226事件(1936年(昭和11年)2月26日)から88年になる。次第に忘れられていくのか、話題にも上がらなくなった。官僚軍部は腐ってる、彼らを倒し天皇を中心とした社会を創る「尊王討奸」を掲げた。皇道派の陸軍下士官が起こした反乱である。政権幹部を殺害すれば、気概のある人たちが続いてくれると、漠とした考えしかなかった。大臣2名にけい冠名を含む9名を殺害し
彼らの頼みの皇道派幹部は恐れをなして引いてしまった。
昭和天皇が決断したこと(聖断)が二つあると言われている。一つは終戦の聖断、もう一つが226事件である。尊王を掲げた陸軍将校たちは、即日匪賊になったのである。
2名自害し15名が処刑された。
226事件後、軍部は党勢はが主流になり、急速に軍部が力をつけ戦争への道へと走す。この翌年日中戦争が勃発し、5年後に太平洋戦争が起きる。226事件は軍部を跳ね上がらせ、問答無用的傲慢理論が幅を利かす。
軍部は非を認めない。ノモンハンがいい例で、戦術に誤りがないが敗北したのは、士気が足らなかったとか大和魂の欠如である。この思想は、大本営発表に身引き継がれ、そして戦後の官僚思想にまでも引き継がれる。
官僚の無謬主義であるが、5年間で43億円もの金を使えと言われた、国防に使いたい放題の防衛官僚が幅をきかせる。
なんともキナ臭さを感じるのが、杞憂であればよいが、どうもおそうとはならないようである。