時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

佳節愉快

2006年12月26日 | グローバル化の断面

  この数年、クリスマスカードの数がめっきり減った。一時期、机の上に山積みになったカードに、一枚ずつ署名と短い挨拶を記していたことがあった。年中行事で負担ではあったが、楽しみでもあった。しかし、いつのまにか年末の仕事に追われたりして、発送するカード数が減っていた。送られてくるカードも同様に減っていた。電子メールの発達も影響している。しかし、メールで受け取るクリスマスや年始の挨拶はどうも味気ない。

  こうした変化の中でも、必ずカードを送ってくれる友人たちがいる。家族の消息を知らせるノートが付いていることが多い。交通通信の手段が格段に進歩したからといって、遠隔地の友人・知人とそう簡単に会えるものでもない。中には、何十年と会っていない友人もいる。

  日野原重明先生が、クリスマスカードについてのエッセイを新聞に寄せられていた。最近のカードの減少と併せて、カードに印刷された文言についての興味深い観察が記されていた。かつてのように「メリー・クリスマス」Merry Christmas というフレーズが少なくなり、Season's Greetings というような宗教色がない表現が多くなったという変化についてである。グローバル化が進み、世界にはキリスト教以外の宗教を信じる人々も多いことに気づいたからであろうという大変鋭いご指摘である。

  これまであまり深く考えることなく、カードを送っていたことを反省する。サインをしたり、短い挨拶を書く折に、ふとそのことが頭をかすめたこともあったが、1年1回の近況報告と思って送っていた。日本のクリスマスが宗教色が薄い商業的行事となっていることも、影響しただろう。

  クリスマスの挨拶ばかりではない。新年の挨拶も、うっかり日本の習慣で年賀状を中国や台湾の友人に送ってしまう。そして先方からは春節の時にカードが送られてきて、喜びと同時に軽いカルチャーショックを受ける。

  面白いことに、このごろは海外と関係のある中国や台湾の会社や弁護士事務所からは、「新年快楽(樂) 順利成功」、Season's Grettings for someone so special というような挨拶が記されたカードがこの時期に届く。「聖誕恭賀」というような文字はない。小さなことだが世界の変化が、カード一枚の文言にも微妙に反映していることに驚かされる。

  

 

  

コメント
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