二年ほいど前に成田悠輔という男が、高齢者がいるから社会が機能しない、集団自決(Mass suicide )してくれとツィートした。
ところがこのエール大学の経済学教授の成田悠輔を、農水省や財務省の広報活動に起用していたとのことである。れいわ新選組代表の山本太郎が参院予算委員会で指摘し、岸田文雄の認識をただした。岸田は内容確認してこの通りなら不適切であるという言葉を引き出した。
成田悠輔のこの言葉は二年半ほど前のことであるが、彼はネットから削除はしたが、謝罪も発言の撤回もしてない。 中学生と老人が自動消滅する方法について、真剣に討論している姿がネットでも確認されている。子どもたちに、老人が障害物であるとの前提で討論は進んでいる。
人間を効率で判断する傾向は、経済効率を求める社会では間断なく出てくる。その典型が 相模障がい者施設の殺害事件である。 19人を殺害した植松聖は、社会の負担になっている意識のない人物は抹消されるべきであると主張する。国の負担を軽減させたのであるから、 俺は国から表彰されると信じているのである。
杉田水脈のように”生産性がない”と、同性愛者を罵倒する人物が出てくる。 しかもこの女は国会議員であるが、非難されながらも民族差別も平然と言い続る。
高齢者が作り上げたこの社会が、劣化し負担になったからとお前ら集団自決すれば、社会は良くなるとは、自ら老いることがないとする妄想にでしかない。高齢者や障がい者や自身の価値観から外れた集団や思想を抹殺する思想など容認などできるわけがない。人間の存在を経済効率に限定した評価が、若者や幼児にまで及ぶ論理と中学生たちは理解してはいない。成田悠輔や植松聖のような人物が間断なく登場する社会こそが病根である。