宮城県北端の栗原市の広大な市域をカバーする市民バスのうち、くりこま高原駅を中心とする路線網や、くりはら田園鉄道の代替路線など、市内連携路線において最もメジャーな (?) 存在感を示しているのが、グリーン観光バスです。その車庫は、築館市街の北の外れ、旧街道の宮野宿を過ぎて国道4号線が田園地帯に入って行くところにあり、そのすぐ手前にあるホテルに泊まったのですが、ホテルにチェックインするまではそんな場所に車庫があることなど知る由もなし。チェックインして部屋に入った後はすぐ、テレビに映る退位礼の模様に釘付けになり、その後は事前予約していた夕食の時間となりましたので、部屋の窓から見える車庫の広大さとボロバスの密集度に「うぉっマジか! 明日の朝、撮ったるど〜!」と意気込みつつ、平成の約30年4ヶ月が幕を閉じたのでした。
そして翌朝、朝食を済ませてチェックアウトした後は、何はさておき撮りバス! 国道4号線から最も撮りやすい位置に、元神奈中の二段窓エアロミディという、小田急江ノ島賎民にとっても最高に懐かしく尊い存在が鎮座しておりましたので、「うぉぉぉぉ〜マジか!」と思わず大フィーバー! (笑)
その他、改元祝日による運休のため、多くのバスが庫内で休んでいましたが、実に各社各様のボディが集結し、あたかも路線バス車両平成史を物語っているかのようでした。そんな中にあってもエルガミオは次第に増殖しつつあり、これもまた時代の流れか……と痛感したのですが、何はさておきそんな中での神奈中二段窓エアロミディ!ですので、改元後最初の乗物撮影活動としては、ある意味最高にマニアックなひとときではないか、と思ったのでした。
その後、田園地帯をトボトボ歩き、すっかり寂れてただの住宅街になってしまった沢辺の宿場町=商店街を過ぎますと、栗原電鉄改めくりはら田園鉄道の沢辺駅跡に到着します。くりはら田園鉄道は廃止後も多くの区間で線路が現存しており、沢辺駅界隈では踏切の部分こそ埋められ、駅舎も解体されているものの (駅前広場は病院の駐車場として活用され、人と車の出入りが頻繁にあるほか、如何にも田舎の駅前食堂という風情の店も健在)、いざ線路に降り立てば、ここを去来した電車や軽快DCのことを思わずにはいられないほどです。
と申しますか……個人的には栗原電鉄もくりはら田園鉄道も未訪問で (→お前それでも本当に鉄ヲタかよ、という批判は甘受します。^^;)、こうして廃線跡に立ってはじめて後悔するという体たらく。今回は、とにかく一ノ関まで歩いて、夕方までに着くという制約がありましたので、若柳の保存車両を訪ねるのは省略しましたが、いずれ改めて、保存運転が大々的に行われる日を狙って、この地を再訪したいものです (特に名鉄キハ10を拝みたい)。
石越方を望む。今にも列車が来そうな休止線という雰囲気?
細倉方を望む。駅のホームと線路には駅前広場から簡単に入ることが出来るのですが、哀しい哉、奥州街道の踏切には白いガードレールが設置され、最早列車の往来は望むべくもありません。
その気になれば、こっそりと廃線跡の線路を歩くことも出来るのかも知れませんが、用水路の鉄橋に渡された踏み板の類が腐っている感じですので、全くお薦め致しません。
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