時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

ラ・トゥールを追いかけて(59)

2006年02月09日 | ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの部屋

宗教改革の奔流に棹さす画家(4) 

  宗教改革とそれを受けて立つ立場にあったカトリック宗教改革の狭間で、ヨーロッパの美術の世界も大きく揺れていた。盛期ルネッサンス(High Renaissance)の後に登場したマニエリスム*は、次第に当時の時代の要請、とりわけ宗教改革の衝撃を受けたカトリック教会の考える改革の方向にそぐわなくなっていた。

  後にマニエリスムといわれるようになった傾向は、盛期ルネッサンス後、ほぼ二つの段階を経たと考えられる。総じて、「反古典的」 anti-classical であったが、前半の段階1520-1550年頃までは「崇高」「純粋」「理想主義的」「抽象的」レヴェルを目指したものであった。後半の段階1550-1580年頃では(ラファエッロやミケランジェロに倣ったという意味で)定式化、固定化したマニエリスム di manieraへと移っていった。

  実際にいつ頃からどの画家をマニエリスムと呼ぶかについては、ルネサンスがいつ始まり、終わったかを確定できないように、難しい問題ではあるが、盛期ルネッサンス後、一般に芸術の質が低下したと考えられていた。その理由としては目新しさを求める結果のひとつとして、すべてではないが、かなりの画家の間で、形式化、反古典的、非現実的な描写などの風潮が目立つようになったことが挙げられていた。

トレント会議はなにを目指したか
  ローマ・カトリック教会の方向を定めるトレント会議は1561年に行われた第9回の公会議で、芸術に課せられた役割を定めている。その概要は次のような点にあった。カトリックでは宗教的絵画は信仰の高揚ために重要な意味を持つとされた。その具体化についての方向は、1)明瞭さ、簡潔性、知性、2)現実的な解釈(正確さ、上品さ、格調)、3)敬虔に導く動機づけなどであった。トレント会議後、1580年頃から進行したカトリック改革は、盛期ルネッサンスの精神を取り戻すという意味も含まれていた。

   こうした時代の流れを念頭に、ラ・トゥールの作品を見てみると、かなり興味ある点が浮かび上がる。一般にこの画家の作品構図は簡潔そのものだ。背景、静物、風景、複雑な描写、根拠があいまいな人物などはいっさい描かれていない。とりわけ宗教的テーマについては、ほとんどの作品は一人か二人の人物しか描いていない。背景もほとんど具体的なものは何も描かれていない。見る者は主題とそのメッセージを雑念なく、受けとることができる。 作品に接したとたんに、主題に引き込まれる。

確固たる制作意図
  このことは、ラ・トゥールがきわめて明確な意図、方向性をもって制作していたためと考えられる。今日残っている作品をみるかぎり、悔悟する聖ジェロームを描いた一枚だけにかすかにハロー(光輪)をつけている。他の多くの宗教画にみられる天使の翼も描かれていない。使徒・聖人も普通の人から遠く離れた存在ではない。しかし、「大工聖ヨセフ」の子供にしても、人間なのか天使なのか、きわめて不思議な存在として描かれていることに気づく。

  ラ・トゥールは主題の選択の時から、カトリック宗教改革が目指すべき精神をしっかりと感じていたに違いない。選ばれた主題の多くは、プロテスタントがとりわけ非難した対象であった。この硬骨な?画家は、プロテスタントの批判が向けられた対象を、ことさら選択して描いたようにさえ思われる。

  画家はトレント会議が光を当ててほしいと願った、それまであまり取り上げられなかった主題もいくつか描いた。 初期の教会の創設者、その殉教者に焦点を当てている。トレント会議は、ローマ・カトリック教会こそ、キリスト教信仰の創始者たちの唯一正当な継承者であることを主張していた。

*マニエラ(イタリア語maniera)が語源。マニエラは「手作り」「モード」「スタイル」「方法」などの含意を持つが、美術用語としては「様式」に近い。 マニエリスムとは「通常以上に強調点を作風や様式の上に置く傾向」(バーク、80)。

Reference
ピーター・バーク(亀長洋子訳)『ルネサンス』岩波書店、2005年

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