時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

冷たくなったカナダ・アメリカ国境線

2005年09月01日 | 移民の情景

  国際労働移動の分野で、カナダとアメリカの国境が話題となることは少なかった。その最大の理由は、両国は北米の先進国としてお互いにフレンドリーな関係が続いてきたことにある。しかし、近年、明らかに変化が発生している。最近の経済誌The Economist*が、その点を報じているので、要点を紹介しよう。
  経済的側面からみると、両国ともに通貨価値の変化に敏感な人は、国境を越えることが得か損かを判断し、柔軟に対応してきたことも指摘されてきた。これまでは、カナダドル(カナダ人は1ドルコインをルーニー Loonieと呼んでいる)が対米ドル比で強くなると、国境を越えてガソリンや消費財などを求めてアメリカへ入国する人が増加した。他方、節約型なアメリカ人がカナダの森や山へ旅行するという動きがあった。そういわれてみると、私も学生の時に費用を倹約するためキャンピング・カーを友人と借りて、トロントからセントローレンス川に沿って下り、大西洋岸ガスペまで行ったことを思い出した。
  これまでは、ルーニーが米ドル(通称グリーンバック)に対して10%上がると、カナダからの入国者は13%増加し、アメリカからのカナダ入国者は3%減少するという経験則もあったようだ。

壊れてしまった通貨変動と入国者の関係
  しかし、最近このパターンは壊れてしまった。過去2年間カナダドルは米ドル比で72セントから現在の83セントへと上昇した。それに反応して、カナダへのアメリカからの入国者は1999年以降22%減少した。経験則よりもはるかに大きな減少だった。 1991年にはカナダドルの大きな切り上げがあったが、その当時はカナダからアメリカへの入国者は、一日あたり6000万人という高い水準だった。学生の頃からさまざまな縁で、カナダとアメリカの国境を通過する経験はかなりあったが、確かに国境管理はきわめて緩やかだった。入国期限が切れた査証でも、なにもいわれなかった。最近まで運転免許証あるいは出生証明書、顔見知りなら手を振るだけで通れるところもあったようだ。しかし、2004年になると一日当たり2140万人まで減少した。

9.11の深い傷跡
  こうした変化の裏側には、小さないくつかの要因とひとつの大きな要因があるといわれる。小さな要因としては、両国に当てはまるものとしてガソリン価格の上昇、住宅価格の上昇があり、余暇に費やす支出を削減することになる。こうした状況でWal-Mart, Best Buy などの大手小売商はカナダに出店した。大きな要因としては、なんといっても9・11同時多発テロであり、移動という物理的面、心理的な面で旅行を避けるという多大な衝撃を発生した。また、9・11以降、国境検査は一段と厳しくなった。かつては、関門で車のトランクを開けることを要求されることなど、まずなかった。両国間には橋やトンネルなどの関門があり、近年はひどい渋滞なども発生した。

食い違う両国の受け取り方
  イラク戦争についての両国の政治的差異、アメリカ側のマリファナの非犯罪対象化についての反対、同性の結婚についての考え方、最近のカナダにおける狂牛病問題の発生による輸出禁止など、国境関係を難しくする問題も多い。カナダにある反アメリカニズムも根強い。アメリカ人は明らかに海外旅行をしなくなっている。しかし、その点では、カナダも例外ではない。こうして、カナダ・アメリカ両国ともに、相手に歓迎の気持ちを感じていない状況が生まれている。それが人々の移動に影響を及ぼしているのは、ほぼ確かである。国境線は明らかに冷え込んでいる。

Source
The unfriendly border, The Economist August 27th 2005

*オックスフォードにいて、アメリカ・カナダの話をしているのは変なのですが、実はPCが突然「夏休み」を要求して、お休み。現在、なだめながら少しずつ復旧作業中。オックスフォードは連日晴天、日本を上回る酷暑。今日は日中暑さをさけてアシュモリアン美術館に行ってきました。「フラワーアートの1000年特別展」をやっていました。なつかしい数枚の絵にも再会、いずれ話題にすることにします。

 

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