椋田直子訳、東洋経済新報社、2005年
Polly Toynbee、Hard Work, Bloomsbury Publishing, 2003 (原著表紙の画像は、傾いていますが実物もこの通りです。)
日本の最低賃金がいくらかご存じですか
グローバリゼーションという名の下に、世界を「市場資本主義」ともいうべき嵐が席巻している。そこでは、優勝劣敗の明暗が激しい。以前から、さまざまな理由で競争の過程から脱落しそうな人々に対して、いくつかのセフティ・ネットが準備されてきた。そのひとつが最低賃金制である。
今回とりあげるイギリスでは、「ニュー・レーバー」の旗印をかかげたトニー・ブレア労働党首の政権の下で、1999年4月1日から全国一律最低賃金制度National Minimum Wageが導入された。時給4.10ポンド(約820円)である。中立の「最低賃金審議会」The Low Pay Commission の勧告通りに、それもわずか9ヶ月後のことであった。ブレア首相は、労働党政権が実現する以前から、、全国一律最低賃金の導入を、政権獲得後実施する政策の上位に掲げていた。
2000年に公表された同審議会の第二次報告の冒頭には、この制度が予想を上回る成功裡に導入され、実施されてきたと誇らしげに記している。報告書の目的は、導入後いまだ日は浅い新制度の評価を行うことにあった。その結果、十分な評価にはさらに年月を要するとしつつも、とりわけ、男女性別賃金格差の縮減に寄与したこと、当初は別グループとされた21歳層の若年者も、すべて同一の賃率でカバーされるべきであるとの実証結果に基づく勧告が提示されている。
審議会の公的見解は別として、新制度は「仕事の世界」にいかなる影響を与えたか。本書では、その実態の一部がひとりのジャーナリストの目で明らかにされている(ところで、みなさんご自身が働いている地域の最低賃金がいくらかご存じですか。)
ジャーナリスト魂の発露
本著は『ガーディアン』紙の女性記者が、最低賃金で暮らすということは、いかなる実態に置かれることを意味するのかを、自ら体験したレポートである。もちろん、彼女の本職はジャーナリストであり、日常は高い報酬を手にして「別の世界」に生きている人である。しかし、この実体験努力は、これまで霧の中に包まれていた部分をかなりあからさまに示してくれた。
「ハードワーク」というのは、単に大変な仕事という意味にとどまらない。人間としての尊厳を脅かされるような賃金の下で、懸命に働き、生きるということである。 『ガーディアン』紙の研究休暇を利用しての体験であり、結婚していて夫の収入や、専属ジャーナリストとしてのかなり高額な所得や資産に支えられていて、今回の取材上も制約があり、正確には最低賃金だけの収入で生活したというわけでは必ずしもない。しかし、できるだけ最低賃金生活者の世界に身を置き、体験をしてみようとのジャーナリスト魂が伝わってくる。日本のジャーナリストには戦後トヨタ自動車の季節工としての体験を記した鎌田慧『自動車絶望工場』講談社文庫、1983年など、類似の努力がないわけではないが、数は少ない。
ちなみに、本書の原書は出版された当時2003年に読んだことがあったが、画像に対比して示したような簡素な装丁の出版物であり、日本語版の方がページ数もかなり多く、装丁も立派である。ちなみに、私がイギリスで購入した価格は、本体価格6ポンド99であった。今回の日本語版は1800円である。
同様な試み
彼女ポリー・トインビーは、30年ほど前に肉体労働の世界について同様な体験を試みており、『労働者の暮らし』A Working Lifeを刊行している。こうした試みはイギリスばかりでなく、他の国々でも行われている。実は、アメリカではトインビーに先駆けて、ジャーナリストのバーバラ・エーレンライチがほぼ同様な実体験ルポルタージュを『ニッケル・アンド・ダイム』(*)として刊行している。ポリー・トインビーはこの英国版の序文を書いている。このエーレンランチの本は、かなり影響力を持ち、イギリスでもポリートインビー以外にも、同様な試みをジャーナリストにうながした(**)。
最低賃金の世界とは
ポリーは、最初、病院の運搬係に始まり、給食のおばさん(dinner lady)、託児所、コールセンターの飛び込み電話セールス、早朝清掃係、ケーキ製造係、老人ホーム介護などいくつかの最低賃金職種を経験し、その実態を描き出している。たとえば、最初の病院での仕事は、30年前と比較して設備などの環境は改善されているが、給料と労働条件は悪化していることを示している。
以前は雇用されれば、病院スタッフとして最初から安定した職に就けたのに、今では多くの仕事が「柔軟性」の名の下に「外部発注」outsourcing されている。使用者からみるかぎりでは、人件費の大きな削減となる。しかし、病院活動を支える下層部分の労働環境はかなり顕著に劣化しているようだ。 医者や病院スタッフからも、しばしば低くみられている。
驚くべき報酬格差
この病院でのポーターの仕事と、彼女が本職のジャーナリストとして、ケネスクラークとBBCで30分対話をした報酬格差が、記されているが、チェルシー・アンド・ウエストミンスター病院で2週間、80時間の仕事をした時の手取りと、この30分の報酬とほぼ同じで、実に格差は160倍とのことである。イギリス社会における報酬格差が大きいことはよく知られているが、本書に出てくる比較的大きな介護ホーム会社の重役の給料は、年に16万2000ポンド(3240万円)に加えて、自社株38万7100株の配当が8万5162ポンド(1703万2400円)、年収は24万7162ポンド(4943万2400円)だが、これでも一般的な重役の収入としては下位ランクという。
本書を読むと、イギリスの労働市場で、実際に求職活動を行い、仕事にありつけるためには、いかなる手続きを踏み、どんな努力をしなければならないかが具体的に迫力をもって伝わってくる。単に集計された統計を見ているかぎりでは分からない迫真力をもって、低賃金労働者の世界が描き出されている。
