
プラトンの「国家」の第2巻で、哲人政治家のための高等教育につて論及してる。
哲学を学ぶ人間は、算術と平面幾何学に始まり、立体幾何学、天文学と音楽で完成する5つの数学的諸科学を学ばねばならないと説いている。
私が興味を持ったのは、最後の音楽の項目で、音楽・文芸の教育について面白いことを論じているのである。
国家(藤沢令夫訳)の一部を引用すると、
” ・・・美しい作品からの影響が彼らの視覚や聴覚にやってきて働きかけ、こうして彼らを早く子供のころから、知らず知らずのうちに、美しい言葉に相似した人間、美しい言葉を愛好しそれと調和するような人間へと、導いてゆくために、・・・そういうことがあるからこそ、音楽・文芸による教育は、決定的に重要なのではないか。”
”リズムと調べというものは、何にもまして魂の内奥へ深くしみこんで行き、何にもまして力づよく魂をつかむものなので、人が正しく育てられた場合には、気品ある優美さをもたらしてその人を気品ある人間に形づくり、…美しいものこそ賞め讃え、それを喜びそれを美しいものから糧を得て育まれ、みずから美しくすぐれた人となるであろう。”
尤も、正しく美しい真っ当な音楽・文芸であることが前提である。
面白いのは、それからの叙述で、
もしもある人が、その魂の内にもろもろの美しい品性をもつとともに、その容姿にも、それらと相応じ調和するような、同一の類型にあずかった美しさを合わせそなえているとしたら、見る目を持った人にとっては、およそこれほど美しく見えるものはないので、最も恋心をそそる。
とすれば、真に音楽・文芸に通じた人は、できるだけそのような調和をそなえた人たちをこそ、恋することだろう。と恋愛論を述べているのである。
さらに面白いのは、性愛の快楽以上に激しく気違いじみた快楽はない、と言いながら、正しい恋とは、端正で美しいものを対象としつつ、節制を保ち、音楽・文芸の教養に適ったあり方でそれを恋するのが本来だとしている。
激しいのはダメだということではあろうが、どんな恋が良いのか良く分からないが、
とにかく、プラトンは面白い。
ところで、私が注目したのは、そんなこととは違って、ニュアンスはかなり違うのだが、プラトンが、リベラル・アーツ重視の姿勢をとっていることである。
リベラル・アーツ教育の重要性については、このブログに何度も書いてきたので蛇足は避ける。
しかし、先日、日経だと思うが、高専が非常に人気絶頂で脚光を浴びているという記事を掲載していたが、高校短大連結システム5年で、時代の要求する技術者を養成することなので、真っ先に、人間として一番需要なはずのリベラル・アーツ軽視教育ではないかと心配した。
AIやロボテックなど科学技術優先の時代になればなるほど、カウンターベイリング・パワーとしてのリベラル・アーツで育まれる高邁な理想や哲学や思想が重要になってくる筈なのである。