官僚の無謬性とはこんなものである。今日の証人守屋元防衛省政務次官の喚問中継を見たが、防衛省の高級官僚 は、自らが罰せられることがないのを知った上での、証人喚問である。東京地検は、これだけ騒がれたのであるから動くことになろうが、実刑判決がおりるとは思えない。
ここには、官僚は間違うことがないとする「無謬性」が前提にある。お役人は間違うことがないとするのである。
この役人の、無謬性には何度も悩まされた経験がある。ある開発計画があり、役所に聞きに行くと「計画に段階なので公表できない」と言われ、しばらく待ってから聞きに行くと「計画は決まったことなので、理解いただきたい」との返事しか戻ってこない。
行政は間違うことがないのである。官僚の無謬性は大前提なので、あきれるほどゴルフをやっていても、供与などが実証されなければ、罰せられることはない。彼らが罰せられる法律がないのである。僅かに「倫理規定」に抵触する程度である。
今日の証人喚問でも、辞職してもう問われることにない倫理規定に触れる部分は認めたが、立件されそうなことは何一つ認めていなし。多分すでにそのようなことが、客観的に証明されるような愚かなことは行っていないであろう。
インド洋上でアメリカ艦船に給油すると、テロリストが減る理屈は良く解からないが、80万ガロンを20万ガロンと報告したことは明らかに隠蔽工作である。が、これまた状況証拠しかないことを熟知してか、忘れてましたのオトボケである。
多くの国民が立証されないことは別に、疑惑を抱いたはずである。
それにしても、国会の喚問はなんと手ぬるく歯がゆいことであろうか。ま、国会とはこんなところかもしれない。