1970年代:英国民が最も平等であった時代
70年代以降の労働党政策に代表される社会変革、「中流化」は、それまでの世代には想像できなかった中流大衆を出現させた。国民の持ち家比率は大きく増加し、大学に行けるなど思いもしなかった人たちの孫が、大学にあふれている。こうした積極的に評価すべき進歩の裏側で、その流れから取り残された3分の1の人々がいる。
それが、本書が描き出した側面である。 1970年代は平等化の時代であった。イギリス国民にとって、平等化という視点からみると、1970年代は、それがある程度実現していた。その後、社会は大きく変わり、労働者階級は細分化し、政治離れが進み、大半は中流へと上昇した。仕事の世界は多様化し、ブレア首相がいうように「社会などというものは存在しない」という事態が生まれた。しかし、その流れについて行けなかった人々もいた。
筆者ポリー・トインビーが記すように、労働組合は、ほとんど影響力を発揮できず、いまや市場に影響を与えられるのは政府だけという状況になっている。政府の責任はかつてなく重い。
「運」ではなく社会的救済を
ポリーは本書の最後に「境界線の向こうの暮らしを知ることができたのは嬉しかったが、運良くこちら側に生まれた嬉しさはそれ以上だった」と記している***。しかし、この結論は私には大変哀しいものに思える。「運良く」こちら側に生まれる以外に、人間らしい生活を送れる道はないのか。「運がよけりゃ」With ALittle Bit of Luckでは、まさに「マイフェア・レディ」の世界になってしまう。政府や関係者の責任は、まさに社会的救済の制度を整備・充実し、競争から落ちこぼれてしまう人々に救いの手をさしのべることにあるのではないか。
さらに、本書邦訳の帯には、「明日の日本の悲劇が、ここに描かれている」と記されている。しかし、明日どころかすでにはるか以前から、日本は「危険水域」に入っているというのが、私の実感である。
本書の構成
目次
第1章 事のはじまり
第2章 ホーム
第3章 職探し
第4章 買い物
第5章 初仕事 運搬係
第6章 職探し その2
第7章 給食のおばさん いつも笑顔を絶やさずに
第8章 託児所
第9章 クラパムパーク団地のお隣さんたち
第10章 飛び込み電話セールス
第11章 早朝清掃
第12章 ケーキ製造所
第13章 老人ホーム
第14章 これしか道はないのか
第15章 あのころと、いま
* Nickel and Dimed: On (Not) Getting By in America, 2002
** Fran Abrams. Below the Breadline: Living on the Minimum Wage, London: Profile Books, 2002
***まさに蛇足ですが、原著のこの部分(下線は私)は次のような表現になっています。
I am glad I know more than I did about life on the other side, but gladder still, more than I can say, that I was born on the lucky side of life. I look at Clapham, my own home-territory, with other eyes now, seeing its underside everywhere, knowing more now of what lies behind a thin veneer (p.240).
Notes: 日本の最低賃金制度について
本書を改めて読みながら、日本の最低賃金制度の問題点を改めて考えさせられた。現行制度は重大な欠陥があり、抜本的な改革が必要と思われる。新政権は、問題を十分認識し、適切な手段を講じる必要があろう。イギリス労働党にかぎらず、最低賃金制度は現代社会において、きわめて重要なセフティ・ネットなのである。今日の日本では、あまりに存在感がない。いうまでもなく、そこには多くの欠陥がある。
ここではとりわけ、次の点だけを指摘しておこう。
1 制度が複雑化しすぎて透明度が低い。
日本では都道府県別に最低賃金が設定されており、その決定の仕組みは専門家でも分かりにくいほど、複雑化している。たとえば、現実の労働市場は都道府県別に区分されているわけではない。しかし、実際には地域別最低賃金の名で、都道府県ごとに異なった賃率が設定されている。そこにいたる過程には多大な行政コストの浪費もある。こうした複雑な仕組みは当然ながら透明度がない。致命的なことは、制度自体への信頼がなくなることである。私自身が関わった調査でも、自分の地域の最低賃率を正しく答えられなかった使用者が圧倒的に多かった。イギリスやアメリカでは、制度に問題がないわけではないが、基本的に全国一律であり、その浸透力、透明度ははるかに高い。
さらに、制度が複雑であることは、政策の効果測定が大変困難であり、これは致命的な欠陥である。戦後しばらくは、最低賃金制度のあり方は社会政策上の大きな焦点であった。しかし、制度の複雑化とともに、労使を含めて国民の関心度は急速に低下してしまった。制度としては、ほとんど「死に体」といってよい状況である。
政策として積極的な影響力があるのか、あるいはただ現状を追認しているだけにすぎないのか、正しく確認することもできない。政策意図が不鮮明なため、その結果は、制度自体の存在感を薄れさせているといってよい。
2 水準の問題
国際比較の面からみると、OECD諸国の中でもきわめて低い水準である(OECD. Employment Outlook, 2002)。購買力平価でみると、97年でスペインに次いで下位から2番目、オーストラリアの半分程度である。ボーナスを含む所得(メディアン)では最下位、フランスの半分程度である。
日本でポリー・トインビーと同じような勇気あるジャーナリストが現れるとすれば、いかなる状況が描かれるだろうか。