時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

医学にITはなじまないのか

2005年08月12日 | グローバル化の断面

  旅先でなんとなくABC TVを見ていて、40年近くキャスターをしていたピーター・ジェニングス氏が、8月9日肺がんで亡くなったことを知った。発見が遅れたそうで、見つかった時は余命4ヶ月だったとのこと。発見が早ければ、打つ手はあったとの医師見解が述べられた。こうした有名人でも、健康への対応がなかったのかと不思議に思う。以前に読んだITと医療の進歩に関する記事(*)を思い出した。

  今日の世界で、IT(情報関連技術)は、われわれの想像をはるかに超える速度と広がりをもって展開してきた。しかし、世界にはITへの取組の必要性が強く望まれながら、顕著に立ち後れている分野がある。そのひとつは、意外にも医療分野である。たとえば、アメリカでは医療産業は全収入の2%しかITに費やしていないという。他の情報共有に敏感な産業では、この数値は10%近い。ちなみに比率が高いのは金融、公共サービス、運輸通信、政府、製造業などである。教育や医療サービスがIT化に熱心でないのは、伝統的な「対面型 」face-to-face の接触を重視しているからだろうか。

X線画像をインドへ送る
  アメリカの経済諮問委員会委員長であったマンキュー教授(ハーヴァード大学)が、ITの発展とアメリカの医療コストの高さを組み合わせ、X線画像をITでインドのX線技師に送り、読影結果を送り戻してもらうことにすれば、大幅にコスト削減になると述べた。しかし、委員会の議員たちの反応はきわめて否定的であった。反対の理由は必ずしも整理されていないが、海外への関連する仕事の流出 Offshoring になると直感的に反発した対応が多かったといわれる。コストの高いアメリカの医療関係の仕事が海外へ移転してしまうというおなじみの議論ではある。しかし、それとは別の理由でも、世界の医療分野には重要な問題点が指摘されている。

難病に苦しむ人々を救うために
  それは、世界における医療水準の改善・向上を目指すためにITを活用することである。とりわけ、難病といわれる病気については、必要な情報が十分に行き渡っていない。そのためには、基本的方向として、世界に存在するさまざまな病気に関する情報と最新の対応を医療関係者が共有することである。それについては、すべての情報をながらく慣れ親しんできた紙に記載するというタイプのカルテから、電子データに移すことである。
  そして最も大事なことは、世界の医療関係者をITで相互にリンクさせ、医師が自分の診察している患者の病気について知りたい情報をいつ、どこでも検索できることが必要になる。それも、単にコンピュータを使うだけでなく、医師、病院、研究所、薬局、製薬関係者、被保険者の単位をシステムとしてリンクすることである。それは、ITのやや特殊な用語を使うと、医療の世界の基本単位を「相互に活用可能」interoperableとすることである。治療のあり方などについて、関係者が診断状況などの情報を交換できねばならない。

国ごとの大きな差異
  医療のIT化は、とりわけインターネットの発展を考えると、当然実現されるべき方向のようだが、現実は到達が大変実現、困難である。実態は、国ごとにも大きな差異がある。たとえば、イギリスではGP(general practitioners) の98%は、オフィスにコンピュータは持っているが、実際にカルテなどが電子化され、ペーパーレスなのは30%という。アメリカでは小さな開業医は、95%が依然としてペンと紙に頼っているとされる。日本ではかなり電子化がされているようだが、この点についての統計は未だ見たことがない。自分の周辺で、かかりつけの病院を考えてみた。かなり大きな病院だが、相変わらず紙のカルテをベースに診断している。IT時代における医療分野の最大の問題は、現在のITシステムでは「相互に活用可能」interoperableではないということにある。

医療における「デジタル・ディヴァイド」
  グローバルにみても、ITの恩恵にあずかっている部分と取り残されている部分の差異はきわめて大きく、格差は大きく広がっている。それに対して、医学の進歩は急速であり、先端分野は大きく変化している。ところが、病院などの医療関係者は、CAT-scan, MRI、ガンマーナイフなどの設備投資にはとびつくが、情報システム充実など「裏方の仕事」には関心が薄く、投資をしない。
  正しい医療知識が行き渡っていれば、薬剤の副作用、相互作用など、本来ならば予防可能なミスのために、アメリカだけで毎年44000―98000人が死亡しているとまでいわれる。医療情報の混乱による死亡者は、車の事故、肺がん、AIDsの死亡者を上回るとまでいわれている。

ITに関わる医療ミス
  もっとも、カルテの電子化などコンピュータ・システムの改良だけでは医療ミスを解消することはできない。しかし、大幅に減少しうる可能性があると予測されているアメリカだけでもITは、年間薬の副作用200万件、入院治療のミスなど19万件を除去できるとの推定もある。しかし、他方では、システムのデザインが悪いとミスを増加させるとする見方もある。(the Journal of the American Medical Association March 2005)ただ、だれもが良く設計されたITはヘルス・ケアの質を向上させるに必須という点で関係者は同意している。イギリス(とりわけイングランド)のNHS(国民医療サービス)やデンマークのシステムは、この方向で先駆的に進歩している国といわれる(私の乏しい経験では、にわかに賛同しがたいのだが)

アメリカは例外的な国
  さまざまな分野で世界の先端を目指してきたアメリカでは、この方向に沿って、医療情報技術の国家コーディネーターを任命し、10年間で「相互に活用可能」interoperableなシステムを目指すことにしてきた。しかし、アメリカのシステムは特別の複雑さを持っている。日本、ヨーロッパなど主要な国々は政府管掌などシステムが一貫化されているが、アメリカの場合はそれがなく、資金的にもインセンティブが分散している。個人的な経験だが、アメリカ滞在中に歯が痛くなり、結局抜歯することになったが、医師によって10倍くらいの差があるのでどうするかといわれ、驚いたことがある。

日本はどうするか
   国民の健康維持のためにプライヴァシー保護法上の差異も大きい。日本も郵政改革は必要なことは明らかだが、改革すべき重要分野は他にも多数残されている。少子高齢化に対して、健康・医療サービスの質はこのままでは低下を免れない。バブル崩壊後、すっかり未来への構想や展望を失ってしまった日本だが、選挙後、新政権によって、こうした分野でも新たな展望が開かれることを強く望みたい。

Reference “IT in the health-care industry” The Economist, April 30th, 2005/08/06

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