宗教改革の奔流に棹さす画家(5)
カトリックの強い影響下にあったロレーヌ
ラ・トゥールが生涯を過ごした16世紀末から17世紀前半、フランスそして当時はフランスから独立していたロレーヌ公国の宗教といえば、圧倒的にカトリックであった。それにもかかわらず、プロテスタントの宗教改革の思想は、この時代にはさまざまな経路を通して一般民衆のレヴェルまで届いていたと思われる。とりわけ社会の上層部を占める知識人にとっては、厳しい選択を迫る課題であったことは間違いない。信仰は彼らの精神世界において、現代とはおよそ比較にならないほど大きな比重を占めていたからである。
プロテスタント側でもルター派の場合は、カルヴァン派よりは当時の宗教風土に近かったといわれるが、聖人崇拝や煉獄への崇拝を拒否していた。プロテスタントの批判は信仰の原点に関わるだけに、精神面への衝撃が大きかったことと思われる。
失墜したカトリック聖職者の権威
他方、日常目にする現実においても、宗教改革派の攻撃対象となった聖職者の「堕落」と「権威失墜」は教会制度を揺るがし、教会は宣教の使命を遂行することが困難になっていた。 宗教改革は起こるべくして起きたともいえる。カトリック教会を基盤としてきた社会はさまざまにほころびが目立ち、揺らいでいた。ロレーヌは別として、フランスでカトリックが最も激しい攻撃にさらされたのは、1530-40年代であったといわれる。
こうした中で、カルヴァン派を中心とするプロテスタントの影響力は、激しい迫害の繰り返しにもかかわらず、ロレーヌでも都市から農村部へと少しずつではあるが浸透していた。しかし、小都市や農村においては、庶民がプロテスタントとして生きることは日常生活から疎外されるような状況であったろう。ながらくとり行われてきた諸聖人の祝祭なども彼らの生活の一部であったはずである。実際、誕生の洗礼式から結婚、葬祭にいたるまで教会は広く深く彼らの生活に根を下ろしていた。また、貴族などの上層階級は国家の宗教という大きな圧力を感じていたし、国家はさまざまな強制で彼らを束縛していた。
ロレーヌの宗教風土
こうした状況の下で、アルザス・ロレーヌではカルヴァン派、ルター派、そしてカトリックの諸派がいわばモザイク状にそれぞれの属領を形成していた。とりわけロレーヌはカトリック教会側にとっては、プロテスタントの浸透を阻止する上で、最も戦略的な意味を持ったいわば前哨の役割を負っていた。
中世以来、ロレーヌは「修道院の地」と呼ばれたほどローマ法王が重視してきた地域であった。法王は多数の教会、修道院がロレーヌに存在することがプロテスタントの脅威に対抗する道と考えていた。そのこともあって、ロレーヌのカトリック教会や修道院の数などは他の地域に比較してきわめて多かったことが知られている。
教会はプロテスタントと戦う前線として、ロレーヌに格別の配慮をしてきたといえる。あらゆる宗派の修道僧は16世紀終わりから17世紀にはロレーヌに派遣され、活動していた。トレント会議も既存の教会、修道院の改革と新たな布教機関の拡大を推奨してきた。ラ・トゥールについてのカタログや研究書がしばしば依拠するタヴェノーの研究によると、ロレーヌに教会・修道院を設立する動きのピークは1610年頃といわれる。こうした動きはロレーヌ全域に広がり、特にフランシスコ派の教会で拡大した。1630年頃、ロレーヌにはフランシスコ派だけでも80の教会、修道院があった。
カトリック教会側は防衛と立て直しに懸命となっていた。この地の侯爵、ジェスイット派、フランシスコ派、ベネディクト派の聖職者たちは、プロテスタントに対抗する精神的熱情を持っていたようだ。彼らは反プロテスタント、反フランスの中核的役割を果たしていた。このような宗教的・精神的風土の中で、人々はそれぞれの選択をことあるごとに迫られていた。画家ラ・トゥールも当然例外ではない。彼の身辺で起きていたことについては、別途しるすことにしたい。
Reference
Choné, Paulette. 1996. Georges de La Tour: un peintre lorrain au XVIIe siecle. To urnai: Casterman. Conisbee,Philip ed.1996.
Georges de La Tour and His World. Washington D.C.:National Gallery of Art & New Heaven: Yale University Press.
Heckel, Brigitte et al. 1997. Georges de La Tour: L' exposition du Grand Palais. Paris: L'Oeil.
Taveneaux, René. 1960. Le Jansénisme en Lorraine 1640-1789. Paris: Librairie Philosophique J. Vrin.
