年金記録問題という大衝撃で、最低賃金法改正案など労働関連重要3法案の今国会成立はついに見込めなくなった。一時はメディアを含めて「労働国会」などと騒ぎ立てていたが、今や雲散霧消に近い。失業率などにようやく改善の兆しが見られ、セフティネットの補強の時としては最適な時期だけに、法案が成立せず先延ばしになったことは、きわめて残念だ。年金問題の行方と併せて、格差拡大がさらに増幅される恐れがあり、大変憂慮される。両者は、とりわけ社会の最も弱い層の厚生・労働条件に深くかかわっているからだ。
なかでも最低賃金の大幅(?)引き上げがほとんど見込めなくなったことは、きわめて憂慮すべきことだ。それでなくとも、日本の最低賃金は、先進国中でも最低に近い水準である。
この点に関連して考えさせられることは、労働政策の立案・改革に全体を見通した構想が欠けていることだ。省益擁護を含めて、既存の制度にとらわれすぎたり、部分の問題に目を奪われて、政策が歪んでいる。これは、最低賃金制度に限らず、労働政策のさまざまな領域に見られる。たとえば、最近メディアをにぎわしている外国人研修・実習制度はそのひとつである。この問題では、外国人労働者受け入れの根本的部分について再検討の必要が問われているのであって、現行の研修・実習制度の綻びをどう繕うかという問題ではない。
ここでは最低賃金制度を例に挙げよう。今回の議論で提起されている最低賃金の水準と生活保護の整合関係を論じることは重要なことではあるが、もっと大切なことは最低賃金の制度を国民に分かりやすく透明なものとし、その仕組みと存在意義を周知徹底する努力である。先進諸国の中で日本ほどいたずらに制度を複雑にし、その実効性を削いでいる国はないだろう。アメリカ、イギリスなどで、この制度に接してみて分かるのは、最低賃金制にかかわる情報が広く労使などの関係者に浸透していることである。原則、全国一律、時間賃率表示ということもあって、透明度が高い。制度内容が労使に広く浸透している。
他方、このブログでも指摘したことだが、日本では各地域で自分の企業が所在する労働市場の最低賃金を正確に答えられない使用者はきわめて多い。筆者の経験でも、ある地域の使用者インタビューで、最低賃金を即座に答えられたのは、数十社の中でほとんどなかったことさえあった。アンケートという書面調査においてさえ、回答者の過半が正確に答えられないという状況になっている。パートタイム賃金を決める時にだけ、最低賃金率を確認して、それに合わせるという本末転倒した事態さえ横行している。
労使の代表は一円刻みの折衝に骨折ったなどと、もっともらしくいうが、グローバル化がこれほど進んだ世界で、一円単位まで示した都道府県別の最低賃金決定の仕組みが、どれだけの意味があるだろうか。都道府県の区分は行政区分にすぎず、現実の労働市場の範囲とはなんの関係もない。実態とはかけ離れた制度の形骸化を如実に示している。グローバル化した世界で、「地域」労働市場が競争している相手は、どこなのかを十分考える必要がある。
都道府県という行政区分別に、複雑な水準設定をすることが重要なのではない。地域に関わりなく、日本人として人間らしい文化的な生活を最低限可能にする水準の維持こそが、最低賃金設定の基本に置かれるべきであり、そのメッセージが国民に伝わらなければならない。
こうした複雑で実効性に問題が多い制度の維持・運営に国民が支払っている行政コストの大きさも認識されていない。制度の透明性と実効性を回復するには、基本的に全国一律の制度とし、例外的な地域に限って上積みするという簡素で透明度が高い体系への整備を図るべきだろう。しかも、労使など関係者が記憶しやすい直裁な数値設定も、小さなことのようだが重要だ。
現代のグローバルな状況からいえば、全国一律の最低賃金率を設定した上で、せいぜい道州区分程度でグループ化し、必要に応じて、地域プレミアム加算をすることで十分だろう。日本全国を貫く賃金のフロアーが、どれだけの水準であるかを国民に明瞭に示すことが第一義的に必要だ。これまでの内外の実証研究を見る限り、最低賃金の引き上げが雇用にいかなる影響を与えるかは、仮定や標本の設定次第でプラス・マイナス両面の結果が出ており、それも微妙な範囲に留まっている。格差拡大が進む日本の現状では、水準引き上げが雇用面でもプラスに働く可能性は高いと思われる。
現行の公労使3者構成の委員会方式も多くの問題がある。最低賃金審議会の制度も見直されるべきだろう。最低賃金制度のあるべき思想に立ち戻り、現行制度の抜本的検討が必要である。先延ばしになってしまった法案改正を「災い転じて福となす」よう、制度の根源に立ち戻っての議論を望みたい。