医師が看護士として流出してしまうフィリピン
8月15日のブログで、アジア・アフリカ諸国における医療・看護分野の高度な労働力が「頭脳流出」する問題について記した。その後、たまたま見ていた 9月15日のNHK BS1「地球/街角アングル」は、「医師がいなくなる:フィリピン看護士出稼ぎの陰で」と題して、その一端を報じていた。フィリピンでは看護士の資格取得が、海外出稼ぎの新たな手段として、ブームとなっている。そして国内で働くよりもはるかに高い報酬が見込めることもあって、医師までもが看護士資格を取得して海外へ流出する事態が生まれている。
ブームとなった看護士海外出稼ぎ
いまや、海外で働くフィリピン人は約800万人、海外からの本国送金額はGDPの約10%に相当する。かつてのメイドやオペア、興行関連職種に代わって、医療・介護分野の人材流出が問題となっている。
マニラだけで看護士養成大学は80校以上になる。しかし、この養成大学も、実態は街中のビルの2階が教室であったりする。英語が使われる国だけに、テキストだけはアメリカのものが使われている。
こうした中で 4年間の看護士としての教育を受けた卒業生は、ヨーロッパ、中東、アメリカなどに向かう。ヨーロッパや中東の病院で働けば、フィリピンの報酬の数倍、アメリカでは20倍となる。これでは、まるで海外の病院のために人材養成をしているようなものだ。本来ならば、自国の発展、医療・看護の充実に当たるべき人材が流出してしまう。結果として、フィリピンの医療・介護水準はさらに劣化する。
海外で働く機会を斡旋する人材紹介所がすでに多数存在する。こうした紹介所は、1件につき斡旋先の病院から1万ドルの斡旋料をもらう。すでに400人以上を海外に送り出したところもある。
看護士ブームに乗じて、医師までもが看護士の資格を所得し、看護士として海外で働くことを考えるようになっている。看護士の資格を持った医師は、海外で看護士として働くと、現在働いている公立病院での医師収入の10倍以上の報酬となる。アメリカでは普通の生活しかできないが、フィリピンではかなりの大金となる。
高収入をもとめて
南ダバオ州では、すでに多くの医師が流出している。南ダバオ州立病院の場合:すでに26人の医師のうち半分が出稼ぎを目指して看護士の資格を得ている。ある女性医師の場合、現在は16000ペソ(36000円)の月収。これで、病気の夫と二人の子供を養っている。アルバイトをしても、収入は月に8万円程度。他方、アメリカではフィリピンの月収を1日で稼げる。
アメリカへ看護士として出稼ぎを考えるボソトロス医師は、インタービューに答えて、ニューヨークの病院で働くことを考えているという。そのためには、アメリカの国家試験、英語試験をパスしなければならない。しかし、英語国であるフィリピンでは、この障壁はそれほど高くない。
アメリカで永住権を得るまでの3年間を辛抱して働く。そして、フィリピンに戻り、生活する。彼はそうして母国で消費した結果が発展につながり、将来医師、看護士の海外流出抑止につながればよいと思っていると答える。しかし、はたしてそうなるであろうか。海外で高い報酬機会に接したフィリピン人看護士は、なかなか帰国してこない。帰国しても海外での貯金は、自分や家族の消費生活の向上に当てられ、フィリピンの医療・介護水準の向上へとはつながってゆかない。 根本的課題を未解決のままに、マニラ空港では、毎日多数の看護士が海外出稼ぎに旅立ってゆく。
関係者の責任
日本とフィリピンのFTA交渉で、日本側はしぶしぶながら、フィリピン人看護士の受け入れを認めた。しかし、受け入れ決定にいたる関係者の視野はきわめて狭小である。医療・介護分野の国際協力とはなにか。なにがなされるべきなのか。両国の政府・医療介護関係者は、原点に立ち戻り、考える責任がある。
関連情報
「比で看護士流出」『朝日新聞』2005年9月27日
国公立病院の看護士の場合、月給は200ドル(約2万2千円)前後、医師でも400ドルに届かない。しかし、米国へ行けば看護士なら4千ドル(44万円)になる。比医療協会のタン医師は「35歳以上の経験を積んだ医師が流出し、国内の医療技術の低下を招く」という。70年代には40校程度だった看護学校は、04年には370校にまで激増した。
比保健省のパディリャ次官は「深刻さは認識しているが、対策は白紙だ。(流出防止のための賃上げ案は)お金がなく非現実的だ」という。
比政府は日本側による「受け入れ枠」設定に難色を示す。医師・看護師でつくる団体「HEAD」のニスペロス事務局長は「医師・看護師は工業製品ではない。需要があるからと出してばかりでいいのか」と話している。