パーティ → ネギ、エヴァの解呪、

という形で、ネギの思惑とは別の動きとして、仮契約したネギの仲間たちが独自に動き出す、もしくは動き出そうとしてネギらもひきこむ、ということではないかな、と。
せっかく、ザジ=魔族、とか、龍宮=半魔族、とか、明らかになって、ネギ・パーティの周辺にも魔族に対する探求を行う際の手がかりはあるわけだから。ユエの世界図絵で深度Aクラスの情報ならチラ見もできるわけで。でも、深度Aということはまだまだ秘匿されているヤバイ情報がネギま!世界にはあるってことだから。

で、こんな展開の予兆のために、今回、明日菜が刹那に捨て台詞的に、ネギをよろしく、とか言ったんじゃないかな。

ネギと明日菜の代償のことを、刹那がこのかに伝令することで、そこからネギ・パーティの議論が始まって、いや、そんな代償おかしいじゃん!、とか言いながら本気になっていく。

明日菜は明日菜で、多分、人柱的に、魔法世界の安定のために永遠の眠りにつく、とかするんじゃないかと思うんだよね。黄昏の姫御子という二つ名が何となく暗示しているように。
そこまでは、今回集まった紅い翼のおっさんたちには推測可能なこと。
なんといっても、明日菜をかつて救出したのは彼らだったわけだから。
でも、明日菜がどうしてそんな力があるのかについては、彼らもわからない。
同様に、闇の魔法がどこまでネギを侵食したのか、というのも実はわからない。

ともあれ、このあたりは、明日菜の払った代償が来週明らかにされることで、見通しがたつように思うけれど。

とにかく、もう連載打ち切り!ってことなら、今回と次回で、ネギま!完! って題字がでてもおかしくない雰囲気ではあるが。

そういう大人の事情がなければ、来週あたりで、事態が急転直下の如く動き出す、とかになるんじゃないかなー。

というか、そうなってくれることを願う。

とにかく、ネギま!世界はまだまだ謎だらけ。超のことだって、魔法世界=火星となったところから発展してないわけで、ここだってまだまだ突っ込める。ネギの村の話も放りっぱなしだし(そういえばアーニャはどうしたんだろう?)、ネカネがどうしてネギの姉なのかもわからない。

ネギとエヴァを不老不死という呪いから解き、明日菜を黄昏の姫御子の役割から解放するために、魔法世界の深度A の更に下にある秘密に肉薄していく。魔族、仮契約、火星、メガロメセンブリア、・・・、そうした謎を解き明かしつつ、最終的には、囚われの身である、ナギを存命のまま掬い出し、そして、とにかく、アリカとネギが相まみえる。

ザジが、アーティファクトの完全なる世界で見せたネギの世界、ナギとアリカとネギで手をとりあって歩く世界を実現した所で、ネギま!完!、のエンドクレジットが流れるw

そういう王道展開でないと、もはや許しがたいくらいにこの漫画はツンデレだ。

もういいよ、ワンピなみに長大な物語に変えてくれて構わないから。

新章突入が楽しみだ!

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Fate/Zero 第3話 『冬木の地』

2011-10-19 15:14:16 | Fate
Fate/Zero いいね。
思わず止まっていた原作も再度手に出し始めた。
で、やはり、面白い。
Fate/Stay nightよりも断然面白いんじゃないか、と思い始めてきたので、
ちょっと機会を見て書きたいのだが、うーん、時間が・・・
そうこう言っているうちに4話が来ちゃうんだよな、きっと。
うーん。

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魔法先生ネギま! 341時間目 『私、嫁ぎます!?』

2011-10-19 15:03:17 | UQH/ネギま!
うーん、微妙な展開。
微妙というのは、これネギま!の終了フラグ?、の空気をかなり漂わせているから。

刹那を軸とした、魔法世界参加組の未来像の発表会。

好意的に解釈すれば、彼女らなりの魔法世界編での成長を一度きちんと描いておいて、それが、今後の展開の上で、彼女らの行動を支える動機や理由になる。そのために、いいタイミングだから、ここで一度振り返っておきましょう、ということ。

