時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

もうひとつのバロックの響き(2)

2007年07月29日 | 書棚の片隅から

    恐らく若い時期のラ・トゥールがひとつのジャンルとして、大きなエネルギーを注いだシリーズは、「ヴィエル弾き」であった。そこに描かれた放浪の老楽士が使う楽器ハーディ・ガーディ hurdy gurdy(フランスではヴィエルvielleと呼ばれることが多い)は、今日では古楽のアンサンブルなど特別な機会にしか接することができない。

  しかし、この楽器の原型は11世紀くらいには出来上がっていたらしい(organistrum と呼ばれることもある)。あの聖地巡礼で著名なサンチアゴ・デ・コンポステラに、その演奏風景を記した彫像が残っている。楽器の形態は、簡単な鍵と弦楽器を組み合わせたような仕組みで、初期には二人一組で演奏していたらしい。ひとりがクランクを回し、もうひとりが鍵を引っ張って演奏していた。弦も1~3本程度の大変簡単なもので、主として修道院や教会などで合唱の伴奏などに使われていたようだ。

  その後、改良が加えられ、ひとりの演奏者でクランクと簡単な鍵を操作することができるようになった。ラ・トゥールの作品に描かれているのは弦が3本である。この楽器は主として、スペインやフランスで 使われていた。ルネッサンス期にはバグパイプなどと並び、大変よく知られた楽器となった。そして、形状もラ・トゥールの絵に出てくるような短いネックと箱形の本体を持ったものになってきたようだ。弦から発生する独特な振動音が特徴である。

  フランスで発達したものは形状が円形のリュート(14-17世紀に多用された丸い胴を持つ琵琶に似た弦楽器)のような反響板を備えたものである。フランスでは、ヴィエルvielleの名で知られてきた。

  しかし、17世紀末にかけて楽器の主流は、より多音・ポリフォニーな音調を要求するようになって行き、単調なハーディ・ガーディは社会の下層階級のための楽器へと追い込まれていった。「農夫の竪琴」、「乞食の琴」などの名前で呼ばれることになった。ラ・トゥール以外にも、ハーディ・ガーディを描いた作品はいくつかあるが、その多くはみすぼらしい身なり、時には盲目の楽士が演奏する楽器となっている。長い苦難に満ちた漂泊の旅を続ける老楽士として描かれている。

  その後、18世紀に入ると、少し様子が変わってきた。フランスでは、田園風な、雅趣にあふれた曲目が好まれるようになり、ハーディ・ガーディが再び見直され、演奏される機会も少しずつ増えてきた。古楽の復活ブームも背景にある。前回ブログで紹介したアンサンブルはそのひとつの表れである。楽器としてもかなり改良、進歩がはかられた。

  バロック音楽としていかなる概念を組み上げ、イメージを抱くかについては、あまりに多くの記すべきことがあり、ここでの課題ではない。しかし、しばしば思い浮かべるバロック音楽の華麗な世界の片隅に、ひっそりと忘れられたもうひとつの世界があったことを記憶にとどめておく必要がある。

コメント (2)
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