時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

深緑の待たれる時

2007年07月07日 | 午後のティールーム

Photo 日光中禅寺湖八丁出島

   
  沖縄は梅雨明け宣言。他方、日本列島はようやく梅雨の気配で鬱陶しい季節。大雨が降っている地域もある。澄み切った青空と深緑が待ち遠しい。

  仕事もなかなかはかどらない。気分転換に、あるご縁でお送りいただいている日光東照宮発行の『大日光』(77号)を見る。この社報(といっても会社ではなく日光社寺のこと)、世の中に多い広報誌とは一線を画し、毎号掲載内容が濃密で、大変興味ある記事が多い。世界遺産に登録された日光という貴重な人類の遺産の維持のために、さまざまな人々がいかなる努力をされているかということを知る上でも、教えられる点が多い。残念ながら一般書店などで販売される刊行物でないのが惜しい。大きな図書館では見られるかもしれない。

  今回の77号では、工藤圭章「中禅寺湖畔の英国大使館別荘とアーネスト・サトウ」という論文に目を惹かれた。1896年に建築された英国大使館別荘の来歴とその建築史・文化史的意味について書かれている。ちなみに筆者の工藤氏は元文化庁建造物課長をされた工学博士で(財)日光社寺文化財保存会理事をされている。

  この英国大使館別荘は、中禅寺湖湖尻から半月峠の方へ向かう湖畔の砥沢というところに建てられており、湖越しに男体山などの日光連山を望む景勝の地である。立木観音を過ぎて、湖畔の道の途中から自動車が入れなくなっているので、静穏な環境が保たれている。

  さらに先に進むと、昭和3年に著名な設計者レイモンドの設計による旧イタリア大使館別荘が、栃木県が所有するようになり、
日光イタリア大使館記念別荘公園として復元されて一般公開され、多くの人々が訪れる観光名所となっている。まだ別荘として使われていた頃を知る者として、こうした形で保存されることになったことを素晴らしいと思う。修繕・維持などに大変費用がかかる木造住宅であり、多くは老朽化し壊されてしまうからだ。この砥沢は明治以来、各国の大使館の別荘などが多く建てられてきた地域で、英国大使館別荘のように現在も使用されているものもある。

  いろは坂、中禅寺湖、戦場ヶ原、湯の湖と奥日光へ続く表通りからは湖尻で分かれて、左岸の脇道に入ることになるが、湖畔の道にも深い緑の美しさが保たれている。たまたま学生時代、暑さを避けての勉強を理由に何回かの夏をこの近くで過ごした。学業
の方は少しも進まなかったが、半月峠、足尾銅山、小田代ヶ原、男体、白根などの奥日光の山々の縦走など、土地の人もあまり知らない隅々まで知ることができた。今では体力的にとてもできない。10年ほど前にオーストラリアからの友人を案内して奥白根などへ登ったが、それが最後である。幸い友人は大変気に入ってくれて、その後も来日の時は頼りにならない私を同行せず、自分たちだけで登っている。

  さて、英国大使館別荘の建物は、外観が明治期の2階建ての和風木造住宅の体裁であり、当時の素朴な趣きを今に伝えている。設計はニコライ堂などの設計に関わった著名な建築設計者ジョサイア・コンドルの手によるものとされ、歴史的にも貴重な建物だ。1896年頃に建てられたらしい。依頼主は日本研究者としても知られる駐日英国公使アーネスト・サトウである。サトウはよほどこの場所が気に入っていたらしい。滞日中は暇が出来ると、ここで過ごしていたようだ。

  冬はとても厳しい寒さで、このあたりの温泉宿まで閉鎖されてしまうほどだが、夏は深い木々の中で暑さを忘れることができる。イタリア大使館別荘公園の先の湖畔にはキャンプ場もあり、子供たちがテント生活を楽しんでいる。湖岸まで適度な浜辺もあり、目の前は八丁出島である。さらに先へ進むと、かなりけわしい場所もあるが、中禅寺湖一周もできる。

  近くの仏国大使館別荘もクローデル記念館として保存されることが検討されているとのことだが、この英国大使館別荘も将来そうした機会があればぜひ同様な形で保存されることを期待したい。ここは日光を訪れる人があまり気づかない、隠れた憩いの場である。


工藤圭章「中禅寺湖畔の英国大使館別荘とアーネスト・サトウ」『大日光』77号、2007年

コメント
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