特に、龍宮とユエの魔法世界との関わり方を示したのが、大きいかな。
あ、あと、このかがマギステル・マギになるという決意の実践の部分も。

個人的には、茶々丸と千雨の自分から地雷を踏みに行く感じがよかったがw

その茶々丸と同じ思考回路とエヴァに指摘された刹那は、ホント、平時にはイロモノキャラとして扱われてしまうのが不憫。

しかし、ここで、学園祭でエヴァと戦った時の約束が生きてこようとは。
連載も長く続くといろいろとあるものだ。

そのエヴァがいうところの、ネギと明日菜の決意の代償(というかその結果失ったもの?)というのが、次回の、最後の稽古でわかるのかね。

普通に考えれば、エヴァ同様、不死の存在になってしまったこと、あるいは、他の学生たちと同じ時間を生きることができなくなってしまったこと、を指しているのだろうが。

その裏面として、だからこそ、逆に不死を返上して、みなと同じ人生のスケールで生きることを選択した、という方向もあるかもしれない。

ま、あまり、ここは悩んでも仕方が無い。

気になるのは、意外なくらい、ネギと明日菜が昔のような仲良しに戻っているような描写がされていたこと。

「ネギについては神楽坂一択だろう!」というのは、魔法世界で事あるごとに、千雨が叫んでいたことだけど、いざ事件が収まってしまうと、ホントに、元の鞘にもどるように、明日菜がネギの横にいるのね。

これはホント意外。

というか、明日菜がネギの横にいないことでむしろ、物語が動いていたのが魔法世界編だったんだな、ととても思った。実際、明日菜がいなくなってから(絵的には、栞の化けた明日菜がずっといたわけだけど)、いわば誰もが認める?本命の不在で、のどかやユエ、クー、茶々丸、そして千雨の、そわそわする気持ちも盛り上がっていたわけで。

うーん、これは結構、新鮮な発見。

最初に微妙といったのは、こうした「安定感」のある世界をここのところずっと見せられ続けているのが、それを覆すためのものであるのかどうか、というところに尽きる。

つまり、また明日菜がいなくなる、あるいはそれに準じる人やモノが消える、とかね。

もちろん、そうではなくて、このままあっさり終わってしまうこともありえなくはない。

前回のエントリーで書いたように、アーティファクトとパクティオーをきっかけにした魔法の解明、ナギの救出、という方向にもう一回ガツンと物語をふって欲しい気はするものの、結構微妙なのかな、とも思う。

で、もしも、この先、新章突入、ということがあるのだとすれば、ちょっと物語の構成として軌道修正して欲しいところは、魔法世界編の最後のバトルの反動のような、ここのところの日常ラブコメ描写の固め打ちをどうかして欲しい、ということかな。

要するに、バトルとラブコメをバラバラに描くような単調な物語を何とかして欲しいということ。両者をほどよくブレンドして欲しい。

というのも、ここのところのネギま!はなんだかチグハグしているから。

で、どうしてだろう、と思ってる中で浮上したのが、バトルとラブコメの描き分けのところ。これは、どちらもとって付けたような極端描写になってしまって、なんか、デジャビュ感がとても大きくなる。

そのあたりは、もう少し、緩急をつけて欲しいと思ったりする。

ということで、来週のエヴァの最後の稽古が、ここのところの物語の転回点になってくれることを願う。

一番いいのは、稽古の最中にいい話をネギ、明日菜、エヴァ、の間で行われて、師匠ありがとう!と二人がエヴァに詰め寄ろうとした所で、新たな怪物=謎が闖入し、物語を強制的に動かす、というものかな。

