そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

「記憶 反省 そして友好」の何が不満なのだ、撤去などして

2024-02-04 | 朝鮮半島

20年間、群馬県高崎市にある県立公園「群馬の森」で韓日友好の象徴となっていた強制動員朝鮮人犠牲者追悼碑が撤去された。
この碑は「記憶 反省 そして友好」の追悼碑で、市民団体「追悼碑を守る会」の前身団体が2004年4月、戦時中に軍需工場や鉱山などへ「労務動員」されて亡くなった朝鮮人を悼む目的で建立した。当時の県議会はその趣旨に全会一致で賛同し、県が設置場所を提供したものである。
「政治的」碑を利用したとして県が提訴し勝利し、撤去を市民団体側に命じたが実行しなかったので、代執行といいうことになったのである。費用が3千万円かかると、市民団体に請求するするそうである。
何とも狭量な話である。朝鮮、韓国が大嫌いな安倍晋三の舎弟で、草津温泉旅館の御曹司山本一太知事のやりそうなことである。
この撤去の話を聞いた時に真っ先に浮かんだのが、平成29年に時の天皇が7年前に隣の埼玉県日高市の高麗(こま)神社を訪問したことである。この神社は、1300年前に日本に渡った高句麗の王子「高若光」(日本名:高麗若光〈こまのじゃっこう〉)を祀っている。 
安倍晋三が隣国を敵国視する姿勢にたまらなくなって、公式ではないとしながら天皇ご夫妻が訪問したと言われている。
守る会事務局長の藤井保仁さんは「県の代執行は、加害の歴史を消し去ろうとする行為を可視化し、助長するものだ。撤去されても、次世代に碑の精神をつなぐ運動を続ける」と話している。
隣国を挑発し敵視しなければ、防衛予算を増大することが出来ない。何ともきな臭い時代である。狭量な為政者が撤去した碑には、「記憶 反省 そして友好」と銘打たれている。為政者たちは何が不満なのだ。

 

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3 コメント

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Unknown (Unknown)
2024-02-07 15:41:25
 2022年6月の最高裁判決(岡村和美裁判長)。当初追悼碑建立時の「政治的行動しない」という守る会との約束違反を根拠にして県が行政執行したらしい。政治的言動とされたのは「強制連行」と関係者が数回発言した事による(群馬大藤井正希准教授 憲法学)。
(碑文には強制連行という文言は無く労務動員)
「強制連行=政治的発言」と認定するのはいわゆる慰安婦問題も南京虐殺も無く、先の大戦も侵略では無い等とする歴史修正主義の主張だ。
 この問題を抉り出した「主戦場」という映画がある。見応えのある内容だがそこで資料等もとに検証した歴史学者吉見義明氏等への反論として藤岡信勝(日本会議」氏の主張には全く説得力が無く「自分がそう思うから」というのが根拠になっていた。
その歴史修正主義なぜ当然のように最高裁で罷り通るのか理解できない。岡村和美裁判長は安倍政権時の消費者庁長官でもあり、安倍人脈の人間なのでこういう判決出したのだとすれば由々しき事態だ。
 追悼碑は破壊しても人々の心に残る怒りや恨み等は消す事はできない。
 安倍チル山本一太知事、結果人々の分断と対立を一層煽るような愚かな行政執行であった。
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mandarin様 (そりゃないよ獣医さん)
2024-02-06 18:36:29
その通りですね。私も天皇制反対ではないけど、なくても良いと思っています。
づもうも疎いもので。。
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Unknown (mandarin)
2024-02-06 08:08:14
私は個人的にどちらかというと天皇制に反対ですが1点だけ。
平成天皇とありますがその名前は彼が死んでから送られる称号です。生きている間にその称号は使われることはありません。
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