時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

アメリカ人は学校嫌い?

2009年07月03日 | グローバル化の断面


マーク・トゥエイン『ハックルベリー・フィンの冒険』初版(1885)の口絵
  



  グローバル大不況がもたらした経済活動の下降も、ようやく下げ止まり、底を打ったのではないかとの観測が生まれている。景況感も改善の兆しがあるようだ。しかし、日本、アメリカ、EU、いずれをとっても労働市場の停滞は厳しい。アメリカの6月の雇用統計は、非農業部門の雇用者数は前月から46万7000人減少し、予想を大きく裏切ることになった。失業率も9.5%と前月より悪化している。早期に改善の兆しはない。

 こうした中、アメリカでひとつの論争が生まれている。小学校、中学校などの義務教育課程で、アメリカは他国と比較して授業日数が短いのではとの問題提起だ。アメリカの学校は通常月曜日から金曜日までの午前中と午後の早い時間だけ授業が組まれ、夏の間は3ヶ月間、夏期休暇になる。この長い休暇も問題視されている。しばしば、ヨーロッパ、とりわけフランス人の長いヴァカンスを茶化しておきながら、お膝元の状態には気がついていないようだ。

 平均的な子供たちはこの休暇の間に、授業の1ヶ月分に相当する成果を忘れてしまう。数学については、ほとんど3ヶ月分の成果が消えてしまう。学者の間では「夏期の学習ロス」”summer learning loss” とまでいわれている。さらに、授業が終わった後の長い休暇に、裕福な家庭では父親が子供を教えたり、家庭教師をつけたりできるが、貧しい家庭ではそれもできず、結果として貧富を背景に知的格差が拡大してしまうとの議論まである。

 さらに、国際比較をしてみると、子供たちの学力という点では、アメリカは、中国、韓国などアジアの子供たち、さらにヨーロッパの多くの国々と比較しても、遅れているとの指摘がなされている。カリフォルニアの州立大学では大学の水準を維持するために、新入生の3分の1近くを英語と数学の補習に当てねばならないという事態まで生まれた。

 オバマ大統領も事態を憂慮し、アメリカはもはや「日の出から日没まで、子供たちも親たちと一緒に畠を耕していたような農業中心のカレンダーではやっていけない」と述べ、改善の必要を求めている。さらに、「中国やインドの子供たちは、アメリカ人の子供よりもアカデミックだ」との指摘さえある。

 公立学校の中にはオバマ大統領などの要請を受けて、学年暦を変更し、月曜から金曜日まで朝7時半から夕刻5時まで授業をし、時には土曜日にも授業をするという方針に切り替えようとする学校も生まれている。夏期休暇も2週間程度短くする。アメリカの良い所は、悪いとなると改めるのが早いことにある。しかし、こうした決断に踏み切った学校の数は未だすくない。

 アメリカ人の多くは、こうした変化に乗り気ではない。教員組合などの利益集団の反対も強い。さらにサマー・キャンプ産業なども、商売の機会を奪われると反対している。

 そればかりではない。アメリカには公教育に乗り気ではない文化的風土があるとの説がある。ひとつはセンチメンタリティだ。アメリカ人の子供の原型はハックルベリー・フィンにあるという。彼は学校には余り行きたがらなかった。ハック・フィンは村の浮浪児で、基本的にひとり独立して生活し、社会の秩序に縛られず、自然のままに自由に生きる少年というイメージがある。学校よりは家庭、家庭より個人という流れだ。

 もうひとつは自己満足だ。アメリカの親たちは授業日数を7月、さらに8月まで延長することに抵抗する。父親の負担となりがちな宿題の増加にも後ろ向きだ。しかし、親たちは、教科書にしがみついて懸命に勉強している中国人が、将来自分たちの子供の仕事を奪うのだということを信じがたいようだ。現実はすでにはるか先まで進んでいる。シリコンバレーの企業の半分近くは、インド、中国人など外国人によって創業されたものだ。高い専門性、技能を持った移民労働者の頭脳なしには、アメリカの競争力は維持できない。

 ハックルベリー・フィンは、1885年の出版だ。農業、そして工業の時代は、終わりを告げている。肉体労働は依然として必要とはいえ、そのウエイトは大きく減少した。一日の仕事の終わりに、残った仕事をインターネット上で地球の反対側に送って作業を頼み、翌朝オフィスでその結果を受け取ることが可能な時代だ。

 他方、1980年代、「会社人間」「働き中毒」workaholic とまで揶揄され、世界一の勤労意欲の高さを自認し、義務教育の充実と成果を誇った日本だが、その後国際的にもランキングが急低下している。ハックルベリー・フィンのようなロール・モデルも見あたらないこの国では、教育のあり方についての国民的議論はきわめて少ない。初等・中等教育から大学・大学院まで含めて、日本の教育内容は劣化が著しい。教育水準の低下は、さまざまな次元での国民の議論の質的レベルダウンをもたらしかねない(実際、政治家先生?の低次な議論、どうにかならないかと思うことが多い)。就活のために、週日教室に出ず、会社を駆け回っている学生の実態ひとつをとっても、その影響は「夏期の学習ロス」どころではない。こうした問題ひとつ解決できないことに、関係者は大きな反省をすべきだろう。教育は国の将来を定める。アメリカの議論は対岸の火ではない。

 

 



Reference
“The underworked American” The Economist June 13th 2009.

コメント
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