昔のように、サスペンス成分を増してくれることに期待。

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UN-GO 第1話 『舞踏会の殺人』

2011-10-14 17:33:08 | Weblog

・・・ってそもそも第一話タイトルからしてレトロだよね。

こちらもノイタミナ枠。

坂口安吾原作というふれこみにちょっと期待していたのだけど、こちらも、結局、なんだかよくわからない因果の能力だけで真相が解明されてしまう。
というか、真相を自動的に犯人が吐露してしまう感じ。

毎回こうなのかなぁ。

安吾というよりも、清涼院流水のJDC探偵みたい。

となると、犯罪の謎解きがどうこうというよりも、犯人の動機や心理、そのように至らしめた社会環境を描く、というのが大きな構成になるのかな。で、その社会環境がここでも戦争。

うーん、なんだか、ギルティクラウンと大して変わらないなぁ。

異能と戦争

で、こちらのほうが、一応安吾を原作に持つ分、相応の歴史的現実感も伴うわけで。

そのあたり、時代感覚をうまくずらして現代?に構成しなおしたところはなんだかんだいてうまい気がする。

ということで、似てるけど、UN-GOの方が、ギルティよりもまとまってるかな。

BONESが制作、というのも安定感の一つのように思えるが。

ただ、それはノイタミナ枠の中での大同小異でしかなくて、そもそものノイタミナ枠についての違和感自体は、ギルティの方で書いたことと変わらない。

フジテレビっぽさも昔のドラマの印象を引きずってる所があるからだけど。

ただ、ドラマって、なんだかんだいって、俳優の印象や、俳優の演技力に左右される所があって、演出や構成の意図通りの結果を呼び込まないわけだけど、そういう人的要素がよりコントロールできる分、アニメのほうが制作側の意図が透けて見えやすいように思えてきた。
もともと、アニメ自体が全能感を与える要素が強いから。
それを、かなりあざとく使い切ってる印象がある。
きっとそういう空気がどうも鼻についているのだろうな。
単に演出過多というのではなく。

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ギルティクラウン 第1話 『発生:genesis』

2011-10-14 16:10:24 | Weblog
なんだか全然わからないうちにあっという間に終わった。

それにしても、このノイタミナって枠は、いろいろな意味でフジテレビっぽいな。

ノイタミナ枠で、この手のSFギミックを用いる文脈では、必ず戦争やら体制やら災害やらを背景に使う。それが世界観のお約束という感じで。

本作だと、日本の戦後と311を足して2で割ったような設定だし。
日本という国が占領される、ないし、されそうになる状況を描いて、その実、日本という存在をとても意識させるような展開。

あまり使いたくはないのだけど、こういうのをホントに「厨二」っていうんだろうな。
宇野常寛の『リトル・ピープルの時代』でいうところの、ビッグ・ブラザー的な想像力がそこら中に溢れてこぼれてる感じ。それも、臆面も無く。

結果的に、ギアスの凄さがわかる、というのがネットの中で流れているようだけど、それも納得。程度問題のように思うものの、ギアスの方には、慎ましさがあったという感じ。

もちろん、1話だけで判断すべきではないけど、ノイタミナのオリジナルものは、そういうところ、いろいろと見る側が気持ちよくなる成分を、たとえば、ロボ、歌、超常の力、絵の姿、戦闘少女、イケメン男子、・・・をこれでもかと詰め込んで、

そのあまりのありえない馬鹿らしい設定をちょっとでもそれらしく見せるために、少しばかり現代社会の風味をまぶして(本作なら311を連想させるパンデミックとその国内の対処の杜撰さ)、

でも、最後には尻切れトンボになるのを厭わず、何となくスタイリッシュなままで終わらせる。

これは『東のエデン』の頃から変わらない。
サプリメントとしてのアニメ。

今回はそういうお約束を破るようなことになるのだろうか。
あまり期待はしていないけど。

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灼眼のシャナⅢ -Final- 第1話 『失われた存在』

2011-10-08 14:32:34 | Weblog
悠二がラスボスですかぁ・・・
・・・といっても、原作のこのあたりはサラっと読んだことがあったから、
あ、そういえばそうだった、という感じだったのですが。