大野芳材「ロレーヌのラ・トゥール:画家を育んだ世界」『ジョルジュ・ド・ラ・トゥール』国立西洋美術館、2005年
グザヴィエ・ド・モンクロ(波木居純一訳)『フランス宗教史』白水社、1997年
カトリックの強い影響下にあったロレーヌ
ラ・トゥールが生涯を過ごした16世紀末から17世紀前半、フランスそして当時はフランスから独立していたロレーヌ公国の宗教といえば、圧倒的にカトリックであった。それにもかかわらず、プロテスタントの宗教改革の思想は、この時代にはさまざまな経路を通して一般民衆のレヴェルまで届いていたと思われる。とりわけ社会の上層部を占める知識人にとっては、厳しい選択を迫る課題であったことは間違いない。信仰は彼らの精神世界において、現代とはおよそ比較にならないほど大きな比重を占めていたからである。
プロテスタント側でもルター派の場合は、カルヴァン派よりは当時の宗教風土に近かったといわれるが、聖人崇拝や煉獄への崇拝を拒否していた。プロテスタントの批判は信仰の原点に関わるだけに、精神面への衝撃が大きかったことと思われる。
失墜したカトリック聖職者の権威
他方、日常目にする現実においても、宗教改革派の攻撃対象となった聖職者の「堕落」と「権威失墜」は教会制度を揺るがし、教会は宣教の使命を遂行することが困難になっていた。 宗教改革は起こるべくして起きたともいえる。カトリック教会を基盤としてきた社会はさまざまにほころびが目立ち、揺らいでいた。ロレーヌは別として、フランスでカトリックが最も激しい攻撃にさらされたのは、1530-40年代であったといわれる。
こうした中で、カルヴァン派を中心とするプロテスタントの影響力は、激しい迫害の繰り返しにもかかわらず、ロレーヌでも都市から農村部へと少しずつではあるが浸透していた。しかし、小都市や農村においては、庶民がプロテスタントとして生きることは日常生活から疎外されるような状況であったろう。ながらくとり行われてきた諸聖人の祝祭なども彼らの生活の一部であったはずである。実際、誕生の洗礼式から結婚、葬祭にいたるまで教会は広く深く彼らの生活に根を下ろしていた。また、貴族などの上層階級は国家の宗教という大きな圧力を感じていたし、国家はさまざまな強制で彼らを束縛していた。
ロレーヌの宗教風土
こうした状況の下で、アルザス・ロレーヌではカルヴァン派、ルター派、そしてカトリックの諸派がいわばモザイク状にそれぞれの属領を形成していた。とりわけロレーヌはカトリック教会側にとっては、プロテスタントの浸透を阻止する上で、最も戦略的な意味を持ったいわば前哨の役割を負っていた。
中世以来、ロレーヌは「修道院の地」と呼ばれたほどローマ法王が重視してきた地域であった。法王は多数の教会、修道院がロレーヌに存在することがプロテスタントの脅威に対抗する道と考えていた。そのこともあって、ロレーヌのカトリック教会や修道院の数などは他の地域に比較してきわめて多かったことが知られている。
教会はプロテスタントと戦う前線として、ロレーヌに格別の配慮をしてきたといえる。あらゆる宗派の修道僧は16世紀終わりから17世紀にはロレーヌに派遣され、活動していた。トレント会議も既存の教会、修道院の改革と新たな布教機関の拡大を推奨してきた。ラ・トゥールについてのカタログや研究書がしばしば依拠するタヴェノーの研究によると、ロレーヌに教会・修道院を設立する動きのピークは1610年頃といわれる。こうした動きはロレーヌ全域に広がり、特にフランシスコ派の教会で拡大した。1630年頃、ロレーヌにはフランシスコ派だけでも80の教会、修道院があった。
カトリック教会側は防衛と立て直しに懸命となっていた。この地の侯爵、ジェスイット派、フランシスコ派、ベネディクト派の聖職者たちは、プロテスタントに対抗する精神的熱情を持っていたようだ。彼らは反プロテスタント、反フランスの中核的役割を果たしていた。このような宗教的・精神的風土の中で、人々はそれぞれの選択をことあるごとに迫られていた。画家ラ・トゥールも当然例外ではない。彼の身辺で起きていたことについては、別途しるすことにしたい。
Reference
Choné, Paulette. 1996. Georges de La Tour: un peintre lorrain au XVIIe siecle. To urnai: Casterman. Conisbee,Philip ed.1996.
Georges de La Tour and His World. Washington D.C.:National Gallery of Art & New Heaven: Yale University Press.
Heckel, Brigitte et al. 1997. Georges de La Tour: L' exposition du Grand Palais. Paris: L'Oeil.
Taveneaux, René. 1960. Le Jansénisme en Lorraine 1640-1789. Paris: Librairie Philosophique J. Vrin.
大野芳材「ロレーヌのラ・トゥール:画家を育んだ世界」『ジョルジュ・ド・ラ・トゥール』国立西洋美術館、2005年
グザヴィエ・ド・モンクロ(波木居純一訳)『フランス宗教史』白水社、1997年