時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

追悼ウルリッヒ・ミューエ

2007年07月26日 | 雑記帳の欄外
  

    このブログでとりあげたばかりだが、映画
「善き人のためのソナタ」(ドイツ語タイトルはDas Leben der anderen) で主役の東独国家情報機関シュタージのヴィスラー大尉役を演じたウルリッヒ・ミューエさんが7月22日亡くなった。ブログに書いたばかりのこともあって、言葉がない。哀悼の意を表するのみ。
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もうひとつのバロックの響き

2007年07月26日 | 書棚の片隅から

After George de La Tour, A Woman Playing a Triangle(original 1620s?). private collection, Antwerp.

    近着の『考える人』2007年夏号に掲載されている岡田暁生氏の「音楽史を知って深く聴く」という短い読書案内を読んだ。その中で、「民主主義の19世紀において音楽が「誰にでも求めれば手に入るもの」になるより前、それが特権階級(貴族と僧侶)の独占物だった時代に、一体どんな音楽が鳴り響いていたのか?」という一節に目が止まった。  

  確かにバロックの時代、音楽は王侯、貴族のものであった。音楽好きなルイ13世は食事の間、お気に入りのヴァイオリニストとリューテニストに演奏させて眠りへの前奏曲としていた。いわば、睡眠薬にもなっていた。彼らのBGMがいかなるものであったのかは、いずれ触れてみたいこともある。   

  他方、民衆に音楽がなかったかといえば、そうではない。彼らは豪華絢爛とはまったく縁遠いが、別のジャンルの音楽を持っていた。たまたま2005年5月に西洋美術館で「ジョルジュ・ド・ラ・トゥール」展が開催された折、それに合わせて「ラ・トゥールの響きをもとめて」と題する小さなコンサートが開催された。演奏はル・ポエム・アルモニークという古楽アンサンブルであった。  

  そこでは今では珍しい楽器ヴィエル(手回し琴)も演奏されて、目と耳を同時に楽しませてくれた。曲目の中には15世紀初頭より伝わるボーヌ地方民謡、ブルターニュ地方の哀歌など、遠い時代の響きを復活させようとした試みも含まれ興味深かった。演奏会場が美術館のロビーであり、古楽とはいえ、楽器も当時のものより改良されているので、雰囲気がなんとなくモダーンで、期待と異なる部分もあったが、それなりに楽しむことができた。舞台装置という意味では、かつてケンブリッジのコレッジの一室で時々催されていた古楽アンサンブルやイーリーの教会で図らずも聴いた誰も観客がいない部屋での練習風景の方がぴったりしていた。  

  この時代、辻音楽師がそれぞれ町や村をめぐり、漂泊の旅を続けながら生活の糧を得つつ、人々を楽しませていた。 17世紀のこの時期、民衆の耳に響いた音楽の音は、きわめて素朴なものだった。歌唱に加えて、楽器はフルート、リュート、ヴァイオリン、トライアングル、ヴィエル、バグパイプ、ドラムなどが主たるものである(原画はラ・トゥールではないかといわれる「トライアングルを弾く女」というコピーも存在する。上掲イメージ)。  

  ラ・トゥールはどうもヴィエル弾きがお好みだったようで、いくつかのヴァージョンを残している。この画家はある時期、ヴィエル弾きを描くことならば、ラ・トゥールという評判を得ていたのではないか。しかし、画家が放浪の音楽師であるヴィエル弾きを好んで描いたのは、彼らをロレーヌでよく見かけたからであろう。工房へ呼びモデルとなってもらったのかもしれない。

  そして、この画題による作品が多く残ることは、当時の人々にも強くアッピールするものを持っていたのだろう。なにが待ち受けるか分からない、不安に満ちた時代、唯一つ楽器に頼って、時に子犬などを旅の伴侶として、漂泊の旅路をたどった楽師は、その哀愁がこもった歌と楽器の響きで当時の人々の胸を打ったに違いない。

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