この物語も、最初は面白かったのになぁ。。。

シャナは、多分、ラノベ原作がアニメ化される最初期のものの一つで、最初に映像で見たときは、これは結構面白いと思った。アニメの第一シリーズは、原作が連載中でありながらも、うまく最後もまとめていて、面白かった。

で、そのまま原作をパラパラ見るようになり、そうこうしている間に第二シリーズが始まった。で、これの前半は正直いっていらない。二期については1クールでさらっと終わらせておけばよかったんじゃないかな、と。池のエピソードは蛇足。

で、今回の第三シリーズなのだが。。。

とにかく原作が途中から、ただの魔法世界戦争になってしまって、全く話は進まないし、そもそもその戦争描写も全く面白くない。というか、どう考えても連載引き伸ばし工作にしか思えないような、ダラダラした展開に終始してしまった。

今回、第三シリーズのOPを見るかぎり、そのダラダラさせる元凶である、その他大勢のフレームヘイズその他の皆さんも登場してしまうようなので、あまり期待できないかな、と思ったのだった。あの原作の展開を映像で見せられてもねぇ。。。

今回冒頭に紹介されたように悠二がラスボスになることは確定事項だから、彼とシャナたちかつての仲間たちとの物語に焦点を絞って、グイグイ物語を引っ張ってくれることを、一応期待。でないと、『禁書目録』の運動会のエピソードのように、中盤が限りなく間延びした展開になることは間違い無いだろうから。

原作が迷走していることは間違いないので、そんな迷走した原作にまで「忠実に」映像化してしまうのかどうか、というのが、多分、評価の分かれ目になるのだろうな。

それにしても、初回からいきなりシャナの入浴シーンというのもどうかと思うが。

第一シリーズの頃と比べて、明らかにアニメのあり方そのものが、萌えに照準を当てたものになりすぎているような気がする。もちろん、それがあうものもあるのは認めるけど、シャナってそういう話じゃなかったんじゃないか。。。と思うのだけどな。

第一シリーズの緊張感のある映像と物語が再現されることを期待したい。

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魔法先生ネギま!340時間目 追加・補足2 あやかのパクティオカード召喚はネギま!第三章の開始キーである。

2011-10-06 16:10:45 | UQH/ネギま!
いいんちょのパクティオカードのことを考えていたら、今回のお話は見た目のチャラさに比べて実はとても深い、というか、今後のネギま!の物語の流れを暗示しているものであるように思えてきた。

というのも、前のエントリーで書き足したように、要人といつでも会えるこのカードは、その能力の定義上、ナギ=造物主=始まりの魔法使い、にもアクセスすることが可能となる。だから、「ネギによるナギ探し」が基本的な物語の推進力だったネギま!の物語を根幹から揺るがすツール、それこそネギま!という物語を否定してしまうツールだと思った。そもそも魔法世界編の発端もナギの手がかりを得ることが目的だったくらいだから。

確かに、そのナギに簡単に会えてしまうかもしれない。

そうなると、造物主としてのナギとどう戦うのか?という疑問がどうやら出てくるみたいだ。
あと、そうなると、ネギま!はあっという間に終わってしまうね、という懸念も生まれてきているようだ。

でも、この疑問や懸念も、いいんちょのパクティオカードのエピソードが全て無効にしてしまうのではないかと思えてきた。

読者は今のところ、魔法世界編最後の、「俺を殺しに来い」というナギの言葉に物語の方向性を囚われているのだけど、けれども、これがどうも物語進行上のトラップではないかという気がするからだ。

多分、今回の描写で一番重要なところは、

パクティオカードの割り当て = 仮契約システムとは何か?

