ブログを手探りで始めてから間もなく2年近くとなるが、当初想像していなかった現象に出会うことになった。
日常生活の一寸した合間などに思い浮かべたことを、メモのように書いているだけのことなのだが、いくつか例外もある。いつの間にか、かなり書き込んでしまっていた17世紀の画家ジョルジュ・ド・ラ・トゥールのことである。多少マニアックなことは自覚しながらも、自分のどこかに沈殿している記憶があることに気づいた。書き始めてみると、あまりに多くのことが記憶されていたことに自分でも驚く。これまでの人生の過程で、ただランダムに取り込んだだけの断片的記憶が次々と浮かんでくる。思いつくままに書き出しているのだが、まだほんの入り口しか書いていないようで、かなり残っているような感じはする。しかし、自分の脳の「在庫管理」はまったくできていない。どんな材料が在庫の棚に置かれているのかさっぱり分からない。脳の仕組みには改めて驚く。
不思議なことに、時々思いもかけないことで、ある記憶の断片と別の断片がつながることがある。まるで、新たな回線が記憶細胞の間に張られたような印象である。あの9.11の衝撃は、ウイリアム・スタイロンの『ソフィーの選択』に結びついていた。そして、そのつながりは、最近のスタイロンへの哀悼とともに、若い頃に読んだ作家の別の作品の記憶を呼び起こした。
昨年、イギリスの書店でなんとなく取り上げて読んでみた『白い城』や『イスタンブール』の著者オルハン・パムクが、ノーベル文学賞受賞者となった。その後、かなりの人々から作品についての問い合わせがあったりした。単なる読者の一人であり、トルコ文学の専門家でもないので、これには面食らった。意外に日本では読まれていなかったらしい。
こうした経験を通しておぼろげに見えてきたのは、書籍という媒体の果たす役割である。「書籍離れ」がいわれるようになって久しいが、読書を通して得た記憶は脳細胞への残存率が高いような気がする。読んだことはかなり覚えているのだ。他方、映像やネット上で得た知識は、その時の衝撃はかなりあるのだが、比較的残っていない。ほとんどその場かぎりで忘れてしまっているようだが、脳内構造がどうなっているのか、その仕組みは自分には分からない。