美術品をめぐる売り手と買い手の関係は、なかなか興味深い。取引の仕組みの源流を尋ねているうちに、いつの間にか15世紀イタリアについての資料までさかのぼることになってしまった。この時代の画家とパトロンの関係は、現代の社会で市場や取引として思い浮かべるような内容とはきわめて異なっていた。その仕組みは、なかなか面白い。
強大な力を持ったパトロン
当時のパトロン(あるいは顧客クライアント)は、多くの場合画家の制作過程のすべてにかかわる存在だった。主題の設定から具体化、いかなる対象を描くか、画材の品質、報酬の支払い方法まで、制作活動のほとんどすべてに介入していた。その後、両者の関係は時代を経るにしたがって変化してきた。その移り変わりは、イタリア美術界ばかりでなく、フランスなどにおいても、基本的に同方向をたどったと思われる。
当時の資料によると、あの大画家フラ・フィリッポ・リッピFilippo Lippiまでもが、丁重な手紙と下絵をパトロンに送り、それでよいかと、あらかじめ承諾を求めるようなことを行っている。ほとんどの場合、画家とパトロンあるいは顧客クライアントという当事者間では契約が交わされていた。契約書の様式まで定まったものは発見されていないが、文書に含まれた事項はかなり一致していた。前回ブログに取り上げたダ・ヴィンチの作品集にも収録されている。
契約の要件
それらの契約にふくまれていた基本的な要件は、1)画家が描くべき主題、対象はなにか、それをどう描くか、2)画家は作品をいつ引き渡し、報酬はいつ、いかなる方法で支払われるか、3)画材、とりわけ金とウルトラマリンの品質が維持されること、という点は、ほとんど常に含まれていた。
この契約要件でとりわけ興味深いことは、依頼者がさまざまな要求を出していることである。この時期の絵画を見ていて、しばしば画面に隙間なくさまざまなものが、ごたごたと描きこまれていることを不思議に思っていた。時代も下るが、最小限のものしか描かれていないラ・トゥールの「荒野の洗礼者聖ヨハネ」などとはまったく異なる点である。時代と地域が異なると、どうしてこれほどまでに違うのだろうと思っていた。しかし、次第に謎が解けてきた。
画家の技量を試す?
たとえば、当時の著名画家ギランダイオにフィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェラ教会の聖歌隊席のフレスコを依頼するに際して、パトロンである依頼者のジョヴァンニ・トルナブオニは「人物、建物、城砦、町、山岳、丘、平原、岩石、衣裳、動物、鳥、できるだけ多くの獣」を含めることを求めている。この問題は、当時の依頼者の絵画についての嗜好の水準を示しているといえる。画家にとっては、芸術が分からない奴だなと思っても、パトロンの依頼とあれば仕方ない。ご要望に応じて書き込んだのだろう。パトロンは、画家の腕を試したかったのかもしれない。
大変興味あることは、金、銀に次いで、ウルトラマリン(特にラピスラズリ)の品質が重要な条件になっていたことである。当時、ウルトラマリーンは高価なラピスラズリの鉱石粉末から抽出していた。厳しいクライアントの場合は、その過程で「一番絞り」(?)とまで条件をつけていた。実際に、最も美しいウルトラマリンは最初の抽出で得られる。聖マリアを描くウルトラマリンは1オンスあたり2フローリン、その他の個所は1オンスあたり1フローリンでよいという条件をつけたものまであった。ヨーロッパ絵画史の資料をアマチュアの目でみていると、こうした予想もしない面白い事実に出会う。
画材の質から画家の熟練へ
そして、時代が進むにつれて、金やウルトラマリンの問題は次第に前面から後退してゆく。金は絵画の材料よりは額縁に使われるようになる。金の世界の産出が需要に追いつかなくなったことも背景にあった。絢爛豪華でひと目を惹く作品から地味で審美的な aesthetic 作品への世の中の流行の変遷などもある。
最も重要な変化は、画材の品質から熟練・技量の質重視への移行であった。優れた画家とはいかなる資質を持った者をいうのか。作品の評価は何によってなされるのかという本質的な難しい問題である。美術についての好み(taste)は、時代とともに変遷をとげてきた。それぞれの時代に固有の「時代の目」ともいうべき評価の基準があったようだ。それでは、「時代の目」は、なにを基準としていたかということになるが、これはかなり難問である。しばらく考えてみたい。な難しい問題である。美術についての好み(taste)は、時代とともに変遷をとげてきた。それぞれの時代に固有の「時代の目」ともいうべき評価の基準があったようだ。それでは、「時代の目」は、なにを基準としていたかということになるが、これはかなり難問である。しばらく考えてみたい。
Reference
Michael Baxandall. Painting and Experience in Fifteenth-Century Italy. second edition, Oxford University Press, 1972, 1988.