というところにあるように思えてきたから。

一見ギャグに見えた、あやかがネギの主人となりネギにパクティオカードをもたらそうとしていた描写も、言ってしまえば、このパクティオシステムには、皆が知らない謎がまだまだ隠されている、ということを示している。

愛が強いほうがパクティオカードにおける主従を決する、というようなカモのギャグのような説明?すら、もしかしたらシステムの本質をついているのかもしれない。

パクティオカードの謎といえば、茶々丸の仮契約にも謎が付随していた。
一つは、「魂」の有無が契約に値する存在とみなされるかどうかの鍵になること。
もう一つ、茶々丸のカードは、どうやら未来の超鈴音制作のものが送られてきたこと。

その後の展開で、魔法世界そのものが人造異界であることが判明したことから考えれば、そもそも純然たる魔法世界人は、人造という点では、茶々丸と全く変わらない存在だ。あの場の描写では、ネギの気合で仮契約が成立していたように見えていたけど、実はそんなことはなかったことになる。人間ではないという点では、魔法世界人も茶々丸も同等な存在だったわけで。ただ、「魂」の有無を判定するシステムが、それが人の集団なのかプログラムのようなものなのかは依然不明だけど、判断をしていたことになる。

そして、超からの贈り物であったということが、そのパクティオシステムが何らかの形で時空を超えた存在であるか、あるいは、そのシステムを超が未来からハッキングしたと考えることもできる。

いずれにしても、パクティオシステムというのは、ネギま!物語を回していく根幹でありながら、実はそれがなんなのか、全く詳細はわからないまま、正確には、ネギ達には明かされないまま、今に至っている。

このように、仮契約システムとは何か?誰が行なっているのか? という問は、そのまま、

魔法のあるネギま!世界は一体全体どうやって成り立っているのか、

という問いを引き出さずにはいられない。

ところで、このパクティオカードはレアだとか、この数百年出現しなかった、とかよくフェイトが言うけど、その表現をそのまま受け取れば、フェイトもよく知らない存在が、パクティオカードをネギま!世界にもたらしていることになる。

もしもパクティオカードが造物主の関わるマターであるならば、フェイトが全く知らないということはないだろう。つまり、パクティオカードの出現システムの存在は、ナギ=造物主=始まりの魔法使い、とは別の、更なる「創造主」がこの世界に存在することを示唆する。そして、おそらくは、その「創造主」はナギ=造物主=始まりの魔法使い、よりも上位ないし高位の存在だ、ということになるのだろう。

要するに、ナギ=造物主がラスボス、というのは実はフェイクで、パクティオシステムを作り維持する存在が、新のラスボスとして存在することになる。

おそらくは、そのラスボスの存在との関わりで、ナギやアリカが消息不明になったといえないか。

と考えると、これもネギま!の物語の原点にある、

ネギの村の魔族による襲撃

が浮上してくる。

さらに、この襲撃は、ゲーデルによれば、メガロメセンブリア評議会が関わっているという。

このメガロメセンブリア評議会は、魔法世界では例外的存在である「旧世界出身の人間」から成り立っている。

どうだろう。ここまでくると、

メガロメセンブリアという人間集団と魔族の共謀によってナギが追いやられた

という風には考えられないか。

つまり、メガロメセンブリア評議会+魔族、こそが「真のラスボス(w)」として実はある。

そして、パクティオシステムも何らかの形でこの「真のラスボス」の制御下にあるのかもしれない。

さらに、もしかしたら、始まりの魔法使いが魔法世界を人造的に構築したことも、この「真のラスボス」への抵抗の中から生じたことなのかもしれない。

つまり、始まりの魔法使いは、なんだか悪者として考えられてきたけど、実は、「真のラスボス」の陰謀から世界を救済しようとした「イイ奴」だった、ということにならないだろうか。

むしろ、ナギは魔法世界を存続させるためにこそ、自ら造物主となる、造物主の霊?を受け止めることを選択したのではないか。

そして、このように考えてくると、火星テラフォーミング化計画にも、遠からず「人間=メガロメセンブリア関係者」から横槍を入れられる展開になるのではないか。

もっといえば、テラフォーミングの遂行に問題があるからこそ、魔法世界の構築という手段が次善の策として取られていたのかもしれない。

そして、ネギは、いわば寝た子を起こすような形で、この封印された計画を再起動させてしまった。だとすれば、そのための対抗措置が、メガロメセンブリア側から仕掛けられてきてもおかしくない。

そのメガロメセンブリアの中にアリカが囚われているとしたらどうだろう。
あるいは、ネカネは、メガロメセンブリアがネギの監視役にもともと配置した存在だったとしたらどうだろう。
ネギの村を襲撃した魔族の関係者としてポヨたちがいたらどうだろう。

という具合に話はどんどん広がる。

多分、この、メガロメセンブリアがラスボスである(←しかも、これは一回既にゲーデルによって宣言されている!)というシナリオに従えば、ナギは引き続きネギが追い求め解放しなければならない存在となる。そして、そのナギを解放することは同時に、メガロメセンブリア+魔族の秘密に肉薄する物語になる。その過程で、アリカとのネギの真の再会、ということも起こりえる。また、ネギ、ナギ、エヴァ、フェイト、明日菜、・・・、らのオールキャストが揃い踏みで、真ラスボスを叩く、という展開も可能になる。その過程で、超鈴音の再登場もあるかもしれない。あるいは、ラスボスを倒した後の火星テラフォーミング計画の遂行は、あやか+ちづ姉、の「ネギを理解した人間」によって遂行され、茶々丸によって、未来の超鈴音が登場する時まで管理されるのかもしれない。茶々丸は、超へのメッセンジャーとして、未来において超と再開を果たす・・・

黒いいんちょによれば、パクティオカードは「選ばれし者にのみ与えられる」ものだった。とすれば、パクティオカードの入手自体がスーパーレアな出来事になる。単に魔法世界の住人には与えられないものかもしれないが、それにしても、ネギによるパクティオカード乱発wは、まともに考えれば確率的にありえないことになるのかもしれない。となると、パクティオシステムに誰かが介入=ハッキングして、ネギ達に「旨みのあるカード」をひきださせているのかもしれない。

いずれにしても、パクティオシステムの謎への探求が、魔法世界編に続くネギま!第三章の駆動力になるのではないか。そして、ネギが、ナギとアリカとともにハッピーに暮らせる世界が物語の大団円となる。

それくらいの王道展開を期待したいぞ!w

ともかく、あやかのカード召喚は、パクティオカードシステムへの肉薄を迫る、最初の扉になったのではないだろうか。だとすれば、ものすごくワクワクする話がこの先のネギま!世界には待ってることになる。

というか、ホントにこんな展開にならないかなぁ。

いや、実際あり得るのだろう。

なぜなら、ユエのもつ世界図絵は、最深度の情報も探索できる(これもまた)スーパーパクティオカードだからだ。

ただし、世界図絵の欠点は、利用者が「探索する」という行為をしない限りわからないところにある。

となると、ユエがただ一人、魔法世界編を通じて、魔法世界人として生活し、魔法を習得し、ネギとは異なるレベルで、魔法世界と旧世界の両方に通じることになったのかも、そのような世界図絵による探索のための準備だったのかもしれない。

そして、ネギに会ってから後のユエの記憶が相変わらず戻らないままになっているのも、世界図絵の探索を阻害するためのものなのかもしれない。

なぜなら、カモが言うとおり、愛の深さがどうやらパクティオシステムの稼働に大きな影響を与えるようであるからだ。ネギへの愛情を素直に受け止めることができるユエであれば、世界図絵をそのように稼働させてしまうのかもしれない。それがまずい、あるいは時期尚早だと考えた誰か(メガロメセンブリア?あるいは超?)が引き続き自分の気持に疑心暗鬼になったユエを保持しているのかもしれない。そして、その封印がとれた時・・・

ということで、いやー、我ながら妄想全開だとは思うが、でも、有りそうな気がしてきたんだよねw

ということで、休載中を楽しく過ごすことにしようw

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